保健体育科:内窪誠先生

2004年4月18日
今回は、この春23回生を送り出し、4月からは29回生の学年主任となられた内窪先生です。体操部の顧問でもいらっしゃいます。当日は新入寮生の筑波山登山に付き添われたあとでしたが、お疲れのご様子もなく、たくさんの質問にお答えいただきました。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
父母会HP編集委員:堀井(23K),間中(22K&23K),三勢(21K&24K),村田(22K&27K)
– 御出身はどちらですか?
出身は宮崎県です。小学校、中学校時代は都城市で過ごしました。霧島山麓の都城盆地です。(焼酎「黒霧島」の都城。地鶏もおいしいです。)
近くの公立高校に体操部のあるところがなかったので、宮崎大宮高校に進学しました。田舎は公立志向が強いのです。高校へは、当時宮崎大学へ通っていた姉のアパートから通いました。(3年間、お弁当を姉に作ってもらっていました。感謝・・・)
筑波大学体育専門学群へ進学のためにつくば市(当時は桜村)へ来ました。つくば科学万博の年(1985年)でした。噂に聞くと、科学万博で開発が進んだそうですが、それ以前は何も無いところだったそうです。先輩に聞いたところでは、週に一度土浦や東京へ買い出しに出ていたとか・・・。それから約20年になります。茗溪に赴任したのは12年ほど前で、その年に生まれた子供たちが29回生に入ってきていますね。


– 体操を始めたのはいつですか?
体操は中学校で始めました。現役選手としては31歳の全日本社会人大会(北九州)が最後になりました。20年くらいは選手としてやりましたね。
– 体操を始めたきっかけは?
小学生の頃から好きでした。好きだったのが一番です。父親も好きで・・・ 私は知らなかったのですが、中学校に入学したときにクラブの父母会があったそうで、父親は体操部の父母会に参加していたようです。父親は、「息子はここに入るものだ」と決めていたみたいでした。気がついたら体操部員でした。
– お得意な種目は?
今までで結果が一番よかったのは、東日本で鞍馬4位と、インターカレッジ(大学生の全日本選手権)で床の8番です。鉄棒は九州で一番になったことがあります。好きなのは、鉄棒・床です。
– 大きな大会に行かれると審判席に座っていらっしゃいますね。
採点種目で人の主観が入るのでその辺を公平にやるために大きな大会になると審判の所属をばらします。たとえば、全日本などで、企業ばかりに偏らないとか、大学ばかりに偏らないとか。筑波大・日体大・順天堂大など強いところばかりに偏らないように各チームから1~2名推薦で出したり、日本体操協会がバランスをみて依頼してきたりします。私は筑波大からの推薦で出る機会が多いですね。
– 審判は資格がありますか?
はい。最初は3種から始まります。国内の一番上には1種があって、その中でも国際審判を希望する人たちには国際審判の資格があります。私は国際を持っていますが、国際審判はオリンピックにあわせて4年ごとに更新していきます。そのたびに外国語でのペーパーテストをやります。なかなか緊張します。私にとっては4年に一度の語学の勉強です。
体操の発祥はドイツなのと、私の専門としてきたスポーツ運動学の文献はドイツ語がほとんどでしたから、試験はドイツ語で受けます。4年に一度のオリンピックのような受験勉強になります。
– それはどなたもドイツ語ですか?
ドイツ語か英語です。多くの人が英語だと思います。筑波(大出身)の人たちはドイツ語を大学時代勉強しているのでドイツ語が多いと思います。
– 体操にドイツ語が出てくるなんて思いもしませんでした。
そうですね。大学時代の主専攻の“スポーツ運動学”はもともとはドイツで興った学問です。私の大学の偉い教授がドイツから日本に輸入してきた新しい学問だったので、文献の多くがドイツ語になってしまったのでしょうね。
– “スポーツ運動学”って?
スポーツ科学では、人のやるスポーツを生理学であったり、栄養学であったり、バイオメカニクスであったり、いろいろなものの見方から輪切りにしていきます。部分部分でしか見ないことになります。部分部分で理論としてわかっても、実際にやるのは人ですから、トータルで考えないと現場で生きた知識になってはいきません。それを串刺しにしてまとめたような学問がスポーツ運動学です。心理学的な内容が入ったり、バイオメカニクス的な内容も組み入れたりします。
ベテランの先生で教え方のうまい人がいますよね。その周りにいる子たちは本当に上手になります。「なにがいいのだろう?」とみていますと、それは指導者の勘であったりするわけですが、それは「何だろう?」を研究できる面白い学問です。
自分でも演じて、教えて、ということが長く続いていたので、自分なりの技のコツや指導のコツをスポーツ運動学的に理由づけて教えるときのアドバイスの一言にしています。自分で教えた内容を自分で実際に試して、「ここはちょっと違うぞ」ということを繰り返しながらのここまでだったと思います。
– その経験が教師になろうという気持ちにつながっていったのですか?
一番は体操を使って何か仕事ができるかな?と考えたときに教師でした。高校2年生くらいの時に考えていました。その後大学に入って選手を続けたり勉強を進めたりして気持ちが変わっていくことは変わっていきましたが、最終的には落ち着くところに落ち着いたかな、と考えています。大学院生の時に研究職に興味がわいて、「体操の研究」、「コーチングの研究」をやってみたいという気持ちが強くなった時期もありました。茗渓か大学か就職先を悩みましたね。大学時代のテーマが「ジュニア育成」で、小・中・高をターゲットにした育成研究を考えていました。茗溪は中・高ですし、近くに小学生の体操クラブもあったり筑波大もあったり、近い環境に小・中・高・大と揃っていて、国内外でのトップ選手もいるので環境としてはとてもよいなと思いました。実際に教えながら、いろいろな層の選手と触れあいながら、自分の研究も進めることができるという気持ちで、最終的に茗溪に決めました。

– 今にして思えば、筑波大も近いですし。よい環境ですね?
はい。言葉は悪いですが、研究という面でもやりやすい環境です。何と言っても、子供たちに熱意を持って話しかけるとしっかり応えてくれますので、気持ちいいですね。
– 新しい体育館ができて環境が整いました(20周年記念で)
本当にありがたい話で、こんな話が湧いて出てくるとは思いませんでした。もともと考えてみたら中学校・高等学校の2つの学校が1つの施設で授業や行事、部活などをやっていたのでかなり無理がありましたね。雨が降ると体育の授業が自習ということもありました。今は解消されて、クラブ活動もその恩恵を受けています。ピットという安全施設もつけてもらいましたので、練習の仕方も変わりました。また、体操をするためには器具を準備しなければならないのですが、選手が少ない時には準備に20~30分かかっていました。それが今では短時間でできるので、練習時間も確保できるようになりました。器具も整って来たので本当に以前に比べると幸せな環境です。
– 今までの人生で一番嬉しかったことはいかがでしょう。
いっぱい、本当にいっぱいありますが、まず 茗溪との出会いがあります。ここはとてもよい環境で、入った時に「こうしたい!」と思った気持ちを今でも同じように持ち続けていられます。ということは仕事をする場として自分にとてもあっていたんだ、と思っています。生徒にも夢を持って、社会でどういう活躍の場があるのか、探らせています。大学にも夢を実現するために勉強しに行くんだ、って話しています。ただ、今の社会では「私はこのようになりたい」と夢に直結した人生というものはなかなか難しい、というのが現実です。行った先々で自分がどう見方を変えていくかによって、よい職場にもなり、そうではない事もあると思います。23回生には卒業の時にそんな話をしましたね。
あとですね、コーチとして勉強してきて15年くらいになります。その中で教えていた小学生が全国大会で優勝したことが嬉しかったですねぇ。優勝をねらってはいますが、なかなか日本一にはなれないものです。その中でいろいろな条件がかみ合って優勝できたことは、その子にとってもよかったし、コーチとしての自分にとってもとても幸せでした。教えはじめて4年目でした。「やればできる」という気持ちが起きたのはその頃ですね。
昨年インターハイに地元枠でしたが、男女揃って出場できたことも嬉しかったことのひとつです。もちろん選手の頑張りが一番なのですが、選手が出るために、御父母の応援があったり、体操部のOBや筑波大の先生方など、いろんな人たちの応援があって茨城のインターハイは演出できたのかな、と思っています。特に男子の場合は、僅か0.1点の差での出場権獲得でした。団体戦は、規定演技と自由演技の36演技で総合360点満点です。その中の0.1点です。痺れましたねぇ・・勝つつもりでいたのですが、桐創祭の直後の試合でしたので練習が不十分だったのでしょうね。ミスが重なってしまい・・・いま思ってもゾッとしますね。勝負事は厳しいです。
大会で賞状がもらえるのは、子供たちと気持ちが一緒になって前に進んでくることができた結果だと思います。よく私が必死になってしまって空回りすることもあるのですが、子供たちがそれに絡み付いてきてくれるので嬉しいことですね。
自分自身高校時代はインターハイに幸い2度個人で出ることができましたが、2回とも予選落ちでした(今の教え子たちの方が当時の私より上手です)。その後、大学に入っていろんな人と出会って、サポートを受けて大学3年生の終わりくらいから団体レギュラーとして出られるようになりました。筑波大はインターカレッジで優勝することを毎年目標としてやっているので、高校時代に考えていた体操とは全く違いました。ただそんな中に自分を置いてがんばっているとそこに近づいていけるようになりました。環境が人を育てる力は大きいなという気がしています。残念ながら優勝はできませんでしたが、団体3位に入ったという経験は自分に自信を持たせてくれていると思います。ただ、優勝できなかった事は暫くはつらい思い出でしたが、今になってみると優勝という目標を持つことができたということ自体、素晴らしいことだったと思います。
目標が大きくなればなるほど、夢ではなく現実的な目標としてがんばっている子たちにとっては、負けは負けになってしまいますね。努力の価値づけはコーチの仕事のひとつという気がします。どんな大会でも優勝することを夢ではなく現実の目標とすることができる幸せ。それだけ選手のレベルが高いわけですから、そのすばらしさを子供達には知らせてやりたいものです。負けは負けではないですね。
その他、茗溪はとてもアットホームな学校で、子供たちととても近い関係で接しているので、泣き笑いをともにしながら一緒に生活していきます。
卒業の日に子供たちがいろんなバリエーションで声をかけてくれましたが、とても嬉しかったです。人生の一大事の受験に立ち会うわけですからね。いろいろな結果が出ましたが、みんな同じように声をかけてくれて、「よかったな~」という気持ちになれました。受験を最終目標にしていない学校なので、得たものはそれだけではなかったんだな、と思いました。辛い思いはたくさんしていると思いますが、トータルとして、前向きな気持ちで「よかった」と卒業できる子が多いというのは、また、受験を失敗していても「がんばったな」という気持ちで卒業できるのは茗溪なのかな、という気がします。いろんな形で多くの学年に関わっていますが、毎年いろんな形での感動がありますね。
29回生との新たな出会い。これまた嬉しいことです。この3月まで高3でしたからね、ギャップがあります。まだ天使の羽がついているような子たちです。話し言葉もついつい変わってしまいます(笑)。ギャップを感じながらも真っ白な子供たちと関われることは嬉しいことです。新たな出会いです。どの学年もいろいろなカラーを持っていますから、これからが楽しみです。元気よく行きます!
学校にいて気持ちよく仕事ができることは、とても嬉しいことです。これは、生徒のおかげもありますが、同じくらい先生たちがいいからだと思います。「生徒たちのために何かしてやろう」という先生ばかりなので、行事を引き継ぐとどんどんアレンジが加わって重くなってしまいます。本当にどの先生も一生懸命です。職員室はなかなか電気が消えない所です。
あと、これは一番に言っておかなくちゃ・・・・結婚したことですね。ホッとできることで嬉しいことでしたね。長男が生まれた時はさらに嬉しかったです。それと同じように二人の女の子が生まれたときも嬉しかったです。家族が増えるって、ものすごいことですね。人口が増えることは嬉しいことです(日本では)。ご父母の方と話をしていると、子供がまだ小さい今が華だそうですね。満開の今が幸せです。家庭を大事にしています・・・、と外面だけは・・・(笑)。
– 悲しかったことはなかなか話し難いとは思うんですが。
そうですね。嬉しかったことの半分くらいはあります。
体操では苦労しているので、涙を流したことはありますね。大学でレギュラーになりはじめていた頃、大きな試合の前に、技のポイントが狂ってしまってレギュラーから外された事がありました。ひとつの技が狂ってしまうと演技全体が狂ってしまいます。ひとつの種目に不安があると全部で6種目ありますが何となくガタガタっときてしまいます。あの時は辛かったですね。
ですが、その時の経験は今に生きています。体操に限らずいろんな場面で子供たちにスランプがありますが、そのような時に応用が利くかなと。すべては基本的にプラス思考です。でも辛かったですね。
あと、大学院受験を失敗した事ですね。それまで順調にきていましたから、大学院もうまくいくだろうと思っていましたが、うまくいきませんでした。過信だと思います。受験勉強に対する気持ちが甘かったな。ものの見方が狭かったと思います。
この体験もプラスに考えています。今思えば、大学院は2年間ですが、2年間では論文は書けなかった、という気持ちが強いです。浪人生ではあったけれど研究は始められましたし、大学院の授業にも出させてもらっていましたので、研究は実質3年間できました。奥が深いので、時間をかけてできてよかったと思っています。
このときの経験が今の受験指導に生きています。受験の失敗は決して無駄にはならないと思っています。ただ、受験に失敗したことを反省して一生懸命やればの話ですが。一生懸命やればその1年は決して無駄にはなりません。ですから、浪人生を応援する気持ちも自然と大きくなります。そこで立ち直るとその経験は必ず人生にプラスに働きます。

教員をやっていて一番悲しいと思う時は、生徒たちが失敗をした時です。その時にうまく反省を促せないと自分に対しても残念だなと思いますね。自分の力量を反省しますし、何とかうまい形で反省して欲しいと思います。長くやっているので、成功もあれば、失敗もありますし、悲しかったこともあります。それは御父母との関係でも同じようにありますね。子供たちの立ち直りを応援するために私達がいるわけで、お互い協力しながらやらないと本当にうまくいかないですね。そういうことを経て出てくる言葉が「一緒にやっていきましょう」です。
本当にうまくいかない時は自分の力だけでは絶対うまくいきません。問題が深刻であればあるほど担任の力だけではうまくいかない、という気がします。自分が40数人の子供たちをメインで責任を負いますが、担任になりたての頃は絶対この子たちを「自分が何とかしてやるんだ」という気持ちがとても強くて、出てくる失敗がすべて自分の責任だと思っていました。「自分一人で解決しなければ」と一生懸命がんばりますが、子供たちの成長の過程で起こる失敗はそんなに甘いものじゃないですね。決して一人で解決出来るような問題ではなくて、違う立場の人がポロッと言ってくれる一言が解決の糸口になったりすることがあるので、チームワークがやはり大事だなと思います。
– 教師という仕事も時間がかかるものですね。
そうですね。そうだと思います。ただ、その時のキャリアによって出せる力というものがあると思います。
新人の人は新人の思いきりの良さだとか、フレッシュな気持ちだとか覆い隠す事のない面白さがありますね。もちろん新人らしい失敗はありますけどね。ベテランの人にはうまさがあります。やはり自分の話していることに裏付けがないと自信を持って話せないですから、経験は大事ですね。

将来のことはいかがでしょう。
10年後の自分

茗溪に入って12年。干支が一巡ししたが、基本的なポリシーは変わっていないような気がします。多分10年後も同じようなことを話していると思います。もう少し枝葉を増やして話せるようになっているかもしれませんが・・・・大筋は変わらずきていると思います。
この10年後・20年後・30年後って質問面白いですねぇ。10年後は47歳ですね。29回生はもう卒業しています。恐い話です。僕は新しいことにチャレンジしていると思います。体操もそうなのですが、何か目標を持ってやっていないと、その場にとどまるというのはつまらないことです。じっとしていられないので、何かやったら次、次、と新しいことにチャレンジしているように思います。
できれば教え子の中からそろそろ日本代表が出てくれるといいですね。20回生の教え子が昨年埼玉で行われた全日本選手権の種目別で4位に入りました。これは素晴らしいことです。ついに恩師を越えたと・・・(とっくに越えてるんですけど)・・(笑)嬉しいことですね。日本代表になると世界でのメダルも見えてきますので、夢はでっかく、と思います。
卒業生に世界中で活躍する子が出て欲しいですね。茗溪を通過して宇宙飛行士になった子もいますし、世界で活躍している子もいますけれど、もっと身近な庶民的な職業でいいと思いますが、生き生きと仕事をしている卒業生に茗溪に帰ってきて話をして欲しいと思います。私が最初に卒業させた子供たちは、今年ようやく社会人1年目になります。まだまだこれからですね。10年後、彼らが社会に出てどういう大人になっているのかをみるのが楽しみです。
ついでに、趣味でゴルフをやっているので(なかなかやれませんが)うまくなっているといいな、と思います。
– 20年後の自分
57歳。定年を目前にしていますね。最後のチャレンジを考えていますが同時に第2の人生を考えている頃でしょう。
茗溪で最後の力を絞り出し、HRと部活をやっていると思います。茗溪生から日本代表累積5人くらい出ているといいなと思います。ゴルフは不動のシングルヘ。57歳とは思えないような若々しさを保ちつつがんばっていると思います。話す内容も感動的な内容が出てくると思います(笑)。お酒が好きなので、お酒を密かに造り始めようかな、と(禁止されているみたいですが・・・)。自分の楽しみは自分で実現したいなと思っています。
– 30年後の自分
67歳。どう考えても茗溪を退職しているので、近隣にある「さくら体操教室」の名誉コーチとして若手の邪魔をしながら、オリンピック選手を育てているかもしれません。まだまだチャレンジは続いていると思います。ゴルフは腕に自信がなくなってくるのでクラブにお金をかけて技術(スコア)を維持しようかと思っています。楽しみのお酒はマニアの間でちょっと有名になっているかもしれませんねぇ・・(笑)
67歳といえば30年後なので送り出した卒業生も社会で落ち着いた感じでやれているでしょうか。そういった意味では夢があります。先生ってこう考えるといい仕事だと思います。その場で終わらないというのが面白いですね。子供たちがいろいろな所で活躍しているでしょうから、そんな子供たちの活躍を聞くのが老後の楽しみのひとつかもしれません。最初の卒業生は30年経つと50代ですね。管理職世代ですか?驚きますね。茗溪生はきっといい仕事をしていると思います。それを夢見て今の子供たちを一生懸命育てる・・・と。
30年後になると親子3代で茗溪です、ということもあるかもしれませんね。
– 日常の生活で一番大切にしていることは?
何をやる時にも誠実・全力かなと。人間関係・・・・大切だなと思います。いろいろな人に助けられているので、そういう人たちと長い付き合いができているのは誠実・全力かな、と思います。その場を取り繕っていても、そのうちバレてしまいますからね。いつでも誠実・全力の姿勢でいますと、いろいろな方から応援してもらえるようになります。ピンチに立ったような時に、知らないうちに誰かが助けてくれたりします。子供たちとの関係もですが、御父母との関係でもそうです。そんな応援団のおかげで、御父母同士の情報交換の際、私達が伝えたいことがうまく誤解のないよう噛み砕かれて伝えられていきます。
自分をみていて不器用だなとイライラすることもありますが、不器用でも一生懸命時間をかけてやっていると自分の周りの関係がよくなってくる。現状がよくなってくる。夢は近づいてくる。という気がしています。それを信じています。
– 茗溪の保健体育の特徴・保健体育の教育を通して生徒に伝えたいこと
授業では、体育科の先生が各自の専門種目を教えるので内容的にはレベルが高く、また、ポリシーを持って教えているので茗渓生の運動能力は質が高いと思います。入学してくる時は他の学校と同じくらいの運動能力ですが、卒業する頃にはたくましく成長しています。体育も含めていろいろな行事が子供たちのためになっているのかなと思います。
保健分野でもそうだと思います。いわゆる「雨降り保健」ではなく、年間を通じてカリキュラムが組まれています。自分達の生活に実際に使えるような知識を教えるつもりでいます。自分の生活に生きる授業を考えています。けがをした時の応急手当の方法とか。高校3年生の受験期にも保健の授業が一コマありますが、ここでは性に関わる問題だとか、結婚だとか、老後の問題だとか、おそらくこの授業で学ばないと学ぶチャンスはない事をやります。社会に出ると、自分で求めなければ教えてもらえないので・・・。
保健体育を通じて伝えたいことは、自分の能力に気づかないまま過ぎていくことが多いということです。もっともっと発掘していくと気がつかない能力がどんどん出てくると思います。「自分の知らない能力が体の中にはあるわけで、その能力をどうやって発掘するか」を保健体育では知ってもらいたいと思います。
自分の可能性は知らないところにたくさんあるので、チャレンジして欲しいと思います。人生の中で授業でしかやらないことがたくさんありますから最初は嫌いでもそのうちに気がついたら好きになっていて、さらに気づくとうまくなっている、といろいろあります。そういうチャンスだと思って授業をやって欲しいですね。
「ひょっとしたら何かいい方法を人が教えてくれるに違いない」というのは学校にいるうちにはありますが、社会に出たらそれはありません。授業の中から自分で切り開いていく自分の方法を学んでいって欲しい、と思っています。ごちゃごちゃ言う前に行動を起こしなさい、と言いたいです。有言無実行の無力さと、不言実行のかっこよさをわかって欲しいと思います。
– 個人的な活動 ライフワーク
ライフワークは体操に関わる事です。日本の体操・世界の体操を考えながら教えています。と同時に考えているのは体操競技の地域への普及です。体操から学び得られる喜びを広めていきたいです。
あと、「喜び」の研究です。研究・・・というとカッコイイですが、特に学術的なことを考えているわけではありません。喜びは人が行動を起こすときの原動力になります。子供たちを動かす時って動機付けがとても大事で、喜びを伝えていくことが大切なのかな、と思っています。面白そうに仕事をしている人たちをみていると何が原動力なのかなと思います。「喜び」とは、何にでも利くおまじないのようなものだと思います。
– 茗溪の父母や父母会活動に対しての率直な意見・感想
御父母の方々に対しての率直な意見・感想は「一生懸命にがんばっていらっしゃるな」と。子供を思う気持ちから、前向きに活動してくださっていることを感じます。キャンプであったり、職業観セミナーであったり、今日のインタビューであったり。熱心だなと感じます。
私も子の親になって、勉強する子を持つようになって、皆さんとだんだん共通する部分も多くなって来ました。今までと違う気持ちで御父母の様子を見ています。皆さんの子供を思う気持ちはとても大きくて温かだなと思います。そういう御父母の気持ちを私達が理解できていれば、またそのような気持ちで子供に接していけばプラスになると思います。父母会でも話す内容が変わってきているように思います。「ご苦労様です」という気持ちが先に立ちます。
1年生(中学1年生)の時と、6年生(高校3年生)の時と悩みは違いますが、子供のことを思って悩んでいるという点では同じです。そういう御父母の気持ちを思うと、軽い気持ちでは仕事はできないなと思います。子供たちに立派になって欲しいという気持ちと同様に、御父母の学校に対する期待にも応えなければいけない、という気持ちを持っています。
「子供が苦しんでいる時に一緒に悩んで応援していきましょう」そういう気持ちでいることを理解して欲しいと思います。ただ、子供と同じ視線で悩む事は大切なことですが、同じ視線だけではいけないと思います。子供の悩みに対しては一緒に悩みながらも違う立場で冷静に見なければならないと思います。問題が深刻になればなるほど、親や教員の姿勢は重要になります。子供と一緒に悩みすぎて、一緒にパニックに陥ることのないよう、お互い気をつけていかなければなりませんね。
これまで、私たち教員と生徒のトラブルや、教員と御父母の皆様とのトラブルを多くの御父母の皆様の御協力により解決してきたケースは決して少なくありません。今後とも学園への御理解と御協力をお願い致します。

長時間にわたりありがとうございました。(編集委員一同)