40回生(2021年3月)卒業記念事業 ~集いの企画・メディア製作~

新型コロナウイルス禍で迎えた40回生卒業式。先の状況が見通せないなか、卒業記念事業実行委員会のみなさんは「その時にできる最高の会に」という思いで取り組まれました。今回は、記念事業に携われた三名の父母からのご寄稿をお届けいたします。

殿塚 麗、山田 美環子、田中 新

2020年の7月、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックは延期となり、ウイルスとの長期戦を覚悟し始めた頃、高校3年生の卒業記念事業が始動しました。卒業記念事業には大きく分けて2つの仕事があり、1つは「卒業記念の集いの企画」。もう1つは「卒業記念メディアの製作」です。

まずは「卒業記念の集いの企画」について振り返ってみます。

例年であれば、卒業式が終わった後につくば市内のホテルに移動して「卒業記念事業(パーティー)」を行い、先生、生徒、保護者が卒業式後の時間を過ごします。パーティーでは、先生からの言葉をいただいたり、生徒の出し物があったり、笑いあり、涙ありの楽しい時間になると聞いていました。もちろん、少し前まではこの学年も同じような会が開催されると信じて疑わなかったわけですが、青天の霹靂とはまさにこのこと。今までと同じような会を開催できる状況ではなくなってしまいました。

1つ上の学年もすでにコロナ禍での卒業式だったので、ホテルでの卒業記念パーティーは中止となり、卒業式の後に体育館でささやかな会を催したと聞きました。そして2020年夏の時点でもまだコロナの終息が見えない状況だったため、2021年3月にホテルでの卒業記念の集いを計画するのは無理があるという結論になりました。

いや、でも、もしかして2021年3月にはコロナは終息してるかも? ワクチンも治療薬も行き渡っているのかも? そんな淡い期待がないこともなかったのですが、とりあえずホテルを予約して華々しく行うパーティーを企画するのはやめようということになりました。というわけで、卒業記念の集いを行う会場は1つ上の学年と同じく卒業式が終わったあと、そのまま体育館でやるということで決定。

今そして10月くらいから、有志の保護者たちによる卒業記念事業実行委員会の委員のみなさんで「その時にできる最高の会を企画しよう」と話し合いが始まりました。

2021年3月の卒業式の頃に「コロナが完全に落ち着いていた場合」「コロナがまあまあ落ち着いていた場合」「コロナが猛威を奮っていた場合」と3パターンの進行を考え、プログラムの内容、時間などを詰めていきました。

プログラムを考えていく中で、絶対に外せないのが、先生からのご挨拶、生徒たちから先生へ感謝の気持ちを伝える時間でした。卒業式は学校が生徒を送り出してくれる式典ですが、感謝の会は生徒が先生に謝意を伝える会であるということ。その点がブレないように何度もみんなで確認をしながら、プログラムの時間配分を考えていきました。

そしてもうひとつ、どうしても設けたかったのが「歓談の時間」です。1つ上の学年の役員の方が「子どもたちが、先生や子ども同士で話したり写真を撮ったりする時間をどうしてもとってあげたかったので、短い時間だったけどその時間を設けた。その時間だけはどうしても作ってあげたかった」とおっしゃっていました。高校3年生は12月末の登校を最後に受験のために自主登校になります。一部の生徒は学校に来ることもありますが、12月の最後の授業以来、約3カ月ぶりに卒業式で顔を合わせる子どもたちもたくさんいます。そして、この日が全員で集まることができる最後の日でもあります。そんな子どもたちのために、ワイワイ話したり写真を撮ったりする時間を作ってあげたい、私たちも同じ気持ちでした。

卒業式の様子
卒業式の様子
卒業式の様子

そんな気持ちをみんなで共有しつつ、保護者がプログラムの案を考え、年が明けてからは推薦で大学が決まった生徒たちも加わり、具体的な準備を進めました。

そして迎えた2021年3月16日、卒業式当日。世の中はまだまだコロナ禍でした。非常事態宣言こそ出されていませんでしたが、プログラムは時間的に一番短く、内容もコンパクトな案を採用することになりました。

先生からのご挨拶も、お1人2分。しかも長くなったらカンペで巻きが入るという、失礼極まりないスタイルでお願いし、生徒たちの出し物もカットになりました。それでも最後の歓談の時間に、先生を囲んで写真を撮ったり、部活や昔のクラスで集まって写真を撮り合う子どもたちの姿を見て、この会の目的は果たせたのかなと思いました。

卒業式の様子

体育館のあちこちでできては分かれ、またできる子どもたちの輪。それを遠巻きに見ている保護者のみなさん。涙あり、笑顔ありの宝物のような時間でした。コロナ前と同じとはいかなかったけれど、大事なことはコロナ前と同じようにできたと思える温かい会でした。

卒業式の様子

と、ここまでが「卒業記念の集い」企画編です。ここからはもう1つの大仕事「卒業記念メディア」についてレポートします。

卒業前の11月、保護者全員に送った案内には「2021年8月頃にはお送りする予定です。」とあったのに10月にようやく完成、発送までこぎつけました。卒業記念メディアとはどんなものかご紹介です。

《何をする? 卒業記念メディアって?》

中高6年間の歳月は、それはもういろいろなことがあり、DVD2枚なんかには収まり切らない!それをどうにか押し込める。卒業記念メディア製作とは、ひたすらその戦いの物語です。
そもそもなぜ卒業記念メディアを作るかというと、卒業アルバムがあるのと同じで卒業の記念となる「物」が形で残った方がいい、ということで製作スタートです。せっかく作るのなら、アルバムにはない動画や写真をできるだけ残したいという親のエゴもめいっぱい詰め込みます!

《動画と写真集DVD2枚組》

まずDVDにするかBlu-rayにするか?容量的にはBlu-rayが望ましいものの、保護者にヒアリングすると、Blu-rayだと見られなくなってしまう人もいることがわかり、DVDに決定。編成は大きく分けて動画1枚、写真集1枚としました。
先生方が撮りためた動画と保護者から提供された動画からなる元ネタは見切れないほどの量があり、膨大過ぎて我々素人の手には余るため、茗溪の学校生活をよく知る卒業生の放送作家に依頼して作成してもらうことにしました。
一方、せめて写真は自分たちの手でやろうということになり、6年間の写真を選別することに。といっても結局4万枚以上になってしまったんですが…。
学校からいただいた写真も、今回はコロナ禍で抜けている期間があったため、保護者からの写真と動画も募集しました。そのおかげで内容はさらに充実しました。

《動画》

さまざまな行事などを時系列に並べ、生徒・先生方へのインタビューを挟んで懐古する形で学校生活を紹介しています。北風祭・卒業式後のお祝いの会の時には放送作家による6年生へのインタビューを行い、語ってもらった思い出の部分に動画や写真とともにナレーションを入れました。その動画を学年の先生方に見てもらっている様子も撮影し、先生方にも「あの時はこうだったよね」と語ってもらって、その様子も画面の端に別枠で映し、先生方の反応も同時に見られるようにしました。学校生活をよく知っている放送作家が編集されたことで、内容がとてもよく伝わり、その時の情景が浮かぶ仕上がりとなりました。

《写真》

写真のコンセプトはただ一つ、「将来、結婚式など人生の節目で使える写真集にする」。このことに尽きます。もちろんダウンロードして印刷もできるよう、とにかく将来使える写真データ集とすることです。それ自体は良かったんですが…。
担当メンバーが2人1組になって学年ごとに選別を行ないます。選別といっても写りの悪いもの、同じような写真を整理する作業です。それを1~6年、寮、IBごとに行いました。その結果、最終的に41,000枚の写真集が出来上がりました。

保護者から集めました費用が少々残りましたので、茗溪学園創立40周年記念事業寄付金へ40回卒業生保護者一同として寄付させていただきました。