今回は保健体育科の小野満哲先生です。 2012年6月30日(土)、本校第3AVE室でお話を伺いました。その中で、茗溪学園の特色の一つである4km皆泳臨海訓練についても興味深いお話をしてくださいました。

―出生地、幼少時の思い出を聞かせてください。

奈良県大和郡山市で生まれ、高校卒業まで奈良市で育ち、筑波大学入学時に茨城県へ来ました。 幼少から高校まで、 飛鳥幼稚園、飛鳥小学校、春日中学校、一条高校と古都に縁のある名前の学校を出ました。 父が釣り好きだったので、私が小さかった頃は一緒によく釣りに連れて行ってもらいました。小学校低学年の時は落ち着きがないと言われていましたが、 高学年になる頃にはじっと待ちながら考えることや、時間を過ごせるようになっていたのは、釣りを続けるうちにじっと待つこと、耐えることを学んだのだと思います。 バドミントンを始めるきっかけに なったのは、小学校6年生の頃の親友が通っていたバドミントンクラブの練習に参加したことです 。その子はバドミントンの県チャンピオンで、その友達の誘いで試合に出たら結構勝ててしまい、そこからやみつきになって中学校1年から部活として始めました。実は野球(王選手や長嶋選手)に憧れていたのですが、バドミントンの方が楽しくて、そこから高校、大学、現在の部活動顧問と長くバドミントンをやっています。

―先生になろうと思われたきっかけを教えてください。

大学4年の進路を考える時に、競技の道に進むか教員になるか迷いましたが、最終的に教員を選びました。生まれ育った奈良に思いがあったので、奈良県の教員採用試験を受けていましたが、当時は奈良国体で体育の教員が大量に採用された直後だったので、私が受験した年には人員補充が少なくなっていました。そういう環境下だったので茨城県で講師をしながら1年間だけつくばに残ることにしました。 最初は神立(現在はかすみがうら市)の下稲吉中学校で4月から7月までの3ヶ月間、2年生に数学を教えていました。その後10月からつくば市立桜中学校に体育の教員として再び3ヶ月勤務している間に、茗溪学園で体育の教員募集があり、試験に応募しました。面接でお会いした初代校長の岡本先生には、その場で素晴らしい考えと熱意を持った方だと尊敬の念を抱きました。そして運よく平成元年4月から茗溪の教員として採用になりました。実は茗溪学園で勤務する直前に大学時代の恩師より次のお言葉をいただきました。「天皇陛下が崩御された関係で、大阪花園での全国高校ラグビー大会の決勝戦が中止になり優勝が決まった時、優勝パレードについて新聞記者から質問された岡本校長が、『社会に貢献したわけではないのでパレードなどしない。』 と言われたという逸話が残っている。そんな校長先生の下で教師になれるのだぞ」 。 私自身、面接の時にお会いした印象もあり、採用が決まって身の引き締まる思いがしました。 茗溪学園については、筑波大学バドミントン部の1学年下の後輩に茗溪の卒業生がいて、また現教務部長の黒澤先生が大学バドミントン部のOBでしたので知っていました。もし茗溪の教員になれなかったら、故郷に帰りたい気持ちが強かったので、奈良に帰って教員をやっていたと思います。 今は奈良に帰ることを考えていませんが、それは自分の子供が茗溪に在籍しているからでしょうね。

―茗溪学園には、お子さんが在学している先生が多いですね。 小野満先生は、お子さんをどうして入学させたいと思われたのですか。

私はこの学校を高く評価していて、総合的に判断して子供を預けたいと思いました。 教師(同僚)が熱心であること、教科部門での専門性が高いことや、信頼できる人柄であるなどが具体的な理由です。子供を預けるならここ!ここに預けたい!と思って早い段階から受験を勧めていました。

 

―茗溪学園の体育授業の特徴について聞かせてください。

茗溪学園の体育の授業は、多くの種目で専門の先生が授業を教えている点が特徴です。一般的な体育の授業は、一つのクラスを一人の先生が週3時間程度担当し、 定期的に種目を変えて教えます。茗溪では一つのクラス週3時間をそれぞれの専門種目の先生が1時間ずつ担当して授業をおこなっているので、質の高い授業が実践されています。 体育授業の中でも特に特徴のある種目の授業について紹介しますと、まず初めはラグビーの授業です。 男子生徒は中学から高校まで必ず週1時間、校技であるラグビーの授業を受けます。週1回を6年間行うのですから当然技術も向上します。ラグビー部員以外の生徒でもラグビーの実力は相当高いレベルになります。授業内容については間違いなく日本一の展開がなされていると思っています。 2番目は器械運動の授業です。 男子生徒は中学で約2年間、高校で1~2年生の間、毎週1時間学ぶのですが、授業の中だけでバク転宙返りや、鉄棒の大車輪が出来るようになる生徒がいるのです。体操部員以外の生徒ですよ。これには驚きました。茗溪ならではの特徴です。 3番目は柔道の授業です。 柔道の指導をされる宮崎先生は、一般的に体育の授業の中で使われ始めるかなり前の段階から、柔らかい畳やヘッドキャップを取り入れ、安全対策を万全にすることを考えていました。体育の授業での安全配慮は当然のことですが、生徒にケガを起こさないように細心の注意を払っており、これまで目立った事故もありません。 女子の校技である剣道では、今の高校3年生(32回生)女子全員が全日本剣道連盟1級審査に合格しています。学校の中には運動が苦手な生徒や 格技(一対一で組む競技)に対して消極的な生徒がいるのは当然のことです。そういった子供たち全員が合格したところが凄いです。これらは生徒たちのやる気と努力の成果であることは間違いありませんが、教員の専門性を生かした茗溪特有のカリキュラムがある事によって成し得ている、と自負しています。 他の先生の話ばかりになってしまいましたが、私は球技の授業を中心にバレーボール、バスケットボールやトレーニングなどを担当しています。他の教科の先生だと、6年間で1度も授業を担当しない生徒も当然いるのですが、私の場合は4年生後期のバレーボールの授業で学年の生徒全員を担当させていただいているので、在籍している生徒とは必ず一度は授業で出会っています。

―今までの人生で一番嬉しかったことを教えてください。

バドミントン競技をやっていた頃に大切な大会で勝った時や、目標を達成した時に感じたことがたくさんあり、一番は特に決められません。 絶対に勝ちたい重要な試合の時に、自分が集中しきっている感覚を何度も体験していて、そういう試合での勝利は達成感がとても大きく、嬉しい思い出となっています。もちろん、指導者となってから生徒が目標を達成した時の喜びも同様にありますね。生徒が成長していくのをいつも直接感じられるので、教師という職業は幸せな仕事ですね。

―10年後は何をされていると思いますか。

まだ教師をしていますね。定年後は海のそばで昼間は釣りをして、夜はバドミントンの指導をしているというのが理想ですが。

―茗溪父母会活動についての感想をお聞かせください。

茗溪の学年の父母の方々は、とても仲が良いですよね。それぞれの学年でカラーは違いますが、雰囲気がとても良いと思います。 キャ ンプのボランティアで知り合ったご父母の仲が繋がりのきっかけになって、その人たちが核となって学年に輪が広がって、キャンプ後も懇親の機会を何度も設けたり。今担当している学年32回生の父母は特に活発ですね。オリエンテーリングなどのイベントをたくさん実施され、楽しまれている方々が多いと感じていま す。クラス父母会役員や地区父母会役員をきっかけに多くのご父母に出会い、充実した交流が生まれているという話も聞いています。ともかく積極的な方が多く、子供が茗溪を卒業してからも親だけで一緒に旅行へ行かれている方々などもいてとてもいい感じであるように思えます。

【茗溪学園の代表的行事、臨海訓練(4km遠泳)について】

―臨海訓練のエピソードを教えていただけませんか。

毎年様々なドラマがあります。とても語りつくせませんが…。 全く泳げなかった子が泳げるようになることだけでも、実はとても素晴らしいことです。そのために、ともかく練習で泳がせます。そして生徒たちは本番に泳ぎき ります。最終日には一番泳げないグループが遠泳に挑戦するのですが、最後まで泳ぎ切って砂浜に戻ってきた瞬間は最高の笑顔あり、涙ありで最もドラマチックですね。

―先生方もずっと伴泳されるのですか。

生徒たちの隊列の両サイドを伴泳しているのは、 茗溪の先生(体育科、学年教員、お手伝いの教員)や学生(筑波大学水泳研究室や卒業生)、社会人(この臨海訓練に合わせて夏休みを取っている方、大学の先生になってからも来てくれている茗溪臨海訓練応援団)などです。伴泳者はレスキューチューブとビート板を持っており、すぐに救助できる体制で最初から最後まで一緒に泳いでいます。 遠泳全体の体制としては先頭のボートが風や潮を見つつ隊列をコントロールして、時間内に遠泳を終えるように先導しています。最後尾のボートは遅れた生徒が出た時にボートで引いて隊列に戻すことや、その生徒の遠泳を打ち切るかどうかを判断しています。先頭と最後尾のボート担当はとても責任が大きいので体育科の教員が担当しています。 他にも救助体制として隊列の脇に教員が乗った手漕ぎボートと、沖で体調不良者が出た時にすぐに砂浜まで運ぶための茗溪学園の船外機付きボート、そして漁船をチャーターして待機させています。

―最近は現地までバスで行くようになったと聞きましたが。

これまでは電車を使って現地集合にしていましたが、去年から希望者は学校からバスで移動できるようにしました。これは震災対策の1つで、途中で地震が発生した時に生徒たちの所在確認がしやすいためです。今年も継続しましたが、余震が完全に落ち着いた時にはまた現地集合に戻るかもしれません。

―先生方の現地滞在期間は長いのですか。

以前は3期制だったので、8月1日から12日まで約2週間も海にいました。今は2期制になったので少し短くなって9日間滞在しています。この期間の体育科の 教員は、毎日朝から天候や風や波を気にしながら生活しているので、まるで漁師さんのようですね。今遠泳をおこなっている岩井海岸は、以前臨海訓練を行っていた館山の海岸よりは安全面で優れています。海岸全体が広く、沖に出てどのルートを通っても海岸まですぐに帰って来ることができる。予定した時間どおりに海岸に戻せるという安心感があります。

―生徒は入学前に泳げなくても大丈夫ですか。

スイミングスクールに通っていて泳げる生徒もたくさんいますが、水の中でバチャバチャ暴れているところから始まる泳げない生徒も当然います。授業では中学1年でク ロールを、中学2年で背泳ぎを習い、中3から平泳ぎの特訓がはじまり、4年生では基本的に全員泳げるようになります。6月中旬から週3回の体育の授業が全て水泳になるので、スイミングスクールに週3回通っているようなものですね。中には水泳が本当に苦手な生徒もいますが、最終的には全力で挑戦して、そして乗り越えてくれています。だから基本的には入学前に泳げなくても、プールの授業をしっかり受けていれば大丈夫です。

―臨海訓練の特徴を教えてください。

初日には海水を飲んだり、眼が痛くて泣き出す生徒もいますが、次の日には不思議と慣れてきます。遠泳を恐れる必要はないのですが、臨海訓練全体では緊張感を持たせることが重要になっています。特に海の上では基本的に声を出さないといったルールを守ってもらいます。これは実際に苦しんでいる生徒が出た時に、伴泳者がすぐに聞きとれるようにするためです。陸上でも常にピリピリした状態で、指示されたことをキビキビとできるようになります。 臨海訓練とは、 泳いで、ごはんをおいしく食べて、寝るだけ(9時消灯)の生活ですが、そんな空間は大切な経験です。躾の面でも残さず食べるとか、汚さないとか静かに生活するなど指導を徹底しています。毎年食事が本当に美味しかったという感想が多いのも特徴です(お菓子禁止、飲み物は水か麦茶だけ)。

―先生方が心配されていることはありますか。

気温の低い年は慎重になります。梅雨が7月後半まで長引いた年は、水温が低くて困ります。体の細い生徒は特に寒さに弱いので、お湯を入れた湯たんぽをボートに積んでおいて、冷え切った身体をすぐに暖める準備などをしています。最近では日焼け対策として希望者にラッシュガードを着用させていますが、寒いときにはかなり有効です。

―プール認定もあるのですよね。

ここ数年は怪我で参加できなかった生徒などを対象にプール認定をおこなっていますが、参加できなかった生徒は基本的に次の年に臨海訓練を再チャレンジしてもらっていました。

 

―安全対策についてはどのようにお考えですか。

遠泳の安全体制には非常に気を遣っています。手漕ぎボートだけでなく船外機付きボートや漁船も準備しています。これまで約500~700m沖にブイがあり、 そこまで泳いでいましたが、万が一余震が起きた時のために沖への距離を短くしました。ただ岩井海岸では東日本大震災のときでも大きな津波はなかったとのことです。波風が強いときに潮をかぶるのはとても辛いですが、天気が良く静かな海での遠泳はとても気持ちがいいです。遠泳の時には横に3人、縦に20人前後のきれいな隊列を作って泳ぎます。遠泳のあと生徒は予想以上に楽しかったと言いますが、実際には完泳した達成感はものすごいと思います。沖に出ると浜は本当に小さくなる、その中で仲間が一緒という安心を感じることは貴重な経験です。

―訓練中、泳げる生徒と泳げない生徒で何か差が出ますか。

泳げる班は、班別練習の内容が非常に厳しくなっていて、さらに宿でも負担の大きい食事の準備や片付けを担当してくれています。一方泳げない班は宿での作業分担も軽く、練習もゆっくり丁寧に進められていきます。また泳力の弱い班は隊列の前の方に組まれて、自分たちのペースで遠泳を泳ぎます。泳力ある班は後方で隊列を整えるために立ち泳ぎで間隔を調整したり、横への移動が多く、大変な役目になるのです。隊列が曲がるときには、内側は立ち泳ぎになり、外側は早く泳いで横の列を整えなければなりません。スタッフミーティングでは隊長(先頭のボート担当)が遠泳の予定コースを提示し、それをもとに各班担当者が泳力を判断して誰をどこに配置するかなどを毎練習前後に確認しています。

―遠泳時間は決まっていますか。

目安として2時間で4㎞と設定しています。風があると4㎞も進まない場合や、逆に風がない時は4㎞以上泳げる年もあります。これまで事故なく実施し続けていますが、それでも慎重に安全対策を強化し続けています。 (今の生徒たちは)昔のように子供時代に野山を駆け回って遊んでいたわけではないので、万全の体制で臨む必要があります。

 

お忙しい中、貴重なお話をいただき本当にありがとうございました。

小野満 哲先生(保健体育科)インタビュー
6月30日 14:30~16:00 第3AVE室

武江 小野満先生 大場 原田 江口

  呑田  田端  中根  細田