国語科:杉山明信先生


2003年7月26日(土)茗溪学園会議室にてインタビューにお答えいただきました。
後半はご趣味の万年筆も披露していただきました。
大いに盛り上がった内容となっております。どうぞお楽しみください。
父母会HP編集委員会 村田(22・27)木川(23)間中(23)堀井(23)
-ご出身は?
栃木県で生まれて栃木県で育ちました。小中高と栃木県。二宮町というイチゴの生産が日本一で田舎の素朴な町です。二宮尊徳が農村復興をやった関係で二宮町という名前が付いています。大学は家から通えないところということで、東京へ出て行きました。
-教師になったのはいつですか?
大学卒業してこの学校の非常勤になったんです。その時同時に筑波大学での研究生をやっていました。それが一年間、次の年から専任になりました。茗溪ができて4・5年目から20年くらい居ることになります。
-教師になったきっかけは?
元々教師になりたかったので大学も教育学部に行きました。最初から教師になるつもりでした。とにかく早く教育現場に出たかった。でも、今考えると大学院に行っておけば良かった、と思いますけどね。その頃は早く仕事をしたかった。


-教師のどんなところに魅力を感じられたんですか?
人を相手にすることです。話したり人に伝えることが好きな性分だったと思うんですよ。高校生の頃から家庭教師をやって知り合いの中学生などを教えていました。成績を伸ばして、教えてた子の親が大喜びしたりとかあったんです。40点ぐらいしか取れなかった子が90点ぐらい取るようになると、親は本当に喜んで図書券どっさり余計にくれました。自分の入試の間際までやっていましたね。「もうすぐ先生の入試だからもういいです」と向こうから断ってくるまで教えていました。きっと好きだったんです、教えるのが。
-先生にとって、天職だと思っていらっしゃいますか?
面白いし、やりがいを感じてやっていますけど、天職かどうかは分かんないです。大学の友達からは「お前だけは教師にはなってはいけない」と言われましたから。まず話し方に冷たさがある、気性が激しすぎるとか・・・。今でこそ同僚から「気が長いよ」とか言われることもありますが、当時は本当に気が短くて激しい気性でした。和やかに酒を飲んでいても、いつの間にか相手が箸をブチ折って怒っていることがありましたね。「お前とはもう絶対口をきかない」って。よほど腹の立つ話し方をしたんでしょう。

-茗溪学園との出会いというか、特に茗溪学園をお選びになった理由というのはあるんでしょうか?
紹介してくれた人がいたんです。国語の教師を探しているらしいと教えてくれて。それで見に来たら大西忠治さんという国語教育ですごい先生がいてびっくりしたんです。2・3年いっしょに仕事ができたのは、僕にとってすごく幸運でした。その後、都留文科大学の教授として出られてしまったんですが、その後も勉強会等で付き合いはありました。大西さんがいたから就職した訳ではないですが、ここで勉強させてもらおうかなと思いました。
-今までの人生で一番嬉しかったことは?
個人的にはいろいろありますけど、仕事に関わって言うと、やっぱり単独で本を出したことが一番嬉しかったですね、すごく。形になったなぁ、というのと、とても苦しみましたので、その分嬉しかったです。共著は十冊以上ありますが、単著は初めてでした。おそらくその本の執筆で最後の追い込みをやっていた数ヶ月間というのは、どんな受験生よりも机に向かっただろうなと思います。最初は1年ぐらいでまとめて、と出版社に言われていましたが、やり始めたら資料が集まらない。半年延ばし一年のばしで結局2年半かかりました。
 単独著書 「『舞踏会』の読み方指導」
国語教育関係の研究会や学会で頼まれて作りました。芥川龍之介の『舞踏会』という作品をどのように教えるかという教師向けの本です。多くの研究論文があるんですけど、先行研究は殆ど網羅しました。やるからには全部網羅したかったので資料集めに時間がかかりました。
 共著
-次期執筆のご予定は?
おそらく、依頼が来るのは教材分析に関するものでしょうか。あと、今の国語教育界には話し方や聞き方に重点を置こうという流れがあるんですが、そういうことについての実践を書く注文も来るだろうと思います。でも私自身が書きたいことは「読み方指導」、そっちの方が本当は書きたいです。
-題材としては?
書く書くと言っていて実現していないのが森鴎外の『舞姫』の分析です。もっと前は宮沢賢治の詩の分析だったのですが、これは2・3年前にようやくまとめました。

-桐創祭で演劇を指導していらっしゃいますが、そういう方面に行きたいという気持ちはなかったんでしょうか?
あぁ、僕はおそらく創作の才能はないだろうという気がしますね。完全にゼロから生み出すような作家的な力は自分にはないと思うんです。興味はありますけれど、やり出すと血を吐くようなことになると思うので、できないと思います。
-仕事で悲しかったこと
ひとつは教え子が死んだことです。これは辛かったです。卒業してからしばらくしての交通事故でした。もうひとつは大西さんが亡くなったことですね。他人が亡くなって涙が止まらなかったのはあれが初めてでした。僕が今教師をやっていて、やらなければいけないこととやってはいけないことの基本を教えてくれた人でした。一晩中怒鳴られまくったことがあります。大西さんがハウスマスターで私がサブマスターをやっていましたから「ちょっと杉山くん、来んか?」と呼ばれて夜12時頃ごろから飲み始め、最初は穏やかに飲んでるんですけれども、だんだん怒られてきて何時間も怒鳴れていました。でも怒鳴られるようになると認められたようなものなんです。大西さんは誰にでも怒鳴るような人ではないので、「俺も怒鳴られるようになったか」と嬉しかったです。腹も立ちますけどね。「何で明け方まで怒鳴れなきゃならないんだ」って。でも嬉しいもんです。そういうふうに思う人に対してしか怒鳴らない人でした。
-日常生活で一番大切にしていることは?
これはまた難しいですよね。生徒を大事にする。同僚を大事にする。仕事に関わる周りにいる人を大事に。
もう少し具体的に言うと、強いものには批判、弱いものには援助というのが信条です。それから「できなかったものには、できなかった理由がある」と必ず思うこと。色々ないい方があって「約束を破ったのには破っただけの理由がある」ということ。昔、大西さんとこんな話をしたことがあります。
大西:「杉山くん、誰かと約束してそれを破られたら怒るだろう」
杉山:「そりゃぁ怒りますよ」
大西:「約束を破られたら、悪いのは誰だい?」
杉山:「破った奴に決まってるじゃないですか」
大西:「君は責任ないの?」
杉山:「ないですよ」
大西:「だから君は駄目なんだ」
杉山:「どういうことですか。納得できません」
大西:「破られる程度の約束しかできなかった自分の力の無さはどうなんだい」
そう言われまして。教師って仕事はそこなんですよね。子どもと「勉強しような」「はい、わかりました先生、頑張りまーす」って言っても、子どもはたいてい約束破るんですよね。で、その時に「約束を破ったこの子が悪い」と思ったら教師の仕事は終わりなんで、「何でこの子にもっとやる気にさせられるような合意の作り方が自分にはできなかったんだろう」って思わなければ、教師というのはできないし、いつもこっちにその責任があるんだって思わないと駄目なことなので・・・そういうことを大西さんにごにょごにょ教えてもらったんです。
僕はプロで教師やっているんだったら大事なのは技術だと思っています。手練手管ですね。ハートがあるのは当たり前で、それがなかったら終わりです。ハートがあってもうまくできない人がいっぱいいて、医者でも同じですよね。患者を助けたいと思っているけれど、技術がなくて助けられないお医者さんがいっぱいるわけで。他の医者なら助からない患者を助けられたら、これこそプロですね。教師も同じです。生徒の気持ちを汲めるかどうかとか、どういう話し方のときに本題に入るかとか、細かい技術があるんですよ。その技術だけ覚えてもしょうがないんですが、でもハートがあれば何とかなるんだったら、プロの教師はいらないわけです。
人格で教育するということは、一面の真実ではあるわけです。人格に触れていくのは人格でしかないわけですから。でも、それをプロの仕事として給料もらってやるんだったら、それを支える技術がいっぱいないとだめなんですよね。まあ、人格がイマイチの僕は技術でカバーってことですね。でも、誰でも教師という仕事をできるかどうかっていうのは技術のレベルの問題だと思うんです。ここのところがうまく言えなくて、技術主義と言われることもあるんですが、僕は手練手管がとても大事だと思っていて、それがないと教育で飯を食う人間ではないっていうふうに思っているんです。仕事をするときに心掛けていることでしょうか。
-茗溪の国語科教育の特徴
一番際立った特徴は方法論がある、ということです。つまり、作品を読んで分かればいいのではなく、文章を読むための技術・方法論というのがあって、それを色んなタイプの文章を通して教えていく。生徒が未知の文章に出会った時にもその方法論を応用することによって読んでいく力を付ける。そういう考え方でやっているのがこの学校の国語の授業です。そこが一番の特色だと思います。つまり、『ごんぎつね』を読んで感動しましたとか、『羅生門』読んで感動しましたとか面白かったです、というのではなくて、『羅生門』を読んだ力が次に『こころ』を読む力になり、それが『舞姫』を読む力になっていくか、というところが勝負なので。そういう方法論の積み重ねを意識してやっているのが茗溪の国語科の一番面白いところで、僕がこの学校の国語科にいて一番勉強になるのはそういうところです。
もう一点は討論をものすごく多く行うというのが特徴です。茗溪に来た中学生に「先生、国語がすごく好きになった」と言われるとうれしいんですよ。「そうかい。どのへんが面白い?」って聞いたら「いっぱい話し合うし」って。文章を読むことも面白いんですけれど、話し合いをし、自分たちの意見をぶつけ合いながらある思考を集団的に練り上げる、という訓練が小学校に授業の中で十分にされてきていないと思うんです。それをやっているんです。
-その授業の積み重ねが、例えば桐創祭の企画を練るときにクラスで色々な討論がなされますよね。中途半端な意見などは必ず批判される訳じゃないですか。団体の中で自分の意見を通したり、団体をまとめ上げていったりという、将来大人になってから必要な力が国語科の授業の中で形成されていくんでしょうか。
それは思いますね。意見を表明するというのは難しいことで、お喋りとは違いますから。ボールを蹴らずに理論書だけ読んでいてもサッカーうまくならないのと同じことです。ボールを蹴ってみないと上達しないように、討論はしてみないと絶対うまくならないんです。
-うちの子は小学校時代「理屈っぽい子供」で発表は大好きだったのですが、‘ややこしくなる’と言われ授業では発表できなかったんです。茗溪に入って国語の授業で発表したとき、何を言っても聞いてもらえるって、それがすごく嬉しかったと感動していました。
思考というのは揺れないと深まらないんですよ。こうかな、こうかなというのがないと絶対深まって行かなくて、こうだと思いこんでいる思考というのはそれ以上深まりません。自問自答でもいいんですが、迷っている時が一番深まっていく可能性がある。だから集団思考のように複数の人間でやっているときも、プランをぶつけ合っているときが一番思考が深まっているときなんで、どんな突飛な意見であろうが、そういう意見が出てくるということがとても貴重なんです。そこで受け入れられるという経験はすごく大事なんです。
でも、また一方で、言ったことが必ず受け入れられる状況じゃないと言えないという子どももいるんです。例えば先生にいっぱい不満があって「あの先生最低」とか言うので「だったらお前、言いに行けばいいじゃない」「言ったってしょうがない、聞いてもらえないもん」「じゃあ、聞いてもらえなかったらお前言わないの?」「うん、ゴニョゴニョ・・・」。本当に言いたいことっていうのは相手が聞く耳を持とうが持つまいがこれを言わなければならない、というのがあるんですよね。そうなった時に言えるかどうかっていうのがその人間の本当の発信力になってると思うんですけど。
討論はある意味残酷な面もあります。受け入れられる側面もあり、笑われたりする辛さを乗り越えていく側面もあり。でも、辛いって言ってもたかが知れていますよ、授業中の討論なんて。そのたかが知れていることをちょこちょこ練習することによって、本当に自分の人生の中で辛いときにそれを乗り越えられる力が育っているかどうかが左右されると思うんです。
子どもを言い負かしてやることは大事なことですよ。論理的に言い負かされた経験のない子っていっぱいいるんです。理屈では親に勝ってばかりいてね。子どもから脱して大人になっていく思春期の子どもというのは、理屈の力を身につけていくので、その理屈の力を見せつけてくれる大人というのが周りに必要なんです。
-国語の教育を通して生徒に伝えていきたいことは?
思考力を鍛える、ということですね。現代文は言葉を教える科目ではなく、思考力を教える科目だと僕は思っています。言葉というのは文字を読んだり耳から聞いたりして外から入ってくる外言語というのと、頭の中で思考する内言語というのがあって、小学校くらいまでは外言語、つまり読み書き、言葉の勉強という側面がすごく強いですけれど、高校くらいになってくると日常的に新聞・雑誌は読みますし、友人とのコミュニケーションは普通にとれるし、抽象的な概念もそれなりに操れるようになってきますし、そうなると言葉の勉強というよりもう思考力の訓練です。
思考力を訓練するときに二つの側面があると思うんですけれど、一つは嘘が見抜けるかということです。世の中には嘘が満ちていますから、それを見抜けるかどうかがその子が生きていく力になるかどうかの分かれ目になると思います。ここは納得できるけど、ここは納得できない、ときちんと認識できるか、そういうふうな思考力を身につけさせてやりたい。あともう一つは、そういう力が身に付いてくると、相手の意図まで見抜くようになっていく訳ですね。悪い奴に対しては相手の裏をかいてやればいいんですけれど、普通の人間関係の中ではそれは思いやりの力になっていく、と僕は思っているんです。つまり、相手が何でこの場面でこう言ったのか意味が分からないと、思いやりはないと思っているんですよ。想像力がないわけです。だから国語の授業を通して思考力を付け、世の中に対しては嘘と本当が見抜ける。それから自分が本当に大事にしなければならない周りの人間に対してはその人の気持ちが汲める、という力になってもらいたいです。
-個人的な活動は?
科学的「読み」の授業研究会と言語技術教育学会に入っています。
-趣味は?
「fuente」という万年筆のクラブに入っています。古山さん(編注:元茗溪学園教諭)からうつされた病気だから強烈で、すっぽりとのめり込んでしまいました。今日は少し万年筆を持ってきたんですよ。
(この後、大切にお手製の筆巻に巻かれたお宝を一本一本ご披露いただきました。)

広島の長原さんという職人さんが作った竹軸のクロスポイントという極太万年筆。鳥取の万年筆博士というお店の田中さんという軸から全部自分で削って作れる、日本に一人か二人しかいない職人さん。東京・大井町の森山さんに研いでもらったクロスポイント。ペン先を自分の手に合わせて研いでもらうんです。1920年代のパーカーのビッグレッド。モンブランの50年代のペン。最近手に入れたパイロットのウルトラスーパー。これは貴重なんですよ。これはメーカーでももう作れないんです。(しばらく続く)
 
万年筆というのは先端のイリジウムが少しずつ減っていき、だんだん書きやすくなっていくものですが、こういう職人さんたちというのは最初からその人の書く角度や持ち癖に合わせてペン先を砥いでくれるから、最初からとても書きやすい万年筆になるんです。
万年筆自体は昔から使っていました。就職祝いに父から純銀軸のパイロットを買ってもらって気に入って使っていたんです。でも職人さんの作るものに出会って、こんなに楽に書けるのがあったのかと、はまった訳です。もともと職人仕事が好きというのもありますね。職人が介在する筆記具というのはもう万年筆ぐらいしかないですね。万年筆は使ってやるのが一番のメンテナンスです。100本以上ありますが、休ませながら順番に使っています。
(古山先生の記事)
ワールドフォトプレス社 『Memo』2003年6月号


万年筆画家が行く/第3回 「万年筆博士」の田中さん50周年 古山浩一
(略)今回、田中さんの50周年の記事を書くので、社長に今までのユーザーでうるさく注文言ってきて苦労した例をいくつか教えてくださいと頼んだら「あなたほど滅茶苦茶な注文をしてきた例は後にも先にもありません」とおっしゃるので不本意ながら私の例でお話ししたい。
(略)私が注文した中で傑作だなと思う形がふたつある。バルカナイトのストレート極太軸とグリーンセルロイドのバランス太軸だ。両者ともバランス、握り具合とも最高の出来である。ところがセルロイドの方はココからもう少し発展する。以前の職場の同僚、国語教育の杉山さんが近年、脳まで万年筆菌に冒され、この2年間に百本ほど名のある万年筆を集めた。その杉山さんが私のところで万年筆漁りをしていてセルロイドを見つけ「古チャンこれいいよぉ」と、そっくり同じものを田中さんに注文した。ところが出来てきた万年筆は私のより太くて大きく、形もよければ重さもバランスもいい。首軸がぎゅっと詰まったところなどはムーブメントまで感じる。見せびらかした杉山さんはスキップして帰って行き、私はすぐ田中さんに電話をかけた。「古山さん、私も日々進歩しとりますから、まあ、いい形ができたと自負しております。ふっくらもっこら型と名づけましたフフフフフフ・・・・・・」。しょうがないので私もまた注文を出した。田中さんがたどり着いた究極の形のひとつであると思う。

古山浩一画伯のHP紹介 http://www.entotsu.net/
-そういう職人さんのお店に行かれるんですか?
お店にも行きますが、ペンクリニックというのもあって、年に何度か都内のお店に職人さんが招かれるんです。そこへも持っていって行くんです。「先生、これ、ちょっと・・・」と。
-コレクターとしてはかなりの域に達していますね。
いえいえ、僕なんかまだまだ駆け出しです。すごい人が沢山いますから。今世間では滅多に万年筆は見なくなっているんですけれど、この学校はわりと万年筆を使っている先生がいて、すごく嬉しいですね。
万年筆の本当に良いものは極楽気分で書ける。それもメンテナンスしてくれる職人さんがいてのことです。手仕事というのはどんどん減っていますけど、職人さんが滅びるときには万年筆も滅びるでしょうね。
-今日はいいものを見せていただきました。
久しぶりに万年筆を自慢する機会ができて私も嬉しかったです。
-父母会活動に対しての率直な意見
仕事をする上で言うと、こんなにありがたいものはないと思います。居丈高にものを言わないで学校に協力的なので。何かあるとちょっと集まったり、公的にも私的にも距離が近いです。
それよりも僕がこの学校へ来てびっくりしたのは、お父さんお母さん同士がすっごく仲のいい友達を作っていくんですよ。子どもたち同士が友達になるようにお父さんお母さん同士が友達になっていくという雰囲気が素晴らしいなあと思います。先ほど「卒業するのが寂しい」と間中さんが言われましたが、自分が卒業するような気分になってくれるというのはこの学校の父母会のいい雰囲気と言うか、ちょっと真似のできないところかなと思います。
自分の親などは僕が学校を卒業するたびにそういう考えは持たなかったと思うんですよ。もう次に次にと意識が行っていたでしょう。不思議な父母会だなぁ、って思います。
-先生からすると生徒だけではなく、その父母との関わりも気を使われているのではないでしょうか?
でも教員にとってはすごく大事なことだと思うんですよね。お医者さんや教師の世界は狭いと言われます。取り引きとかあればこっちの企業あっちの企業と付き合いがあるものなんでしょうけれど、教師というのは相手にしているのが子どもなので、そういう点では教師でない大人との付き合いはすごく大事なことだと思います。
僕は長い間教師をやっているとだんだんいやな人間になるだろうとずっと思っているんですよ。それはなんでかと言うと、教師は人に言うことを聞かせてなんぼという仕事だからです。そうすると、人に言うことを聞かせることが生業の人間らしい人格に段々なっていくだろうと思っているので。普通の仕事だったら相手の言い分を聞いて自分の言い分も通すといふうになりますけど。もちろん教えることをうまくやろうと思ったら子どもの気持ちを汲んでじゃないと実際うまくはいきません。でも、教えるときには、こっちの言い分を通していくという側面が強いわけです。だから教えるという行為が成り立つんであって。でも、それをずっと続けていくと自分がだんだん嫌な人間になるだろうなぁ、と言う思いがあります。職業って人格作りますからね。
さっき万年筆の職人さんの話しましたけど、「職人気質」という言葉がありますね。職業的なものが人格に及ぼす影響というのは、教師の場合、基本的には良くないものだろうなと思っていますから、自分もお父さんお母さん方から「先生ちょっと見方が狭いわ」とか言われながらやっていかないと駄目だろうなって気がします。キレイゴトかも知れないけれど本当にそう思います。生徒にも卒業する時、「いつかどこかで会って私が教師くさ~い感じになっていたら言ってちょうだいね」って頼んでます。でも、まだ言われてないですよ。