今回は国語科の早見雅彦先生です。2013年8月23日に本校2階会議室にてお話を伺いました。早見先生は演劇部の顧問もされていて、国語指導のお話と共に、演劇についても興味深いお話をたくさんしていただきました。

―先生の出身地、出身校、所在地はどちらですか。

出身地と言われるといつも困ってしまいますが、生まれたのは神奈川県の横浜市です。でも生まれてすぐに、父の転勤の関係で埼玉県川口市に引っ越して、小学校四年までいました。その後、東京の九段に移り、大学卒業する頃までは東京に住んでいました。 引っ越しが多かったのでどこが地元なのか不明確ですが、実感としては東京在住が長かった感じです。

―出身校はどちらの学校ですか。

高校は国学院久我山、大学は国学院大学です。

―教師を目指したきっかけはどのようなものでしたか。

大学が国学院大学の文学部でしたので、何か言葉と関わるような仕事をしたいと思ったわけです。それで大学在学中に教員を目指しました。 卒業して一年間は東京都の公立高校で講師として教鞭をとっていました。その後、偶然に茗溪学園から専任のお誘いをいただきました。それが赴任したきっかけで、もう二十数年になりますね。来た当初は、時期が来たら東京へ戻る考えもあったのですが、結果的には茗溪学園に根付いてしまいました。

―先生は中学、高校生の時から、国語は得意科目でしたか。

小学校の時から読書は好きでした。星新一、筒井康隆などSFが好きで、当時あまり純文学は読まなかったが、国語は得意科目の一つでした。中学、高校と帰宅部で、活発な方ではなく、本を読んだり、映画を観たりするのが好きでした。

―先生の大学時代について教えてください。

入学当初、太宰治の研究をしようと考えていたのですが、途中でいろいろ関心が変化しました。偶然が重なりいろいろなことをしたことが影響してると思います。 国学院大学OBで、元NHKアナウンサーの山川静夫さんが作った「歌舞伎研究会」の復活を手伝ったり、西洋の文学のベースである「聖書」を研究するサークルにはいったり。最終的には卒論は、日本神話の研究になりました。聖書の天地創造と日本神話の国生みの比較しようという所から出発して、心理学、人類学、民俗学など幅広く取り入れて神話の比較研究をしました。

―最初に太宰治をやろうと思ったということは、高校生など青春時代から太宰治が好きだったのですか。

あの暗い感じが結構好きでしたね。そのほか、つかこうへいが好きでした。太宰治の作品では、「人間失格」が一番衝撃を受けましたね。「人間失格」は若い時に読むといい本だと思います。青春時代のちょっと鬱屈している感じや自虐的なところが、読んだときに「こういうことをこのように表現する人がいるんだ!」と衝撃を受けると思います。

―現在の愛読書はどのような本ですか。

小説はだんだん読まなくなっています。今面白いと思っているのは、内田樹さんです。神戸女学院大学の元教員の方で、専門はフランスの現代思想です。引退後にも多くの本を出されていますが、その方の本にはとても刺激を受けます。主な著書に「呪いの時代」、「街場の教育学」、「街場の中国論」などがあります。街場シリーズというのがあって、エッセイ風の分かりやすい体裁ですが、内容には深いものがあります。

―今、教えていらっしゃる茗渓学園の現代文教育の特徴はどのようなところですか。

茗溪学園の小説の読み方の基本は、構造、形象、主題と読んでいくことです。その方法論があるのがおもしろいところです。全体を捉える、一語一文にこだわる、テーマを考える、という三段階の読み方は、どの作品にも通用する大変優れた方法論だと思います。

―その読み方を使用して、それまで読んでいた文学がより理解が深まることはありますか。

表現には自由さがあり、典型的な作品ばかりではないので全てが一般的な構造に当てはまるとは言えませんが、一つの物差しの役割として重要だと思います。個人それぞれの感覚、価値観があり、受け取る側でそれぞれ違いが生じます。でも構造読みという考え方によって、ある共通の理解を言葉で作れるのではないかと思います。文章の中のクライマックスだと思う場所が他の人と違う場合、その違いを明確にし、どのような理由、価値観で違うのかを議論することにより、共通の認識を導き易いのです。

生徒は、数学のようなはっきりとした答えを求めることが多いのですが、「1+1=2」とはっきり答えが出ないのが国語という教科であり、そこが面白く難しいところと言えます。国語は方法教科であり、内容教科ではない、その方法を使って訓練することが大切と言えます。スポーツに例えると、いくらルールを知っていても、体が動かなければ試合に勝つことはできない。試合に勝つ練習の方法を知り、練習を積み上げていかなければ勝つことはできません。その練習をすることが、国語の授業であり、その方法を身につける場所と言えます。

―先生が演劇部の顧問をされることになったきっかけは何ですか。

私は大学のときからお芝居を見るのが好きで、自分で台本を書くとか役者になろうとは考えていなかったのですが、たまたま演劇部の顧問を引き受けることになりました。顧問になった当初はしょぼしょぼと活動していたのですが、ある時部員がゼロになってしまいました。当時、中1(24回生)の副担任だったので、生徒を集めてもう一度演劇部を再出発させようと思い、ポスターを作って貼ったり、イベントをやったりしていたら、1人、2人と部員が集まりだしました。放課後は毎日部活に顔を出して生徒と一緒に発声練習などをして活動していました。

高校生になったら全国までつながる大会があると知った中学生部員が、「コンクールに出たい!」「勝ち抜いて全国大会に出たい!」という目標を持つようになりました。その思いの強い24回生が高校1年になって地区大会を勝ち抜き、茗溪で初の県大会出場することができました。それが大変嬉しかったです。そのことがきっかけで、その後、県大会出場を超えて関東大会出場する代も出てきました。

―現在の演劇部の様子と今後について教えてください。

現在は中高合わせて30名位です。活動も充実しています。 ほとんど生徒の自主性に任せていて、生徒たち自身で演出も手掛けています。私が演出の手直しをすることはあるのですが、基本は生徒たちが自分たちで劇を作り上げていますね。私が決定しているのは、会計とキャスト・スタッフの配置、大道具くらいです。

劇に関わる物品がどの程度の値段で、年間でどのように使うのが良いのかなどを知って欲しいので、今後は会計も生徒に任せていきたいですが、今は顧問である私が管理をしています。 キャスティングやスタッフに関しても、生徒たちで話し合って決めてもいいと思っているのですが、生徒同士の人間関係もありますし、生徒からそこはお願いしますとの依頼もありますので、私の決定事項になっています。大道具は私が好きで作ったりしますが、それ以外は生徒たちだけで殆どすべてできるため、なるべく任せるようにしています。

演劇部は男子が少なく女子が中心なので、大道具は私が金槌を握って作ることが多くなります。「先生、窓が欲しいんです」とか生徒もかなり無理なことを言ってきますが、なるべくリクエストに応えるようにしています。窓の時は合宿の最中でしたので、私は一人、第一AVEの前で汗だくで懸命に窓作りに励んでいました。演技指導は、まったくの生徒まかせで…。でもその生徒たちは立派で、自分たちで演出して稽古して、その窓を使って関東大会まで行きました。その他の大道具では、バルコニーも作りました。運べるように組み立て式で。お芝居の内容が、バルコニーに出てそこから外に飛び降りるという内容だったので、頑丈に作らないと危ないですし、しっかりと組み立てないとだめだろうということで、考えて作りました。何年前かの文化祭で、あるクラスがアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を上演した時も使用しましたが、今もすぐ使えるように保管してあります。

平成26年度は7月に茨城県で全国高等学校総合文化祭が開催されます。通常と違い、開催地枠という優遇された出場枠があり、県大会最優秀校1校は全国大会にそのまま出場できるチャンスがありました。他に2校が関東大会に出場しますので、県大会に出場できれば上位大会に出られるチャンスが大きかったのですが、本校演劇部は地区大会で石岡一高、土浦三高に次いで惜しくも3番目で、県大会にすら出場かなわず、26年度全国大会の出場の夢は成し遂げられませんでした。今回は既成の脚本ではなく、創作にチャレンジした演目だったため、生徒が書いて私が手直しして、そしてまた生徒が書いて…という繰り返しの作業が非常に多くなりました。生徒は一生懸命頑張ったのですが、完成までの時間が足りなくてもう少しという感じでした。

ライフワークにも関わることなのですが、茗溪学園にいる間に演劇部を全国大会レベルに手が届く所に育てていきたいですね。 また、茗溪学園のなかに演劇という文化を根付かせていけたらと思っています。幸いなことに文化祭で中学2年生が演劇をやったり、英語劇があったり、高校生になってもクラスで演劇を取り上げたりなど、結構演じる機会は多いので、演技の上手な子がこの学校には多くいます。発展的に演劇教育を充実させていきたいです。

 

―先生が演劇に一番惹かれる理由はなんでしょうか。

生の感覚ですかね。その場で生の感覚を共有しているのと、テレビカメラを通して見ているのとは全く違うじゃないですか。面白い映画もいっぱいありますが、何も隔てのない生の舞台で得られる感覚とはまったく別のものです。それは非日常的な経験で、他のものでは得られないです。

―定年後これまでのお勤めの仕事から離れて自由にやりたいことは何ですか。

定年後の事はあまり考えてないですが、やはり演劇に関われるといいと思っています。茨城県内に中学校の演劇部関係の組織がないので、組織を作り、全国組織とつながってコンクールみたいな形で参加できるようになると、また県内の演劇のレベルも上がってくると思います。

その他だと、このごろは忙しくできていませんが、日曜大工が趣味です。ものを作るのが好きで、以前はいろいろ作っていました。つくば市に自宅があるのですが、今の家になってからは自転車置き場やウッドデッキ、郵便ポストなど作りました。最近ちょっと止まっていますけどね。作った郵便ポストは、2~3年前に大風が吹いたときに飛ばされて、壊れちゃったんです。また作ってと家族から言われているのですけど、まだ完成をみていません。何かものを作るようなことができたらいいなと思います。

―ご家庭での普段の過ごされ方はどのようなものでしょうか。

家で今動物を飼ってまして、猫が7匹、犬が1匹いるんです。これ言うとみんなびっくりされます。このお世話をするのが忙しいですね。 家の中にいつもいますので、家の中がめちゃくちゃです。どこにでもいる感じです。床に寝そべっていたり、脱衣所の脱衣かごや押入れなどに入っています。こたつは毛だらけになってしまうため出さないようにしています。お客様を呼べない状況ですね。今は、学校に行く前に猫のトイレ掃除をして、帰宅したら最初に猫のトイレを掃除するようになっています。

―茗溪の父母や父母会に対しての意見はありますか。

父母会総会のときに学級役員を各クラス二人お願いしますよね。事前にアンケートを取って引き受けていただけるか聞くわけですが、そこで「地区役員を引き受けたため学級役員はできない」という方が多いのです。そのことからも、本当に多くの方が地区父母会に協力いただいて、きめ細かく学校をサポートしていただいているのだな、という印象があります。他にもキャンプのボランティアがあります。本当にありがたい活動で、これがないとキャンプが成り立たないですから。平日ですから、父母の方も大変だと思います。でも、学校としても大変助かっています。

―受験生に対して一言お願いします。

卒業生にいつも贈る言葉があって、つかこうへいの本のタイトルにもなっているのですが、「いつも心に太陽を」というフレーズです。自分が信じるものをしっかり意識しながら進んでほしいという気持ちからよく使います。ですから、受験やその他のことで闘っている生徒たちにも、自分を信じ、胸の内にあるものをしっかり確認しながら進んでいって欲しいと思っています。

%e6%97%a9%e8%a6%8b%e5%85%88%e7%94%9f%ef%bc%95―本日は大変貴重な内容をお話いただき、どうもありがとうございました。

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