社会科:榊原里佳先生


世界史がご専門の榊原先生は、エジプトのダハシュール北部発掘調査発掘調査に立ち上げの時から携わっていらっしゃいます。
2003年2月27日、テスト6直前で質問にくる生徒で賑わう職員室を抜け出して
HP委員2人によるインタビューに答えていただきました。
いつもと変わらない誠実なお話ぶりで 真面目な話しに終始し、大人同士の会話を楽しませていただきました。
父母会HP編集委員 三勢栄子(21・24) 村田由枝(22・27)


ご出身は?
生まれは名古屋ですが、我孫子で育ちました。
近所の方の勧めで中学から茗溪(12回生)に入り、大学と大学院は早稲田です。
教師になったのはいつ?
大学院の3年の時に茗溪に教育実習で来たんです。
その時に茗溪で働きませんかというお誘いをいただきまして、1年間補助教員してから就職ということになりました。
教師になったきっかけ
大学の時には全然考えていなくて――普通は大学の時に教員免許を取るんですが――エジプトをやっていこうとずっと思っていたんです。
でも、いろいろな人に助けてもらって・・・
大学の推薦をもらえたのも、先生方がいろいろな面で助けてくれたお蔭だったし、研究室に入れたのも先輩が紹介してくれたのがきっかけだったし、そういうことを考えると、もらって、ためてきたものを何か返さなきゃいけないなぁ~と思ったんです。
自分はやりたいことをやれたのが幸せで楽しかったから、「そういうほうがいいんだよ」「そういうことができるんだよ」ということを、自分がやりたいことを一生懸命探している中学生・高校生に伝えたくなって、大学院に入ってから教職課程を取ったんです。
大学院に入ってからだから結構大変で、友達もいないしノートも借りられないから、全部自分で講義に出なきゃいけなくて。(笑)
それで、どこで働きたいかといったら、やっぱり母校なんですよね。
自分がそんなふうに思えるようになったのも、茗溪で先生たちに話を聞いてもらったり、教えてもらったお陰だと思っているので。
だから、今、茗溪で働けて、すごいホントにラッキーだと思ってます。
エジプト考古学への興味の始まり
小学校の時からずっと好きで、「世界七不思議」や「ピラミッドの謎」という図書館にあった本を読んでました。
茗溪5年の個人課題研究では、「古代文明の比較から、人類の文化形成の条件」というものを考えました。
エジプト発掘調査への道
大学の時、発掘調査に参加できたらいいなと思って、まず「エジプト文化研究会」という早稲田大学エジプト研究所で働いている先輩がたくさんいるサークルに入って、そこの勉強会に毎週2回、聞いたり、研究発表したりしながら、研究所のボランティアに参加できるようになりました。
我孫子の新木駅周辺の発掘調査もやらせていただいて、大学では教えてもらえない発掘の手法や道具の使い方を現場で勉強させてもらいました。
早稲田大学エジプト研究所 ダハシュール発掘調査
遺跡かどうかは瞬間に分かるのですか?
エジプトの場合、すぐ分かるんですよ。
何故かっていうと、そこに土器が山のように落ちてるんです。
砂漠の中でも 私たちが掘っているダハシュールに行くと――他は砂と岩しかないんですけど――エジプトの18王朝ツタンカーメンの時代に特徴的に出てくる模様や色を使った土器が散乱してたり、エジプトの象形文字を刻んだ石が落ちていたり、非常に分かり易いです。
遺跡の状態、風化は?
最近の環境変化で塩害が進んでいますが、硬い石は劣化しないです。
エジプトは住む場所が水辺に限られていて、人が住んでいた痕跡のところはおそらく崩されて残っていないですが、お墓は全部、住む場所とは離れた砂漠にあるので壊されずに残っています。
今までの人生で一番嬉しかったこと
エジプトに行けたことですかね~。
現場に出て深呼吸した時の気持ちが忘れられないというか、ああいう気持ちを――今の27回生もそうですけど――味わえるといいなぁ、って思うんです。
そういう経験が一度でもあると絶対違うんですよ。
最初、学部の3年の時にサークルの旅行で行って、皆で遺跡を見て回って、次の年の春からは調査で全部で8回行ってますが、毎回エジプトに着くと「帰ってきたな」って感じで。(笑)
外で働くのが好きなので、毎日すごく楽しいです。
今までの人生で一番悲しかったこと
あんまり無いですね。
中学生の頃からを振り返ってみて、辛いとか悲しいとかというのがあっても、「きっとこれは、これからの人生の中でまだ半分ぐらいなんだろう。これが一番じゃない。これからまだまだ辛い事がたくさんあるから、とらわれていてはいけない、と思って、頑張らなきゃいけないのかなぁ~」というふうに考えて今まできたので・・・
だから、いっぱい理由はあったと思うんですが、乗り越えられないような悲しいこととか辛いことは無かったです。
10年後の自分、20年後の自分、30年後の自分
結構行き当たりばったりに生きてきたもんで。(笑)
その時にやりたいことをやれる道を探してやってきたので、将来もやりたいことがやれてるといいな、っていうぐらいです。
それが何に変わっていくのか分からないですが、それもちょっと楽しくて。(笑)
きっと10代の10年間と今からの10年間では、密度も全然違って、自分の変わるスピードも違うんだろうと思います。
今は生徒たちに伝えなくちゃと思っていることがあるので教師をしてるんですが、自分の中にそういう気持ちが無くなったらば、それは辞めなくちゃいけない。惰性でいる職場じゃないじゃないですか、学校って。
だから、もしそうなったら、もっとそういう気持ちを持っている人に代わっていったほうが良いと思ってます。
自分は茗溪の卒業生として茗溪を大事に思ってますので、自分が伝えたい気持ちがなくなったら続けていきたくはないです。
留学はやっぱりすごく楽しそうだな、とは思いますね。
エジプトのことだけじゃなくて、イギリスの習慣とか文学とかも勉強してみたいし、出てくる興味を1個1個潰していこうかな、という感じです。
日常の生活で一番大切にしていること
「ひとりではない」っていう感が常にあって、いろいろなことするにしても、いろいろな意味で助けられてたり、周りの人がいることで成り立っている、というのが自分にとって大切で忘れてはいけないなぁ~と思うことですかね・・・
クラスにいても生徒がみんないるから楽しいですし、ひとりでずっと部屋の中に居たんでは考えられないこととか、できないことがいっぱいできてると思うと、周りにいる人を大事にしないとなぁ~。
と思いつつ、あまり大事にできてないかもしれないですけど。(笑)
社会科教育を通して生徒に伝えたいこと
社会科って、人間があって成り立っているものなので、とにかく “人” ですよね。
エジプトをやってても、途中から面白くなってくるのは遺跡よりもエジプト人なんです。
だから結局 「人間て面白いね」っていうのが伝わるといいかなと思っていて・・・
自分は歴史をやっているので、「こういうことから、こういうことを学ぶばなきゃいけないんだよ」というのもありますが、結局出て来るのは人間なんですよね。
例えばガンジーとか素晴らしい人たちが歴史の中に登場してくると、いいなぁ~と思って、それが伝わるといいなぁ~と。
個人的な活動、ライフワーク
今はエジプト学研究所にたまっている資料を整理したり、研究で調査に行ってる人たちのいない間のデータの整理などを、コンスタントには行けませんが、やらせてもらっています。
どんな形でもいいので、エジプトの研究を少しでも支えたいというのは変わらないと思います。
茗溪父母会活動に対する率直な意見、感想
茗溪のご父母は茗溪が好きですよね~。
だから、いろいろな意味で助かってます。
私の母は茗溪の活動にはほとんど関わらなかったので、自分が教員になって初めて、クラス父母会やお母さんたちだけで集まって情報交換しているのを知って、一所懸命やられていてすごいな、と圧倒されているのが正直な気持ちです。(笑)
父母会だと自分が話し過ぎちゃうので、直接お母さんたちで話し合っていただいたほうが良いと思ってます。
個性を自己満足的に語ってください
真面目だけで生きてきたので、真面目が取り得です。(笑)