社会科:関寿子先生


今回は社会科の関寿子先生です。
2009年6月20日(土)午後、大変お忙しい中、茗溪学園5年C組の教室でインタビューに答えていただきました。
父母会HP編集委員会 吉田(直)(29K)、阪東(29K)、茶木(30K)、伊藤(30K)、赤松(32K)、江口(32K)
-関先生のご出身は?
群馬県高崎市で生まれ、20年間そちらで生活しました。小学校、中学校は公立で学びました。高校は自転車で10キロ離れた群馬県立の高校に通いました。大学ではどうしても地理が学びたいと考え、担任と相談し、立正大学文学部地理学科に進学しました。2年間は高崎線で30分かけ熊谷キャンパスに通い、3,4年は都内のキャンパスで学び、憧れの都会で一人暮らしをしました。
-大学で地理を勉強したいという希望を持ったのは何かきっかけがあったのですか?
中学生の頃から、地図帳を見るのが大好きでした。地理の先生はまるで世界へ行ってきたかのように授業をされ、聞いていると行かなくても旅行をした気分です。そんな授業が楽しくて、なんとなく地理を教える職業がおもしろいものだと感じていました。一番初めに地理が好きになったのは多分この先生の影響だと思います。ただ、その頃はまだ幼く自分が何をして生きていくかはわかりませんでした。
高校に進学すると、1年の担任が地理の先生でした。何故そこまで地理を追求するのかと思うような先生でした。海外旅行をたくさん経験し、そのお土産を景品に授業を盛り上げていました。こういう地理の授業を私もやってみたい、教員もいいかなと考え始めました。両親は自宅から通えて地理が学べる群馬大学教育学部、社会科の専攻はどうかと考えたようですが、私は教育学よりも地理を学びたいと考えました。
もっと遡れば、3,4歳の時に両親から、誕生日のプレゼントに世界地図のパズルをもらったことでしょうか。角が丸くなるくらい遊びました。それが最初のきっかけだったかもしれません。


-大学ではどのようなことを学びましたか。
大学の専門課程で理科系的なアプローチをする『自然地理学』に出会いました。卒論は毎月1回草津温泉の決めたポイントに行き、湯出量や水温の測定をしました。梅雨や雪解け水、季節の変化の影響などを1年間調査、研究しました。私が調査した内容はすでに多くの研究がされ、二番煎じでしたが、実際に自分で行って調査することに価値がありました。
-大学卒業後の進路は?
専門課程で出会った『自然地理学』はとても楽しく、もう少し学びたい、実験施設のある大学院へ進学したいと考えたのです。大学の指導教員と相談し、筑波大学を希望しました。そこから猛勉強しました。図書館で朝8時から夜8時まで勉強し、帰宅後、9時半から12時ぐらいまで勉強して1時に就寝。10分後に良く寝たと眼が覚めて、それ以後眠れません。10分睡眠しただけでも、その後寝てしまうのが怖いくらいでした。試験前は大きなプレッシャーにつぶされそうになっていました。その猛勉強のかいがあり、見事、現役で合格!大学の先生にもびっくりされました。
-『自然地理学』と大学で学ばれた地理はどう違うのですか?
地理は大きく分けると自然の地形や気候を対象にする『自然地理分野』と人を対象にする『人文地理分野』があります。大学3年生の時、図書館で「地下水の世界」という素晴らしい本に出会いました。地下ってすごいな、見えないところも化学分析でわかるのだと感心した瞬間に、これだ!とひらめいて、自然地理のほうへどんどん学び進んでいきました。

榧根勇著 日本放送出版協会

-大学院ではどのような研究をしたのですか?
関東平野一円の既存の温泉施設の深度1000から1500メートルにどんな水質の水があるのか、100箇所くらいからサンプリングして分析研究をしました。『自然地理学』を勉強したいと進学した訳ですが、私は高校3年生の履修時に数学、化学を選択しておらず、モルって?イオンって何?まずそこから勉強を始めなくてはいけませんでした。分析機器を使いこなすのは本当に苦労で、先輩に教えてもらいながら、やっとついていく毎日が続き、勉強するのは本当に大変だなあと思いながら、2年かけて修士論文を書きあげ卒業しました。
-教師になったきっかけは?
大学院の卒業をひかえ、急遽、就職活動を始めました。訪問した先の鉄道、旅行、地図関係はみごと断わられ、すでに時遅しでした。夏になっており、教員採用試験出願時期も過ぎており、悩み、ちょっと放浪の旅に出ました。放浪といっても2泊3日、戸隠への旅です。環境学を簡略化した、『ネイチャーゲーム』ってご存知ですか?アメリカで開発され、身体を使って自然を知ろうという体験プログラムで、私は以前から興味を持っていました。それを普及している団体の主催で、指導員の資格がとれるセミナーだったので参加してみました。
そこで参加者から群馬県の「さくらプラン」を教えてもらいました。32人以上の学級に担任ともう一人、教師を入れ、チームティーチングで、手厚く授業や生活指導をしていくというプランでした。さっそく群馬県に登録し、卒業と同時に高崎市の小学1年生のクラスで学習支援、生活支援等を始めました。勤務して改めて、中学生か高校生に地理を伝えたいと思うようになりました。
働きながら東京都の私学教員適性検査という試験に挑戦し、高い成績を得ました。いくつかの学校からお誘いを受けましたが、自宅が高崎だと言うと交通費の限度額から断られてしまいました。ひとつだけ、交通費の限度額はあるが、それでも良ければと話しをいただきました。私はとにかく実績を積みたいと考え、1年で小学校を退職し、次の4月から都内の私学の地理の非常勤講師として働き始めました。時間割はかなり考慮していただきましたが、どうしても1限にしか入らない授業ができ、朝3時半起きという生活になりました。過酷な生活でしたが、自分がやりたいことができる幸せと、両親が私のやりたいことに情熱をそそげる環境を支えてくれたことにより続けられたのだと思います。
-茗溪学園との出会いは?
実は、私は“つくば”という街がとても好きで、ここで仕事ができたらいいな、という想いは学生の頃から漠然とありました。群馬や東京で働いている時にも、頭の隅に“つくば”がありました。茨城県私学協会のホームページをずっとチェックし続けていたら、茗溪学園地理選任の募集があったのです。採用面接では、地図を見てどんなフィールドワークを提案できるかということも聞かれました。もともと地図を見ること、等高線、地形図が大好きなので色々なプランを答えることができました。

 

-茗溪学園の教員になってみていかがですか?
茗溪学園はやりたいと考えたことを実際に試させてもらえます。例えば、試験問題作りでも、「この問題でやりたいと思ったら、やってごらん」と後押しをして下さる先生方がたくさんいらっしゃいます。生徒も、すごく勉強熱心で、吸収しようという意欲の高い子たちが多く、スポンジみたいだなと思います。スポンジをぎゅっとつぶして、水の上にぽんと置くと水を吸い取りますね。そんな生徒を見ていると、本当に茗溪学園で働くことができて幸せだと感じています。
担任は30回生が初めてです。入学した頃、「先生!」と近づいてくる彼らにわくわくし、この子達とずっと一緒に歩んでいけるのだと期待が大きく、大変というよりも毎日楽しいです。小学生だとまだ子どもですが、大学生だともう育っている…その間をつなぐ6年間は子どもから大人になる時期で、一緒に過ごせることが中高の教師の醍醐味で、やめられないな、と思います。でもお預かりしている以上、責任重大な仕事だと常に感じています。
-茗渓学園の地理教育の特徴をもう少しお話ください。
フィールドワークが特徴だと思います。その中でも一番特徴的なのが中学2年の筑波山キャンプで行なうフィールドワークです。以前は筑波山麓にある梨園で、お話を聞き、梨狩りをして帰ってくるというフィールドワークでしたが、台風で中止になり、梨園の方には事前の準備も含め、大変なご迷惑をかけしてまったことがありました。そこで迷惑をかけずに、楽しいフィールドワークができないか、他の先生方と一緒に悩み、筑波大学の恩師に相談してみると、「地下水の調査はどうか」とアドバイスがありました。試験紙を使えば色の変化で結果が分かり易く、水質を調査するのなら、その前に土地利用の調査もしようということになりました。私たち教師も暑い中何日も調査対象地に通って、綿密に下調べをし、事前の準備をしました。とにかく、本物を見て触れて、知識だけの頭でっかちではなく、体も大きく成長して欲しいというのが茗溪学園の地理のフィールドワークだと考えています。
-地理の授業を通して生徒に伝えたい事は何ですか?
地理は暗記すれば点が取れると考えているかもしれませんが、そうじゃないよと言いたいです。地理は私たちの生活に密接に結びついています。どんな例がいいかな?気候にしましょう。昔ながらの家の造りは気候とつながっています。熱帯では日本と違う造りをしている家がたくさんあり、それはなぜか?読みとるためには気候を理解できないといけません。食べ物もそうです。お米を食べている人たちは、お米が取れるところで生活しています。ではお米が取れるところはどこ?たくさん雨が降るところでなければだめです。このように地理は、色々な人や物と切っても切り離せないつながりを考える学問だと思います。だから机の上で点を取るための暗記ではなく、もっと世界に目を向け、しっかりと学習してもらいたいです。生きていくこと全部が地理と関係するということを伝えたいです。
よく生徒は「歴史は好き、だけど地理は暗記だから嫌い。」と言います。受験勉強して入学してくる1年生は地理が嫌なようです。たくさん勉強してよく知識が入っていて、私も驚かされることがありますが、私はもっと考える地理、ひらめきの地理を大切にしたいと考えています。頭で理解したことを自分の言葉で書き出させたいと考え、記述式の問題を出すように心がけています。回答を読むと面白い事が書いてあり、柔軟で、伸びていく可能性を感じられとても楽しいです。
-部活の指導についてお聞かせください。
地歴部を指導しています。部員が留学してしまったので、一度休部という形になっていました。運動部だけでなく、文化部も充実させようという学校の方針もあり、私が中心になって、部員を集めることになりました。授業の時に声をかけてみましたが、なかなか希望者が来ません。困ったなあと思っていたら、32回生が「ぼくは歴史が好きです。」と入部して来ました。その後彼の仲間が2人入部して3人になりました。巡検に行ってみようと、3人を連れて宍塚の里山や国土地理院に行きました。現在部員は5人です。最近の活動のひとつに北条から平沢地区まで歩いて、おいしい“北条米”のことを調べ、今ではシャッター街になってしまった北条地区の町おこしに奮闘されている方にお会いしてお話を伺いました。地域に密着した地理や歴史について調べ、文化祭で展示、発表をしました。
-先生は旅行がお好きだとお聞きしました。
英語に対する苦手意識が強く、学生の頃は韓国、台湾、中国、シンガポール、フィリピン、インドネシアとずっとアジア圏に行っていました。当時は一人旅が多かったのですが、最近は一人で回る体力があまりなくなり、旅行先の治安の問題もありますから、友達や妹など必ず2人以上で一緒に出かけています。
オーストラリアには高校2年生の生徒の海外研修旅行と同じようなプログラムで2週間、語学研修でホームステイを経験しました。ちょっと英語に勢いがついてアイスランドにも行きました。
マダガスカル島では市場の様子にカルチャーショックを受けました。肉や魚を冷蔵庫に入れないのです。すごいと思いました。残念ながら40度を超える熱が出て、マダガスカル人とフランス人の医者さんの言葉が入り混ざる中、強い薬で熱は一晩で下がったのですが、大変な思いをしました。中学校の先生の“ワオキツネザル”“バオバブの木”、そんな話を断片的に憶えていて、就職した年のボーナスを全部つぎ込んで行ったマダガスカルですが、3分の2は寝て過ごし、大西洋にお金を投げてきたようです。その後エジプト、ニューカレドニアに行きました。
最近行ったのはマーシャル諸島です。本当はツバルに行きたかったのですが、飛行機の便を考えると滞在が長すぎ無理です。でも、いつか最後の楽園に行きたいですね。私はせっかちで、時間に追われることは苦痛ではありませんが、旅先ではのんびり長く滞在したいです。今は英語を勉強して、海外に長く滞在しても大丈夫になりたいと思っていますが、なかなか高校生のように頭にすんなり入らず大変です。国内旅行もいいかなと思うようになりました。2月末には宮古島、5月の連休は平泉に行きました。鍾乳洞が好きで、龍泉洞に行きました。日本語で様々な質問ができ、聞きたいことがきちんと聞けるので、なんて素敵なのだろうと思います。
授業では撮ってきた写真を見せて、例えばインドネシアのバリ島だったらイスラム教徒が多いインドネシアでありながら、バリ島はヒンドゥー教徒が多く住んでいる、なんて話をすると、生徒も「へえ。」と話を聞いてくれます。楽しみながら学べる地理の授業をやっています。私があまりに熱く興奮状態で語るので、生徒の冷静な眼差しを感じると「ちょっと今日はやりすぎたかしら」と思う瞬間もあります。高校生になると受験を視野に入れた授業になっていくので、体力勝負ですが、中学生には楽しく授業させていただいています。
-今までで一番嬉しかったこと・悲しかったことはどんなことですか?
嬉しいことはたくさんあります。高校時代に弓道部で全国大会やインターハイに出場できたこと、その後は大学や大学院に合格できたこと、就職できたことも嬉しかったです。これらに順番をつけることはなかなか難しいですが、茗溪学園に来たことは私の人生を大きく変えるような出来事だったと思います。私という人間を大きく成長させてくれる場所がここだと考えています。一番嬉しいことといわれたらそのことかもしれません。
悲しいこと…私は楽天的な性格で、つらいとか悲しいとか、一瞬感じているのですが…悲しくてしょうがないこと…ないかな?幸せですね。
-個人的なライフワークはありますか?
生徒とともに、海外研修旅行に行きますので、とにかく英語をできるようしたいと考えて、一生懸命勉強をしています。私はおしゃべりですが、外国に行くとあれもこれも聞きたいと思うのに、口が閉じてしまうことがあります。とにかく世界の人と話をしたいと思い、今は英語の勉強をしています。帰宅後、夕食のあと、9、10時から1時間ぐらいは、英語の勉強をしています。
少し前はテニスをしていました。最近は体力的に無理なので、お休みです。新聞が好きで、熟読します。情報の中から、マイナーな映画や、ドキュメンタリー上映を見つけると、いてもたってもいられなくなって、東京に出かけたりします。
-10年後、20年後、30年後の予想をしてみてください。
10年後も茗渓で働いていると思います。何をしているかなあ?自分のために1年ぐらいは勉強したいなあと思っています。結婚して子供も欲しいと思います。働きながらまずは自分のために勉強し、家庭も大切にしたい、そんな10年後かな?できるでしょうかね?
20年後は、もっと色々なものが見えていると思います。教育に関しても、もっと深い違った意味でかかわれる自分、全体的にサポートできる教員でありたいと思っています。20年後もここで働いていたいですね。
残念ながら30年後はもう退職ですね。旅行すると、退職した時どこで生活したいかなって、考えます。例えば、アイスランドは寒いから永住は無理、韓国は食事がおいしいけれど、ちょっと騒々しい?なんて思います。旅行を通じて永住の地を探し、一番いいと思えるところで、一生とはいわなくても、一ヶ月、一年、のんびり過ごしながら、環境にかかわる仕事や啓発活動ができたら楽しいだろうなあと思います。30年後、地球がどうなっているか分かりませんが、人々の暮らしはずっと続いているはずです。そんな活動もしていきたいとは思っています。
-茗溪学園の父母や父母会活動に対しての率直なご意見をお聞かせください。
地域と学校と家庭で連携をとっていきましょうと言われますが、茗溪学園では学校と家庭の連絡が密に行われ、学校で困ったことがあれば助けていただき、協力的だと感じます。今回のように教員を取材して紹介してくださるホームページもいい企画だと思います。父母会も活発で素晴らしいと思います。学校って学校だけじゃうまく回らず、ご父母のご協力がなければやっていけない部分もたくさんあります。素敵な関係ができている学校だと思います。この場をお借りしていつもお世話になっている感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございます。
-お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。