茗溪学園27回生学年父母会パネルディスカッション前編

「輝け!! 未来」―茗渓の進路指導による進路選択における親の役割―
平成18年3月4日(土)14:00より、第1AVE室にて、上記のテーマでパネルディスカッションが、開催されました。対象は、27回生の父母でしたが、卒業生の皆様から、大変貴重なお話を伺いましたので、当日ご参加いただけなかった父母の皆様、子供たちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。
20060304-01
パネリスト
阿部 元信さん(10回生)
西本 佑介さん(24回生)
五月女 和大さん(20回生)
原田 佳子さん(18回生)
コメンテーター
茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
司会
27回生学年副委員長 上林正巳
開会の挨拶
司会 卒業生をお呼びして茗溪の進路指導、生活が、どう将来にかかわってきたかをお聞きする企画です。進路指導部の高島先生に素敵な人を是非とお願いしたら、この4人の方が来られました。いろいろ話を伺っていきたいと思います。
 上林学年副委員長


自己紹介
阿部 10回生の阿部元信と申します。クラブはバトミントン部でした。
富士通の関連会社でシステムエンジニアの仕事をしています。大学では物理化学を専攻し、物を作って分析することをしていました。プログラミングの技術を生かしたいと思い、化学系と情報系と両方の就職活動をし、結局情報系に就職しました。
西本 24回生の西本です。中・高とサッカー部に所属し、去年早稲田大学のスポーツ科学部に入学しました。スポーツビジネスを勉強しようと思い、この9月からアメリカのオレゴン大学に留学することになっています。オレゴン大学はスポーツが盛んなところで、独自のスポーツセンターを持っており、ビジネスの授業もあるので、ここを選びました。
最初はスポーツジャーナリズムを勉強しようとして思っていたのですが、授業を受けているうちに、興味が広がっていって、最終的にジャーナリズムっぽいものも含め、ビジネスを考えています。
五月女 20回生の五月女です。早稲田大学の2年生で、生物を勉強しています。6年間寮におりまして、部活は高校2年の冬まではラグビー部、後はボランティア同好会でした。
僕は一度現役で他の大学に受かったんですけど、一年で中退して、ものすごく道を外れまして、文系で一年間、理系で一年間浪人して、今の生物に受かったということです。
原田 18回生の原田と申します。中学高校とテニス部に所属していました。津田塾大学を卒業し、現在富士通株式会社電子デバイス事業本部というところに所属しております。半導体製品の受注、発注、検収業務が仕事で、主な取引先は海外です。高校のときから英語が好きだったので、何か外国語に関われる仕事をしたいというのがあって、大学を選び今の職業に就きました。
個人課題研究と進路の関わり
阿部 個人課題研究は、千葉県の江戸川の水質検査というテーマでした。父親が浄水場に勤めていたので、親父が作った水は大丈夫かなあ、ひとつ検査してみようと。
そこで学んだことは、ひとつのことを最後までやりきるということです。これは仕事でも同じで、何かシステムの障害がおこった場合、解決しないと生産ができないわけです。何が原因で、どうやったら解決できて、本当に解決できたか検証するにはどうしたらよいのか、そういったプロセスを個人課題研究では学んだと思います。それと、これをすることで益々化学に対する興味が湧きまして、化学系の大学に行きたいなあ、と思い、実際化学を選んで、卒業実験では、満足できるところまでできたと思います。
現在はシステムエンジニアをやっているわけですが、化学は分子一個ずつくっつけて、違うものを作り、新しい属性をみつけ人間の生活を豊かにする。情報は自分達一つ一つの知恵を集めて大きくして、社会をサポートしていくと思っています。そういう意味で、システムを組み立てることと、分子を作ることがすごく似ていると思っています。実際、私のシステムエンジニアの部署では、約30人中に工業化学系を出た人間が5人、物理化学系が2人、化学を出た人間が実際多いのです。
 阿部さん
西本 個人課題研究は、少年犯罪被害者の人権(報道被害)というテーマでした。僕は部活して、寝て、学校へ行ってという生活をしていたので、興味を持つところもなくて・・・。そろそろテーマも締め切りで、担当教員も決めなきゃいけないって時に、どうしようかなと思って・・・報道には興味があったので・・・当時問題になっていた少年犯罪の報道について調べました。最初は少年犯罪者の実名を出すのはなぜかと調べていくうちに、被害者はなぜ当然のように名前が出るんだろうと疑問をもち、そこを調べていきました。
自分がどんなところに興味を持っていて、仕事にするんならどんなことがいいんだろうと考え始めたのが個人課題研究でした。友人が釣りのルアーの形を調べていたんですが、発表のとき、担当の教諭がこの子は楽しそうに研究をやっていたって。
僕は趣味と仕事は別のものとその当時考えていて、でも楽しいことを研究すると自分のためになるんだなと気づいて、じゃ自分はスポーツはやるのも見るのも好きだなあと、それに報道をくっつけて、スポーツジャーナリストを目指しました。早くも挫折してしまったんですが、将来のことを考えるという意味で、個人課題研究は大きかったと思います。
五月女 僕は個人課題研究はあまりやる気がなかったので、なるべく楽なものをしてすごそうと思ったんですね。それで、担当の先生にM先生を選びまして、毎週土曜日に個人課題研究の報告をしに行くんですけれども、「本を読んだか?」 「はい読みました」「そうか、よし」そのような関係が約1年間続いたんです。
高島 五月女君が、M先生と、「おぉ、そうか」で終わったといった話ですが、いろいろ事情があるんですね、先生の事情だけではなく、五月女君の事情も。これだけを聞くと、茗溪の先生にもこんなひどい先生がいるのか、M先生だけはやめたほうがいいということになりますが、そうではないんですよ。)
生物が好きになったのは中学校の時で、S先生の授業がすごく面白くて、興味がでたんです。高2で理科が選択になる時、僕は生物が大好きなんですが生物を取ってよいでしょうか、と担任の先生に聞いたところ、生物だと受験の時に受けられる学校が少なくなるから、物理と化学のほうがいいよ、と言われ、生物をやめて、物理と化学にしたんです。だから高校の時は生物の勉強をしませんでした。まあ、成績が伸びなかったということで、のらりくらりと大学へ行ってしまって、やはり長続きせず、やめる。やめると今度は親との葛藤がありまして、最初が理系の大学だったので、また理系だといろいろ言われると思って、全く違う文系の大学を目指しました。で、その時に、中学のとき生物が好きだったなあと思い出した。文系浪人した後でやっと生物をはじめたんですね。全くのゼロからのスタートです。予備校の先生に何を言ってるんだこの子は、こんなことも判らないのかと、という目で見られたけれども、まあ好きなものは伸びるのも早く、夏を過ぎるあたりから成績も上がってきて、今の早稲田の生物に合格しました。それで生物を選んだというわけです。でもまあ僕は特別な例なんで・・・。
 五月女さん
高島 これも高1のときに担任と話をして、物化がいいからそうしようと、それだけではないんです。もうちょっと話をして、いろいろなバックグラウンドも考えて、こういう方向に進むのであれば物化のほうが良い、となったんですね。でも最終的には、結局、自分がやりたかったことは、生物だと、これを見つけられたんですね。そこに目を向けたのは、浪人している時のどこかの大学の英語の試験の長文問題が生物系の問題で、そういえば、生物が好きだった、と思い出したんです。その年はだめだったんですよ。でもそれで、翌年生物に変えたんです。)
原田 私の個人課題研究テーマは「英語圏の手話について」でした。外国語、特に英語が好きだったので、英語に何か関わるものを研究しようと思って選びました。テニスでも一番大事な時でしたので、そこまで力を入れることはなかったのですが、研究が終わってから、英語が話せると、いろんな方とコミュニケーションがとれると思いました。もうちょっと進めていきたい、という思いが強くなり、雰囲気の良さ、英語教育の優秀さで、津田塾大学を目指しました。
自分の好きなことは人にも伝えたいし、人にも好きになってもらいたいという思いと、子供が好きだったので、教育実習も茗溪でやらせていただきました。私が大変お世話になった先生は、一度社会に出て、それから教員になられた方で、いろいろな経験談、苦労話等の面白い話が聞けました。一度社会に出たほうが、幅が広がると思ったので、一度社会人になって、それから、自分がいつか英語を教えることができたら良いなという思いを持ち続けています。

高島 個人課題研究は、二つ大きい影響があると思うんですよね。
ひとつは論文を書く技術というのを体得すること、もうひとつは、16、17歳の時期に、自分の将来を考えること。自分はどういう方向に興味・関心があって、どういう適性があるのかということを一生懸命考えるということ、これが実は大事なんです。
個人課題研究のテーマの延長で学部を選んでいる子は、個人的な感覚でいうと、6割くらいかな。そのあと大学に入って、就職にどれくらい繋がっているのかというと、おそらく1割ぐらいだと思います。大学に行って、それが自分が考えていた結果と違ったとしても、選ぶ時点でどれだけ一生懸命考えたか、という事が、さまざまな良い点をもたらしてくれると思っています。
 高島先生
茗渓学園での生活、行事の影響
阿部 一番よかったなあと思ったのは、テーブルマナーです。
私は会社の労働組合の執行部におりまして、組合員教育でテーブルマナーをしました。ほとんどの方が知らないんですね、その中で、堂々としていられました。
日常の生活の中に、いろいろな行事で学んだことが出てきて、キャンプとか、グループの協力だとか、校技大会とか球技大会とか、研修旅行とか、経験しているから、そういった場面で恥ずかしくないし、堂々としていられる。台湾研修旅行の時に海外から見た日本がどうなのかを知る機会がありました。今の仕事でも台湾とか、韓国とか中国との関係が多いんですが、会話の仕方だとか、向こうから見た日本を知っていれば大丈夫です。
高島 昔は中一の短期入寮の時にテーブルマナーをやったんです。)
私は在学中バトミントン部に所属していまして、いまだに続けております。会社でチームを作ったりとか、地域でバトミントン教室を開いてみたりとか、開催するというのは大変なんですよね。でも、会社の人間としかコミュニケーションとらないというよりは、社会のいろいろな方と、バトミントンというひとつのカテゴリの中ではありますけれども、情報交換することで豊かな人生となっていくと考えます。
西本 サッカー部は今でこそ、県大会に出場していますが、僕の頃は下と合わせても11人ぎりぎりで、コーチもころころ変わって、顧問の先生はサッカーをかじった程度で、そういう部だったので、まあ楽しく、自分達でメニューを考えてやっていたので、結果は出なかったけど充実してました。
イギリス研修旅行の班別研修で、僕は幸運にもイングランドのプレミアリーグという、世界三大リーグのひとつの試合を見に行くことができて、すごい大声でもって応援しました。そういうことが、今の興味につながったのかなぁと。
もうひとつ、これは行事ではないんですが、6年間授業でラグビーをやりました。あまりみんなとまだなじんでいないときに、この人にタックルするのはどうなんだろうと・・・そんなことを考えて6年間やっていたら、誰でも倒せるようになった。そういうのは、非常にいい体験だったと思います。
五月女 さまざまな行事で、何時に集合というのがあるんですね。時間を守れない人って信用されないじゃないですか。行事が多かったおかげで、自分も10分前ぐらいまでに集合できるようになり、まあ、時間を守れるような人間になったと思います。
それから、研修旅行や、大学訪問等で、先方に電話をかけたりして、予約みたいなことするわけです。何月何日お伺いしますのでよろしくお願いします、と。そして、行って帰ってきて、お礼状を書きます。ありがとうございました、と。こういうことは他の学校ではあまりやらないと思うんですよ。そういうことを学校の行事でも学ぶことができたのは大きかったんじゃないかと思います。
原田 いろいろな行事の中で共通していることは、生徒主体で動くことだと思います。自分達で連絡をとるし、どういうところを廻るかを決め、もう何から何まで自分達でやります。先生方が任せてくれるということは大きいと思います。具体的に私が思ったのは、敬語ですね。今敬語ができない人が多くいます。私も完璧に使えるというわけではありませんが、研修旅行に行った時など、きちんとした言葉づかいや服装で接するので、ある程度目上の方にたいして話すことに慣れます。そういう場が高校のうちからあったので、大学でも社会に出ても、慣れているという自信はありました。それから、班ごとに動くので、仲間を大切にすると思います。一人じゃ海外に行っても何もできませんし、みんなで協力して何かを作り上げるというのは貴重な体験でした。
高島 中学はどちらかといいますと、日本文化を主体にして、その中で集団行動。高校になると、世界に目を向けて、しかも形としては集団で動いているんですが、個人が主体となっていく。どんなことをやるときも、必ず自分達で考えて、最後に終わったら報告書を作るということを、やっているわけです。やりっぱなしには絶対にしない。ここがやっぱり力になっていくのかなあと思います。
ラグビーの話がでましたけれど、どう考えても、皆さんの中で運動がぜんぜんだめじゃないかなという子がいますよね。そういう子も結構やれたりしちゃうんですね。そういう意味ではいろんな子が、いろんなふうに鍛えられて、面白く体験できているのかなと思いました。
茗渓学園27回生学年父母会パネルディスカッション後編につづく)