9月9日から11日まで40回生(中学年生)の筑波山キャンプが行われました。父母ボランティアとして参加された岸 和幸様より体験記をお寄せいただきましたのでご紹介いたします。
昨年の猿島キャンプに続いて、今年も「筑波山キャンプ」に父母ボランティア(以下、父母ボラ)として参加させていただきました。生徒たちは体力を振り絞って歩き、良きキャンプになるよう仲間と協力し合った3日間でした。
「台風到来、どうなる・どうする!?」
昨年の「猿島キャンプ」は、3日間の天候が曇り→雨→雷・豪雨→晴れ、と目まぐるしく変わる忙しいものでした。そして今年、夏休み明けの8月29日、南西から北東へとUターンした台風10号の影響で、授業再開のいきなり翌日が家庭学習日に・・・その後9月6日、宮古島の北で台風13号が発生。
予報では、キャンプ初日の8日に関東を直撃するとの進路予測があり、岩村先生を始め先生方はさぞかしやきもきされたことでしょう。前日(7日)、学園から保護者向けのメール配信が届きました。「台風の影響によりキャンプ出発は9日に順延し、3泊4日でなく2泊3日へ日程変更することに決まりました」。 その日の夕方、父ボランティアのお一人が現地下見に行ってみたところ、先生方にバッタリ遭遇したそうです。茗溪の先生方がこのように日頃から学園の様々な活動・行事の裏でしっかりサポートして下さっていることがよくわかるエピソードでした。
「ゴールを目指してひたすら歩く」
8日は朝から快晴。父母ボラは8時に集合して、岩村先生の説明を聞いた後、自己紹介をしました。全18名のうち父ボラ10名・母ボラ8名。半数の方は去年に引き続いての連続参加で、全体の雰囲気も明るく、最初からまとまっている風でした。その後、出発式に参加。中庭に集合し座っている生徒たちの表情を見ると、固い・柔らかい、嬉しそう・面倒くさそう、など様々でした。
式を終え、生徒たちはゴールの「青年の家キャンプ場」を目指してさあ出発。朝9時の最高気温が30度にも近づく中、班単位で地図を見ながら、3日間分の荷物が入ったザックを背負って20kmを歩きます。父母ボラは車6台に分かれ、それぞれの担当場所へ。ルートの途中チェックポイントにおける給水や巡回、重要ポイントでの立ち番、ゴールでの本部設営や食器準備・麦茶づくりなどの役割に分かれました。私は給水やボランティアの昼食(お弁当)輸送、ルート途中の立ち番を担当しました。
炎天下、目標を目指してひたすら歩いていく生徒たち。道に迷っても、自分たちだけで正しい道を探しながら歩いていかねばならず、ゴールが近づくにつれてどんどん急になる上り道をがんばって歩かねばなりません。今回のボランティアに一緒に参加した茗溪卒業生の妻は、中2のとき、やはり筑波山キャンプで20km歩く体験をしています。「山の麓に着いた時には体力の100%を消耗していて、これからどうやって最後の上り道を歩こうかという極限状態、本当に辛かった」と、今となっては良き、懐かしい思い出を回想していました。
「つながり世代の子どもたち」
午後から担当の立ち番の場所で生徒たちを待つこと2時間。この間に1つの班が通り過ぎていきましたが、その後は誰も来ず。後で聞くと、もうひとつの大きな道を通った班は7~8つだったそうで、多くの班は、これらの道の間にあるショートカットルート(比較的小さな道)を選択したようでした。
立ち番終了後は、本部(青年の家前広場)へ移動。ほとんどの班が無事到着していましたが、未着の班もありました。開村式の途中、最終の二つの班が無事着いたのですが、印象的だったのはメンバーたちの表情が皆、何やら嬉しそうに見えたこと。大人の感覚では、到着が最後になってしまったら、“多少、気後れしてしまう”と思いきや、そんな風には見えず。ちなみに最後についた班の中には、我が息子も含まれていました・・・。
後で息子に聞いたところ、「出発して早々に道を間違えてしまい、給水ポイントに着いたときには、自分たちが最後の到着班だと知った。そこで、いっそ順番は気にせずに、せっかくだから楽しんで歩こうということになった」とのこと。みんなで楽しくコミュニケーションを取りながら歩いてきたので、無意識にそれが表情に現れていたのでしょう。彼ら、彼女らは、「同じ時間を使うなら、友達とのつながり感を高めたり、ハッピーを共有したりするために使いたい」という価値観を持つ世代と言われているようですが、まさにその姿を見せてもらいました。
「ひたすら麦茶づくり、せっせと食材配り」
かまどを使い食事を自炊するキャンプ生活。これをフォローするのも父母ボラの大切な役割です。父ボラのうち数名の方は200名以上が飲むための麦茶をつくり、3日間ひたすら釜に麦茶の袋を入れてお湯を沸かし、それを冷ます作業の繰り返し。汗だくになりながら作られた麦茶は、生徒たちの活動を支えました。また母ボラと父ボラの残りの方は、食材を人数分、各班のコンテナへ振り分ける作業。昨年一度体験している方も多いので、手際よく見事でした。
猿島キャンプの時は、子供たちの自主性を尊重しつつも、ついつい包丁の使い方・火起こしを指導してしまいがちでしたが、今年の父母ボラの皆さんは静かに見守ることがほとんどでした。
食事の用意ができた班から、生徒たちが各班に割り振られたボランティアや先生を呼びにいきます。一人ひとり呼ばれていく中、本部に最後まで残っているのは寂しいのですが、今年は私ではなく、別の父ボラの方がその体験をされていました。料理の味は昨年と同様、3日間を通してとても美味しかったです。料理の準備~後片付けを見ていた父母ボラの感想は、「男女関係なく動く子と動かない子がはっきりしている」「意外と女子より男子のほうが良く動いているように見えた」「やっぱり女子は男子より強い感じがする」などでした。
「燃え上がる青春の炎」
2日目は、山道を歩いての理科(物理・地学)と社会(地理)の巡検です。ABC組とDEF組とに分かれて、物理は放射線の計測、地学は花崗岩の見聞、地理は雪入地区の土地利用調査をそれぞれ実施。初日に続き晴天の中、生徒たちは本当によく歩きました。巡検を終えて本部に戻ってきた生徒たちのお楽しみは、おやつのアイス。到着が遅れていた配送トラックをまだかまだかと待ち望む生徒たち。ようやく到着すると全員から拍手喝采、運転手の方は大変照れくさそうにしていました。
二日間よく歩き、さぞかし疲れているだろうと思いきや、夜のキャンプファイヤーが始まると、クラスや有志による歌やダンスでものすごい盛り上がり様。そんな楽しそうな姿を見つつ、彼ら・彼女らの青春ぶりに感動しました。キャンプの出し物は生徒たちだけではありません。学年団の先生方と父母ボランティアたちは、ワン・ダイレクションの歌をBGMに、今年オリンピックで沸いた水泳個人メドレーの泳ぎ(バタフライ・背泳ぎ・平泳ぎ・クロール)を取り入れたダンスを披露。
前夜のMTGでのこと、「どうか今年は去年のような教員&父母ボラの出し物(ダンス)参加はないように」と願う父母たちの期待を裏切り、ラジカセデッキを持って現れた内窪先生。見事にその笑顔とパワーにより、父母ボラの願いは打ち砕かれました(笑)。聞くところでは、夜遅くまで続いた教員会議後にやはり稽古させられたという学年団の先生方。今年もまたダンスを披露して、生徒たちも巻き込みつつ大いに盛り上がりました。
「子どもたちへの真剣な思い」
最終日の片付け途中、小雨が少しだけ降ったもののその後止みました。今回の「筑波山キャンプ」は好天に恵まれました。閉村式で青年の家の方がおっしゃっていた、「このキャンプでの体験や気づいたことを、戻ってから活かせるかどうかが大事です」との言葉はまさに。学園や家から離れて学友や先生方と過ごした野外での3日間。生徒たちの今後の成長を期待しています。
学園に戻って後片付けが終わり、振り返りの会で父母ボラがそれぞれ一言ずつ感想を述べました。皆さんから「ぜひまた学園のお役に立つことをしたい」との希望が出されたのは、今回がいかに充実していたかを物語っているように感じます。また最後にお話しされた田代校長先生の「今回のキャンプは、子どもたちに(成功体験だけでなく)失敗を経験させることも大切でした」というお言葉は、茗溪らしさがよくあらわれていて印象深いものでした。
様々な個性を持つ200名以上の生徒たち。それぞれに対して、時に見守り、時に励まし、時には厳しく叱る。一人ひとりの成長を支えている先生方。キャンプで生徒たちへ指導する姿を間近に見つつ、今夏のリオ・オリンピックで脚光を浴びた柔道の井上康生監督とシンクロナイズドスイミングの井村雅代ヘッドコーチのことが頭に浮かびました。一見異なる指導法の中にある両者の共通点。
「励ましも叱咤も、どのような類の言葉であっても、言葉そのものにあまり意味はない。その言葉に力を与えるのは、それを発する者のまなざしにほかならない。まなざしとは、相手への真剣な思いだ。それなくしては、いかにあたたかな励ましを贈っても、選手の心の奥底に伝わることはない。」(参照:「NumberWeb」松原孝臣氏の記事)
まさしく、茗溪の先生方のまなざしはそれだと思います。
学年団の先生方や父母ボランティアの皆さま、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
(2年D組父母・岸 和幸)