数学科:川島浩先生 

<<ご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします>>

2004年10月3日
今回の先生インタビューは数学の川島浩先生です。平成16年10月3日雨の日曜日、事務室でインタビューにお答えいただきました。先生にはお茶まで入れていただき、お話は和やかに始まりました。
父母会ホームページ委員会:小松(27K&29K)、森田(29K)、山田(29K)、吉田(29K)
- 先生のご出身はどちらでしょうか?
出身は東京都です。中学、高校と中野区で過ごしました。大学は京都でした。学生時代が長かったですね。普通4年なのですが、わたしは大学生活が好きで5年いました。もっとも8年まではいられたのですが…。(汗)
- 教師になられたのはいつでしょうか?
昭和61年です。日本の学校の教師は茗溪が初めてでした。
- 教師になったきっかけは?
学生の時の教育実習で、教師も面白いなと思いました。京都の商業高校で実習したのですが、そこの生徒から「先生に向いてるどすえ」と言われて、教師もいいかなと思ったわけです。それと、人前に出られる、というのも魅力でした。前に出るといつも目の前にお客さんがいっぱい……。学園祭とかでギターを弾くにしても、お客さんは10人とか20人くらいだったんです。でも教師だと黙っていてもクラスに40人はいますからね。落語研究会の鈴野先生とも話したことがあるんですよ。黙っていてこれだけお客さんが入るっていうのは嬉しいねって。別に出たがりではないのですが、教育実習で感じた、面白さが伝わった瞬間の手ごたえのように、自分のあるパーフォーマンスに対して何かが返ってくる雰囲気というのは好きですね。


- 茗溪学園との出会いは?
青年海外協力隊で2年間アフリカのマラウイに行っていました。そこでは数学と理科の教師をしたのですが、昭和61年に日本に戻った時、初代の岡本校長から一度見に来なさいといわれ、いくつかの紆余曲折の後に採用してもらえました。当時茗溪では協力隊出身の先輩方が音楽や英語の教鞭をとっていらしたので、それも縁だったのかなと思っています。

- 今までの人生で一番嬉しかった事は?
初めて卒業生を出したときは嬉しかったですね。11回生でしたが、最初に担任をした学年だったので卒業させた時はほっとしました。卒業させられてよかったなあと。今まで11回生、14回生、21回生の3回卒業生を出しましたが、卒業生はみんな印象に残っています。
- 今までの人生で一番悲しかった事は?
悲しかったといえば、中学1年の時のことでしょうか。バスケット部に入ったのですが、腰を痛めてできなくなってしまったんです。サッカー部に入ろうとしていた石川くんを無理に誘ってバスケット部に入ったのですが、私がすぐやめてしまったので『そんなのってないんじゃん?!』と彼から言われた時は悲しかったですね。今でも心の傷になっています。だから茗溪で部活をずっと続けている諸君を見ると、ほんとに偉いなあって思います。
- 10年後の自分はどうなっていると思われますか?
10年後も今と同じだと思いますよ。今私は47ですが、57の自分も今と同じであればいいと思っています。
- 20年後、 30年後のご自分はどうでしょう?
あまり先のことは考えないのですがケネディ大統領暗殺の公文書が公表されるまでは生きていたいなあと思っています。公表されるのは私が80歳近くなる頃[※]と思いますが、それを是非見届けたいですね。
もう一度海外に出るのも悪くないですね。シニア海外協力隊とかで何かお役に立つことができればいいのですけど、シニア隊員となると専門の技術などが必要なので簡単ではないですね。
※ケネディ大統領暗殺に関する公文書は2039年まで非公開とされている。
- 日常の生活で一番大切にしていることはありますか?
難しい質問ですねえ。一番かどうかはわからないですが、時間的なゆとりを作るということは大事にしているし大切なことだと思っています。時間的なゆとりをもつということは一つ間違うと怠けているみたいに見えるので、かなり開き直らないと獲得しにくいのですが、勤め始めた頃に長老の先生から訓話(?)されたので今でもときどき思い出すようにしています。「あのな川島くん。教師ってものはな、いつ生徒が話しにきてもいいようにゆったりしてなあかんぞ」って。

- 茗溪学園の数学教育の特徴は?
数学の教材を通じて深く考えさせる、つまり思考力の養成と、みんなが理解できるようにというケア、が本校の数学教育の特徴だと思います。数学は時間割の中でも占める割合が高いですから、数学がわからないと授業全体、学校生活全体に暗い影を落とすことにもなりかねません。ですから出来る、出来ないということ以上に、みんなが解るような、面白く感じるような授業をどの学年も心がけています。
生徒たちが教壇に立ち説明をするといったこともやりますね。これは人に説明することによって本人の理解度が格段に増すからです。生徒がする解説は私の解説よりみんな集中して聞いたりしますからやんなっちゃうんですが。6年になると入試問題演習は解いてきた問題をみんなに説明するというスタイルになります。答えを出すだけでなく「どうして?」と聞かれた時に説明できるようになると、足腰のしっかりした理解になってくるみたいですね。
- 川島先生が数学の教育を通して生徒に伝えたいことは?
数学の面白さをみんなに伝えたいと思っています。高校生には「数学を通して人生を教えている」と言うときもあります。数学が得意な生徒も不得意な生徒もいるわけですが、数学はどれくらい勉強すればできるようになるかということがはっきりしない教科でもあります。ちょっと勉強しただけでできる場合もあるし、いくら勉強してもできない場合もあります。でもそうこうしているうちに、できない問題を解いたり考えたりすること自体が「面白い」と思えるようになることってありますよね。こういう感性はその人の生き方に大きく影響するような気がしてなりません。
一方で、その面白さが生徒に伝わったなと実感がどれだけあったかというと、そうはないですね。実際の授業では週に一度あればいい方です。本当はこの手ごたえが週に2回は欲しいんですけどね。
- 数学がおもしろくなるには?
将棋とか碁をするといいと思いますよ。数学が面白いと感じる子はそのような遊びが面白いと感じる子に多いです。オセロとか、人生ゲームなどのボードゲームなどもいいですね。今はそういう遊びをする機会が少ないのではないでしょうか。数学は勉強ですけど遊びの要素もたくさんあります。もっともこれらのゲームは校内では禁止されているので、やるときはご家庭でお願いします。(笑)

- 茗溪学園の父母や父母会活動に対しての素直な意見、感想をお聞かせください。
こういうHPもそうですけど、父母の皆さんのご協力には大変感謝しています。それから、父母会をやられている方々は大変だろうなとも思います。公立の学校ですとみんながほぼ同じ地域にいるので、そこで父母の方の交流もあるでしょうけれど、茗溪の場合は通学範囲が広いため、父母会が元気でないとなかなか交流の場が得にくいですよね。交流の場があれば自分の子の困った点も他の人と共有できるというか、うちだけではなかったのだと思えることが精神衛生上とても良いと思います。私も父母の一人なのでよくわかるのですが。
- 親として茗溪に子供を入れるポイントになるところは?
いろいろありますが、例えば茗溪の進路指導では、10年後、20年後のその子のイメージを持ってトータルなところを見ていると思います。これは本当に大きいと思います。要するにどこの大学に入るという進路指導ではなく、その生徒の将来はこういった分野で伸びてゆくというのを見てくれています。高校2年で個人課題研究というプログラムに取り組みますが、この時期は受験勉強が始まる頃です。にもかかわらず個人課題研究のために時間割を週2時間割くというのは、学校としてはかなり大胆な選択です。でもこの個人課題研究によって将来が決まってきたという生徒も実際に多数いるわけです。これは一つの例ですが中学一年のときから教科指導と教科外活動が二人三脚となって生徒一人一人の人間形成に深く関わってくれるというのは親として頼りがいありますね。
こうして長い時間川島先生におつきあいいただき、いろいろなことを話していただきました。川島先生の飄々としたお話は時間も忘れてしまうほど楽しく、先生のお人柄を感じさせていただきました。川島先生に巡り合って、数学が好きになる生徒もきっとたくさんいると思いました。ありがとうございました。

マラウイについて詳しく知りたい方は
・マラウイ共和国政府公式サイト(http://www.malawi.gov.mw/)(英語)
・マラウイ共和国大使館(http://www.malawiembassy.org/)(日本語、英語)
・日本外務省マラウイの情報(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malawi/
・日本マラウイ協会(http://www.joca.or.jp/malaw/malawi-j.htm
・独立行政法人国際協力機構(JICA)(http://www.jica.go.jp/