平成21年8月22日、夏合宿の合間の貴重なお時間を頂いて、中学ラグビー部監督、保健体育科の芥川俊英先生にお話を伺いました。芥川先生は茗溪学園の18回生でもあります。生徒としてそして教師としての両立場から見た茗溪学園とは…。
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<サッカー少年がラガーに転向した運命の日>
―ご出身地と小学生の頃のことを教えてください。
両親は山口県の出身で、僕も山口で生まれ、0歳の時に父の仕事の都合で、新松戸に引っ越してきました。今でも僕にとっての故郷は山口で、瀬戸内海で捕れた新鮮な魚料理が大好きです。小学校の頃は、とにかく運動大好きな元気な子どもでした。1年生の時からチームに入ってサッカーを始め、その頃の将来の夢は、Jリーガーでした。


―先生は、茗溪学園ご出身ですが、茗渓に進学された理由は?
中学に入ってもサッカーがやりたかったので、サッカーの強い都内の某私立中を受験したいと父に頼みました。父はその学校を受験することを許してはくれたのですが、その時に出された条件が「茗溪学園も受験すること」でした。
サッカーも続けながら塾に通って受験勉強し、結果2校とも合格しました。どちらに入学するのか悩みましたが、決め手になった一つが通学事情です。都内に行く電車は満員電車、茗溪に行く電車は下りなので空いているということと、もう一つは、学校の説明会に行くうちに、自由な校風に惹かれ、「この学校に6年間行くと楽しいだろうなぁ...」と茗溪に入学することを決めました。
―サッカー少年だった先生が、ラグビーに転向されたきっかけは?
最初はサッカー部に入るつもりでしたので、仮入部期間にサッカー部の見学に行こうと思って張り切ってグランドに行きました。ですが、たまたまその日サッカー部が休みで、グラウンドではラグビー部が練習していました。(おお!これがラグビーか…。)その時は運動着に着替えてスタンバイもしていたので、せっかくなのでじゃあやってみようか…ということで、ラグビーを体験させてもらいました。
そうしたら、もう、それが面白くて、サッカーと違って、ボールを蹴ってもいいし、手に持って走ってもいいという自由さがとにかく新鮮で魅力的でした。また、他の1年生達が、「ここのラグビーは全国大会で優勝したらしいよ」などと話していて、「全国!!」という言葉に惹かれて…(笑) どうせやるなら全国目指したいと思って、ラグビーをやろうと決めて家に帰って父に報告しました。
実は、父はもともとラグビーファンで、私には「ラグビーをやれ。茗溪に行け。」と直接は言わなかったのですが、結果的に父が望む方向に進んでしまい、気付いたら父の術中に完全にはめられていたというか、父は内心、嬉しかったでしょうね。
<「ア・ク・タ・ガ・ワー!」花園で耳に届いた天使の声援>
―ラグビー部に入部されてからはどうでしたか?
1年生の時は、とにかく「ラグビーを楽しむ」というスタンスでした。そのスタンスは今も変わってないですが、当時は1年生の中には経験者が少なくて、ラグビーについて何もわからない子たちが皆で楽しんで毎日練習していました。
中1と上級生では、体格と実力の差があまりに大きいので、一緒に練習する事はありません。中3くらいになるとかなり上手くて、1年生はそれを尊敬の眼差しで見て、先輩たちに憧れながら、1年生の仲間と楽しみながら練習を頑張る、という感じでした。
茗溪のラグビーは、「Enjoy!」ということを重視しています。練習の厳しさはありますが、厳しい部分も含めて楽しむ姿勢がありますね。
―ラグビー部での一番の想い出は?
それはもう、高校2年生の時に、花園(全国大会)に行けたことです。花園のグラウンドに立ったら2万人もの観衆の声援が聞こえてきて、もう緊張して鳥肌が立ちました。そうしたら、聞こえてきたんですよ。「ア・ク・タ・ガ・ワー~!!!」という、当時担任だった内窪洋子先生の甲高い声が。2万人もいる声援の中で、そんな聞こえるはずがないと思ったんですけど、鳥肌立った状態から、さっと正気に戻りました。
<ラッキーマンだった受験~大学時代>
―受験勉強はいつぐらいからされましたか?
ラグビー部を引退した高3の11月末(県大会で優勝を逸したため) からセンター試験まで死に物狂いで、学校の授業時間も含めて1日に13時間勉強しました。当時、英語が苦手で文章を読んでも解らなかったので、「これは、単語だ!」と思いたち、1日単語帳の日というのを作って、13時間、ずーっと単語帳を見て、1日だけで7~800位の単語を覚えました。その後は普通に文章も読めるようになりました。英語科の先生には反則技と言われるかもしれませんが(笑)。
センター試験では筑波大学体育専門学群の受験資格ぎりぎりの点数が取れ、実技で挽回出来るか?といった感じで臨みました。当時は、実技が3種目だったので、専門のラグビーと、基礎で剣道と器械体操を選択しました。茗溪は体育の授業が競技で分かれていて、それぞれ専門の先生の授業を受けていたので、すでに大学受験レベルになっていたんですね。さらに実技の試験までの間、剣道の村嶋先生や体操の内窪誠先生に特別に指導をしていただき、おかげで合格できました。茗溪でなかったら多分筑波大に行けなかったと思います。
―大学生活はいかがでしたか?
ラグビーは大学に入ってからも続けていたのですが、高校の時のラグビーの方がよかったな、とずっとあまり楽しめませんでした。もともと体育の先生を目指して大学に入ったのですが、途中で一時、その気持ちすらもあやふやになっていました。
ところが、大学3年生の時に新しいコーチが来て、そのコーチは、海外で実践されているテクニックやトレーニング方法などを日本に持ち帰った方で、とても厳しかったものの、またラグビーが面白くなりました。そして今度はその知識を子どもたちに教えたいと、先生になろうという気持ちを思い出しました。
その気持ちが決定的になったのは、教育実習の時です。それまでほとんど指導経験はなかったのですが、ラグビーを教えたり、ホームルームや給食の時に生徒たちと触れあったりするのが本当に楽しく充実していて、「教師っていいなぁ。よし、教師になろう。」という気持ちが固まりました。しかし、もう少しラグビーの勉強をしてから先生なろうと決めて、大学院のラグビーコーチング研究室に進学しました。
<本物に触れることが出来る茗溪学園の教育>
―就職されてからはどうでしたか?
教育実習では見えてこなかったいろいろな部分が見えてきたり、いろいろやらなくてはいけない事が沢山あったりするので、本当に忙しいなぁ、と感じます。でも、ラグビーを教えているのがとにかく楽しいです。皆が上手くなっていくのを見たり、苦しくても頑張っている姿を見たり、実はラグビーって、運動があまり上手ではない子もできるスポーツなんです。それぞれの子にあったポジションがある。で、そういう運動の苦手な子が、足の速い子に混ざって一緒に、一生懸命がんばってプレーして、試合に勝って嬉しそうな顔をして戻ってくる。そういう姿を見ると、本当に嬉しいですね。
―茗溪の体育教育の特徴は?
専門の先生がそれぞれいる事が一番大きいですよね。他の学校だったら、専門じゃないもの、例えば僕がバトミントンやバスケットを教えたりしないといけないのですけれど、茗溪の授業では、専門の先生がきちんと指導をするので、そこが特徴というかすごいと思います。器械体操もそうですし、柔道・剣道なども先生はみな日本でもトップレベルの方なので、そんな先生に教わってるっていうことは、本当に貴重なことだと思います。
―体育を通して生徒に伝えたいことはなんでしょうか?
「熱くなる事を恥ずかしく思わないで」校技大会の時に持つのと同じ気持ちを、授業中にも持ってほしいです。
<現在~今後>
―日頃大切にしていることと今後目指しているものはありますか?
日々の生活で一番大切にしていることは、常に感謝する、ということですね。また、若者文化にアンテナを張って、生徒から「普段から色々話せる人なんだ。」と思われるようにしています。座右のことばとしては、「一人反面教師」。過去の自分を振り返って、いけない所を今の自分が直していっているといった感じでしょうか。
10年後、20年後の自分は、いつまでも気持ちを若く、歳をとっても今のように自分で動きながら、自分自身で生徒に見せる指導スタイルを維持していたいですね。
―茗溪の父母や父母会活動に対しての率直な意見、感想をお聞かせください。
子供の成長にとって一番良いこと、大事なことは何なのかということを常に考えて頂きたいです。大人が手を貸してあげることは簡単ですけれども、ただ見守るべき時もありますし、失敗を体験させることも大切だと思うんです。危険なことは怒らないといけませんけどね...。
いろいろと楽しい、貴重なお話をいただきました。
お忙しい中、本当にどうもありがとうございました。