韓国遠征応援ツアー(2006年3月20日~23日)に参加して

ラグビー部26回生母 高田由宜子、小林典子、今川美子

東京―ソウル間、飛行機では2時間ほど。毎日1万人以上の人々が日本―韓国間を往来しているそうです。飛行機に乗って、あっという間にソウルの仁川国際空港に到着。京仁高速国道を通って、夜の9時近くに子どもたちは養正高校の宿舎へ、そして私たち応援ツアーの母6名と弟妹4名はホテルに着きました。
  
二日目、養正高校の講堂で歓迎セレモニーがありました。「日本 茗溪学園高校 Rugby選手団 来校」の横断幕がステージ狭しと大きく掲げられ、子どもたちへの歓迎の気持ちがよく表されていました。校長先生、生徒会長の挨拶、続いて茗溪側から柴田先生と阿井キャプテンの挨拶等があり、とても和やかなムードでした。


養正高校、U19(19歳以下韓国代表)との試合では、茗溪に比べ身体が大きく、それだけで圧倒されました。(もっともU19は、昨年来日した折に早大と戦ったチームだそうです)茗溪は、旅の疲れもあってか終始押され気味でしたが、異国の地でパワフルなチームと戦えたことは、よい経験になったことでしょう。観戦中、私たちは養正高校のお母様方にお茶を入れていただくなど交流ができました。
 

 

 
  夕食では、校長先生のご招待で子どもたちと共に給食をいただきました。お肉がとても美味しく、お肉と野菜たっぷりのプルコギが出ていました。韓国は、食材が豊富で何処に行ってもナムルとキムチはお代わりが自由。野菜もふんだんに使っていてとてもバランスがよく、これが韓国の子どもたちのスタミナの素になっているのかしらと思いました。また、韓国というと辛い料理をイメージしますが、鶏が丸ごと入ってさっぱりとした中にもコクのあるサムゲタンは、子どもたちの口にも合ったようですし、給食は、あまり辛くないよう配慮してくださったようでした。
 

  
さて、子どもたちは、短い期間でしたが授業にも参加させていただくなどラグビー以外の交流や世界文化遺産の昌徳宮を見学し、韓国の歴史に触れるなどの経験もできました。誰一人ケガや病人もなく、とても有意義に過ごせた遠征だったと思います。(焼き肉が食べられなかったことが心残りのようでしたが・・・)
  
私たちは、子どもたちと昌徳宮見学で一緒になった以外は別行動で、食器や食材を使ったノンバーバルパフォーマンス、ナンタの観劇。そして、石焼きビビンバ、焼き肉、サムゲタン、トッポギ、お粥など本場の韓国料理を堪能。有名なアカスリもして皆さん一層美しくなって帰ってきました。三泊四日の韓国遠征に子どもたちとともに行けたことは、私たちにとっては感謝の一言です。
  
カムサハムニダ!


新たな出発・韓国遠征

団長(ラグビー部長・監督) 柴田 淳

お礼
今回のラグビー部韓国遠征を支えてくださった皆様にお礼申し上げます。
まずは、ラグビー部のOBとOB父母の皆様に、たくさんのご寄附を頂戴いたしました。茗溪ラグビーの固い繋がりと皆様の愛情を改めて感じました。ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
韓国養正高校厳校長先生には、大変お世話になりました。世界私立学校協会の副会長も務め、日本の教育事情にも詳しい先生のお話(日本語もとても上手です)は、とても興味深いことばかりでした。宿泊も夕食も何から何までお世話になってしまいました。甘えすぎてしまいましたが、日本においでの時には少しでもお返しができればと思います。
この遠征に参加するためにとった休みのつけが、ものすごいハード勤務として跳ね返ってくる石井ドクター(ラグビー部OB、7回生)、献身的なサポートありがとうございました。
養正高校のグランドまで応援に来てくださったご家族の皆様、力強い応援ありがとうございました。
この遠征を実現するために、何度も韓国に連絡を取り、時間をやり繰りして下見にまで行ってくださった加納先生、そして韓国通の芥川さん(芥川コーチのお父様)、ありがとうございました。
その他にも多くの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。
ラグビー部は国際交流に積極的
ラグビー部の海外遠征は、3年前の台湾遠征に次いで2回目になります。しかし、前回は7回生から始まった海外(台湾)研修の交流校である淡江高級中学との交流を継続することを目的とするラグビー交流でしたが、今回のこの遠征は、ラグビー部の独自の活動として行われたもので、学校としても、このような部活動の国際的な展開を認めたのは初めてのことです。
茗溪は、積極的に国際交流をしようという姿勢をもっています。そして、ラグビーは最も交流しやすい活動でありました。海外に出ていくことはそう簡単ではなかったので、来日した外国チームとの交流試合を、積極的に受け入れました。1982年1月にニュージーランドのラキールカレッジとの試合が皮切りとなりましたが、その後、イングランドのワデスドンスクール、あの有名なパブリックスクールのハロースクール、ニュージーランドのマクリーンカレッジ(この学校は3回来日している)、ウェールズのパブリックスクールであるクライストカレッジ、昨年のニュージーランドのハウィックカレッジと続いています。クライストカレッジは、5年生のイギリス研修でラグビー部が交流をする学校ですが、1998年に来日した時に、交流試合を行い、それが縁で、イギリス研修での交流校ともなりました。イギリスでの他の交流校はクライストカレッジ校長先生から紹介していただいたものです。
その心
2004年夏、創部25周年記念シンポジウムで、「国際化時代における茗溪ラグビーの役割」というテーマを掲げたのも、茗溪でラグビーをした生徒達には、ぜひ世界で活躍する人になって欲しいと言う願いからでした。ラグビー部の積極的な交流活動は、学校の中にあって他の魁(さきがけ)となってきました。この韓国遠征も、学校の国際交流活動に新たな展開をもたらすことになります。部員達には、魁となっている自分の姿を感じ取り、ラグビー部員であることの幸運とそれに相応しい行動を心がけて欲しいものです。
感じあう
茗溪の部員達が海外遠征する時には、ラグビーだけでなく、高校生としてその国の教育事情も含めた異文化を感じ、素直に受け止めて欲しいと思っています。茗溪ラグビー部は、隣人である韓国と台湾に、親しく交流することのできる学校を持つことができました。このような近くの国の人達との交流を大切にして、これからも続けられるようにしたいと思っています。そしてそれが、アジアのラグビーの発展と、日本のラグビーの発展に繋がるはずです。高校時代の交流は、それぞれの国に数多くの友好的な関係を効果的に築きます。異文化を理解し、日本人である自分自身をより深く理解することができます。ラグビーが国際平和に貢献する、何とも楽しいことであります。
最後にもう一度
ご支援くださった父母の皆様、OB、OB父母の皆様、本当にありがとうございました。将来、皆様の援助を受けて貴重な経験をした部員達が、世界で活躍することと思います。今後ともご支援くださいますようお願い申し上げます。


日韓友好の架け橋に

ラグビー部顧問 加納正康

交流の経緯
長野県菅平での夏合宿で、以前から茗溪の宿舎である田沢館の隣の四阿屋旅館に韓国の養正高校のラグー部が合宿しており、食事の準備の時間には毎回強烈なニンニクの匂いがして、韓国の選手はさぞすごいスタミナの持ち主が揃っているのだろうなと想像していました。そして5年前から、練習試合を定期戦のように行う機会を得てきました。
一昨年の夏に「いつかソウルに来て親善試合をしませんか」と厳圭白校長先生や表仲根監督からお誘いがありましたが、昨年5月の連休は「冬のソナタ」ブームで手ごろな値段の団体航空券が手に入らず、泣く泣く訪問延期を連絡しました。厳校長先生と表監督には昨年の菅平の合宿でもお会いし、「是非、いらして下さい」というお言葉を再び頂きましたので、合宿中に柴田監督と訪韓の予定を立て、10月に事前訪問をし、3月の終業式直後に遠征しようということになりました。事前訪問も私一人では心許無いので、韓国の友人が沢山いる芥川さん(ラグビー部OB父兄)を思い出し、連絡して事情をお伝えすると、その場で快諾してくださいました。
事前の訪問と交流
学期休みの10月5日~8日に芥川さんと訪韓、6日早朝より養正高校を訪問して厳校長先生にお会いし、学校創設の由来やラグビーのお話を伺いました。1905年に厳校長先生の祖父様が創設され、1947年に厳先生のお父様が4代目の校長になられ、1973年に厳先生が5代目校長となって、現在にいたっているそうです。
もうひとつの対戦予定校として厳先生に紹介いただいた培材高校は、120年前に創設されたミッション・スクールで、その日の午後、養正高校のラグビー部部長の元鐘天先生が車で培材高校まで私どもを連れて行ってくださり、金賢洙校長先生や関係者とお会いすることができました。
翌日は筑波大学との関係で依頼されていた、京畿道の平沢という所にある外国語教育研修院に出かけ、日本語を研修している韓国の中学・高校の50名ぐらいの先生方に日本の教育事情を説明しました。文武両立を目指す茗溪学園の話をすると、韓国の教育もそのようでありたいという声が多く聞かれました。その研修生のうちの12名が、今年の1月~2月の一か月間、筑波大学で研修し、その中の2名の先生が、1週間、茗溪学園で研修していきました。また、6年生のご父母の三谷さんのご好意で2泊3日のホームステイも体験されました。何か、急に韓国と茗溪が近くなった気がしています。
韓国遠征の様子
韓国では3月に新学年が始まり、3月の後半からラグビーの地区予選が始まることから、養生高校と培材高校との親善試合日程をなかなか決められなかったようです。結局、両校とも3月23日に予選が入ったため、養正が1日目に茗溪と対戦し、2日目は、ちょうどソウルで合宿をしていた韓国U19(19歳以下代表)に、茗溪と対戦してくれるように厳先生が交渉して下さいました。
3月20日、終業式・HRを終え、昼食後、バスで成田へ向かい、予定通りに韓国の仁川国際空港に到着しました。こちらで手配したバスの他に養正も学校のバスを用意してくださり、荷物が多かったので分乗して助かりました。40分ぐらいで養正に着き、ゲストハウスに案内されました。全て床暖房になっているので、温かみが感じられました。夜食に養正のラグビー部員が食べるという辛ラーメンをご馳走になりました。
3月21日、午前は世界文化遺産の昌徳宮をゆったり見学し、昼食は土俗村で蔘鶏湯(サムゲタン)をいただきました。大変美味しく、試合前にはちょうどいい薬膳料理でした。午後は歓迎セレモニーの後、養正との親善試合を行いました。試合には残念ながら勝てませんでしたが、その後、夕食会、ファンクション、腕相撲大会、養正ラガーマンの案内による近場の散策、ミーティングの後、就寝しました。
3月22日の午前中、日本語を履修している生徒との懇談、文化や趣味などのテーマに分かれて3人の異なった相手と話をし、コミュニケーションの仕方をお互いに学んだようです。昼食はバスで近くの韓国館という店に行き、チゲをいただきました。午後はU19との親善試合を行いましたが、U19はかなり年齢差を意識して試合をしてくれたようでした。お菓子とジュースでファンクションを行い、プレゼントを渡しました。夕飯は、茗溪の父兄も招待され、両校の先生方も一緒になって養正の食堂でいただきました。そしてプレゼントを交換し合った後、希望者と近くのスーパーにおみやげを買いにいき、ミーティング、清掃、荷作りの後、就寝しました。
3月23日、厳校長先生、元鐘天ラグビー部部長に見送られて、養正を出発、午後1時30分、ほぼ予定通りに成田に到着しました。全体としては、大きな怪我もなく、天候にも恵まれ、十分遠征の成果はあがったものと思われます。この機会を与えてくださった関係者の皆様に、心より感謝いたします。そして、選手の皆さんがますます韓国との架け橋の一翼をなんらかの形で担っていってくれることを願っています。


2006年8月14日 菅平での再会