(茗渓学園27回生学年父母会パネルディスカッション前編からつづく)
受験期、親との関係
阿部 私は推薦を頂いたので割と早く決まってしまいました。学校も父と同じ学校だったので、進学することに関してはあまり苦労をしていない方だと思います。
模試で、一回物理で0点を取ったことがありまして、職員室に行ったとき、クラブの担当の先生と顔が合った瞬間に、「おまえ、0点とは何事だ」とどなられました。
部活をやって家に帰ると8時くらいで、食事をして机に向かうのは9時ぐらい。ご飯を食べると、まぶたが重くなってきます。気がつくと1時頃。親父がずかずか入ってきて「おまえ何やってんだ」といって叱られます。
体力がなく、集中力が続かなかったので、とにかく多くの時間をとる工夫をしました。通学は早い電車に乗って、テスト前は勉強の時間とし、通信教育の教材をいつもカバンに入れて、電車の中とかで見ていました。朝は5時半起きだったのでレム睡眠、ノンレム睡眠を意識して短時間睡眠を心がけました。
同期のIくん(現在、茗渓の国語の教員)と通学の電車が一緒で、テスト前には、質問を出し合ったりして。友達と競い合うということは楽しいですね。
受験期、親にはくどくど言われませんでした。親に対して不満はありませんでしたが、親の方は気が気じゃなかったと思います、出来が悪かったので。ただ、「推薦はあるの?」・・・チャンスだけはつかみなさいよ、ということだったのだと思いますが、それで、後ろを押してもらったんですね。
西本 僕は、英語が好きだったので、英語のO先生の授業だけは予習をちゃんとしていきました。O先生は6年生のA群英語しか教えていない先生ですが、馬が合うというか、ここが出そうだな、と思うとそこが出るとか、今でも慕っています。そんなわけで周りはA群はきついと言っていたのですが、僕はそうは思いませんでした。
4年生のI先生で英語に興味を持ち始め、5年生のテスト1でアドバンスに上がりました。5年生のN先生は、ものすごい宿題だったのですが、人の答えをちょっと見ながら予習をやっていて、英語が得意になったので、結果が出たと思います。やっぱり好きな教科は頑張れるんです
僕は世界史が大の苦手で、センターも60点とかそんな感じだったんです。頑張ろうと思って、公文式のSRSに通いました。そこのいいところは学習室があって、そこで与えられた時間でやるので、その時間には集中してやっていました。
親は一旦部屋に行ったら覗きにはこなかったので、勉強をやっているときも、やっていなかった時もありました。下におりてテレビを見るとさすがに怒られるので、下におりたいなあと思う時は、親と進路の話をするんですね、進路の話だと親も邪険にあしらうこともできず、親身になって聞いてくれるんです(笑)。
息子や娘の将来の夢を聞いたことがあると言う方、手を挙げてもらえますか? そういう話をできるということはすごいいいことだと思うんです。将来の夢が決まっているというのもいいことだし、そうでなかったら自分は、小さい頃どういうことが好きだったとか、話してあげるとすごく視野が広がると思うんですね。うちの親は、あんたは作文が得意だとずーっと言っていたんですね。自分ではそうは思わないんですが、得意なのかなあと思ってて、それもちょっと今に結びついているのかもしれません。
西本さん
五月女 前の二人と比べて、うちはここでは言えないようなことがいろいろありまして、大変でした。西本君は話をしたほうがいいと言っていましたが、僕はあまりお勧めしません。
親の思う姿と、子供がなりたい姿と必ずしも一緒とは限らないと思います。親心でこうしたほうがいいというのは良くわかるんですけれども、受験の時期に入ると受験生は一生懸命勉強していると思うんですね、そこで、ああしなさい、こうしなさいと言われると、やっているんだよと。やってないように見えるかもしれないけれど、本人はやっているつもりで、と、そういった反発も生まれたりすることもある。まあ、話しかけることは僕はあまりお勧めしないです(笑)。
でも、疲れた感じで下におりてきて、こちらが何かを話しかけたときに、ああそうだねえって、話をきいてくれるということはすごく大きいと思う。そこで、何かを指摘するのではなくて、ただ聞いてあげるということは、非常に大きな意味がある。
僕は英語がベーシックだったんですね。英語、大嫌いだったんですね。高島先生の前でなんですけれど、単語は覚えられない、文法はわからない、こんなんでどうしようと。単語帳とかやりませんでした。ただ長文を寝る前に5回ぐらい声に出して読んでました。ただ読んでいるだけですが、それでなんとなく掴めるんですよ。受験に出でくる単語ってすごい量で、全部覚えることは不可能に近いと思うんですが、そういうところで、こんな感じだろうと掴めるっていうのは、なかなか大きかったと思うんです。
生物は好きだったので、ほとんど勉強しなかったんですけど、一回やれば覚えました。だから、息子さんや娘さん達の得意な、好きな教科を見つけられると、その教科が強くなれるんじゃないかなあと。
原田 私は部活中心で過ごしていましたので、家に帰って次の日の予習をちょこっとするぐらいでした。
高3の夏まで部活をやっていて、そこから勉強を一人でするのは辛かったので、なるべく学校でやるようにしました。友達の話を聞くことは刺激になるし、学校の自習室では周りが勉強しているので、あせっていろいろやった記憶があります。
受験を通して思ったのは、普段の授業をよく聞いていると、それだけでわかる問題もあるんだ、ということです。この学校は漢字テストとか、細かい英語のテストが頻繁にあるので、いやでもそれを勉強する、そのおかげで、入試での漢字は間違えることはないですし、日々の時間を大切にしていくほうがいいと思います。ですから、家でしていないからといって、全然勉強してないと思わないで、学校でお子さんは勉強していると信じてあげるのがいいんじゃないでしょうか?
私は親との関係は非常に良かったと思います。軽く「勉強しているの?」と聞かれることはありましたが、「学校でしているからいい」と言い返して、おわってました。
聞いてはこないんですけれども、何か話したいんだなと言う雰囲気はいつも伝わってきていたので、たまにこちらから気を使って話すこともありました。その時は真剣に聞いてくれました。みんな言っているように、あまりうるさく勉強勉強といわれると、やる気をなくす、ある程度のことは任せて欲しいなあと、大きく感じています。
原田さん
高島 人さまざまですから、今まで、ぜんぜんお子様と話していなかった親が急に、おいちょっと夢を語ろうなんて、なかなかうまくいかないと思いますね。まず、自分のスタンスを大事にすることが、大切かなと思います。
西本君も言ってくれましたけれども、小さいときに見ていたものを言われるとそういうものかなと自分でも思うことがある。そういう時がすごく大事じゃないかなあと思います。何も言わないお父さん、いっぱいいますけれど、どこかで伝えているはずなんですね。我々親ができることは子供に対して、いかに信頼しているか、愛しているかという掛け値のない思いを、言葉ではなくて、どのくらい伝えられているかということだと思います。もう16歳すぎたら子供をどうにか操ろうとすることはお止めになったほうが良いですね。
夢を語るのはぜんぜんかまいません、大事なものを自分で見つけていくんですね。そのときにちょっと背中をおしてやる、子供のやる気が本当に出てきた場合に、ちょっと後押ししてあげる、そういうことがすごく大事だと思いますね。
受験期のクラブ活動
阿部 クラブ活動をやっていたので、眠くて眠くて仕方なかったです。その中で合格したという事がなにより良かったんではないでしょうか。
一番親の愛を感じたのが高校になってからじゃないかなというふうに思います。軸を外さずにパシッとしてくれて、でも温かく見守ってくれたのが何よりでした。
西本 僕は、影響はあまりなかったんで、サッカー部は。あっ、でも今の4年生は強いと思います(笑)。
五月女 高2の冬でやめてしまったんで、やめた人間が言うのはなんですが、ラグビー部なんかは6年の12月近くまで部活があるので、当然勉強のほうにも、どうしても支障がでちゃうんですね。やめたからこそ言えるんですけれども、現役で受かるよりも、一年間部活でがんばって、悔いの残らないほうが、現役で合格するよりも、よっぽど後々、……言いたくないんですけど。 そこは温かく見守ってほしい。
原田 高校3年生の夏まで部活をやっていました。それまでははっきり言ってさして勉強はしてませんでした。中1から高校3までやると決めたので、ここは絶対にやり遂げたいものがあって、もうそこは部活に集中しました。
中1から頑張って頑張って、やっと結果が出せて、やりきったという達成感も得られましたので、そこからは勉強して、今までテニスでもってた目標を勉強に変えました。ここまでやると決めて、そこから始めていくのも遅くはないと思っているので、影響はないと思います。
高島 勉強ができないからといって、クラブ活動をやめるのは絶対にマイナスです。私もずーっと現役生を見ているのですが、逆に部活を一生懸命やっている子が、受験でいい結果を出していますよね。みんながみんなそうだとは言いませんよ、でもどう考えてもそうだと思います。
部活を一生懸命やっていると、勉強時間がほんとに取れないんですね。家に帰って体は疲れている。お風呂に入ってご飯を食べると寝たくなっちゃう、それでも予習をやらないといけないと思って、頑張って2時間ぐらいやったりするわけでしょ。
これで部活が終わったとき、4時間5時間の時間が取れるようになる。そうすると勉強さえやれば良いと、これがとっても励みになるというんですね。
この切り替えが上手くいって、結果を出すためには、それまでの最低限の家庭学習をやっていないとだめですね。それをしないで、部活だけ一生懸命やってて結果を出そうとしてもこれはできないです。
実は6月まで部活を一生懸命やった子が、そのあとやり始めて、7、8、9月と頑張っても、結果がそのまま出てこないケースが多いんです。模試は10月で終わりです。それでもそのまま続けていきますと1月のセンター試験では結果がでる。2月の受験のときにも結果が出るということになっていくんです。ここが他の学校と違うところだと思うんです。
質疑応答
質問者1 お話を伺って、好きなことを生かすというのが、理想だと思います。ただ、その好きなことが、医者とか、弁護士になりたいだといいんですが、スポーツとかだと、なかなかそれでだけでは食っていくことにはつながらない。その時どうするのか。西本さんの場合には、ジャーナリズムとか、ビジネスとかとつなげて考えられたわけですけれども、もう一つの軸を作ってどう組み合わせていくのか、そこのところを、伺えればと思います。
阿部 難しいですね。バトミントンは当然好きです。化学もすごく大好きで、コンピューターも好きです。好きなものはひとつだけではないと思うんですね。結局好きなものはずーっとやっています。そのうちの言い方は悪いかもしれませんが、きっかけです。コンピューターはたまたま今自分のご飯を食べることになっています。とにかく好きなことを頑張ってやっていくということで、そんなに深く考えていませんでした。
西本 おっしゃる通りスポーツの世界は、それだけで食べていくのが難しい世界なので、先輩で全然関係ないところに就職している人もいます。収入のいいところは、正直就職したいところでもあるし、就職活動の中でいろんな企業を見て、例えば、電通だったらスポーツ部門があったり、そうしていく中で興味が見つかっていくんじゃないかなと、今の段階では。
五月女 確かに、自分の好きなことと仕事が100%繋がるというのは、稀だと思うんですね。だけど全く関係のない仕事についてしまうと、これは長続きしないと思うんですよ。自分の好きなことと、仕事の間でのバランスを上手く取れるかどうか。全く関係はないけど、ちょっと場面が自分の興味のあるところと似ている、というところを見つけられれば、上手くやっていけるんじゃないかなあと思います。
原田 私の場合は、好きなことは語学だったので、いろいろな可能性が広がってむしろラッキーだったなあと思います。仕事を見つける際にも、私は職業にはこだわらず、英語をコミュニケーションの手段として使いたいというのがありましたね。そこからいろいろ自分で考えることが大切かなあと思いました。好きなことが一個あれば、そこからいろいろ可能性を見つけることができると思うので、そうやっていければ良いんじゃないかと。
質問者2 就職と就社ということについてです。好きなことをやるということになれば、就職、その職に就くということですが、一方まだ日本の社会ではむしろ就社になっているという点があると思いますが、どうお考えでしょうか。
阿部 今、職場を見回してみますとさまざまな人が会社にいますが、職を身につけることで、どこに行っても自分の活躍の場が得られると思います。私のシステムを作る仕事でいえば、一般事務所でもITシステムというのは必要だし、需要があると思う。そういった意味では、自分の存在感を感じるために、就社というよりは職というものをしっかり考えて、やりたいこと、もしくは、やるべきことを職業にして、就社か就職にしたら良いと思います。
西本 僕にとっては難し過ぎるので大学に置き換えます。いい大学に入りたいのか、名前は知られていないけれども本当に自分のやりたいことを学べる大学に行くのか、というのは、非常に大きな選択ですが、第一はやりたいことを学べる大学に行けばいいと。やりたいことをやっていけば、その分野で十分活躍できる人材になっていくと思うんですね。なので、大学に換えさせてもらいましたが、名前ではなく内容で選んだほうが良いと思う。
五月女 僕も大学生なのでわからないですが、名前で選びますと、お金がそれだけ入ってきますよね。やりたいことではないけど、こっちに行けばお金がたくさん入ってくるということもある。その得られたお金で趣味が自由な時間にできれば、それはそれで良いのではないかと思うんですね。自分の好きなことを仕事に選ぶか、社の名前で得られたお金で、自由な時間に趣味を実現するのも良いんじゃないかと思います。
原田 大学のときの就職活動で、何社からか採用をいただきましたが、採用されても、どこの部署に行くかもわからないし、女は事務という考えの会社もいくつかありました。ということで、途中からは就社活動ではなく、派遣会社を回りました。私は英語を使える仕事がしたいという、それを確認して、就職活動を開始して現在の職業に就きました。自分のやりたい職に就くというのが理想だと思います。ただ、現実にみんながこういうことができるかというとまだまだでしょう。とりあえずは入ってお金を稼いで、ある程度自分で生活ができて、ゆとりができてきたら、また違う道を考えても、遅くはないと思います。
高島 今の世の中は、食べられるか、食べられないかとか、就職がし易いかどうかとか、そこに焦点が行きがちなんです。ですから、例えば一般教養といわれるものは、お金にならない。つまり実学でないと就職にも有利でない。そこでそういうものはなくなっていくんですね。人生が干からびていくような思いがして、とっても怖いことだなと思います。
茗溪学園ではいろんなことをやっています。芸術や家庭科をやめて、もっと英語や数学に時間を割いたら、大学進学なんかもっとよくなるかもしれないと、いろんな人が言ったりしますが、それは私はやってはいけないことだと思うんです。我々が絵を見たり、音楽を聴いたりして、心が豊かになることはいっぱいある。
好きなことをやって、目を輝かせていることが、やがてその子がその社会に対してもよりよく貢献することができる力を身につけるのではないかと、私は思いたいんです。
人の子供のことだから、といわれそうですが、もしも私たちがそういうことを追うのをやめてしまったら、茗溪学園が変わっていくということになりますね、茗溪学園が変わっていくということは、大きく言うと日本がだめになる一歩になると思うんですよ。だから一生懸命、やっぱり茗溪学園の教員はそういう思いを絶やさずにいきたいと心から思います。