窪山先生インタビュー

書道・国語の教科担当をされている窪山先生は今年度で定年となります。このほど20年ぶりにインタビューすることとなりました。全部で2時間10分にわたるインタビューの中から先生の人柄がわかる部分を選んで掲載します。記事内で紹介している写真は窪山先生の書によるものです。

インタビュアー 佐藤由香、古市未央、田中新

・芸術を選択する生徒はどんな子が多いのでしょう?

書道選択をする学生はとくに男子生徒で増えており、駆け込み寺のようになっていると感じます。なぜ選択するかを書いてもらうと、楽だからと真っ正直な気持ちを書いてくれる生徒もいますが、そこはなぜ書道を選ぶのかをもう少し考えた理由を書いてもらうようにしています。そのまま続けて高校2年になると段位を受けることができ、推薦入試のための経歴にも書くことができる認定書も発行されます。中には資格コレクターもいますが、段位を要望される人数が少ないのでお願いされれば授与するようにしています。授業では、修行的なところもあり、話をしたりせず、じっと動かず、忍耐強く集中力を継続することがカギとなります。

テレビにも登場した学校名

 

・茗溪生のいま

20年前のインタビュー時と比べ、今の茗溪生の印象はだいぶ変わりました。学校に来る目的が軽くなったような気がします。前は何かの目的を達成するため、卒業したらこういう仕事をしていくんだという生徒が多く、どちらかというと大学の名前にはこだわっていなかったですよね。ここでしかできない勉強をするためにその大学に行くという感じでした。今は少々大学に行きたいのがゴールなの?という子が多くなった気がします。以前はもっとはっちゃけていて、やんちゃで、手がかかるけどたくましかった印象ですね。たくましさが今は足りない。茗溪に来るというのは勉強するためだけではなく、何か力がつく、目的をもって学校に来るというのがあったと思います。今は以前よりそういった目的意識が軽くなったと感じます。それが今は課題だなと思います。

 

・最近取り組んでいる作品

以前は草書体を中心にしていましたが、今は木簡ベースの隷書体での作品に取り組んでいます。
土浦市からの要請で土浦のワークヒルで月2回、少人数相手ですが書道教室をしています。大人の人でもひらがなから始めています。それとは別に自宅近くでも町内会から請われて書道教室を開こうかと考えています。通信も受け付けています。大人になってから始める方も多いですね。茗溪の卒業生や父母の方もいらっしゃいますよ。
展覧会用の70×170cm(2.6×6尺)などの大作となると自宅ではスペースが足りないため学校で書くことが多いです。以前はよく学寮のコモンスペースで書いていました。広くて何もないのでちょうど良いんですよね。よく夜中に書いていたので、現校長が夜に見回ると怪しげな音がコモンスペースから聞こえるので警戒されたこともありました。夜中は書の音がよく聞こえることもあって、今でも好んで夜に書くことが多いです。

バス側面の学校名

 

・展覧会での書道の楽しみ方

自分で字を書いていると何が良いのか悪いのかがわかってくるようになります。うまいから良いとか、あの先生だから良いとかではなく、自分はこの人が好きなんだ、この作品が好きなんだというのが見えるようになってくるんです。展覧会に行っても誰が書いたからということではなく、「この作品良いなあ」と感じる方が見て楽しいですよ。
私の教室でもお年寄りの方になぜ書道をやるの?と時々聞くんですが、中にはボケ防止のためにやっているという人もいます。展覧会に出したいということではなく、何か自分なりの目標があるとやっていて楽しくなるというのでやっている方もいらっしゃいますし、展覧会に出したいからやっているという方もいらっしゃって、そういう方には厳しめに指導したりしています。

26回生卒業時卒業記念品として学校に寄贈された「世繁」

 

・書道を始めたきっかけ

小学校4年生のとき、左利きを直すために自分から始めました。週6日の書道教室での習字以外にその頃空手も習っていましたが、夕食も書道教室で食べていたこともあったので、ほとんど書道教室で暮らしていたようなものでした。中学では一転してサッカー部に入り、高校ではバレー部に入部してしばらく運動部を続けていました。しかし、高1の秋に腎結石で入院することとなってしまい、運動部を退部させられてしまいました。そのとき書道の先生から書道部に見学においでと誘われました。というよりも見学とは名ばかりで、前から書道部の顧問の先生に目をつけられていたため入部が仕組まれており、せっかくなのでそのまま入部しました。1学年の定員が4人と決められて、限られた人数を徹底した部だったため、とても結束力の強い部でした。ただ実はかなり厳しくて正座、黙想、国歌斉唱で始まり神前に向かって礼で始まるような部でした。上下関係も厳しくて、上級生の最後の一人を駅のホームでお見送りするまで下級生は帰ることが許されず、終わるのはだいたいいつも夜の9時!ただ、高校生男子だけあって、神前にかざってあったのは水越けいこやキャンディーズのポスターという、なんだか昭和の熱血ドラマにでてきそうな風景でした。
その後、筑波大学の書道学科へ進学。大学時代に教育実習で竹園高校に行きました。担当していただいた先生がかなり奔放な方で、最初の授業からいきなり準備ゼロで授業をやらされました。研究授業では校長先生のいる中で「あずさ2号」を歌い、校長先生からは「授業60点だが生徒を引き付ける力は120点だ」と言われ、いい先生になるだろうと言われました。考えてみればそれが先生になる遠因だったのかもしれません。
大学を卒業後、大学院試験受験の際に書道を書く試験がありました。しかしながら、試験前日に体育の授業でバレーボールをして右手の指を骨折してしまい、本番で書くことができず、あえなく不合格。卒業後、大学院の研究生となりました。授業料を稼ぐ必要もあり、そのため茗溪での非常勤講師をすることとなり、そのまま先生にならないか?と誘われました。ただ福岡に残していた母が気がかりだったこともあり、茨城での就職を少々躊躇しており、3回ほどお断りいたしました。が結局熱意に折れて就職し、その後福岡から母を呼び寄せ一緒に暮らすことにしました。

 

学校の顔

・学校での年賀状

年賀状は実はなかなか難しく、狭い空間にいろいろと書かなければなりません。賀詞、住所・氏名、抱負など入れないといけないので、とてもいい題材ですので書道選択者には全員窪山の自宅に1月1日に届くようにという宿題にしています。本当は筆ペンでなく筆でやってほしいですが、筆だと狭い空間に書くのが大変だろうと思いますので筆ペンで書いてもらっています。ただこれからは年賀状を書いて出すという文化が無くなってしまう可能性が高いですよね。私は毎年、年賀状は1200枚書いてます。来る方も宿題と卒業生でずっと送ってくれている人もいるので同じくらいあります。毎年ひもで縛って郵便局員が手渡ししてくれます。買うときは、1200枚という枚数なので自宅に届けに来てくれるようになりました。12月15日くらいから初めて、投函が12月26日には終わるようにしています。年明けは書初め大会の見本を本人の名前まで含めて書いていたこともあります。
(インタビュアー感想:先生直筆の年賀状、我が家はきちんと保管してありますが、これからはさらに有難みをもって額縁に入れて飾らなくては!)

 

・年賀状より大変な学校の書き物

なんといっても卒業証書が一番大変です。中高合わせて600枚程度、筆の持ち方と姿勢をきちんとしてしっかり書いてます。1時間で12~15枚書ければいい方ですね。失敗は約1割で、卒業番号の間違いが多くなってしまいます。A5くらいの台帳に卒業番号、氏名、生年月日が書いてあるのですが、それをA3に拡大して証書に書いています。 何回も確認しながら、また名前等曲がらないように真ん中に線を引いて書いているので結構1枚に時間がかかっています。1か月くらいはずっと証書を家で出しっぱなしにしてますね。中学と高校の卒業式の合間も最近は短いので、2月には高校生を終わらせないといけないペースです。
(インタビュアー感想:窪山先生がこれほどまでに気合を入れて仕上げられているなんて、みなさん、卒業証書は家宝物ですよ!)
他には卒業アルバムの中の第何回卒業という表題も書いていまして、12月中には終わるようにしています。

また今年はインターハイに行く部活が多く、賞状以外にカップに取り付けるリボンなども書いています。特に多いのがバトミントン部やテニス部です。体操部も多いんですがそれでも1人1枚にしてくれてます。が、バトミントン部はたとえば県西地区大会で勝ち進むと最大30枚になるんですが、そのうちの24〜25枚は書いてます。県大会ですと15枚くらいですね。
テニス部や野球部の県の大会でも小さい字で2行に渡ってリボンに書いたりすることもあります。そういったリボン等への書き物は一発書きを求められるのでかなりスペース配分を気にして書いています。
昨年からは氏名を省略するようになりましたが高校職員室前に貼り出す大学合格者を26回生から書いていました。
自分の学年の父母からの依頼は全て引き受けています。父母から依頼されてラグビーの横断幕を以前書いたこともあるんですが(高校棟の廊下端から端までの長さ)、スポンサー名にかかってしまい、その部分を隠さざるを得なかったこともありましたね。

先生が受け持たれていた学年(41回生)父母作製のシャツ

 

・お手本は卒業するものですか?

お手本は永久にあるし、それを超えることはないと思っています。字の意味は大事ですが、大事にしすぎてもいけません。字面も大事とのことで絵のイメージを持つことも必要です。(インタビュアー感想:先生がさらさら書かれるお手本はいつ見ても感嘆しますが、そのような先生のお手本に対する姿勢、見習わなくてはいけませんね。)

 

・先生にとっての書道

得意な書体は行書ですが、看板などは隷書を用います。ただ最も必要なのは楷書だと思っています。師匠がご存命の時には、書いているか?とよく言われました。毎日筆は最低1時間持ちます。1日抜けてしまうと取り戻すのが大変なので書道をやらない日はありません。筆の持ち方、姿勢、手のひらの角度などが大事、どこに集中するかを意識しながら書きます。

 

・最後に先生からのメッセージ

私は小さかったころから書道がうまかったのではありません。努力すれば窪山くらいまではたどり着けるでしょう。ただ努力を続けることができるかどうかです。そのためには良き師との出逢いです。師の一言で人生が大きく変わることもありました。教員もある意味生徒達の師ですね。一言で励まされたり、勇気をもらったり、人生に大きな影響を与える存在です。
ほんの少しでも窪山から元気をもらってくれたのならいいなぁと思い続けた教師生活でした。
長いインタビュー、お疲れ様でした。
(インタビュアー感想:紙と墨がすれあう音が好きだそうで、日本の風情、雅を感じるお話しでした。)