理科:鈴木朋子先生


今回は、理科の鈴木朋子先生です。
2005年7月9日(土)茗溪学園応接室にて、予定時間を超えてインタビューにお答えいただきました。
授業に対する熱心な取り組みやお考えを聞かせていただいております。
どうぞお楽しみください。
父母会HP編集委員会 村田(22K&27K)、塚田(28K)、齊藤(28K)、吉田(29K)
-ご出身は?
岐阜県高山市です。両親が教師で転勤があったので、生まれたのは白川郷です。
高校卒業まで岐阜県で、大学は北海道大学農学部です。クラーク先生にも憧れましたし、一番広い農場を持っている大学にしようと思いました。最初は理学部志望でしたが、有吉佐和子の「複合汚染」を読んで、技術者のほうが役に立てるかもしれないと農学部にしました。でも、大学に入ったら研究が面白くて、やはり研究者になりたいと思いました。


-教師になったきっかけは?ご両親の影響はあったのですか?
私は教師になったのが遅くて、茗溪学園の専任教師になって今年で6年目です。学生時代は、教員になるという選択肢はありませんでした。ただ、「どこの大学・学部でもいいけれど、教員の免許だけは取りなさい」というのが、両親からの大学進学の条件でした。学生時代は、大事な農学部の授業と免許の為の教育学部の授業が重なって大変でした。でも、今は、親が言ってくれたおかげでこの仕事ができているのかなと感謝しています。
-先生の経歴
私の経歴はちょっと複雑で・・(履歴書をご用意くださってそれを見ながら)専任になる前に平成6年4月から非常勤で(茗溪学園で教師を)始めました。その前は・・・
大学院進学と就職とで迷いましたが、試しに受けた岐阜県の公務員試験に合格しました。職種は地方公務員上級・研究職、技士としての採用でした。最終的に研究職に就きたかったので進学しませんでしたが、後で、折に触れ大学院で勉強したかったなという思いはありました。
岐阜県が上級職として女性を採用したのは初めてだったらしく、最初の辞令は兼務が一杯付いていました。どこかで使えるかもしれない、言い方を変えればどこも女の子なんかいらないということだったようです。結局、「農業試験場兼病害虫防除所 勤務を命ずる」ということで、環境部の土壌肥料課というところに配属になりました。大学では農薬の研究室にいたので一から勉強し直しでした。周りが新人を育ててくれる環境だったのですごく勉強になり、農業試験場時代が自分にとっての大学院かなぁと思います。
でも、たった1年で転勤になってしまってすごく残念でした。転勤先は実家の近くの「飛騨農業改良普及所」というところで、今度は行政職でした。当時は農業改良普及員に女の人はいませんでしたが、結局ここで5年間働きました。ほうれん草とトマトの生産をいかに上げるかという仕事でしたが、最初の頃は「女の子の普及員なんて・・・」という雰囲気がありました。現場での仕事で、今は当たり前になっている土壌診断を、協力的な農家の人達と実験しました。最初は失意の中でのスタートでしたが、今は幸せな普及員時代だったかなと思います。
 
夫は大学の同級生ですが、大学院卒業後、つくばに就職が決まったということで、私も仕事が一段落した時だったので公務員を退職しこちらへ来ました。1ヶ月だけ専業主婦をしましたが、当時はなぜか仕事をしていないことに後ろめたさを感じていて、理化学研究所に勤めました。細胞銀行というところでしたが、初めての医学・薬学分野の仕事で、まったく分からない単語ばかりでした。果たしてやっていけるのかと思いましたが、ここでも、「2年間は教育期間だと思うから」と教えていただきました。結局、教育期間のうちに出産し、休職中に茗溪学園に来ることになってしまったので、理研には本当に申し訳ないことをしたと思います。気持ちよく送り出していただき、今でも研究所見学や生徒の個人課題研究などでお世話になっており、ありがたいことだと思います。
-茗溪学園との出会いは?
茗溪学園との出会いは、本当に偶然です。いつも土浦野田線を通っていたのに、たまたま1本違う道に入って、「あ、こんなところに学校があるんだ」と知りました。それまで、理科が好きで生物が好きで、ずっと研究者としての仕事を考えていましたが、この面白さを子供たちに伝えるのもいいかなぁと思ったのです。募集も何もしていませんでしたが、いきなり電話しまして、「実験助手でも何でもいいからやらせてください」。今思うと、よくそんな勇気があったなぁと思います(笑)。その時は、「中学2年生のサツマイモの栽培指導はできますか?」と言われました。果たして普及員時代の経験が生かせるだろうかと考えていたところ、後日、「生物の非常勤ではどうですか」と連絡をいただいて、こちらへ来ることになりました。自分でも、いろいろな偶然が重なって、よく今ここで教師をしているなぁと思います。
-理科(生物)を学ばれたきっかけは?
元々理科は好きでしたが、中学時代は、ひたすら研究するキュリー夫人があこがれの人でした。高校合格後、入学前に買って読んだのがなぜか生物の参考書で、面白いなぁと思ったのです。そして、高1で初めて生物を教えてくださった先生がすごくステキで(笑)。同級生のお父さんでしたが、毎回必ず予習して、うっとりと先生を見て授業を聞いていました。生物の授業は時間が過ぎるのがいつも早くて、気が付くともう終わってしまうのかと思いました。その当時のノートは今もとってあります。とても興味をひく授業をされていたのでしょうね。そういう授業をしたいと思っています。
その後、普及所に転勤になって落ち込んでいた頃に山登りを始めたら、その先生が地元の山岳会のトップにいらしてお世話になりました。今、私がこうして生物を教えているのも不思議だなぁと思います。
-茗溪学園の理科教育
本物を見せるということを、すごく意識していること。最初に非常勤で茗溪学園に来たときに、「授業では教科書に書いてある以上のものを子供達に話してください。あなたが今までに見たことなども織り込んでください」と言われたことに驚きましたし、生徒の知的好奇心が旺盛で、こちらがとまどう位に質問が出たことにも驚きました。それから、こんなに実験をするんだ!ということにも驚きましたね。当時、中学1年生は週2時間の生物の授業のうち、1時間は実験でした。とにかく、本物を見せる、本物に触れさせるということに重点をおいていました。生物に限らず実験が多いのは特徴ではないでしょうか。
科学的にものを考える力のある子にしたい。単に知識を教えるのではなくて、どういういきさつでそうなるのか、そのためにはこんな面白い実験があって、こんな試行錯誤があるということを知って欲しいですね。
 
【先生手作りのおもちゃ(光合成と染色体) 工夫されていて驚きました】
-理科離れと言われていますが?
「覚えればいいんだよね」というスタンスの子が多くなったかなという気はします。それはちょっと嫌なので、デスクワークだけではなくて、実験を取り入れていきたいですね。それも、今までやったことのない新しい実験をひとつでも多くやりたいです。茗溪学園の実験は、ちょっとやって終わりというのではなくて、ここから何が学べるだろうと徹底的にやります。子供達もその辺りを感じているので、マニュアルにない実験をどんどんやります。これは、茗溪学園が開校以来大事にしている部分ではないでしょうか。子供が何かをやりたいと言ってきた時は、すごく貴重だと思います。伸びようとしている気持ちをどれだけサポートできるか。子供達が積極的に関わってくれれば、それに応える用意はある、そういう学校だと思います。
他には、手作りのおもちゃも新しいものを作りたいですね。今はパソコンでもできますけれど、子供達が喜んでくれるので作りがいがあります。ガラクタみたいなものも多いのですが、授業で「おお、すごい!」と言われると、それだけでニコニコになっちゃって(笑)。うまくいかなくて悪戦苦闘しているところが子供達に受けるのかもしれません。
-今までの人生で一番嬉しかった事
嬉しかったことはたくさんありました。入試に合格した時も、結婚した時も、無事に出産した時も、仕事がうまくいったときも嬉しかった。あ、茗溪学園の教師になった時も嬉しかったです(笑)。どれが一番というのは難しいですが、自分が一所懸命に頑張れる場所を与えてもらった時は嬉しいと思いました。
今、5年生(高2・26回生)を担任していますが、1年生からずっと持ち上がりなので、あの子達が無事に卒業したら、すごく嬉しいだろうなと思います。そういう嬉しいと思う気持ちは生きる力になっていると思います。
-今までの人生で一番悲しかった事
楽観的な方なので、すぐに忘れてしまいます。ただ、忘れられない、これは忘れちゃいけないと思うことはあります。今の26回生が3年生の時に、担任していた生徒が病気で亡くなりました。思ってもみなかったことだったので、すごく悲しかったです。
-10年後、20年後、30年後の自分
40(歳)を過ぎて体力が無くなった事を痛感しています。妥協しないで教師を続けていられるでしょうか。惰性でしかできないようなら、それはもう交代の時期だと思います。あと10年は(教師を)やれるかな、やりたいなと思っています。
20年、30年後はもっとわからないです。夫に言わせると、ゆったりと過ごせる性格ではないようなので、何かやれそうなことを探してやっているかもしれません。
 
-日常生活で一番大事にしている事
ゆとりですね。ゆとりを持って生活しなくちゃいけないなぁと思っています。出来ていませんが。学年主任が、「ゆとりの無い時に子供を叱ってもうまくいかないよ」とおっしゃいますが本当だと思います。叱るときだけではないのですが、ゆとりがある時だとこちらの想いもきちんと伝わります。手を抜きたくはないですし、精一杯やりたいと思っていますが、忙しさに押し流されているような気がして反省ばかりです。
理科の教員なのでいつも最先端でいたいです。どんどん進む科学の知識を自分でも理解して子供達にも伝えたいなぁと思います。自分が楽しいと思えないと、子供達にもその楽しさを教えられないと思いますので。勉強したいと、ずっとずっと思っています。
-茗溪の父母は?
中学生のキャンプのボランティアや他の行事でもいろいろな面ですごくサポートしていただいているなぁと感じます。実は、子供達が茗溪学園に在学していますが、仕事をしている父母として自分はどれくらいできているだろうと思うと、全然できていません。自分の子供だけではなくて、茗溪学園全体のために一所懸命考えていただいている。父母の協力がないと成り立たないとありがたく思っています。応援は本当に心強いです。
-本日は長時間にわたり、ありがとうございました。