「今、そして未来へ」
若い先人たちに学ぼう
平成17年2月26日(土)、第一AVEにて、上記のテーマでパネルディスカッションが開催されました。このパネルディスカッションは進路選択の渦中にある高校1年生の学年父母会で実施したものですが、卒業生の皆さんや進路指導部の高島渉先生より、大変参考になる貴重なお話をいただきました。当日ご参加いただけなかった父母の皆様、また生徒の皆さんにも、内容をお知らせしたいと思います。

パネリスト
福林真哉さん(14回生)
高木涼子さん(15回生)
山本聖也さん(20回生)
田中正紀さん(21回生)
コメンテーター
茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
コーディネーター
26回生父母会学年委員長 池田圭一


☆開会の挨拶
池田 本日のパネルディスカッションは「今、そして未来へ -若い先人たちに学ぼう-」と言うテーマで、高島先生にご紹介いただいた4人の卒業生からお話を伺います。4人の卒業生にはお忙しい中、パネリストを快くお引き受けいただきました。心より感謝申し上げます。
 池田学年委員長
☆自己紹介及び茗溪時代のことについて
福林 茗溪時代はサッカー部に所属していました。参考にはならないと思いますが、2年浪人し、その後、獣医学部に進学し、現在は獣医として働いています。
高木 私は14回生で入学しましたが、高校2年生の時にアメリカに留学しまして、15回生として卒業しました。その後、環境情報学部に進学し、現在はNHK国際放送局のディレクターをしています。
山本 中学時代は卓球部に所属していました。現在、経済学部の4年生です。
田中 21回生は、中学の研修旅行で初めて広島に、高校の研修旅行で初めてイギリスに行った学年です。私も卓球部で山本さんと一緒でした。中1では全国大会に出場しましたが、中1の終わりごろに病気をし、一時卓球を休みました。その間、生徒会活動をしたり、園芸同好会を作りました。文化祭では今までと違う趣向でやりたいという主張をしてきました。高校生になって病気も治り、卓球部に復帰しました。大学は生物資源学群に進学し、現在3年生です。
☆個人課題研究のテーマとそれが進路選択にどのようにかかわっていったか
田中 私が個人課題研究のテーマに選んだのは農業です。高校1年生の政治経済の授業で食糧問題、南北問題を学習し、ODAや農業問題に興味を持ちました。最初は、海外協力隊について川島先生のもとで研究しようと思いましたが、最終的には、食糧に着目し、有機農業が注目されていることを知りテーマにしました。大学もこれはおもしろいと思って、生物資源つまり農学部に入ったのですが、今は土木、つまり土壌そのものを勉強しています。農業に関心があって個人課題研究でもきっかけはありましたが、直接進路とピッタリした訳ではないと思います。
山本 私は以前から鉄道に興味があり、個人課題研究はJRと私鉄の競合というテーマでした。丸山先生のご指導をいただきまして、楽しく研究を進めることができました。競合ということですが、同じ区間を走っているJRと他の鉄道会社の間でどのようなメリット、デメリットがあるかを調べ、実際に電車に乗っても調査しました。実際の進路は公務員(市役所)になりました。個人課題研究とはかけ離れてしまったのですが、その時に鉄道関係の交通分野を学べたのが、今の公務員になるきっかけになったのではないかと思っています。
 高木さん
高木 私が個人課題研究に選んだのは宗教と科学というテーマでした。この課題を選んだきっかけは高校2年生の時のアメリカ留学の経験です。ホームスティした先がクリスチャンの家庭で、ホストファーザーが牧師さんでした。私の周りの人たちは聖書を一字一句信じていて、一番びっくりしたのが、進化論を信じていない事実でした。今まで当たり前と思っていた価値観が全く信じられていない場所がアメリカにあることに驚きました。なぜ、同じ人間の間にこうした価値観の違いがあるのか興味を持ち、自分が一年間体験したことを、今度は広い視野にたって体系的に追究してみたいと思い、このテーマを選びました。研究の中で、アメリカの留学先の高校生100名と茗溪生の100名にアンケートをとったところ、日米でまったく違う結果が出ました。アメリカの高校生は「あなたは進化論を信じますか」という質問に対して、信じない人は100%近く、「あなたが猿から進化したと思うならあなただけ思ったらいい」というコメントもありました。アンケートをとったことで、私が感じていたことを数字で実際に確かめることができました。私は大学にはAO入試で入ったのですが、その時には特に個人課題研究を褒められました。大学では「アメリカから世界を見る」という、アメリカ政治とメディアの研究会に入り、同じようなことを研究しました。
高島 個人課題研究は将来を見据えて実施するのですが、自分の将来の職業と結びつけている生徒は6割から7割で、職業とは別に自分の関心を追及する生徒が2~3割位います。またテーマが決まらず、何となくやったという生徒も1割位います。今、話を聞いてわかるように、個人課題研究でやったことが、色々な意味で役に立つのです。一つは、テーマの追求ですが、それ以外に研究の方法、手法を学ぶことがあります。すべてがうまくいかなくても良いと思います。自分のことを振り返っても、16~7歳で将来のことを見据えられていたかというと見据えられてなかった訳です。私自身が大学を卒業してサラリーマンになって、実は28歳で会社を辞めて、教職をとるために2年間大学に戻って30歳で茗溪学園に来た訳ですから、人間の人生は簡単に決まる訳ではないのです。その時期に自分が興味のあること、あるいは違うことを一生懸命考えて、そこに精力を注ぐということが色々な意味で役に立つのだろうと思います。今の話を聞いていても、そういう感じがとてもしました。
☆進路選択はどのように考えて大学はどこを志望しましたか
福林 大学は、最初は医学部に行こうと思っていました。実力的には追いつかなかったので1年間は浪人しようと思っていました。1年後医学部に受かることができず、2年目は受験の幅を広げ、獣医と生物関係の大学も受けて、獣医学部に入りました。1浪することは経済的な面では親に負担をかけてしまいますが、良い経験だったと思います。しかし2浪すると、まわりに知り合いもいなくなりますので、お勧めできるものではありません。獣医学部や、医学部は大学に入った時点で職業が決まってしまうので難しい面があります。私が医学部に行こうと思ったのは、親が医者だったということもあると思います。親の背中を見て、医者になるのもいいなと思っていた面がありました。今、本当に医者になりたかったのかと言われると、獣医の方が自分には向いていると思っています。私の勤めている病院に、社会人で大学を出て銀行に勤めてから獣医になった人がいるのですが、やはり高校を出た段階ではまだそんなにはっきりと将来を見据えている人は少ないと思います。逆に医者や獣医になりたいという方がいて、それは社会人になってからの方が逆に心が成熟してきて、患者さんに対する態度にも現われるので、そのままストレートに医者になった人よりも人格的にはすばらしいものを持っていると思います。もちろん、高校の頃に色々な体験をして、本当に医者になりたいと思う方もいるとは思いますが。アメリカのように、4年制大学を出てから、医学部という方が良い医者が育つと思います。だから大学を選ぶにあたって高校の段階で、ここでなくてはいけないとは考えない方が良いと思います。
高木 父がジャーナリストだったので、小さい時からジャーナリストになりたいなという漠然としたあこがれがありました。ジャーナリストになるための学校や学部というのは日本にはないので、何の勉強をしようか、どこの大学に行こうか考え始めた頃、進路指導室に行ってパンフレットを見ていたら、おもしろそうな学校があり興味をもちました。大学訪問やOB訪問をするうちにどうしても行きたいという気持ちになり、受けてみたら運良く受かりました。その学校をAO入試で受験したのですが、志望動機を書きながら、自分はこんなことをしたいのかなと考えをまとめていったと言うのが、正しい言い方だと思います。志望書類には、アメリカでの体験の他、茗溪で色々な行事がありますが、寮での日常生活や行事、寒稽古や台湾研修のことなど、茗溪での生活を通して感じてきたこと、疑問に思っていることを書きました。茗溪の教育はユニークですから、それが他の志願者とは違ってユニークな生徒だと見られ合格できたのかもしれません。社会人になった今でも、自分が本当に何をしたいのかわかるのはとても難しいことです。ましてや社会の事をほとんど知らない高校生の時にそれがわかる人はなかなかいないと思います。私の経験から申し上げれば、その時その時にチャンスを与えられたこと、興味をもったことを一生懸命やっていけば、あとにつながっていくと思います。
田中 私は今、在学している大学は、実は私が行きたかった大学ではなく、色々な圧力の下で進学しました。私には個人課題研究の時から続いている野望がありました。高校生の時は、「世界中の食糧を自分の手に治めれば自分が王様になれる」という野望がありまして、農学部に行きたいと思っていました。私は学歴に興味があり、ブランド志向だったので、農学部という履歴が欲しいと思っていました。現在の大学の場合、生物資源という名前なので、それがいやで、農学部なら、北大か京大だろうと思っていました。しかし家庭の圧力に屈し、家から通えるところということで、現在の大学に進学しました。今はこの大学に進学したことに後悔はしていませんが、当時の気持ちとしては納得いかないものがありました。
 田中さん
☆親に言われてうれしかったこと、つらかったこと
田中 私の家は厳しい家で、朝の起床は毎朝日の出の前でした。夏は4時でした。夏休みは、昼は学校や図書館で勉強し、夜は家で12時頃までは勉強して、疲れてぐっすり寝ようと思っているのに、4時にたたき起こされて、死ぬほど勉強せざるを得ませんでした。実際、勉強するように言われたことはなかったのですが、きちんと生活はしなさいと言われました。今思えば、ダラダラしていなかったので、すばらしいかなと思います。嫌だったことは、受験スケジュールを立てる時に、先生に「私立も含め2つか3つは受けておけばと言われた」と親に話したところ、「じゃあ、3つくらい受ければ」と言われたので、日程を考えて「これでいいですか」と報告したら、「おまえは3つも受けるのか」と言われ、結局1校しか受けませんでした。昨日と今日で違う見解だったり、また父親と母親で違う見解だったりということの無いようにして欲しいと思いました(笑)。
山本 私の親はうるさく言いませんでした。子どもとしては、あまり言わないので心配になってしまいました。勉強の時期を決めたのも自分自身でした。マイペースに勉強させてもらいました。自分のやりたい事を前から親に話していたので、学校から帰って来ると、机の上に新聞記事や雑誌の切り抜きが置いてありました。母に聞いたら、父が切り抜いて置いてくれたということでした。自分には何も言わないのですが、自分のことを気にかけてくれるんだなと感じました。さりげないやさしさを置いてくれるだけで、子どもは感じていると思います。
高木 私は中学生の時から寮生活をしていたので、反抗期の時にも親と良い距離を保ちながら生活しており、勉強しろとはあまり言われることなく中高生を過ごしました。進路の時も、何となく私がこの大学に行こうかなと言ったら、じゃあ、という感じで応援してくれました。寮から電話したり、家に帰った時にはいつも必ず父も母も一生懸命私の相談にのってくれて、悩んでいたら、それにずっとつきあって話を聞いてくれました。
 福林さん
福林 私も、親には勉強しろとか言われなかったし、父が医者だったのですが、医者になって欲しいとは思っていなかったようでした。私は父の生き方はいいなと思っていました。医者でなくても良いのですが、常に難しいことに向かって、頑張っている姿を見ると、頭が下がります。言われたことはなかったのですが、父のしていることを見て、自分も頑張らなければと思いました。母は勉強しろとは言うのですが、自分がテレビを見ていて、勉強しなさいと言われても、勉強する気にはなれないものです。何か仕事をしている時に言われれば、しかたがないかなと思いました。親のふりを見て子どもも気づくと思います。医者の世界ですと、どうしても自分の子どもを医者にしたいと思うこともあると思いますが、父はそうしていくと閉鎖的な社会になってしまうと考えていました。お父さんお母さんが子どもに「何になりなさい」とは、言わないで、子どもがやりたいことがあったら、それに理解を示してあげることが大切だと重います。大学に入ってからでもやり直すことはできると思いますので、まずは子どもたちのやりたいと思うことをやらせてあげたら良いのではないかと思います。
池田 親のふりを見て子どもも気づくというお話がありましたが、私たちにも耳が痛くなるお話でした。高島先生にコメントをお願いいたします。
高島 「信頼と自己決定」というのがキーワードになると思います。自己肯定感を持たせる、「君は今のままでいいんだよ」ということですね。良いところばかりある人間なんている訳ないので、欠点も含めて今のままでいいんだよということを前面に出せるか、そして最後には子どもが自分で決定していく、自分の責任にもつながっていきます。言い訳のない生き方をさせるのが重要だと思いますね。高木さんは高校2年の時にYFUでアメリカに行ったのですが、高木さんは、どちらかというと、もの静かな生徒でした。留学するような生徒には見えませんでしたので、留学したいと聞いた時はびっくりしました。16~7歳位の時にこの子はだめだと、僕らが頭で子どもを決め付けていくというのは良くないと思います。山本君は、高校生の頃は自分の好きなことしかしない生徒でしたが、公務員になりますからね。田中君はCWニコルさんが初めて茗溪に来た時にお迎えするメンバーの一人だったのですが、大変気に入られ、今でも信頼されています。この子はふつうの感覚でいうと、「変わった子」なのですが、光るものがあるんです。それがとてもおもしろいと思います。大学については評価が色々ありますが、自分がどれぐらい、そこに精力をかけられるかが大事だという感じがしました。
☆今、茗溪学園に対して思うこと
福林 茗溪学園の6年間は本当に楽しかった6年間でした。色々行事があって、それをみんなでやっていくことが記憶に残っていて、今みんなで集まった時もその話になります。短期入寮の時も、悪い事をするから心配という気持ちもあるかもしれませんが、そういう事をしつつみんな成長していくと思います。茗溪の先輩方には優秀な方が多いので、職業を含めて進路を考える時に、そういう方に会って、お話を聞いたり見せてもらうと、ただ漠然と思っていたのと、全然違っていることもあります。高校生の頃から、こんな職業があって、こういう職業に就くには、こういうところに行くということがわかっていれば本当に良いと思います。
高木 茗溪の友達と会うと、本当に楽しかったねと話が盛り上がります。私は、特に寮生活に思い出があり、24時間、365日、テレビも無い中で、友達とずっと話をしていたことが楽しかったです。茗溪は色々な行事があって、色々な経験をさせてもらえるし、先生方もすばらしいと思います。先生方が寮に入って24時間生徒たちと一緒に付き合うということは、自分のプライベートをほとんど返上して教育、仕事に尽くして下さっているということです。自分が社会人になった今考えてみますと、これはとても考えられないことです。本当に恵まれた環境だと思います。社会に出てから、茗溪の卒業生だとわかり、親しく話をすることもあります。茗溪の卒業生というネットワークも大切にしていきたいと思います。
 山本さん
山本 茗溪のカリキュラムは独特のもので、良かったなと、卒業してから感じました。大学の友人に、筑波山まで20km歩いたことや、遠泳で4km泳いだとか、永平寺に泊まったとか、そういう話をすると、驚かれます。自分でもよくやってきたなと思います。今思うと、大変でしたが、良い思い出です。先生方には、成績のことでもご心配をおかけしましたが、最後まで見捨てずに指導していただきました。また、友達が一番の財産だなと思います。思春期の6年間というのは、長い年月で、色々なことがありましたが、自分を支えてくれて、時にはけんかもした友人が、卒業して4年経った今も、大切だと感じる毎日です。茗溪に入って良かったとこの一言に尽きると思います。
田中 私は高校に入ってから卓球部にもどったのですが、私が高校3年生の時は、部員が少なく弱かったのです。昔は強かったという思いがあり、強くなるために、他校で土曜日に練習させてもらったりしました。関東大会位には出ることができるだろうと思って頑張っていました。試験の時勉強しないで、午後ずっと練習したら勝てるだろうとも思いましたが、それはあきらめて、勉強もして、大会に出ました。でもその時の勉強の成績が一番良い成績でした。結局、関東大会にもインターハイにも行けませんでしたが、自分の中では、整理がつきました。次の日からは勉強しようかなという感じになりました。私は、塾や予備校には、夏期講習も含め、行きませんでした。学校の先生がわからない問題は出ないと思っておりまして、先生に聞けば大丈夫と思っていました。通うというのがとても大事で、好き嫌いとか、教え方がわかりやすいとかがあると思うので、恥ずかしがらずに是非先生に何度でも聞くように、勧めて下さい。先生がわからない問題は出ないものだと思います。

池田 最後にここに集まった、父母に対し何か一言お願いします。
☆ここに集まった父母に対して一言
田中 私が中学2年生の時、病気をした時に、目標を失ってとてもイライラしていて、学校に行っても勉強はできないし、(中2の時は成績が悪かったのです)ギターを始めて音楽室に行った時に音楽の先生に、親がムカつくという話をしたら、「何だ、それぐらい」と言われたのです。腹が立っているのに、何でこんなことを言われなくてはならないのだろうと思い、この先生は自分の事を何もわかっていないと思いました。そしたら、「私の家は、子ども時代、ご飯のたびにフォークとお皿が飛ぶ家だった」と言われ、「兄弟でやりあってご飯を食べていたら、そんなの全然普通でしょう」と言われ、自分は負けたという感じになりました。もし、自分の子どもが納得いかないというのがあったら、もっと言ってやっていいかなと思います。そんなところに優しさはいらない、甘やかしても結局立ち直れないと実感しました。そこは最後まで見る覚悟で是非強くきちんと言ってあげた方が良いと思います。結局立ち直った言葉はどっちもきつかったなと思います。それが言えるのが愛情なのかなと思います。
山本 親が自分のことをどのくらい考えているかをさっそく今夜からさりげなく、伝えて行って欲しいなと思います。
高木 私は留学を自分で決めたと今日まで信じていたのですが、今朝出てくる前に両親と話したら、父が「あれはお父さんが行ったらって言ったんだよ」と言っていました。子どもが迷っていたら、「できるよ」と言ってあげることが一番重要だと思います。やってみたら、何となくできるものです。そして、どんなことでも自分で経験したことは蓄積になります。ですから、親は子どもの気持ちを後押ししてあげることが大事なんじゃないかと思います。また、いつでも戻る場所があるということが私の中では重要だったなと、今になってみて感じています。
福林 浪人の話になってしまいますが、成績が思うように上がらなくて、どうしても受からないということもあると思います。2年目に思ったのですが、自分が行きたくない大学でも一番初めに、合格という文字だけでもいいので、それがあることによって、自分には行くところがあるということで、もう少しリラックスし、他のところも合格することもあると思います。合格すれば、心にゆとりができると思います。どうしても、不合格が続くとあせってきて、追い込まれてしまいます。大学に行ってから思うことは、自分がいかに恵まれているかということです。学費や生活費をバイトで稼いで、苦しい思いをしながら勉強している人もいて、そういう人を見ていると、自分は甘えた中でやっていると思います。子どものやりたいことが、父母の考えと合わない時には自分でやりなさいというのも一つかなと思います。
 高島先生
高島 高木さんが言っていた、「子どもが迷っていたら後押しをしてあげる」というのはとても重要だと思います。下手をすると教員も突拍子もないことを生徒が言うと、「そんなの無理だよ」と頭ごなしに言ってしまうことがありますね。あれはダメですね。子どもは我々が思っている以上に考えていますし、悩んでいます。お父さんお母さんがどう思っているかということもよく考えています。2年位前に受験生だった生徒からもらったメールですが、「自分は最近恵まれているなと思う。かなえたい夢があって、夢のために勉強することができて、自分の努力次第でかなうかもしれないというのは恵まれているんだろうなと思う。」というものがありました。先程、福林君が言ってくれたのですが、大学に入ると、色々な子どもがいる訳です。自分でお金を出さなくてはいけない子がいたりします。茗溪生の大半は親御さんが応援してくることを、子どもながらに、親御さんに面と向かっては言いませんが、感謝の気持ちはかなり持っています。そういう子どもの気持ちを大事にしてあげることが必要かなと思います。卒業生に毎回アンケートをとっているのですが、「茗溪の高校生活が充実しましたか」、という質問に、去年は、「とても充実した」というのが40%、「どちらかというと充実した」というが48%で合わせると、88%でした。その前年は93%、その前は田中君の時ですが、85%で、8割以上は茗溪の子はそう思っています。茗溪に行かせてくれたお父さん、お母さんにありがたいなと思っています。今日の話を聞いていても、プラスに評価してくれています。この間ラグビーが全国大会に出て、テレビで見ていましたら、アナウンサーが茗溪生の応援を「茗溪学園というのは応援の仕方も自由奔放ですね。」と言うのです。なるほどと思いました。自由奔放というと聞こえはいいですが、要するにバラバラだということです。私はそのバラバラな、自由な茗溪学園が大好きです。右向け右と言われてそろって向くようなのは、教育ではないと思います。それはしつけだと思います。茗溪学園の目指しているものはそういうものではありません。自分で考えて行動することを、我々は重要視しています。そういうなかで、生徒たちが、色々悩みながら自分の考え方を真正面に出してやっているのはとても力強く思います。これから残された2年間充実したお子さんたちの生活を実現させていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
池田 今日はとても有意義なお話を聞かせていただきました。子どもは入学した時の幼い顔から、大人のような顔になり、茗溪のカリキュラムの中で育ってきています。中1の里美キャンプや中2の筑波キャンプでは、親も一緒にボランティアとして参加したのですが、中3の研修旅行や今年の臨海訓練は、自分たちの力でやろうという形のカリキュラムになっていて、どんどん子どもが自分たちで考え、自立していくと見てとれます。とてもありがたいと思います。今、高木さんのお話にあったように、何かをやりたいといった時に、ちょっと後押しをしてあげるような、そんな気持ちが親の方にも必要だと思います。本当に今日はお忙しいところ、おいでいただき、貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
☆父母の感想
・「特に優秀であった生徒を選んだわけではありません」という高島先生のお話でしたが、やはり、茗溪生は優秀だなというのが私の素直な感想です。現役の時の成績は低迷していたという発言もありましたが、考えも発言もしっかりしていて能力の高さを感じました。また、それと合わせて茗溪学園の良さも再認識いたしました。「この茗溪学園の生徒なのだから、今は低迷している?我が子もいずれは・・・」との思いを胸にこれからの我が子の成長を見守っていこうと思います。
・子どもと近い年代の、頑張っている先輩の生の声で、とても良いお話でした。生徒にも機会があったら、ビデオをみせて欲しいと思います。
・子どもは親をよく見ているものだと感じました。「さりげないやさしさが大切」という言葉も参考になりましたし、「親のふりを見て子どもがやる気になる」という、わかっていてもなかなか実行できていないことがいかに大切か、先輩方のお話を聞いて感じました。
・お話を聞いて、親と子と真剣にむきあって話し合う機会を持つことがあらためて大切だと思いました。あまりうるさく言わずその子の持つ個性を認めてあげてさりげなくサポートできればいいなと感じました。(なかなかできないのが実情ですが・・・・)今回のお話はとても身近に聞くことができ、どの親も抱えている問題は同じだということで、とてもほっとした気がします。
(記録 竹内寿子)