20090425-OL-01.gif
 2009年4月25日(土)、32&33回生父母合同企画の第2回父母オリエンテーリング大会が行われました。主催者と参加者2名の感想をご紹介します。

「これぞ茗溪父母魂―アメニモマケズ、カゼニモマケズ」

第2回父母OL実行委員 32K 赤松 恵

 「これが生徒だったら、もしくは学校主催だったら中止していましたよ。」との柴田校長先生のコメントがあったという事を、第2回父母オリエンテーリング(OL)大会終了後に聞きました。
 2009年4月25日、土曜日。週間予報はずっと快晴だったのに、前日の天気予報は、「金曜日夜から雨が降り出し、土曜日は大荒れの天気、午後からは風も強まるでしょう……」
 普通なら、「中止にした方がいいんじゃないですか?」という父母が一人二人いてもよさそうなもの。が、そんな気配は一向になくむしろ、「タープをもう一つ持って行きます。」「うちもシートがあるので持って行きますね。」と飛び交う、前日のOL実行委員のメール。
 20数名のOL実行委員のほとんどは、32Kの里キャン・筑キャンボランティア経験者の父母でした。32Kは里キャンも筑キャンも大雨(というかむしろ大嵐)に見舞われ、それを乗り越えてきた学年です。当然その父母達、雨風には慣れたもの。
 当日朝6時頃にはいったん雨は上がり、これは奇跡か?と、ぬか喜び。数日前に校長先生とフィールド調査に出て決めていた場所に、前日納入されたばかりの新調のポスト(茗溪のマーク入り!)を付けて戻ってきた頃、雨はぽつぽつと降り出し(雨男パワーか?)、校長先生のコンパス講習会が終わる頃には、傘が必要な雨足になっていました。それでも皆、合羽を着て、傘を差してスタート!! 20090425-OL-02.gif
 今回は、学校の第2食堂をスタートし、小野川地区まで足を伸ばし、新設の第2グラウンドキャンプ場がゴールとなる、行程約5kmのポイントOLを行いました。コースはA〜Eの5つあり、チーム毎に振り分けられました。一番早いチームで出発から1時間20分でゴール!最終組はトップから約1時間遅れで到着。ちなみに最後の3チームはなぜか皆Cコース……何か罠でもあったかな???
 午後はスコアOLを行う予定でしたが、気温が下がってきたのでさすがに中止。 今回はタイムで順位を決め、優勝チームには校長先生より賞状の授与がありました。賞状には、書道科の窪山先生に名前を書いて頂き(賞状の文章も窪山先生に書いて頂いています!)、後日、上位3チームの全員にそれぞれお渡しいたしました。(お宝ですね♪)

 第1回父母OL大会は、32回生父母の学年行事として、昨年秋に赤塚公園で行いました。その後、もっと難しいのをやってみたいという声や他学年の父母からも希望があり、すぐに第2回を計画し始めました。時期としては学年が改まってすぐの4月、新クラスの父母同士のチーム分けにして、他の学年にも声をかけて……と構想は膨らんで行きました。でもさすがに全学年では大変かと、1つ下の学年33回生の学級委員さんに声をかけ、まずは2学年合同企画という事で実施する事にしました。当日は4月最後の土曜で、近隣の小学校のPTA総会と重なった為、前回よりも若干減りましたが、86名の参加者がありました。
20090425-OL-03.jpg
 荒天の中の強行軍でしたが、風邪を引いたとの声もなくまた、晴れていたら得られなかっただろう貴重な体験が出来たとのお言葉を戴き、まずまず楽しんで頂けたようでひと安心。多くの参加者の皆様、33回生の学級委員の皆様、32回生のOL実行委員&豚汁隊の皆様、ご協力誠にありがとうございました。
 そして何よりご多忙にもかかわらず、事前のOL案作成やフィールド調査、当日のコンパス講習会やレスキュー隊長(?) まで、ご尽力頂きました柴田校長先生、本当にありがとうございました!
 校長先生曰く、“OLには人生に役立つスキルが多く含まれている”とのこと。まだ他にもOLの方法があるそうで、自らも学びつつ、今後も多くの父母の方に“茗溪OL”を広めていきたいと考えています。

茗溪学園の校章入りの新調のポスト。 雨でびしょ濡れになってしまったので、翌日洗濯しました。


OLの感想(33回生父母の参加者より)
33回生母 押之見 香代子

 中止に違いないから、昼食のおにぎり作りを止めようと思うような天候の中、集合場所に着くと、「やるんだって!」の声が……思わず、「えーつ!」……建物の中に入ると受付の方が親切に案内をして下さいました。1・2年生のご父母、可愛いらしいご兄弟たち、すでに沢山の方々が集まっていらっしゃいます。
間もなく、地図の見方からコンパスの使い方等、校長先生の楽しい説明が始まりました。1回で分からなくても大丈夫!校長先生が各テーブルを回り、教えて下さいました。
20090425-OL-04.jpg
 さあ、いよいよ同じコース毎、グループ毎に、地図とコンパスを頼りに出発です。途中で撤退になるかもなぁ。などと思いながら傘をさし歩き始めました。私たちの班には、小学生の女の子も仲間にいて和みます。
 第1ポイントの旗は、すぐに見つかりました(うん。順調、順調♪)。
 第2ポイント……歩けど歩けど見当たりません(うーん、ポイント決め間違えた?)。出会った同じコースの班とポイント合わせをしましたが、大体同じです。しかたなく勘で進んでいたものの時間ばかりが…… とその矢先、校長先生とポイント発見です。結局、そのポイントは第6ポイントで、目指す第2ポイントはあさっての方向であることを教えてもらいました(校長先生ありがとう)。
20090425-OL-05.jpg
 第3・4・5ポイントと、どっちだ?こっちか?あっちでもない、こっちでもない……ポイント探しと会話、景色を楽しみながらなんとか進み、ポイント毎の記号を記します。すでにカッパを着ていない方の服はビショビショです。
 第6ポイントはとばし、第7ポイントまでは車が通る道路です(まだかなぁ……)。服も濡れ、靴の濡れは履いていてもいなくても同じような状態だったとはいえ、車にまでドバッと水をかけられたりと試練は続き、気温は低い上、雨も風も強く、傘は壊れてしまいそうです。道路の反対側は畑です。しっかりしたカッパを着ていた私でも寒くて寒くて。小学生にはかわいそう。それでも頑張っている子供を見ながら、この経験を力にしていって欲しいと願いました。
 第8ポイント、やった、次はゴールだ!やっと少しホッとしました。ゴールの第2グラウンド。西大通りの向こうにポツンと人影が……校長先生だぁ!……どれだけホッとしたことか。校長先生は大通りの向こう側から手招きをしています……危ないけど、伝わる親心?
 成績はビリから2番目。皆さんお待たせ致しました。グラウンドでは温かい豚汁が待っていました。美味しくいただきました。心も冷えきった身体も温まります。(茗溪ならありうるかも……)と一つだけ握ってきたおにぎりもほおばりました。
20090425-OL-06.jpg
 晴れていたらどんなに楽しかったかとも思いましたが、終わってみればそれはそれで、とてもいい思い出になりました。地図を片手にゴールを目指すなんて、久しぶりにワクワクしました。普段、あまり気にしないで通り過ぎているようなものに目を留めたりすることもできました。
 このような企画にお誘い下さった32回生の父母、また、33回生の父母、関係者の皆様、大変お世話になりありがとうございました。他の学年の方々との交流の良い機会となりました。時期が早ければ、新クラスの仲間どうし打ち解けるのにも、よい機会になると思いました。そして、地図の見方からコンパスの使い方まで、テーブルを回っては何回も教えて下さったり、大雨の中ポイントに立っていて下さったり、ゴール直前の姿にも……子供のみならず親までも……校長先生、ありがとうございました。



茗溪名物(?)オリエンテーリング
33回生父 定松宣義

 「まさかこの天気でやらないよね。第一、私雨具用意していないもん!!」と、里キャンでご一緒したある33回生のお母さんの声。また、「柴田校長先生のことだから、このくらいの雨で中止になんかしないよー。」と言う声も端の方から聞こえて来ました。そして、小雨ながらも一向に止む気配のない天候の中、オリエンテーリングが開始されようとしていました。
20090425-OL-07.jpg
 もちろん決行。スタート前に地図の見方やコンパスの使い方、地図の補正の仕方を校長先生から説明を受け、チームごとに順にスタートしました。
私自身はオリエンテーリング初挑戦。小六の息子と参加しましたが、ポスト(チェックポイントのようなもの)を通過するたびにチームみんなで味わえる何ともいえない気持ち良さが、強くなる一方である雨の不快さを吹き飛ばしてくれたように感じました(少々大袈裟ですが……)。
 今回は、32回生父母会の方々が開いていただいた催しに、私たち33回生父母が便乗させていただきましたが、33回生父母の方々からも「今度は33回生父母で是非開きたいですね!!」といううれしい声も聞かれました。
 約1時間半後、ゴールである第2グラウンド(通称:2グラ)に到着。父母会手作りの豚汁が振る舞われ、雨で冷え切った体を暖めながら、とてもおいしくいただきました。天候には恵まれなかったオリエンテーリングでしたが、父母会の皆様の情熱に恵まれたとてもすばらしいイベントだったと思います。
20090425-OL-08.jpg
 「オリエンテーリングまたやりたい?」と、一緒に参加した息子に聞いてみたら、「いい天気の中でまたやりたい。」と言っていました。
 優勝は、雨具の用意がなかったチームの方だったという皮肉な結果でした(失礼!!)。
 一度は自分もやってみたかった茗溪名物(?)オリエンテーリングに参加でき、生徒たちの楽しみ(苦しみ?)を共有できたことはとても大きな喜びです。
 企画運営された父母会役員の皆様、本当にありがとうございました。そして、豚汁ごちそうさまでした。
 また次にお会いできることを楽しみにして、今回の報告とさせていただきます。
 皆さん、お疲れ様でした……

Posted by staff
平成20年度6年学年委員長 齊藤 修一

 6年生(高校3年)の父母会活動は、卒業式後の「卒業記念パーティー」の準備が主なものです。学級委員12名の他に、夏休み前の実行委員募集に応募してくださった父母を合わせて、卒業パーティー実行委員会は54名となりました。本来であるなら子供の進学で忙しく思い煩う時期に多くのご参加を頂けた事は大変ありがたく、心強く感じました。9月以降に毎月開催される委員会では、多彩なアイディアを出し合うと共に父母同士の交流を深めることが出来て、大変充実した活動となりました。
 卒業式は3月15日。日曜日のため、その後の卒業パーティーの出席者も例年よりも多いだろうと予想されました。会場は5年生(高校2年)の時の役員の方が早めに確保してくださっていたため、ホテルグランド東雲の大宴会場で開催することができました。日程が土日祝日にあたる場合は、1年以上前に予約をしておかないと難しいでしょう。そのような年度を越える予約等は、今後父母会全体で対応すべき課題かと思います。
 当日の参加者は卒業生、先生方、来賓、父母を合わせて600名を超えましたが、会場にはゆとりがありました。生徒たちは先生や友人と談笑し合ううちに、約2時間のパーティーはあっという間にお開きとなりました。

20090315-01.jpg

 その中でも特筆すべきは生徒企画のアトラクションでしょうか。有志による漫才は今までの学校行事でも評判が高いものでしたし、学年全体での合唱は茗溪学園での様々な思いを込めた素晴らしい歌声でした。
 そして、何よりも感動的だったのは、先生方にも秘密にされていたサプライズ企画でした。それは、この3月末で退職された学年主任の名波先生への、28回生全員からのメッセージ。花束を抱いた名波先生の目には光るものがあり、その場にいた父母も、先生を慕う生徒たちの心に触れて、大変盛り上がった素晴らしい企画となりました。

20090315-02.jpg

 卒業パーティーは父母会主催で行われ、お世話になった先生方をお招きして卒業生の門出を祝うという趣旨で開催されます。今回のパーティーは、生徒たちの創造力と実行力に助けられ、父母側の実行委員はほんの少し力を貸しただけでした。
 中学1年生の里美キャンプの時に、「この学年は進化する学年だ」と評された28回生。最後の行事で大きく頼もしく成長した姿を見せてくれました。これからさらに進化していくであろう彼らが、とても楽しみです。素直にまっすぐに伸びてくれた28回生の卒業パーティーに関わることができ、役員をお引き受けしてよかったと思っています。


28回生卒業記念品「礎―生命の石2008」について

28回生6年F組担任(美術科教諭) 藤嶋 明範

 28回生の卒業記念品は、石の彫刻のモニュメントです。

20090315-03.jpg

 この彫刻につかわれている石は、クンナムというインド産黒御影石です。非常に硬く、重いという特徴があります。
 この彫刻のテーマは「生命」です。四角い石の中に生命が息づいている様子を表現しています。四角い石の中には核(コア)があって、このコアから形が張り出してきています。注意深く見ると四角い石の中に、人がうずくまっている様子が浮かび上がってきます。また、見ようによっては分裂を始めた細胞にも見えると思います。
 石の表面の仕上げは、わざと無数のノミ跡を残して磨いています。墓石のようにノミ跡を残さない仕上げの仕方もありますが、私はあえてノミ跡を残すことによって、生命的な奥深さを表現しようとしました。磨きに使用する砥石は、粗さが7段階あります。粗い砥石から順に、水をかけながら磨いていきます。この順番を飛ばしたり、かけ方が甘いと荒い砥石の傷が残ってしまいます。妥協せずに磨かなければなりません。
 さて、このモニュメントの基礎部分には28回生の手形を埋め込みます。3月14日のホームルームで、28回卒業生全員の手形を粘土で作りました。それを乾燥させ、1230度Cで焼き上げて、5月頃にコンクリートで埋設します。
 茗溪学園での生活は、卒業生の今後の人生の礎(いしずえ)であると思います。茗溪学園で築いた確かな礎をもとに、それぞれの人生を豊かに歩んでいってほしい。その象徴として、このモニュメントが定着していくことを、作者として強く望んでいます。

Posted by staff
平成20年度5年学年委員長 高木 優

 29回生、平成20年度学年委員長を努めさせて頂きました高木です。
 29回生は、赤塚公園の森に住む福朗氏※ 曰く、近年まれに見る元気な(いろんな意味で)学年だそうです。その勢いは、学年が進むごとに増し、試行錯誤しながらも自己解放をどんどん進めてきた様に見えます。また、同時に、感心なことに、自己制限も出来る様になり、責任感も増してきたようです。尤も、本学年にしか子供が茗溪にいないので、他の学年との比較は容易でありませんが、長年茗溪生を見守っている福朗氏の観察力は、的を射ていると思います。5年生は、進学が関係するので、もう同じクラスになれない友達が出来てしまうことを受け入れ、新しいクラスが始まりました。これから記載する内容の大半は、子供からの情報なので、バイアスが入っているかも知れませんが、悪しからずご了承下さい。
 5年生としての新年度は、自己陶酔した新入生入学式歓迎合唱に始まり、桐創祭でまず最初の盛り上がりを迎えました。5年次は、昨年度と違い、個人課題研究(通称コジケン)という大きな課題があります。そのため、桐創祭の準備に集中できないかと思いきや、全くそんなことはなく、準備に明け暮れていたようです。その集中力や、すごい。毎日聞く話では、桐創祭当日までには、決して完成しなさそうで。しかし、それは、単に杞憂に過ぎず、ごく自然に遅れているパートを他の担当者が手伝って無事完成したとのこと。結構連帯感もあるのね、感心です。
 ※福朗氏=29回生学年主任内窪先生

 5年生の大きな行事は、コジケンと海外研修旅行です。福朗氏のホームページ※※ を拝見していると、先生方の下見視察が盛り上がっているように見受けられましたが、本番では、生徒の興奮ぶりが目に浮かぶような充実かつ楽しい研修旅行だったようです。帰国後、父母のみなさんからは、普段学校のことを聞いても余り話してくれない生徒が、自分からどれだけ楽しかったか、どんどん話してくれたと伺いました。もちろん我が子も。単なる修学旅行では、経験できない茗溪学園ならではの研修旅行だったようです。主役は、生徒ですが、それをプログラムされた先生方に感謝です。

※※福朗氏のホームページ=29回生の保護者向け学年ホームページ

 コジケンは、すばらしい課題です。現時点では、まさに茗溪学園でしか成し得ることが出来ない課題でしょう。同時に、生徒諸君は、大変な努力を要求されます。先生方のご尽力はもちろんのこと、家族もしかり。締め切り間近でイライラしたお子様に困られた父母の方もあったようです。でもでも、1月末の個人研究課題発表会では、多数の発表希望者が、見事な発表を行ったとのこと。さすが茗溪生。何度この言葉を言っても飽きないですね。最近、生物関連の学会で高校生発表ブースを設けている所があり、そこでの高校生の発表には、すばらしいものが見受けられます。茗溪生を含め、このような積極的、優秀な高校生がもっともっと育ってくれれば、日本は安泰です。
 2月には、茗溪生として最後の短期入寮。そして六送会。某生徒曰く「楽しんだ、盛り上がった、感動した」そうです。尤も、六年生はどう感じてくれたかについては、教えてくれませんでしたが、福朗氏のビデオを拝見すると、某生徒が教えてくれたその通りだったようです。
 さてさて、20年度学年委員長としては、満足な活動もせず、もう少し何か出来たのではないかとういう感と努力不足を反省しています。21年度最後の行事に向けた充電時間と考えれば良いと暖かい言葉を頂きましたが、早いもので、今年は、29回生の最終学年になります。正直言って大変寂しい気がします。出来ることなら、学年全体の父母の輪をもっともっと広げたいですね。このすばらしい教育を行っている茗溪学園に関わりを持てたこと、また、多くの父母の方々とお知り合いになれたことに感謝して、学年委員長の締めくくりとします。29回生学年委員の皆様、副委員長の深田さんを含め、皆様に感謝します。ありがとうございました。

Posted by staff

イメージ

 平成20年10月25日(土) 、32回生父母会主催によるオリエンテーリング大会を開催しました。フィールドに出る前に第2食堂2階で行われたオリエンテーリング事前講習会、その後、茗溪学園に隣接する赤塚公園にてコンパスと地図を片手にオリエンテーリングを体験しました。当日は、心配された天候も回復し、父母82名、兄弟20名(2〜12歳)の合計102名もの参加者で賑わいました。その模様を紹介します。

「出会い、不安・・・そして笑顔」

平成20年度2年学年委員長 赤松 恵

説明する校長先生

 「えーとですね、スタート地点から初めのポストまでチーム全員で行って、その後一人ずつに別れてそれぞれのポストを目指し、最後のポストでまたチームのメンバーと合流し、チーム全員揃ってゴールに帰ってきます…。」と聞いた途端、一人一人の責任の重大さを感じとったのか、真剣な顔つきになった父母達。第1回32回生父母オリエンテーリング大会は、柴田校長先生によるコンパスの使い方と地図の見方の講習会から始まりました。ぎりぎりまで雨の予報だった天気も、父母の熱意が届いたのか朝には雨は上がり、総勢102名の父母と子供達が赤塚公園に集いました。コンパスの練習では、進む方向が皆と正反対を指している方が数名いて、ちょっと心配が残る中、スタート!

大会風景

 制限時間内で決められたポイントで合流して次のポストを目指すという方法や、公園内に設置されたポストをすべて地図上に記載する方法などで、1時間半ほど赤塚公園内を歩き廻りました。数名の方のチェックシートにはなぜかミスがあり(校長先生のしかけた罠ではありません)、時間ぎりぎりの方もいましたが、皆、無事にゴール!!
 さて、なぜ今回突然、父母のためのオリエンテーリング大会?私は里キャン、筑キャンとも父母のボランティアとして参加して、そこで茗溪のオリエンテーリング(OL)というものを知りました。“半端ではない”ことを、です。
 里キャンでは自分自身地図を読み間違えたばかりに、立哨ポイントが判らず、山一つ下って登るという羽目に陥りました。また、準備と言われて校長先生と里美の山に入ったお父さん達は、泣きそうな程ぐったりして戻ってきました。なんと斜面の草を刈り、新たな道を作って来たとの事。そう、茗溪OLは道なき道を歩むのです。
 今までやった事があるOLの様に道なりに進めばポストがある、というものではありません。コンパスで方向を測り、地図上のどこに自分がいるのか把握しないといけません。うっかりすると逆方向に行ってしまうことも。実際今年の筑キャンでもいました、遭難者?

相談中?

 これは面白い!という事で、キャンプに行けなかった父母も是非体験し、茗溪OLを少しでも味わって頂きたいと考え、今回のオリエンテーリング父母会を計画しました。通常の父母会では、なかなか他の父母と話す機会がないのですが、OLでは初めて会う父母とも歩きながら気軽におしゃべりも出来ますし、何よりチームの仲間で協力しないとゴール出来ません。また、小さいお子様がいてなかなか参加できないお母さんにも気軽に参加してもらえましたし、父母同士交流を深め、さらに茗溪学園での生徒達の活動を少しでも味わう事で、親子の話題のきっかけ作りになったのではないかと思います。
 それにしても一番楽しそうだったのは校長先生でしたでしょうか。校長先生始め、色々ご手配くださった島先生、朝から急遽ポスト付けに走ってくださった芥川先生、他多くの先生方や父母の皆様、ご協力いただきましてどうも有難うございました。
 最初はコンパスを片手に不安顔だった父母の皆さんも、終了後は、もっと難しいのをやりたい!と向上心そして笑顔に溢れていたのには驚きと感動でした。次回はどこまで行きましょうか?

オリエンテーリング大会参加者の皆さん

※里キャン:中学1年生行事の里美キャンプ、筑キャン:中学2年生行事の筑波山キャンプ
※「OL」の語源:ドイツ語「Orientierungs Lauf(方向を定めて走るの意)」

Posted by staff

卒業記念「茗溪バリアフリー基金・ウィッシュ」

6年学年委員長 平沼ゆり

 27回生の卒業記念として「茗溪バリアフリー基金・ウィッシュ」を創設しました。
 27回生には身体的ハンディキャップを持ち、車椅子、松葉杖を使って学校生活を送った生徒さんがいました。体育の授業や、移動のある授業では遅刻してしまったり、お昼を食べはぐってしまったり、保健室へ行こうと思っても時間がなくて行けなかったり、たくさんの苦労がありました。校外のフィールドワークも多々の困難を抱えつつ、しっかり参加し、クリアされました。学校はスロープの設置、授業の組み方、学年の教室階を低くするなど、できるだけの配慮はして下さいましたし、友達の助けもありました。でも他の生徒達より、ずっと苦労が多かったのは事実です。以前より、学年の父母の間で、エレベーターは設置できないのか、等の声もありましたが、現実には難しいことでした。
 27回生が卒業するに当たり、在学中には何もできなかったけれど、これから入ってくるハンディキャップを持つ生徒、また、茗溪はスポーツが盛んなので、ケガをして一時的にハンディキャップを持つ生徒はたくさんおります、こういった生徒たちが、他の生徒と同じように生活できる環境を整えていただこうと、「茗溪バリアフリー基金・ウィッシュ」を卒業パーティー実行委員会で考案し、学校側にも許可をいただきました。学校の設備の充実、フィールドワークの際のヘルパー等、用途は学校に一任致します。
 今回の基金の額は小額ですので、これだけでは何もできません。今後、父母会行事、「バザー」や「レストランおかあさん」卒業パーティーの残金等、父母の皆様のご好意で、基金を膨らませていって頂きたいと考えています。そのため、基金の名称には27回生の名前は入れませんでした。ただ、私たち27回生父母の「願い」という意味を込めて、「茗溪バリアフリー基金・ウィッシュ」としました。
 私達は卒業しますが、これからの茗溪の生徒のために、「茗溪バリアフリー基金・ウィッシュ」を知っていただき、大きく育て、そして有効に使っていただけますよう、父母の皆様にお願い致します。

[注:卒業記念「水銀灯」の竣工を待って掲載しました]



卒業記念「水銀灯」
27回生学年主任 佐藤賢士

 今年度卒業された27回生の皆さんより卒業記念品として「水銀灯」が寄贈されました。茗溪学園ラグビーグラウンド横の駐車場入り口周辺と、学校前の通学路を明るくする「灯り」が設置されます。

20080906-27K.jpg
(2008年9月6日撮影)

 平成20年3月15日、27回生262名は、茗溪学園でのたくさんの思い出を胸に巣立っていきました。前日は雨となり当日の天候も心配されましたが、朝から晴天となり清々しい空気の中、卒業式が挙行されました。一人一人卒業生の名前が呼ばれ、壇上に上がり、万感の思いを持ってそれぞれが「卒業証書」を受け取りました。生徒会長の送辞の後、答辞を読み上げた前生徒会長の杉野慧さんの一言一言に、参列者の多くの方々が涙を流されていました。校歌、蛍の光を斉唱後、体育館を退場する際には、会場割れんばかりの拍手の中、27回生の多くも涙を流しながら、退場していきました。茗溪学園でこれまで頑張った自分に対して、様々な活動の中で苦楽を共にした友人との別れを惜しんで、あるいは新しい出発を迎えられる喜びの涙など、これまでの充実した学園生活を象徴するかのような、それぞれの涙であったと思います。27回生は明るく、素直で、がんばり屋の多い、とても素晴らしい学年でした。
 今回寄贈いただいた水銀灯は、まさに27回生持ち前の「明るさ」を象徴していると思います。その明るさを放つ水銀灯を、これから放課後の茗溪学園の後輩たちの安全を照らす「灯り」としていつまでも大切にしたいと思います。27回生の皆さん、これまで学園を支えていただいたご父母の皆様には、在校生、教職員一同より心より感謝申し上げます。ありがとうございました。彼らのさらなる活躍に期待しております。

Posted by staff

茗渓学園29回生学年父母会パネルディスカッション前編からつづく)

● 今だから話せる親、先生との関係

山本 僕は14回生で高校生時代が大分昔のことになり、あまり思い出せないですが、記憶に残っている親との話は勉強の話題でした。「勉強しなさい」とよく言われていたように思います。ほかに部活の話、当時柔道部でしたので階級に合わせて減量しなくてはならず、食事のことなどをよく話していました。先生との関係は、いろいろと親身になってくれた先生のことは非常に印象に残っています。中学時代すでに英語は取り残されていて、英語の先生に毎日「私のところへ来なさい」と言われて、放課後よく教えてもらっていました。その先生の努力も空しくあまり成果が上がらなかったのですけれど・・・(笑い)でもそのように声をかけていただき、教えてもらったことが嬉しかったですね。高校時代は、高島先生が学年主任でさらにベーシックの先生だったこともあって、勉強の仕方をいろいろとアドバイスをしていただきました。そのほか柔道部の監督の先生との関係が深かったですね。高校に入り試合に勝てるようになってきた頃から部活が面白くなってのめり込んでいったのですが、部活の先生とはいろいろ話をしました。叱られもしました。素行について、柔道に対する態度について・・・。「柔道は相手があって初めて成り立つのだから相手を思いやることが大切だ」とか、「強くなればそれでいいというわけじゃない」とかいろいろな面で話をしてくれたことがとても心に残っています。この柔道部の監督の先生が僕らの学年の担任の先生だったのですが、高校3年の1学期が終わる時、先生ご自身がハワイ大学大学院へ進学するために茗溪を辞めてしまったのです。(驚きの声)これってすごいことですけど、今思うと周りの先生は大変だったかなと、今教員をしている立場では思いますけど・・・。でも自分がやりたいことに向かって進んでいく先生の姿は、当時の僕たちにとってはとても刺激的ですごく印象深く残っています。

高島 その先生は、柔道部顧問の先生で高校3年の担任だったのですけど、4月頃でしたか、私のところへ来てハワイ大学の大学院に行きたいので推薦状を書いて欲しい、というのです。どうせ受からないと本人も言うので推薦状を書いたら、なんとこれが、合格してしまったんですね。高校3年の7月ですよ、学年主任だった私は大変困って、急遽クラス父母会を開いて保護者の方達に説明とお願いをしたわけです。この先生は元々青年海外協力隊でケニアに3年滞在されていて、奥様はケニア人です。そして帰国後茗溪へ来られた先生でした。公衆衛生をもっと勉強して、発展途上国の公衆衛生に貢献したいというご希望をお持ちでした。とにかく保護者の皆様にお願いしたわけです。土下座せんばかりに・・・。すると心の広いご父母の皆様がご理解を示して下さった。「進路指導を自ら体現されるとは茗溪の先生とは素晴らしい」と。どこが素晴らしいんだか(笑い)・・でも有難かったですね。でもこの出来事は、確かに子供たちにとっては大変な刺激にはなったと思います。歳がいっても向学心を持ち続ける、学ぶということは、いくつになっても学べるんだな、と思ったと思いますね。後日談があるんですが、2年後この先生帰国されましてね、私のところへ帰国の挨拶にみえた。その時「ところで先生、どこか就職先斡旋して頂けないですか」って。(笑い)結局私の知り合いがいる国連の下部機関に紹介して、彼就職しました。

小室 親には「勉強しろ、勉強しろ」と言われたことしか記憶にないですね。時々は良いことも言われていたかもしれないのですが、どれが大事なことでどれが小言だったか、当時は分からなかったというのが正直なところです。子供としてはなかなか親の言うことの真意が読めなかったのだと思います。その中で母が泣いて話してくれたことなどは心に残っています。子供の立場としては、もう少し正面から向き合ってもらえたら、納得できた部分もあったと思うし、言いたいことが言えたのかもしれません。まあ当時は、部活終わって遊んで帰って寝るだけの毎日だったので、いろいろ言われても仕方がないような生活でしたから・・・。今思えば、もう少しこちらも真摯に受け止めればよかったと思います。(笑い)先生との関係では、部活の先生方、池田先生、吉田先生に大変お世話になりました。土日もずっと一緒にいる時間が多かったので、勉強以外のことをずいぶん相談にのってもらいました。受験では高島先生には非常にお世話になりました。現在も寮生補習(寮生対象の勉強指導)で茗溪学園にお世話になっています。先生方と高校時代には出来なかった関係が築けていて有難いと思います。高校時代にも自分からもっと心を開いて先生方に向かっていければよかった、もったいないことをしたなというのが正直なところです。あの頃もっと大人のいうことを聞いていれば、こんなに回り道はしなかったかなと思います。(笑い)

大澤 私は高校生時代、父親との関係がとても悪かったですね。私が反抗期でまだ幼かったことがその原因だと思うのですが、高校の間ほとんど話をしない状態でした。父には、私が理由を言う前に頭から怒られることが多く、私は父と顔を合わせたくなく逃げ回っていました。テストの成績個票が返ってきた時など、正座をさせられて、「何なんだ、この成績は。おまえ何の勉強してたんだ。言ってみろ」と始まるわけです。父とはホントに上手くいかず、外で仕事を一所懸命してくれているにも関わらず、父に朝「おはよう」も言わなければ、帰宅時に「お帰りなさい」の挨拶もしない3年間でした。その間に立った母は大変だったと思います。私は父と直接会話したくないので母に「お父さんに言っておいて」と伝言を頼み、父からは「なんだ、あいつは。おまえがちゃんと言わないからだ」と言われて、母には私と父との板挟みになって苦しい思いをさせてしまいました。今は、父とも良い関係を作れるようになって、一緒に食事に行ったり、買い物に行ってねだったりも出来るようになりましたけれど。(笑い)家を出て一人暮らしをするようになって初めて、食事を作る大変さ、掃除洗濯などの毎日の仕事の大変さを知りましたし、また自分がお金を稼ぐようになって、親が私のために、茗溪を卒業させるのに使ったお金の金額を考えると、私はあと何年働けばいいのだろうと思ったりしました。家を出てから、親との関係が少し近くなったと思います。今だから笑って話せますが、その当時は父とは戦いでした。先生方には大変可愛がって頂いて、勉強の面でも補習でもお世話になりました。もちろんバトミントン部の先生方には大変お世話になりました。現在私も学校でバドミントン部の顧問をしておりまして茗溪のバドミントン部の先生方、小野満先生、尾島先生、黒澤先生には、試合会場でお会いする機会があります。その当時は練習する意味も分からず、言われるままにやっていただけなのですが、今自分が教える立場に立ってみて、先生方がどれほどの時間を私たちのために使って下さっていたかということが改めて身にしみます。茗溪の選手は、準決勝、決勝と勝ち残っていく選手ばかりですので、いつの日か、私の学校の生徒達も茗溪の選手達と戦える日がくると良いなあと思っています。

菅谷 僕の場合、親との関係はとても良好でした。茗溪に子供を入れている親御さんは、高学歴の方、社会的に成功している方が多いように個人的に思うのですが、ウチの両親はそうではなかったので子供にとってはとても助かりました。父親は人に迷惑をかけるなということぐらいしか言わず、周りの友達と比べるとあまりうるさく言われない家庭だったと思います。とてもフランクな関係で、規律もあまり厳しくなく、何でも話を聞いてくれて認めてくれたところが親として尊敬できたし、すごく有難かったですね。先生との関係は、僕は高校2年まで成績が悪く、2年から3年になる時担任の先生に法政大学に行きたいといったら、「今からやれば間に合う。おまえなら出来る」と言ってもらって、今思うとかなり楽観的な先生の発言とは思うのですが(笑い)、おまえなら出来ると認めてもらったのが嬉しかったですね。「ただし今のままではダメだ。どうやったら出来るかしっかり自分で考えろ」と言われて、取り組み始めたのですが、まあそれまで勉強というものをやったことがなかったので、やってみたら結構面白かったんですね。それでまあ無事受験に成功したわけです。その先生の言葉にとても励まされたと思っています。

● 父母への一言

菅谷 子供が200人いれば、1番から200番までいるのは当然であり、下の方にいても大学には行けると思うので、子供にあまり辛らつな言葉をかけないようお願いしたいです。「褒めて伸ばす」というか、「おまえなら出来る」といって励まして、やり方だけ指導してあげればいいのではと思います。最後に父親から言われたことで一つよかったなと思うことがあるのですが、ウチの父親はうるさくガミガミいうことは嫌いなほうで、ある時、いろいろと話をした後に、父親が「これはあくまで助言だから、最終的に決めるのはおまえだ」と言ってくれたのがとても嬉しく心に残っています。

大澤 父母会を開くと、これだけのお父さんお母さんが集まられる、これだけ子供の進路、将来に関心を、力を注ぐということ自体、なかなかないことだと思うので、自分が茗溪という恵まれた環境で教育を受けていたのだなと改めて思います。私は高校時代アルバイトをすることもなく全ての時間を自分のためにのみ使っていたわけですが、私がいま接している子供達の中には、自分の学費の為にアルバイトをしている子もいます。私はまだ結婚もしていないし、子供を育てているわけでもないので、偉そうなことはとても言えませんが、皆さんとお子さんとの関係を私と自分の生徒との関係に置き換えて考えてみると、私も自分の生徒に何度言ってもどんなに伝えようとしても伝わらないことがあるのです。でもなかなか通じないと思っても諦めず根気よく伝え続けることが大事なのではと思います。こちらから見ているとこうすればいいのに、絶対あなたのためになるのにと思っても、本人にしてみれば、「私はそうは思わない」「今そうはしたくない」としか思えず、返されてしまうことも多いのです。でもずっと言い続けていけば、いつかは通じるのではという気がしています。私は、高校時代なかなか親との関係が上手くいかず、理由も聞かれずに一方的に怒られたという思いがあるので、皆さんは、親として心配でお子さんに言いたいことが沢山おありだと思いますが、少し引いて相手を受け止めてから助言していくというのがいいのではないかと思います。とてもそんなことを言える立場ではないのですけど・・・。

小室 この頃思うのは自分が父親に似てきたなということです。外見も性格も良くも悪くも・・・。父親は勉強に関しても生活に関してもほとんど何も言わない人でした。無口でひたすら仕事に打ち込んで、子供には父親の背中を見せるというか。でも子供としては、困った時は何か信号を出しているので、まあ自分も出していた立場だったのですが、その信号をキャッチしてもらうと嬉しくて色々話すし、受け止めてもらえないと落ち込むということがありました。ですからやはりできれば、見逃さず受け止めてあげて欲しいのです。受け止めてもらえれば子供は嬉しいはずです。自分自身も親身になって親が受け止めてくれたことが、その後の自分の支えになっているように思います。

山本 今、僕は大学で学生を教えている立場なのですが、その学生を見ていると、うちの大学は歯学部なので歯医者さんになりたい学生なわけですが、ほとんどが親に言われて、親の跡を継ぐために大学に入って来ているのです。「君は本当に歯医者になりたいのか」と訊くと、「そうでもない、親が望むから」と答える子が多く、本当に興味を持っているのか疑問に思うことがあります。その中で本人は勉強に行き詰まっている、大学に入ると覚える知識も格段に増えるので、本人の目的意識が育っていないと、とても辛い勉強になってしまうのです。僕の父親は工学系の技術者なのですが、僕にも工学系に進んでもらいたいと思っていました。僕が個人研で工学系のことをやっていたら嬉しそうでした、まあ結局僕の進路は違ってしまったわけですけど・・・。僕が大学院へ入って修士、博士と進み、研究者への道を行くと言った時には、親にはとても反対され、ずいぶん衝突しました。僕も高校時代、その時は工学系を考えていたわけですが、工学系の道のためには勉強して、その学部に入らなければいけないということはよく親に言われました。歯医者さんも歯医者になるにはどうしても歯学部に入って、国家試験に合格しなければならないわけですね。でも高校生のころはなかなか聞く耳を持てない、勉強しなければ大学に入れないことは分かりますが、その先にあるものが全く見えないのです。「勉強しろ」というだけでは、なぜ勉強しなければならないかということは、本当のところは高校生くらいではなかなか分からないのだと思います。ですから、親御さんがご自身の仕事に誇りを持っているのなら、その自分の仕事について、もう少し子供に話をしてあげると良いのではないかと思います。歯医者とか医者とかは、患者さんのことはあまり話せないのかもしれませんが、その職業を通じてどんな人と繋がりがあるとか、こんなことがあって感謝されたとか、仕事の周りのことを伝えたり、また親自身、若い頃こんなことがあったとか、自分はこう思ったとか、勉強と少しはなれた会話を通じて色々なことを語ってあげれば、子供も跡を継いでもいいかなと思うかもしれません。「勉強しろ」だけで跡継ぎを育てるのは難しいかと思いますね。(笑い)その子が勉強が出来て優秀であれば問題ないのですが、ついていけなくなってしまう子の場合、目的意識を持たせてあげると、もうひと踏ん張りできるのではないかと思います。目的を持たせてあげるような会話をするのは良いと思います。とても偉そうなことを言えた義理ではないのですが、大学に入っても目的意識の低い学生を目にすることから、また自分自身を振り返っても親との間にあまりそういう会話がなかったような気がするので、この頃そう思うようになりました。

高島 私が進路指導をしてからずいぶん長くなるのですが、ここ数年感じるのは、自己肯定感を持てない子が多くなっていることです。「自分は生きている価値があるのか」と思う子、悩む子が結構多いのです。特に女の子とか、まじめな子ほど思い悩む子が多いと感じます。悪いところばかり指摘していると「自分が生きていていいのか、存在している意味があるのか」と思ってしまうのです。良いところも悪いところも全部ひっくるめた「おまえが大事」で、「おまえがいてくれることでお父さんお母さんが幸せだと思える」「おまえがいてくれるから毎日が楽しい」ということをいかに子供に伝えるかが大切です。そこを伝えてこそ、「勉強をしなくてはダメじゃないか」という言葉も響いていくのではないでしょうか。私は毎年言っているのですが、進路を考える時に大事なのは、信頼と自己決定ですね。菅谷君のお父さんが「最終的にお前が決めることだ」と言われたのはとても大事なことです。その前に大事なのが信頼することです。子供の心に残っていくのは親から如何に愛されたか、つまり信頼されたかということだと思います。信頼するというのは、ただ単に子供の言うことを鵜呑みにすることではありません。よくあるのは、生徒と教師の会話の中で「おまえまたそんなウソついて。」と教師が言うと「先生、子供を信頼しないのですか。」なんていうやりとりがありますが、あれは信頼ではないのです。子供は必ずウソをつく、ウソをつかない子はいません。問題は一旦何かが起こった時に、教員や親が本当に正面から向き合って、「おまえのことを思うから、おまえはそんなウソをついていてはダメだよ」と本気で話をする時に、このことは必ず子供に伝わるという点で信頼するということです。子供をいかに信頼するか、信頼の具体的な尺度とは何かというと、それは自己決定をどこまでさせるかということです。信頼していなければ自己決定なんてさせられないのです。失敗してもいいから、子供に最後の決断をさせるということです。親が何も言ってはいけないということではありません。親はいろんなことを言うべきです。ただ子供が嫌がっているのにさせるのではなく、いろんな意見を言って、最後は自分で決めなさいと言えることです。自己決定をすることによって、その責任は自分が取らなければならないということを学ぶんですね。親や教員が言ったからやるというのでは、失敗した時に他人のせいにして、自分は本当はやりたくなかったなどと後から言うのです。そのようなことにならないようしなくてはいけないのです。そういう意味で信頼と自己決定は非常に大切なのですね。今日は4人の卒業生の話を聞いていて、人選は正解だったなと思うし、ここまで成長するんだなぁと嬉しく思いました。4人とも今後とも頑張って下さい。

司会 ありがとうございました。最後に今日のテーマでもある「道しるべになったもの」ということで一言おねがいします。

山本 道しるべになったものといっても目標にしているものも特にないのですが、大学在学中に思ったことがあります。大学院に進学するにあたって親から大反対をうけ、自分でもどうするか悩んでいる時に、やはり自分の好きなようにやってみようかなと自分自身で決めたことです。この時から自分の道を歩きはじめられたかなと思います。反対をしていた親も、就職してからは理解してくれるようになりました。

小室 僕の道しるべとなっているものは夢です。医師になりたいという夢です。何事にも健康が一番だと思っているので・・・。夢があって、その夢にむかって突き進むのみだと自分では考えています。そのなかでもやはり勉強がつねに大事なことで、勉強をするにあたって道しるべになっていることが2つあります。1つは勉強が良くできる友達がいて、その友人に大変難しい問題を見せた時に、「ああこの問題知っている」と言われたことが印象に残っています。勉強ができる人は頭が良いから勉強ができるのではなく、それはたくさんの問題を解いているからこそ勉強ができるのだということをその時に実感しました。そしてそれが大事なのだと自分の勉強の道しるべになりました。もう一つ、自分自身は試験があると試験日までを逆算して勉強をしてきたような気がするのですが、先生方が勉強というのは引き算、割り算でやるのではなく、たし算で積み重ねてゆくのだということを言われ、1つ1つを積み重ねて勉強をしてゆくことが大事なだということを知り、これが道しるべとなりました。この2つの道しるべを持って自分の夢に向かってこれからも突き進んでいこうと思っています。

大澤 私の道しるべになったものは父や母の姿です。衝突をして、反抗もし、数え切れないほどのけんかもしましたが、やはり最終的に自分が迷った時、苦しい時に助けてくれたのは父であり、母であったと思います。厳しさと優しさ、暖かさの中にいたからこそいろいろなことに挑戦ができたと思います。だから迷った時などに背中を押してくれた親の姿が今は私の道しるべになっていると思います

菅谷 道しるべになったもの、今考えてみると3つのことがあると思います。まず自分の根底になっているのは6年間続けた部活があったと思います。高校1年生のご両親ということですが、今部活を辞めることを考えているお子さんもいると思いますが、いろいろ進む道はあるかと思いますが、できる限り続け欲しいと思います。人生の中で6年間続けて何かをやるということは仕事以外そうないと思います。自分でもその6年間が自分の道しるべになったと思います。6年間部活を続けたこと、その仲間たちがいままでやってきたささえになっていると思います。もうひとつは両親の姿です。子供が親の話を聞く時、自分の両親を尊敬できるということは大事だと思います。だからお子さんにお仕事の話とか、ご自分の話などをしてあげると良いと思います。自分は父に仕事の場所などにつれていってもらったりしてその姿を見せてもらったことはとても良かったと感じました。最後はある人に言われたのですが、夢を叶えるためにはその自分のやりたいことを言葉に出して言うことが大事だと思います。だから子供がバカなことを言っているなと思う時にもその夢の話を聞いてあげると良いと思います

高島 親も教師も本気になるか、ならないかというところが大事だと思います。あと先ほど大澤さんの話にも出てきましたが、子供が迷っている時にちょっと背中を押してやることが大事であると思います。皆様のお子さんは、力はあるのです。それなりにみんな良いところを持っているのです。そこをちょっと押してあげることです。そして背中を押すためには日頃から本気で向き合えるかどうかがキーワードになっていくと思いました。今日は私自身もいろいろ学ぶことができました。茗溪学園は多様な子供がいて本当に良い学校だと思いました。本当にありがとうございました。

〈参加した父母の声〉

◇まだ高校1年生で将来の事については漠然としか考えていないし、あまり実感としてないと思いますが、茗溪での個人課題研究、その他教育が土台となり、いざ進路を考える時には道を開くことが出来ると感じました。芯の部分でパネリストの皆さんがとてもしっかりしていると思いました。
◇たいへん楽しく過ごしました。茗溪生の強さ、やさしさをあらためて感じました。茗溪生の父母でよかったと思っています。子供にも茗溪生活を楽しんで欲しいと思いました。
◇具体的な話が聞けて本当に参考になりました。特に自分の子供と同じ状況であったり、同じ目的を持っている話も多く、とても有意義な時間でした。子供にも聞かせてあげたい話題もありました。子供の気持ちを考えてあげるよい機会になりました。即、実行です。私も頑張る力がわいてきました。
◇パネリストの方々はしっかりした意見を持って生活をしている卒業生の若者だと思いました。学生時代に何が大切なのか具体的な話が聞けて参考になりました。ユーモアあふれる話には好感が持てました。先生のコメントも良かったです。ありがとうございました。
◇子供を尊重し、見守ることが一番大切だとあらためて思い直しました。親子が精神的に近い距離で過ごせる時間は残り少ないことを実感しました。あと2年の茗溪での生活を信じ、サポートしていきたいです。今日は生の声を聞けて本当に良かったです。
◇4人の方のお話は、私にとってもこれからの道しるべになりました。子供たちにもこのような機会を沢山作っていただけたら、と思いました。とても充実した時間でした。ありがとうございました。
◇口うるさく言っているばかりで、こちらも嫌な思いをしていましたが、四六時中というのはやはり相手も右から左で聞いていないとわかりました。見守るということをしたいと思ってはいますがなかなか難しいところです。最後はやはり本人がどうなりたいか、それを自分で良く見つめ考えること、こちらはそれを見守る努力と心に届く言葉かけをしたいと思いました。
◇「目的意識をもち続ける」ことの大事さ、難しさを改めて感じます。同時に親の責任も感じます。
◇高校時代の頃の親との関係のお話、とてもためになりました。お話を聞いたことを参考にして接していきたいと思いました。すごく楽しかったです。
◇一人目の子供なので進路について親としてどう対応すべきか悩むところですが、パネリストの方々の体験談、胸の内など聞くことができてとても参考になりました。
◇今回のパネルディスカッションには150余名の父母の方々と多くの教職員の方々のご参加をいただき、パネリストの皆さんと大いに盛り上がった父母会になりました。この貴重なお時間と心温まるお話をしていただいた4名のパネリストの皆様には、父母会一同深謝致します。

Posted by staff

テーマ 「道しるべになったもの」

平成20年3月1日(土)午後2時より第1AVE室にて、29回生父母会のパネルディスカッションが開催されました。4名の卒業生をむかえ、大変参考になるそして親としても考えさせられる貴重なお話を伺うことが出来ました。当日ご参加頂けなかったご父母の皆様、後輩に当たる子供達にも是非内容をお伝えしたいと思います。

20080301-01.jpg

パネリスト     山本竜司(14回生)
          小室俊輔(20回生)
          大澤祐子(20回生)
          菅谷智之(21回生)

コメンテーター   高島渉先生
コーディネート   29回生学年父母会
司会        深田真吾

● 開会の挨拶

藤澤敏夫学年委員長 29回生の子供たちは来月には高校2年生になります。今、子供たちは将来の職業を見据えて卒業後の進路を考える極めて大切な時期に入っています。私たち父母はこの大切な節目に、子供たちが希望する方向に胸を張り自信を持って踏み出すことができるよう親として最善のバックアップをしていく必要があると思います。そのためには、子供たちの本音や悩みなどを十分に理解する必要があります。そこで父母会では、進路指導の高島先生よりご紹介頂いた、とても魅力的な卒業生4名の方々をパネリストに招き、高校生のころに思ったことや当時を振り返って、今思うことなどその生の声を聞こうと、今回のパネルディスカッションを企画しました。

高島 進路指導部長の高島です。卒業生を迎えてこのようなパネルディスカッションを開催するようになったのが24回生の時からですので、今回で6回目になります。それ以前は地区父母会で行われていて、我孫子地区父母会が最初でした。その評判が良く高校1年生の父母会でこのようなことができないかということになり学年父母会主催で開催されるようになりました。毎回学年父母会の役員から出されるテーマにそったパネリストの選択にはいろいろ苦労をしています。

司会 それではこれからのおおまかな流れを説明させて頂きます。始めは自己紹介と茗溪時代について。2つ目は個人課題研究テーマと現在。3つ目は今だから話せる親、先生との関係。最後は集まった父母に対して一言ということでお話を伺いたいと思います。

● 自己紹介

20080301-yamamoto.jpg

山本 14回生の山本です。14回生はいろいろ問題の多かった学年のようで、高島先生が特に思い出される学年であったと思います。僕は在学中柔道部に所属していて、学生生活はほぼ毎日部活のために過ごしていました。勉強は理系でしたので理科の成績は良かったですが、他はぼちぼち悪くて・・。(笑い)英語、古文、漢文、語学系がとにかく苦手で、その中でもとくに英語は苦手で1番下のクラスで過ごしていました。1番下のクラスの中でも、下から1番目か2番目という状態で高校生活を過ごしました。受験でも英語の成績はふるわなかったのですが、一浪して北里大学理学部の生物科に入学して、その後相模原の医学部の大学院で修士課程をとりました。修士課程の研究の関係でつくばの農林水産省関係の研究所で実験をやることになりました。その研究所の先生の紹介で最終的に東北大学農学部へすすみ、3年前に博士課程を終了しました。現在はT大学歯学部で生化学基礎を教えております。もちろん研究も続けており、歯の再生の研究をしております。後半が立派すぎる経歴で・・。(笑い)高校時代は本当に勉強が出来なかったし、自分で興味があった理科だけはできましたが、他の科目はぜんぜん勉強をしませんでした。

20080301-komuro.jpg

小室 土浦市神立の出身です。茗溪ではサッカー部に6年間所属していました。中学の時はホームルーム委員、高校の時は体育委員をやっていました。茗溪時代は部活ばかりに集中していて、勉強についてはほとんどやらなかったのですが、これは今振り返ってみると残念な日々でした。僕は夢だけは漠然と持っていて、医師になりたいと思っていました。それは今でも同じです。現役時代はあまり勉強をしなかったので、夢には届かず浪人をしました。浪人中はかなり勉強をしたのですが、それでも医学部には合格することが出来ず、筑波大学に進学をしました。筑波大学では生物資源学類で生物の勉強をしていました。昨年大学を卒業して、現在大学院の一年に在籍しています。就職活動を通して社会勉強をしているのですが、やはり医学、医師への道をあきらめることが出来ず、今も受験を考えておりますので、みなさまのお子様とライバルになる可能性があります。(笑い)

20080301-oosawa.jpg

大澤 20回生の大澤祐子です。現在県立高校で保健体育の教師をしております。茗溪時代は6年間バドミントン部に所属しており、私も部活をするために学校に来ていたような毎日でした。勉強は自分の努力が足りず、成績は悪く、英語は私も高校3年間一番下のクラスにいました。そこからどうしても抜け出せなくなり、もしかしたらここが自分に一番合っているのかなと思うほど一番下のベーシックから抜け出せない3年間でした。中学時代は正直言ってそのまま茗溪の高校に進学するかも悩みました。その中で茗溪の学校自体が好きだったことと、そこで勉強を教えてくださる先生方がとっても魅力的だったこと、周りの友達に恵まれていたのでそのまま高校に進学しました。高校生になってもあいかわらず勉強はふるわず、卒業の時は進路も決まっていない状態で卒業を迎えました。そのあと一年間の浪人生活を送りました。浪人の時代も学校という枠がなくなってしまったために、誰も何も言わない状態になり、勉強より他のことに時間を費やした一年間になってしまいました。その結果希望の大学には合格することができませんでした。それでも教師への道をあきらめきれなかったので、玉川大学女子短期大学へ進学をして、2年間短大で勉強をしました。そこで玉川大学への編入試験を受け、教育学部を卒業して、県立高校で保健体育を担当しています。

20080301-sugaya.jpg

菅谷 21回生の菅谷です。茗溪学園の生活ですが、他の3人の方と同じように私も勉強の方は残念な感じで・・・。(笑い)中学、高校と6年間テニス部に所属していました。高校生の途中までは部活をしに学校に来ていると思っていました。実際高校2年生までは家で勉強をしたことがほとんどなく、高校2年生の時に、テニス部の優秀な後輩が「家に帰って、勉強をしなきゃ」と言っているのを聞き、家で勉強をするものなのだと思いました。部活から帰って、クタクタでしたので、ご飯を食べて、テレビを見て寝る。また次の日学校へ行って部活をして・・・、授業中は話を聞いたり、聞かなかったり・・・。高校3年生の時にこれではまずいと思い、テニス部を引退してから勉強を始めました。大学は法政大学に入学をしました。大学に入り高校生の時の教訓を生かして勉強をしたかというと疑問は残るのですが、今は不動産関係の仕事をしています。

司会 学校時代の行事の思い出などを聞かせてください。またそれが今役立っていることなどありましたら教えてください。

菅谷 茗溪学園は毎年何か行事のある学校です。その中で楽しかった思い出は、イギリスの研修旅行でした。本当に研修をしたかというとこれはまた疑問なのですが・・。(笑い)行事が多いので、6年間一緒に過ごし、卒業してからも友達と話す思い出が多く出来ると思います。生活に役立っていることといえば、筑波山キャンプです。お風呂に入れないけれど大丈夫です。水道の水でも頭が洗えるようになりました。それから遠泳。水泳が苦手でしたが、遠泳を経験したことにより、万が一の時に泳げるようになりました。なかなか4キロ泳ぐことはないと思いますので非常に良い経験になったと思います。進学校で4キロ泳ぐかなとも思いますが・・・。みんなたくましくなると思います。

大澤 私も一番思い出に残った行事は4年生の時の4キロ遠泳です。私は現在高校で保健体育を教えているのですが、当時は平泳ぎが出来ませんでした。顔を上げて、足のつかない海で泳ぐなんてとても出来ない・・・。茗溪では泳ぎが苦手な生徒に対して遠泳直前にあたる前期末に水泳の補習がありました。私は連日バトミントンの部活をして、そのままプールに入って水泳の練習をする、という繰り返しでやっと4キロ泳げるようになりました。やはりそれが一番の思い出です。実は当日もみんなと一緒に泳ぐことは出来ないで、泳力の劣っているグループで最後まで泳ぎ切りました。泳ぎながら先に4キロ泳ぎ切った友人達がお汁粉を食べたりしているのを見て、あそこに戻ってゆくのはいやだなと思ったのですが、岸に着いた時みんなが拍手で迎えてくれて本当に嬉しかったです。苦手なことでもそうやって頑張ってやって良かったなと思ったのが一番の思い出です。

司会 現在先生として、そういった自分の経験が影響していることがありますか?

大澤 現在私は高校1年生を担任しているのですが、クラス全体の目標として、居心地の良いクラスを作ろうということを目標としています。悪口を言わないこと、なにかあった時に話せる環境を作ろうということで、友達同士で話す機会を作ったり、私と一対一で話す時間を取ったりしています。自分自身が茗溪という暖かい環境で育つことが出来たので、そういうことを生かそうと工夫をしています。

小室 僕が一番印象に残っているのは中学2年生の時の筑波山キャンプです。班ごとに分かれて筑波山まで歩くのですが、自分は班長をやっていました。その時同じ班に体の弱い女子がいました。長い距離を歩くので、前もって先生から班長としてその女子を見てやってくれ、しっかり頼むぞと言われました。そのため自分の中では責任をもってその女子には注意を払い、班長としてしっかりと役割を果たそうとしていました。ただ山登りは大変でいろいろありましたがその時の僕は自分自身のことより彼女を守ろうという気持ちがありました。それは誰かにそれをわかってもらいたいということではなく、自然に出た行為だったのです。でもそれを見ていて下さった先生がいて、学年集会の時に名前は出さないで自分のことを「こうやって頑張ってくれた人がいました」と話して下さいました。それが印象に残っていて、自分が頑張っていればどこかで誰かが見ていてくれるんだということが、その後の茗溪生活の中でも自分の柱になっていました。何でもないことなのですが、それが自分の中で一番印象に残っているところではあります。受験に失敗したこと、勉強をしなかったこと、楽しかったことなどたくさんあるのですが、自分の中で中心になっていることはそのことです。

山本 一番印象に残っているのは、やはり20km以上歩いて登る筑波山キャンプです。班ごとに分かれて何分かおきに出発するのですが、自分たちは確か前半のスタートだったと思います。自分たちの作ったルートで歩いて良いということで、目的地まで定規をひいて一番近い道をたどりました。ところが実際筑波山についてみたら、ビリでした。一番近い道を歩いていたはずですが、山が近づいた頃先生方がチョロチョロと様子を見にいらして、何故かなと思っていました。しかも自分たちのところに来ては戻って行かれるので、先生方も暇だなと思っていました。たどり着いてみると開村式もすべて終わっていました。最短距離を行ったはずなのに、一番ビリだったということは衝撃的でした。そこで学んだことで、今はあまり脇道を走らないようにしています。生活に役立ったことでは5年生の時の個人課題研究です。現在僕は研究をしていますが、個人研が直接的に役に立っているかというと難しいのですが、漠然と研究とはどういうものかということが多少意識できたと思います。中学、高校での実験というのは結果が分かっていることを実証する、つまり勉強すればどういう結果が出るか分かるような実験をやるわけで、それは大学にはいっても手技的にはレベルアップするかもしれないけれど、ちゃんとした実験を3日位やればわかるような実験もあります。どういう結果が出るか分からないというものに対してどう取り組んだら良いかということに出会ったのは個人課題研究が初めてであったと思います。もっとも当時は本当に初めてのことで、大変難しいものだと感じた印象があります。

20080301-takashima.jpg

高島 ちょっと呼ぶメンバーを間違ったかなとも思っています。(笑い)今の山本君の発言でいろいろ思い出してきました。私は山本君の14回生の時の学年主任でしたが、それはなかなか大変な学年でした。次から次へと問題を起こしてくれました。筑波山キャンプはその最たるものでした。私は何度もキャンプに参加していますが、14回生の時は3泊4日のキャンプで夜ほとんど寝ることが出来ませんでした。生徒達がテント移動ばかりするので、私と吉田先生の二人は毎晩駐車場の茗溪号の中で仮眠を取っていたものです。しかし話を聞いていて、ずいぶん成長したと思いました。今日この会の前に学年委員の役員の人たちと打ち合わせがあり、山本君は自己紹介で、自分の経歴を述べ、最後は東北大学大学院の博士課程を出て博士号を取りましたというので、それを聞いた役員の人たちはみなすごい人だなと思ったわけですが・・・。こうして見ると小室くん以外全員、英語はベーシッククラス。ほとんど3年間ベーシック。小室君がこの中で一番優秀で、インターでしたが、でも高校1年生の時はベーシックにいたこともあり、全員がベーシック経験者です。菅谷君は大学へ現役入学ですが、彼以外は全員浪人経験者です。いずれにしても現在茗溪学園でやっていることが今の仕事、これからの仕事に役に立つかというと、実はそんなに簡単には分からないと思います。トータルとして出てくるものだと思います。先ほどの話を聞いていてもおわかりいただけるかと思いますが、たとえば筑波山キャンプ。これは本来巡検をやりながら行く行事です。タイムレースではないので、早く着くのが偉いのではなく、そこに行くまでの間にどういうルートを通り、何をテーマにするかというフィールドワークです。山本君は浅はかで(笑い)、単純に直線距離を取って行ったということですね。茗溪ではかなり生徒達がフリーハンドを与えられて、この中で自由にやっていくというプログラムの組み方をしているのです。たとえば高校2年の海外研修旅行です。20回生までは台湾、21回生からロンドン研修でした。実は中学3年生でやる京都研修と同じようなことを海外でもやるわけです。それはどういうことかというと、それぞれの班がテーマを持って研修をやる。中学の時は班でテーマをやったが、高校では個人がテーマを持って共通のテーマの子を5、6人のグループにするのです。そのグループがテーマをもとに施設訪問をして、インタビューをするわけです。なぜこれが高校2年で出来るかというと中学でもやって来ているからです。このようなことは子供に対して相当信頼を持っていないと出来ないので、ほかの学校の先生にお話しするとびっくりなさるのです。「生徒がどこへ行ってしまうか分からない」とおっしゃる・・・。でも茗溪生はそういうことはない、しっかり出来るのです。その信頼を見事に裏切ってくれたのが、山本君の14回生ですが・・・。(笑い)それ以降はまじめな生徒が増え、山本君も想像出来ないほど立派な学校になりました。(笑い)

司会 そういえば29回生も里見キャンプでは福島県まで行きましたね。(笑い)つぎに2番目のテーマの個人課題研究テーマとその後の進路ということでお聞かせ下さい。

● 個人課題研究

山本 個人課題研究のテーマは「核融合」というテーマでしたが難しすぎて、本を写し・・・本を写して・・・。(笑い)それは核融合についていろいろ調べるというものでした。当時僕の中で唯一成績の良かったのが物理と化学でしたが直前のテストで物理の方が良かったので、物理の方に進むのも良いかなと思い、核融合をテーマにしました。核融合をテーマに選んだ理由は環境問題に興味があったことと、環境問題を解決できる新しいエネルギーになるのではないかと漠然と思い選びました。現在自分が行っている研究は、歯学部の生化学ということで完全に生物の方の勉強をしています。その方向の変わり目はもともと環境問題に興味があったので、物理というよりは生物の方に行きたいかなと気付いた受験の直前の頃でした。核融合をテーマにして物理というのは難しいなと思ったのも事実です。数式を相手にどこまで出来るかなと思いました。当時物理と生物は成績が良かったのですが、数学はトップクラスとは言えず、真ん中のクラスだったと思います。それほど数式を解くのが得意という訳ではなかったので物理は挫折しました。それから環境問題を取り扱うにあたって、別に物理でなくても良いのではと思うようになりました。現役時の受験はほとんど理学部の化学科か応用化学、基礎化学などの受験をしました。結果は全部だめでしたが、浪人生活に入り、物理と化学の勉強をしてくると、物理をちょっと大きな目線で見たのが化学で、さらに大きな目線で見たのが生物。そして生物現象を絞ってゆくと化学現象であり、物理的なもので、物理も化学も生物も関係ないのかなと思い始め、生物で受けてみようかなという気持ちになり、最終的に生物・化学で受験しました。個人課題研究の時は環境問題を考えていたのですが、現在は環境問題とも関係ないテーマで研究を行っています。年齢を重ねるに従って、視点が変わったというか、視界が広くなった感じで、自然に生物にシフトしていったと思います。

小室 僕は障害児教育がテーマでした。いまの研究テーマとは違います。いまは再生腎臓研究をしています。実際は医学に進学したいという希望があったので、医学関係のテーマにしたかったのですが、成績が良くなかったので、先生にやめろと言われるのが目に見えていたので・・・。そこで少し控えめにして、それに近い部分で、障害児教育はどうかと考え、障害を持った子供達の教育現場を見ることが出来たらと選びました。その教育現場と医療現場との関係性をテーマとして個人課題研究をしました。実際始めてみると大変難しく苦労しました。テーマを決めていろいろな先生と話したり、自分の場合は養護学校の先生のお話を伺ったり、実際にその教育現場にはいって体験できたことは一番印象に残りました。それから今考えると親とは個人課題研究のことを話さなかったなと思います。親があまり個人課題研究について知らなかったこともありましたが、何をしているとか、今どういう状況かなど親と話さなかったことは残念だなと思います。今の研究テーマとは違いますが、この障害児教育という研究を行ったことで、障害を持った方と接する時、またもっと広く人と接する時などの基盤が出来たと自分では考えています。

司会 先ほどの自己紹介でもおっしゃっていましたが、また違った道を目指しているということで、また変化があるかも知れませんね。高校時代、大学、そして現在とまだ進化中ということで・・・。

大澤 個人課題研究はパラリンピックと障害者スポーツについてというテーマでした。しかし当時の私は将来のことを考えるよりも、目の前の定期テストをクリアすることが精一杯でしたので、たまたま車いすバスケットボールの試合をテレビで見る機会があり、それが想像を超えた激しいスポーツであったことと、当時スポーツに興味があったので、本当にそれだけの理由でテーマとしました。当初はいろいろな施設を訪問したり、障害のある人にとってのリスクの多い場所などいろいろ研究をする予定でしたが、計画倒れになり、締め切りにやっと間に合って提出したような状態でした。ただ障害者スポーツという個人課題研究をやっていく中で、それと関連して、興味を持ったことが病院の中に学級がある院内学級でした。学校へ行きたくとも病気のために学校へ行けない子供達に教育を受ける機会を与える機関があることを知り、個人課題研究をやりながらその職に就けたら良いなと思うようになりました。実際には院内学級は小学校の先生が訪問教育として病院へ行って授業をしたり、課題をしたりするシステムでした。また定年退職した先生がその後の仕事としてやることが多かったので、仕事として院内教育にたずさわることは生活の面も含めて難しいと言われ、その後進路の変更をしてゆきました。

司会 大澤さんは短大へ進まれ、その後大学に編入されましたが、それは難しいのでしょうか?

大澤 編入試験はものすごく大変でした。200人ほどの短大生の中で編入をしたのは10人足らずでした。私にはもう後がなかったのです。教育について勉強したいと思っていたのですが、大学の教育学部に受かることが出来なかったので、その道がまだ残っている短大に入り、それから編入試験を受けようと入学当初から決めていました。ですから短大に入ってからは自分でも驚くほど勉強をしました。茗溪にいた頃は授業が呪文のように聞こえすぐに眠くなってしまったのですが・・・。短大の時は一日も、一時間も休まず、一生懸命勉強をして編入することができました。

菅谷 私の個人課題研究のテーマはディズニーランドの生い立ちでした。(笑い)ディズニーランドの生い立ちをテーマに選びましたが、個人的に特別ディズニーランドが好きであったわけではありません。テーマに選ぶまでディズニーランドには行ったことがありませんでした。もっとも父は3歳くらいの時に一度連れて行ったというのですが、僕は覚えていません。自分が高校1年生のころは将来のことなど本当に何も考えていませんでした。父は自営業でしたので、それを継げば良いくらいに考えていました。ところが高校2年生くらいからお金が好きになり(笑い)、自分で社長になりたいと考えるようになりました。漠然としていましたが、経営者になりたいと考えました。偉そうなことをいっている父親を越えるような経営者になりたいと思いました。私と父親は仲が良いのですが・・。経営について考えた時に、ちょっと幼稚だったかも知れませんが何が儲かっているかなと考えました。今考えればほかにもいろいろ面白い企業はあるのですが、自分たちが生まれた頃、23年前に日本に出来たディズニーランドが儲かっていると考えました。ディズニーランドを知らない人は世の中にいないと思い、アメリカにあったディズニーランドをどのようにして日本に作ったのかが気になりました。個人課題研究で研究をしてその経営について分かったかといえば、そんな簡単に分かることではなかったのですが、徹底したカスタマーサービス、お客様満足主義といったことが分かっただけでも良かったかなと思いました。実際には締め切りにはギリギリで最後は大変な思いをして仕上げました。自分もこの個人課題研究について両親と話す機会がほとんど無かったのですが、もう少し相談してみれば良かったのかなと思いました。これから皆様も子供達と話す機会があったら、これをやったら良いのではといった親の気持ちもいろいろあるかと思いますが、本人がやりたいことをやらせるのが良いのではないかと思います。個人課題研究は大学になっても役に立ちます。やりたいことを応援してあげるのが良いと思います。

高島 最近はインターネットがかなり普及してきまして、カットアンドペースト、コピーをしてそれを貼り付ける。ただ単にインターネットでいろいろなサイトへ行ってそれをプリントアウトして、その内容を自分でパソコンに打ち込んでやった気になってしまう生徒もいます。この点は我々指導教員が一番注意をして指導をしているところです。とくにインターネットで、カットアンドペーストで出典もなにも明らかにしない論文、これは盗作です。これは論文を書く上で一番してはいけないことでどの先生も必ずその点を注意します。また私は毎年これを言っているのですが、個人課題研究で何をポイントにしているかというと、大きく分けると2つほどあります。1つは適性、不適性を見つけることです。テーマを自分で見つけ、その方向で自分の将来を考えることが多いのですが、それがはたして自分にとって適性があるのか、ないのか。逆に無いということが分かる時もあることで、これはこれで大変意義のあることです。先ほどの山本君の話でも核融合をやっていて、ちょっとちがうなと思うことはそれはそれで意味のあることです。それともう1つは学問研究に対する、主体的な姿勢を身につけることです。著作を読み、文献を調べて、文献に書いてあることをそのまま写すということは研究ではない。研究をするということはどういうことなのか。自分の足で調べ、実験をして実証する。ここが大事なことで、高校2年生がやることですから、大発見が出来るということはほとんど無いわけです。しかし少なくとも学問研究に対する主体的な学習姿勢を身につける、適性、不適性を見極めるということ。これはとても大きい副産物になるだろうと思います。実際、毎年30人から40人はすばらしい研究をします。例えば、大学の先生から見ても大学生の卒論をはるかに越える、という評価をもらうほどレベルが高いものが幾つもあるのです。どうしてそこまでレベルが高くなったかというと、個人課題研究も今年で28年間になるということは、28回にわたる先行研究があるということなのです。過去のものと同じようなテーマでやる生徒に対して、指導教員は「先輩の論文を見るように」言います。先輩がどこまで明らかにしているのかを調べ、さらに「先輩がやった研究の先までやるように」指導するからなのです。進路指導室には過去の論文が、1回生から28回生の分まで全部揃っていますが、1回生、2回生のものを今見てみるとこんなものだったのかと思います。茗溪の卒業生で茗溪の教員になっている者が10人ほどいますが、大変ですよ、全て公開されているわけですから。(笑い)それほど長年の間にレベルが高くなっていることが見て取れるわけです。もう一つ、個人課題研究について親と話す機会がなかったという話が出ていましたが、だからと言ってあまり親の方から、どうしてる?何やるの?と聞き立てても、かえって今どきの子からは「ウザイ」と言われてしまいます。ただ子供が「個人課題研究のここでつまずいているんだ」、などとちょっと何か言った時はチャンスですので、是非その時をとらえて話をして欲しいのです。親のやりたいことをやらせるのではなく、話をすることが大事なのです。個人課題研究の話をしていても、そういう時が将来への道を開くチャンスになることがあるのです。子供の方からちょっとでも何か言ってきた時には話をする良いチャンスにして欲しいと思います。

茗渓学園29回生学年父母会パネルディスカッション後編につづく)

Posted by staff
平成19年度6年学年委員長 平沼ゆり

 6年生の父母会活動は卒業式後に行われる「卒業パーティー」が主なものでした。
 例年の卒業パーティーは、オークラフロンティアホテルまたは国際会議場で行われていましたが、27回生は生徒数が多く、例年より100人程度多い700名弱の参加が見込まれるため、会場側からは、収容定員を大きく超えてしまい、開催は困難との判断でした。結局、先生方と相談の上、第2食堂をお借りして開催することになりました。

20080315-27K-Party-2.jpg

 第2食堂での卒業パーティーは大成功で、来賓の方をはじめ、先生方、父母からもお褒めの言葉をたくさんいただきました。

 もともと第2食堂はとてもきれいな作りで使いやすいこと、ケータリングを「ラ・フォレスタ・デ・マニフィカ」にお願いし、お料理から会場設営まで、とても親切に丁寧にやっていただいたこと、実行委員のアイディアと工夫、そしてパーティーを盛り上げてくれた27回生の生徒たち、が成功の基だったと思います。

20080315-27K-Party-1.jpg

 会場が学校の食堂に決まった時、生徒や父母から失望の声も聞かれ、参加してくださるかも心配でしたが、例年を越えるくらい大勢の参加をいただきました。
 テーブルの移動等の作業はありましたが、綿密な計画と父母のボランティ協力のお陰で、短時間で作業は済みました。テーブルフラワーは父母が生けました。パーティーのメイン看板は生徒の書です。プログラムは父母の協力により、素敵な和紙表紙になりました。一つ一つを父母、先生、生徒が協力して作りました。そして、パーティー当日、素晴らしかったのは生徒たちでした。混雑した会場で、後ろの人が見えるように、適宜坐ったり、よけたりする自然な心使いに、来賓の方からお褒めの言葉をいただきました。パーティーを楽しく盛り上げてくれた生徒たちを誇りに思い、感謝して終わることができました。
 今回は会場への移動時間がない分、最後のホームルームがゆっくりできましたし、パーティー終了後、夕方遅くまで、友達と名残を惜しむ子どもたちの姿が学校にありました。ホテルでのパーティーなら、これから経験することもあるけれど、母校でのパーティーは一度だけ、そして茗溪での最後の日をゆっくりと過ごすことができたのも、食堂でのパーティーだったからだと思います。
 卒業パーティーが27回生の素敵な思い出の一つになってくれたとしたら、これ以上の幸せはありません。

Posted by staff
平成19年度5年学年委員長 小川 精一郎

茗溪学園の数ある行事の中でも集大成と言われる海外研修旅行の行き先が私達28回生から豪州メルボルン及び近郊に変更になりました。台湾、英国に続いて学校創立以来3番目の訪問地となります。先生方は何度も現地を訪問され、準備を進められましたが、初めての訪問国であり、いろいろなご苦労があったと思います。出発1ヶ月前には、メルボルンに家族で駐在された経験のある父母ご両名で全生徒に対し、実体験を踏まえ講演願い、オーストラリアを訪れる期待感をより高めていただきました。メルボルン到着後最初のプログラムであるファームステイで、広大な庭で動物と戯れたり、ホスト家族の子供たちと交流したりしている生徒たちの様子を学校から配信される写真で嬉しく拝見したものです。その後のテーマ別研修や学校交流などすべてのプログラムが成功裏に終了したのも先生方の入念な準備の賜物と感謝しております。
豪州旅行と並び、個人課題研究や6年次での履修科目選択など5年次のテーマは盛り沢山であり、又、2月の短期入寮では降雪もあり、例年にも増して「寒」稽古となりました。
学年役員としては、何回か連絡会・懇親会を行った他、各クラスの父母懇親会も独自の工夫を凝らし開催されました。
一緒に活動させていただいた学年役員の皆様のおかげで、1年間楽しく学年委員長を務めることができました。サポートいただいた先生方、ご父母の皆さん、ありがとうございました。

Posted by staff

テーマ 卒業生が本音で語る「今、親がすべきこと」

 平成19年2月24日(土)午後2時より、第一AVE室において、進路選択の只中にある28回生の父母を対象にしたパネルディスカッションが開催されました。卒業生の皆さん、進路指導部長の高島渉先生から、進路選択のうえで大変参考になるお話をお伺いすることができました。当日、ご参加いただけなかった父母の皆さん、また子供たちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

28kaisei01.jpg

パネリスト
   秋本哲さん(14回生)
   清水達哉さん(18回生)
   日田奈王子さん(19回生)
   内手真衣さん(22回生)
   酒井美衣子さん(23回生)
   星島亮輔さん(24回生)

コメンテーター  茗溪学園進路指導部長  高島渉先生

コーディネーター 28回生父母会学年委員長  畠山光也

● 開会の挨拶

畠山 間もなく高校2年生になる28回生は、これから進路の選択や個人課題研究など、ますます自分で考え行動していかなければいけない時期に差し掛かっております。子供たちが何を考え、何に悩んでいるのか、パネリストとして参加いただいた卒業生の皆さんに高校生時代を振り返っていただきながら、お話をいただきたいと思います。
 コメンテーターをお願いいたしました高島先生は、進路指導部長として大変豊富な経験をお持ちです。

高島 進路指導部長の高島です。卒業生によるパネルディスカッションを学年父母会主催でやるようになったのは24回生からで、今回が5回目ということになります。我孫子地区父母会が最初で、その後、いくつかの地区父母会で開催しました。当初から、卒業生が高校生だったころの正直な気持ちを聴きたいということが目的だったわけです。やってみたら、なかなか評判が良くて、これを高校1年生の父母に聞かせたいという意見が多く、24回生から今の形になったわけです。今日も参考になる良い話が沢山聴けると思います。私は1回目から参加しておりまして、毎回感動させられます。皆さんにも感動していただけるものと思います。

● 自己紹介及び茗溪時代について

秋本 14回生の秋本と申します。現在、自動販売機を製造、販売する会社で仕事をしております。中学、高校を通じて硬式テニス部に所属しておりました。先程、高島先生とお話した時に「14回生というのは茗溪学園の歴史の中でも1、2を争うほど手のかかる学年だった。」と言われました。パネリストの要請をいただいた後、同級生にも言われましたが、多分、私は悪い例の代表として呼ばれたんだなと理解しております。(笑)

清水 18回生の清水達哉と申します。現在は、みどりの窓口の座席予約システムを構築する仕事をしておりまして、今年で2年目になります。部活は吹奏楽部でトロンボーンを吹いておりました。その他には、文化祭実行委員とか生徒会とか、色々とやっておりました。あまりにも色々なことに手を出し過ぎて自分がわからなくなった時期もありました。思い出はいっぱいあります。毎日毎日、学園生活をエンジョイし、学校にギリギリの6時までいて、家に帰ったら晩御飯も食べないで制服のまま布団に入って寝て親に怒られるという生活をしておりました。

日田 19回生の日田奈王子と申します。警視庁の警察官です。現在は、千住警察署に勤務しております。高校時代は硬式テニス部でした。体育会系ということで、部活、部活の毎日で疲れて家に帰って寝て、また朝練をやって疲れて授業中に寝て、という毎日の繰り返しでした。進路を考える時期になって「部活しかやってこなかったから、自分に何が向いていて何ができるのか。」がわからなくて真剣に悩んだ思い出があります。

内手 22回生の内手真衣と申します。現在は、上智大学4年生で、春から社会人として働く予定です。中学の部活はバドミントンをやっていましたが、高校では書道部に籍を置いていました。書道をやっていたというよりは、部室に行って友達と喋っては笑い転げていたことが思い出に残っています。

酒井 23回生の酒井美衣子と申します。現在は上智大学文学部社会福祉学科の3年生です。今、就職活動の真っ直中です。部活は、卓球部とボランティア同好会に所属しておりました。6年間を通して一番楽しかった思い出は、イギリスの研修旅行です。今日、ひたち野うしく駅からバスでここまで来る時に、懐かしい風景を見ながら高校時代のことを思い出し、毎日毎日、つまらないことで友達と大笑いをしていた日々が一番楽しかった思い出だと感じております。

星島 24回生の星島亮輔です。現在は慶応大学の2年生です。中学・高校とラグビー部に所属していたので、花園と国体に出場したことが思い出に残っています。僕は香川県出身で、寮生だったので、6年間の寮生活も思い出に残っています。

高島 懐かしい顔、顔ですね。茗溪の卒業生は、本当に学校に戻って来てくれますね。私学ということで教員の異動がありませんから、いつ行っても懐かしい先生方の顔が見られるということが一番の理由なんだと思います。ただ、それだけではなくて、茗溪学園が持っている独特の雰囲気、アットホームな雰囲気があるんだと思いますね。卒業生がいっぱい帰ってきて元気な顔を見せてくれると我々教員も「茗溪の教員で良かったな。」と思うわけです。皆さんの今の自己紹介を聞いても、中学、高校時代と比べて「こんなに喋るのが上手になって、成長したな〜。」と、つくづく感じました。

● 個人課題研究のテーマと進路との関わりについて

秋本 個人課題研究のテーマは「社会福祉制度、社会保障制度の社会関わり」でした。進路との関わりということについては、トップバッターがこんなことを言って良いのかなとは思いますが、大学においても今の仕事においても全く関わりがありません。ただ、高校生時代、ひとつの課題について1年間という長い時間を掛けて取り組むという、普通では経験できないことをやり遂げたということが、その後の人生に大きかったと思います。研究内容よりも、そのテーマについて色々考えて真剣に取り組んだという自信が、その後の勉学や仕事を支えてくれたという点で意味があったと思っています。

清水 個人課題研究のテーマは「統計学の実践」でした。確率の研究の時には、何時間も画鋲とコインを投げ続けていた記憶があります。今の仕事はシステムエンジニアでコンピューターを使っているという意味では非常に似ていますが、基本的には関わりはありません。進路を決めるときには、自分が好きだった統計学を生かしていけたらいいなと思い、応用数学ができる大学を探したことを覚えています。しかし、大学までは応用数学ができたのですが、就職の段階で研究テーマから少し離れていったというのが現実です。

日田 環境問題について研究を行いました。私の個人課題研究を担当してくださった田代先生は、毎週、担当している20名程の生徒がどんな研究を行っているのか1人1人みんなの前で発表させていたのですが、他人の発表を聞いて、その人がどんなことに興味を持っているのかを知ることができました。私は文献を丸写ししていることが多かったのですが、パソコンのブラインドタッチだけは、今の仕事に生きていると思います。

内手 個人課題研究を考えるようになった時期に「兵庫県で起きた酒鬼薔薇少年の殺傷事件」がマスメディアに大きく取り上げられていました。安直なのですが、この少年事件について、少年の法的解釈やそれを巡るメディアの動きなどを個人課題研究のテーマにしました。このテーマを通して、私は法律よりもその中で生きる人間に興味があるんだと気づき、社会学を学んでいきたいと考えました。大学でも卒業論文を書く機会があり、とてもきついものだったのですが、高校時代にあれだけできたんだから、今の私に出来ないわけがないと考え仕上げました。

酒井 日本におけるグループホームについて研究しました。ボランティア同好会で老人ホームを訪れることが幾度かあったのですが、その時、高齢者福祉に興味を持ちました。当時、グループホームは、介護保険の対象になっておらず、とてもマイナーな施設でしたが、たまたま、インターネットで検索していてこのテーマが出てきたので、とても軽い気持ちで決めてしまいました。しかし、研究を始めてみるととても楽しくなりました。運良く、ある参考文献の著者の方に連絡を取って会う機会を持つことができ、実際にグループホームを訪問するフィールドワークを行うこともできました。個人課題研究後も、このまま社会福祉を勉強したいという気持ちが強くなり、大学では社会福祉学科を専攻しました。大学で福祉のことを幅広く勉強する中で、地域のことなどにも興味を持ち、今は地域福祉の勉強をしています。この先は、このことを生かした職業に就きたいと思っています。

星島 日田さんと同じ環境問題だったのですが、その中でも「環境に配慮した建築」を個人課題研究のテーマにしました。香川県という田舎で育った影響かも知れませんが、環境問題には以前から興味がありました。その中で、なぜ建築にしたかというと、姉が建築家だったこと、そして、格好良い研究だという気持ちが大きかったです。周りの友達が模型を作っていたので、「よし、俺も模型を作ってみよう。」と思ったのですが、最終的には文献を写すだけになってしまいました。部活ばかりやっていたものですから、個人課題研究の時間は、先生から逃げ回るというような生徒だったと思います。今、大学では経済学を専攻していますが、個人課題研究が直接影響しているということはありません。でも、新聞を読んで難しい環境問題の言葉が出てきた時に「この言葉の意味、知っている。」という、優越感を感じることはあります。そういう面では役立っているかなと思います。

高島 大した役立ち方じゃないな、という気もするんですが・・・。学部を選ぶときに個人課題研究がどれくらい関連しているかということですが、数字的な裏付けを取っている訳ではなく、私の個人的な印象ですけれども、6割から7割の人が直結していると感じています。他の2、3割の人というのは趣味という分野で何かを追求しているんだと思います。他には、1割未満の人ですけれども、最後まで研究テーマが決まらずに「何となく・・・。」という人がいます。
 先程の話の中にもありましたが、この個人課題研究で自分の興味・関心を追求するテーマを決めるわけですが、自分の一生の仕事・テーマにしようということで1年間研究してみて「これは自分に合わない。」という反面教師的な結果も出るわけです。それはそれで意味があると思います。「好きだけれども自分には無理だ。」ということが高校生の段階で分かるということは重要です。これは、非常に役に立ったということだと思います。例えば、医学部志望の生徒は基本的に医療関係の研究をするわけですが、1年間研究してみて、実際に病院に行って医療の現場を見て卒倒しそうになり、「私は医者には向いてない。」ということが分かったりするわけです。
 役立ち方は色々だと思いますが、少なくとも言えることは、大学で、あるいは就職してから論文を書く時に大変役立つということはあると思います。特に、大学に入ると、テーマを決められて「用紙20枚書きなさい。」というような課題が出るわけです。そういう時に他校出身の人達は、「書けない。」という学生が多いそうです。ところが、茗溪の卒業生は、この個人課題研究で200枚から300枚書く生徒もいるわけですから、20枚から30枚の課題が出ても大したことはないと思うわけです。少なくとも、論文を書くということに関して、一定の形式・ルールに従って書けるわけです。例えば、参考文献をそのまま写した場合には、出典を明らかにしないと盗作になります。この辺りについては、指導教官が厳しく指導していますので、最低限のルールは知っています。これが大きな力になっていくと思います。

28kaisei02.jpg

● 大学(学部)を選択した経緯について

秋本 卒業した大学は成城大学法学部法律学科で、一浪して入りました。先程、個人課題研究の話の中で「社会福祉制度」について研究したと話しましたが、その関係で社会福祉学部・学科のある大学を受験しました。中学・高校と6年間、部活ばかりしていたため、現役合格することができませんでした。高校3年生の夏から本腰を入れて勉強を始めましたが、時、既に遅しという感じで・・・合格したのは一校だけでした。合格した大学は社会福祉学科だったのですが、「半年間の勉強で受かったから、もう少し勉強すればもっと良い大学に行けるかな。」と思い一浪したわけです。ところが、浪人時代は浪人時代で充実してしまい、結局、成城大学に入りました。浪人した後の学部の選択は、受験が近くなればなるほど二浪が見えてくるという焦りもあり、とにかく受かる大学を受けようという気持ちになりました。
 私の世代は団塊ジュニアにあたりますので、大学受験では倍率が百何十倍になったり、就職試験の時には「就職氷河期」の時代であったりして、同級生でも就職浪人が何人も出ました。私の場合は、たまたま現在の会社に入社することができました。就職した後に自動販売機を作っているということを知ったような状況です。就職先がないという時代だったものですから、夢とか理想とかを追求する余裕はありませんでした。ですから、就職活動という面では皆さんの参考にはならないかなと思います。

清水 個人課題研究の中でも話したように、応用数学をやりたいという考えがありました。最初は筑波大学を訪問して「入りたいな。」と思ったのですが、進路指導の先生に相談したところ「入学してからの選択肢が多い方が良い。東京大学なんか良いと思うよ。」との助言を受けて、いろいろ悩んで最終的には高校3年生の10月くらいに決めました。
 大学入学後は大学院も通じて数学から離れ、コンピューターシミュレーションを使った心理学の研究をしました。大学を選ぶ段階、入学する段階では「数学をやりたい。」ということが動機だったのですが、入学後に色々な人の話を聞いて色々な興味が沸いてきて研究テーマが変わったということです。

日田 中央大学法学部法律学科を卒業しました。大学・学部を選んだ理由ですが、高校生の時に「世の中の枠組みを作っているのは法律だ」ということに気が付いて「法律を勉強したい。」と思ったことがきっかけです。推薦を貰うことができたので受験はせずに簡単に入ってしまいました。今思えば、高校時代にもう少し勉強しておけば良かったと思います。特に、自分には、常識といわれる部分が欠けていると感じているので、もっと勉強しておけば良かったと思います。そういう意味でも大学受験は大切なものだと思います。
 今の職業を選んだ理由は、小さい頃から「世の中の役に立つ人間になりなさい。」と親から言われて育ち、単純に「悪い人をやっつける警察官」に憧れがあったことが最大の理由です。

内手 現在、上智大学文学部社会学科の4年生です。なぜ、今の大学・学部に入ったのかなと考えてみると、社会学って何なのかも知らないで入ってしまって、今でも「社会学って何?」って聞かれても一言では説明できません。受験する大学・学部を決める時に受験雑誌を見ていて、法律学科を専攻したら難しい本を読まなきゃいけないし、経済学科を専攻したら嫌いな数字を毎日見なければいけないとか、漠然とした不安があって、社会学科だったら何をやるのかはわからないけど、法律学科や経済学科よりは自分に合うだろうという思いがあって受験しました。上智大学にした理由は、受験勉強を通じて英語がとても好きになり、「英語だったら上智だろう。」というイメージがあったからです。お陰様で、楽しい大学生活を送ることができましたし、社会学科を専攻したお陰で視野が広まり、多角的な考え方ができるようになったと思います。

酒井 内手さんと同じ上智大学です。学部は文学部社会福祉学科で、今、3年生です。個人課題研究のときに社会福祉に興味を持ち、どうしても社会福祉学科に入って勉強したいと思って大学を探しました。最後まで国立と私立併願でしたが、国立大学で社会福祉を勉強できる大学がほとんど無かったので、今の大学に推薦で入りました。高校2年生のときから、色々な大学のオープンキャンパスや文化祭に足を運び、その中で上智大学の雰囲気が一番良かったことと、立地が良く交通の便が良いことが決め手になりました。大学を選ぶときには、「どこの大学に入るか。」ではなくて、「何を勉強したいか。」がとても大事だと思います。無名の大学でも、入学してから自分の好きなことを一生懸命研究できる、或いはしているのであれば、俗に言う「良い大学」に入って遊んでいるより絶対に良いと思います。でも、就職活動をしていると、出身大学で差別されるということも無いわけではありません。「学歴が全てではない。」と言いながらも、現実には差別もあると感じています。

星島 慶応大学経済学部の2年生す。中学生の頃から「良い成績を取れば優越感に浸れる。」という気持ちがあって、そのために頑張ってきたというところがあります。個人課題研究に関しては、なかなかテーマが決まりませんでした。成績は良い方だったとは思いますが、それ以外は駄目でした。それ以外と言っても、部活だけは一生懸命やりました。なぜ、今の大学に入ったかというと、合格した大学の中で一番良い大学だったからです。一応、国立大学志望だったのですが、自分で「これをやりたい。」というものが見つかっていなかったので、受験が全部終わった時点で親や先生に相談しました。先生は僕の性格を見透していて「慶応に入れば刺激を受けるし、経済学部だったら卒業後の道も多種多様で自分がやりたいことを発見できる可能性が高い。」というアドバイスを受け、自分でも納得して決めました。結果的には良かったと感じています。

高島 秋本君の高校3年間は、私が担任をしておりました。この14回生は、先程本人からも話がありましたが、歴史に残るような大変な学年でした。私は、この学年の学年主任もやり、ハウスマスターもやり、担任もやりという大変忙しい仕事をやっていたわけです。現役合格したときに「合格した大学に行け。」と言っていれば、秋本君も苦労せずに済んだかも知れないと、今、反省しているところです。(笑)
 清水君は18回生で、6年生のときに私が副担任でした。当然、英語の授業も担当していたわけですが、この18回生の英語の授業は楽しかったですね。何が楽しかったかというと、英語の授業なのに議論が百出するんです。清水君もその一翼を担っていたわけです。また、テスト前になると彼の家には「この問題、どうやって解くんだ?」というファックスが友達からいっぱい入り、それに対して彼は、懇切丁寧に教えるわけです。学校でもテスト前になると彼の周りには友達がいっぱい集まっていました。「教員に質問するよりも分かり易い。」という友達が多かったようです。彼は、大学を決める段階になっても本当にやりたいという分野がハッキリ決まっていなかったんです。それで、私が「それだったら、東大にしたら。」とアドバイスしました。東大の場合には「進振り」というシステムがあって、入学時には学部は決めても学科は決めません。学科を決めるのは入学して1年後です。ほとんどの大学は、学部学科まで決めて入学する学科募集なわけですが、本当にやりたいということが未だ決まっていない学生にとっては、この「進振り」というのが有利なわけです。彼には「進振りのある東大で1年間勉強しながら自分の道を探した方が良い。」とアドバイスしたわけです。彼には、その力もありましたから・・・。また、センター試験で茨城県トップだった学生もいたんですが、彼は「東大ではなく筑波大に行く。」という気持ちを強く持っていました。理由を聞いてみると「自宅から自転車で通えるから。」と言うんです。こういう考えもあるわけです。
 内手さんからは「社会学って何をするのかわからなかった。」という話がありましたが、文系に行きたいけど何をやりたいかわからないという学生は、社会学科に行けば、とりあえず何でもできるところです。そういう意味では懐の深い分野だと思います。行けば、それなりに何かを見つけられるところだと思います。皆さんの子供さんも「よく、わからない。」というときには「社会学」と言っておけば、まあ間違いないと思います。
 御父母の皆さん、今の職業をなぜ選んだかを憶えていますか。よく、適性があると言いますけれども、考えてみてください。16歳、17歳、18歳で自分の適性なんか分からないと思いますよ。でも、茗溪学園では、16歳、17歳、18歳の生徒に「将来を見据えて自分の進路を考えなさい。」と教えます。私も一生懸命言いますが、心の中では「わかってたまるか。」と思っています。18歳くらいで自分の将来を見通すことはできません。
 私事で恐縮ですが、私は、大学を卒業してから出版社に勤めまして、28歳のときに「学校の先生になるぞ。」と一念発起し、出版社を辞めました。既に結婚しておりましたが、まだ子供はいませんでした。妻の賛同を得て大学に戻り、2年間で教職の単位を取り、30歳で教職に就きました。そのころ、友人が茗溪学園に勤務しておりまして、その友人に誘われて現在に至ったというわけです。茗溪学園に来て26年が過ぎました。人生なんてわからない。良い会社だと思って就職しても、入社してガッカリということも多いわけです。何が大切かというと、人生を見通すことが大切なわけじゃなくて、見通すために努力することが大切なんです。何も考えないで、たまたま選ぶということではなくて、一生懸命考えながら選ぶということが重要だと思います。

28kaisei03.jpg

● 今だから話せる親との関係

秋本 自分の部屋にテレビを置いてもらえず、リビングに1台だけだったものですから、結果として、テレビを見たくなってリビングに行けば親や家族がいて、自然に会話するという環境でした。ですから、親とはよく会話をしていました。親からは、あまり指示めいたことを言われた記憶は無く、「高校生なんだから自分で考えて行動しろ。」という感じでした。ひとつだけ言われたことは「他人に迷惑を掛けるな。」ということでした。親とケンカした記憶もありません。私の親は、どちらかというと自由にやらせてくれたと思います。ですから、「今だから話せる」というような秘密の暴露的なものはありません。

清水 親から「勉強しろ。」と言われた記憶はありません。「寝坊するな。遅刻するな。」とは、よく言われました。茗溪を卒業した後、父親から「勉強している姿をほとんど見なかったから、不安になったこともあった。」と言われましたが、茗溪在学中には言われませんでした。うちの親は、「勉強しろ。」と言えば、子供が反発するだけということを知っていたのだと思います。お陰様で、高校生の時に生徒会活動や部活動に心置きなく励むことができ、その経験が今、生きる力になっていると思います。ですから、親には本当に感謝しています。

日田 勉強に関しては、小学校低学年のころから親のスパルタ教育を受けました。嫌な塾も強制されました。でも、中学に入ってからは、逆に放任になり、親からは「信頼しているから、自分で責任を持ってやれば良い。」と言われ、うるさく言われた小学生のころよりも自分にやる気が出たと思います。ただ、高校生になってから「留学したい。」という気持ちが強くなって親に相談した時に「海外は危ないから駄目だ。」と言われ反対されました。あの時、親が背中を押してくれていれば、私の人生ももう少し良い方向に向いたかなと思います。もし、皆さんの子供さんが「留学したい。」と言って来たら、背中を押してあげて欲しいと思います。

内手 中学2年生の時に人生最大の反抗期を迎えました。その頃は、親の顔を見ると腹が立って、その私の顔を見た親も腹を立てるという感じで、毎日ケンカをしていました。高校生になったらケンカをする理由も尽きてしまい、親も「勉強しろ。」とうるさく言わなくなったので、私も精神的に落ち着いてケンカは無くなりました。私は長女で体が弱かったものですから、小さい頃から親が心配して、遊びに行く時にも「何時までに帰って来なさい。」という感じでした。ですから、日田さんと同じように高校生の時に「留学したい。」と親に言ったところ、「危ないから駄目だ。海外は、大学生になってからでも、社会人になってからでも行ける。」と言われました。私も半分は「怖いな。」と思いながら言ってみたものの、あの時、もし親が「行っても良いよ。」と言ってくれていたら、もっと良い経験ができただろうと思います。でも、プラス思考で考えれば、あの時、親が「駄目」と言ってくれたお陰で無事大学にも入ることができ、今の元気な私がいるとも考えています。でもやっぱり、子供が「これをやりたい。」と言ったら、とりあえず「やってみれば。」と言ってあげた方が、子供は逞しく育つのかなと思います。それから、勉強に関しては、親の口から「勉強しろ。勉強しろ。」と言い過ぎるのはマイナスだと思います。親から言われなくても子供は必ず、自分で気が付いて勉強するようになると思います。性善説的な考え方で子供を信じることが大切だと思います。

酒井 中学3年生の時が反抗期でした。当時は、母親から「もっと勉強しなさい。」と言われると、「だったら、お母さん、このテストで100点取れるの?」と言い返すような感じでした。高校生になってからは、全く勉強のことは言われませんでした。父親には、中学・高校時代から勉強を教えて貰っていました。今でも数学は時々教えて貰っています。母親とは、その日学校であったことを全部話すくらい仲が良いです。何でも話せる良い話相手が母親です。先日も、就職活動中の私が履歴書だけで落とされた会社があって、そのことを母親に話したら、「あの会社の製品は買わない。」と言ってくれました。今も、それほど仲の良い関係です。

星島 小学校4、5年生から高校1年生くらいまで親子関係が最悪でした。反抗期が早く始まって高校1年生くらいまで続いていました。小学校高学年の頃から父親に向かって「クソ親父」と言っていました。それで、「寮のある中学・高校に行くぞ。」と心に決めて茗溪に入りました。入学直後、ほとんどの寮生は週に3、4回は実家に電話をしていたと思いますが、「絶対に電話しないぞ。」と心に決めて、本当に一度も電話をしませんでした。親からの電話は、ハウスマスター経由になるので、親も諦め、寮にいる間は全く親と話をしませんでしたし、実家に帰った時にも僕の方から話すことはほとんどありませんでした。この状況を破ったのは個人課題研究でした。個人課題研究で何を研究しようか悩んだり迷ったりして、どうしても決められなくて親に相談しました。親のアドバイスなんか聞きたくないと思いながらも、頼るところがそこしか無くて、父親からのアドバイスに耳を傾けながら個人課題研究を進めたという状況がありました。それで、やっと、親のありがたみがわかったという感じです。今は、親の気持ちも少しはわかるし、仲は良いですよ。ですから、今、親子関係が悪くても時期がくれば良くなると私は思っています。心配することはないと思います。

高島 星島君は、多分、自分が父親になったら「お父さんに辛く当たらなければ良かった。」と反省すると思いますよ。20年後の星島君のことを考えると「気の毒だな。」と思います。(笑)
 私は、子供との向き合い方で一番大事なことは「信頼と自己決定」だと思っています。子供を愛することの具体的な行動は「信頼すること」だと思います。「愛している」と言いながら、実は、親の考え方を押し付けているということが多いと感じています。子供の意思を尊重することがとても大事なことではないでしょうか。意見を言ってはいけないということではありません。意見は言うべきです。言うべきですが、最終的には子供の意思を尊重して信頼してあげることが重要だと思います。
 さっき、日田さんから「親から背中を押してもらいたかった。」という話がありましたが、確かにそのとおりだと思います。卒業生の色々な話を聞いていると、「自分一人で全部やってきたように思っていたけれども、今、振り返ってみると、肝腎なところ、節目節目で親が背中を押してくれた。だから、今の自分がある。」と言う卒業生が多いことに驚きます。これが、「信頼する」ということだと思います。信頼するというのは「うちの子供は絶対に悪いことをしない。」と思うことではありません。何を信頼するかというと、「大きな問題が起きたとき、親が本気になって言い聞かせれば、子供はわかってくれる。」という信頼です。そういう信頼を持てるかどうか。それが愛情の証しだと思います。そして、最後は、子供が自分で決めていくということです。これが大事だと思います。
 親の意向に沿うためにやっているということになると、失敗したり挫折したときに責任を転嫁することになりがちですし、そういうことが多いんです。そういう意味で「信頼と自己決定」が大事だということです。親と子供が対立したときがチャンスです。子供が親に相談した時に「親が真剣に聴いてくれる。」、「親がアドバイスしてくれる。」と子供が思うことが大事なんです。子供が何か相談したときに、仕事が忙しいと言ってみたり、新聞を読みながらいい加減に応えたりする。これは、やっぱりまずいですね。子供が相談しようとした時が親にとってはチャンスです。その時は、新聞を読むのをやめて、子供に正対して真剣に聴くということが一番大切なことだと思います。

● 高校生時代に一番悩んだこととその解決の仕方

秋本 振り返って考えてみると大した悩みは無かったと思います。今の方が悩みは多いですね。高校生の頃の悩みを強いてあげると、テニス部の監督をギャフンと言わせるにはどうしたら良いかということで真剣に悩んでいました。誰に相談したかというと、一緒に部活をしていた仲間です。当時は、部活と仲間のことが心の中で一番ウェイトを占めていたと思います。

清水 何に悩んでいたのか中々思い出せないですが、多分、文化祭実行委員会の会計をやっていた時に「どうして、みんな報告書(領収書)を出してくれないんだ。どうしたら締め切りに間に合わせることができるか。」ということが一番の悩みだったと思います。相談した相手は、一緒に文化祭実行委員をやっていた友達です。相談というよりは、生徒会室で実行委員の仲間で愚痴を言い合ってストレスを発散していたという言い方が正しいと思います。

日田 進路関係のことで一番悩みました。相談した相手は、親と兄と担任の先生です。

内手 日々こまごまとした悩みに関しては友人に相談していました。進路に関することは担任の先生と高島先生に相談していました。

酒井 友人関係も良かったですし、部活での辛い思いも無かったので、悩みが無いのが悩みと言っていいほど穏やかな高校生活でした。悩みの無かった高校時代を振り返って、その中での悩みを強いてあげれば、進路と受験のことだったと思います。それを相談した相手は、茗溪の先生方と友達、そして親でした。

星島 高校時代、悩みが山ほどありました。その中でも一番の悩みは対人関係だったと思います。例えば、そりが合わない友達のこととか、恋の悩みです。相談した相手は、やっぱり、仲の良い友達ですね。進路の悩みは高島先生に相談していました。

高島 高校生の悩みというのは年代で相当違うと思います。私の場合には進路指導担当ということで、生徒から進路に関する悩みもよく聴くわけですが、ここ10年で悩みの種類が相当変わってきていると思います。秋本君世代の悩みは、日常のことが多かったと思いますが、最近は「自分が何をやりたいのかわからない。」という悩みが多いんです。昔もそういう生徒はいましたが、今の方がはるかに多いですね。その原因、これは私の個人的な見解ですが、「自己肯定感」を持てない子供たちが増えているからではないかと思います。「自分は本当に世の中の役に立つ人間だろうか。自分の存在というものは何か意味があるのだろうか。」と考えている子供たちが増えているんです。自分は何をするべきかわからない。わからないから、こんな自分が存在する意味があるのだろうかと考えて悩んでしまう。
 親として大事なことは、子供の全て、良いところも悪いところも全てひっくるめて受容できるかどうかだと思います。子供は「良い子になりたい。認めてもらいたい。」という気持ちが昔も今も変わらずにあるわけです。年齢が低ければ低いほど「親に喜んでもらいたい。」という気持ちが強い。親が喜んでくれた、笑ってくれた、ということが次に起こす行動の原動力になるわけです。高校生くらいになると、それが「良い成績を取りたい。」という気持ちになる。成績が良くなることは、もちろん自分のためですけれども、喜んでくれる親のためでもあるわけです。ところが、一生懸命勉強しても成績が上がらないと、そこに葛藤が生まれ、先程話した「こんな人間で良いのだろうか。」という自己肯定のできない存在になってしまうわけです。そういう意味で10年以上前と比べると高校生の子供とどのように向き合っていくかということが大変難しくなってきている時代だと思います。

28kaisei04.jpg

● 後輩への言葉、父母への提言

秋本 提言というような立派なことは言えませんが、私も間もなく親になる予定ですので、その辺りを踏まえながら、親として「自分はこうしたい」というようなことを申し上げたいと思います。
 茗溪学園の生活の中では、入学から卒業までの6年間、勉強以外でも様々な体験や考える機会が多く、その時々に友人と、あるいは先生方と議論したり、その議論を元に考え方を修正したりということがたくさんあると思います。この考えるということがとても大切だと思います。この経験は、社会に出てから非常に役に立ちます。
 ご両親に対しては、先程から話が出ているように、子供の背中を押してやる、しっかりと後押しをしていけば間違いないのかなと思います。子供は、いくら強がりを言っていても必ず親を頼ります。先程「相談した相手は友人が多い。」と申し上げましたけれども、いざという時には、やはり、親に相談すると思います。その時には暖かく受け止めて欲しいと思います。

清水 茗溪学園は、色々なことが経験できる学校だと思います。私は、吹奏楽部と文化祭実行委員会で色々な経験をさせてもらいました。本人がやりたいと思えば熱中できる環境が整っています。熱中して何かをやりとげれば、そこには素晴らしい達成感があり、人生にプラスになると思います。私は今、吹奏楽部のOBとして、定期演奏会に参加していますが、今年の8月にもお手伝いをさせていただく予定です。毎年、定期演奏会の1ヶ月前から準備に取り掛かるのですが、この時期の現役生の頑張りは物凄いものがあります。全てのことを自分達で決め、準備を進めていくわけです。同時進行で演奏の練習もするわけですが、そのエネルギーたるや物凄いものがあります。このエネルギーを大事にして欲しいと思いますし、親には、それを手伝わないで、ジーッと見守って欲しいと思います。私達OBも近くで見ていて手伝ってあげようかなと思ったりもします。私達大人が手伝えば簡単に決着することですが、現役茗溪生のためには手伝わない方が良いというのが茗溪学園の伝統、教育方針だと思っています。それが立派な茗溪生を育てるとことにつながるのではないでしょうか。そういう意味で、ジーッと見守ることを大事にして欲しいと思います。

日田 まず、現役の茗溪生に望むことですが、色々な学校行事に積極的に関わって欲しいと思います。私は今、自分自身の6年間を振り返ってみて、部活にのみ重点を置いて過ごしたことを少し後悔しています。色々な行事に積極的に参加して楽しめば、もっと素晴らしい6年間になっただろうと思います。ですから、現役の人達には、学校行事に積極的に参加して思いっきり楽しんでもらいたいと思います。
 お父さん、お母さんに対しては、子供が進路を選択するときに、世の中には色々な職業があり、選択肢と可能性が広いということを教えてあげて欲しいと思います。

内手 卒業してから「茗溪学園は良い学校だった」と気が付きました。茗溪生は親に見せない悩みを持っているし、実際、親が思っているよりも色々なことを考えていると思います。何をしたら良いかわからない子供に対しては見守って欲しいし、何かに熱中している子供に対しては、親の目から見て少し変でも見守って欲しいと思います。以前、私が親友のお母さんと話したときに、「私の子育て方針は、手を掛けることではなくて目を掛けること。」という話を聞いて感動したのを憶えています。これが最高の子育て方針だと思い、自分も母親になったら、この方針で行こうと心に決めています。どうしても、親というのは子供のやることに手を出しがちですが、子供は自分でやってみて失敗して、挫折して、そこで学習して逞しくなると思います。今、16歳なり17歳の目で見てやりたいことがあると思うので、それを大きな心で見守ってあげることが長いスパンで見ると大切なんじゃないかなと思います。

酒井 まず、現役茗溪生に望むことですが、高校3年生になると受験勉強が生活の主な部分になってくるので、高校2年生は、思いっきり茗溪学園の行事を満喫して欲しいと思います。茗溪生だったころには一番嫌いだった剣道ですが、今思えば、あの時にしか出来なかったことだったと思っています。学校の行事をひとつひとつ大切にして欲しいと思います。
 親御さんに対しては、先程、高島先生がおっしゃっていた自己決定、そして信頼を育てて欲しいと思います。私の両親は、それをやってくれたと、今、感謝しています。私がやりたいという気持ちを尊重してくれ、自分は親に信頼されているという気持ちが強かったです。子供の性格を一番理解しているのは親だと思うので、その性格に合った助言というか、伸ばし方を実践していただきたいと思います。

星島 現役茗溪生に対してですが、親とか先生は結構支援してくれているので、それを感じ取って欲しいと思います。これは、僕の茗溪時代の反省から学んだことです。先程、内手さんが「手を掛けないで目を掛ける」と言っていましたが、僕もそのとおりだと思います。親は子供に目を掛けて、本当に危険なときだけ手を掛けるというのが理想だと思います。僕は6年間寮生活を送ったわけですが、毎年ゴールデンウィーク後に何人かの寮生が「学校を辞めたい。」と言い出します。そういう人達は親から大切に育てられ過ぎたんじゃないかなと僕は思います。さっきも話したように、僕は小学校高学年のころから親の干渉に反発していたので、寮に入ってホッとしたという気持ちがあり、「よーし、どんなことがあっても辞めないぞ。」という固い意志があったので辛いとは思いませんでした。その点では親に感謝しています。やっぱり、干渉し過ぎない方が絶対に良いと思います。

高島 みんな良い話をしますね。それぞれが辿って来た道、経験をもとにした話なので、実感がこもっていて大変参考になりました。
 先程、内手さんが話していた「手を掛けないで目を掛ける」ということは、本当にそのとおりだと思います。大村ハマさんという90歳を過ぎた国語の先生が「お釈迦さまの指」という話を書いています。荷物をいっぱい載せた荷車を引っ張っている人が座禅を組んでいるお釈迦さまの脇を通って行くんですが、そこにぬかるみがあって、荷車がはまってしまうんです。その時、お釈迦さまが荷車を指でちょっと押してやり、荷車はぬかるみから出るんですね。その人は自分の力だけでぬかるみから出たと思って行ってしまう。親と子、教師と教え子の関係もこれが理想だと思うんです。
 子供が一生懸命頑張って何かをやり遂げようとしている。でも、壁にぶち当たり、立ち止まってしまうことがある。あるというよりも立ち止まることが多い。その時、どのようにフォローするのか。親が前面に出てフォローするのではなく、子供が自分で決断して自分の力で進んでいると思えるようなフォローの仕方が大事だと思います。
 ラジオ番組で聞いた話ですが、ある中学生の父親が亡くなってしまう。その中学生が悲しくて涙を流していると叔父さんが来て「涙なんか流している場合じゃないぞ。お父さんが死んで、これからやらなければならないことがいっぱいあるんだ。」と言って仕事を言いつける。すると、その中学生は、父親のために立派な葬式を出さなければならないと思い、叔父さんに言われたとおり、一生懸命準備し立派な葬式を出す。葬式が終わった後に叔父さんが「立派な葬式だったな。お父さんも喜んでいるだろう。」とねぎらうんです。それを聞いた中学生は、「俺は一人前に扱われて仕事を任され、立派にやり遂げた。評価された。」という気持ちになり、その後の人生を自信を持って歩んでいったという話です。皆さんの子供さんは未成年ですけれども「自分はもう子供ではない。」という意識があるんです。その気持ちをどのように大切に育んでいくかということが非常に重要だと思います。

● 茗溪生に戻れたら?

秋本 高校生の時には全く思っていませんでしたが、留学をしてみたいというのが一番です。

清水 もう一度、同じことがしたいと思います。中身の濃い高校生活を送ることができたと思っているので、吹奏楽と文化祭と勉強に情熱の全てを傾けてみたいと思います。

日田 学校の授業を大切にしたいと思います。せっかく質の高い授業なのに、それを無駄にしてしまったと今、反省しています。

内手 中学の時に体育会系の部活を辞めてしまったので、体育会系の部活を6年間続けて、体の筋肉も心の筋肉も鍛え直したいと思います。

酒井 とても充実した高校生活を送ることができたので、同じように友達とくだらない話をして毎日、笑っていたいと思います。

星島 留学したいと思います。1年間留学して、自分を見つめ直してみたいと思います。

高島 親の思いは子供に伝わります。「念ずれば花開く」という言葉がありますが、親が子供に対して「良い子に育って欲しい」と思い続けると、子供は良い子に育ちます。どうぞ、皆さんも子供に対して念じていただければと思います。

Posted by staff
26回生父母 伊藤 政美

 昨年9月父母による26回生卒業パーティー実行委員会が発足してより、何が卒業記念寄贈品として適当かという議論を続けてまいりました。その席上繰り返されたのは、長く記念として、また子供たちの記憶にも残るものを贈りたいということでした。そこで企画されたものが記念樹とその植樹式、また記念碑とその除幕式であります。 
 いずれも書家としての窪山墨翠学年主任の存在がなければ企画さえ出来なかった事であり、茗溪学園後援会の豊富なネットワークがなければ実現できなかったという事をあらためて強調させて頂きたいと存じます。造園、石材ともにこちらの事情をさきに考慮された上での設計施工と実にスムーズに準備を進めることが出来ております。植樹式、除幕式ともあわただしいなかも天候に恵まれ行う事が出来、その模様は卒業パーティーにおける寄贈品目録贈呈の際にビデオにて披露させて頂きました。 あらためて茗溪学園教職員の皆様、父母会の皆様、後援会の皆様に御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。

26-Memorial-Tree-1.jpg 枝垂(しだれ)桜

26-Memorial-Tree-2.jpg 26-Memorial-Tree-3.jpg 若桐
(撮影:2007年4月8日第29回入学式の朝)



記念碑の言葉、記念樹の命名
26回生学年主任 窪山 剛司

 26回生の卒業記念品は記念碑と記念植樹になりました。
 記念碑に何という文字を刻するか、長い間考えました。「建学の理念」も考えましたが、あまりにも長い文になります。茗溪生だけでなく、学校の前を通った人もひと目でわかる言葉を考えました。記念碑には「世繁」(せいはん)という文字が刻されています。「世界で活躍する人材に育つ」という願いを込めて選ばれた文字です。今回、揮毫にあたり、石を彫っていただく職人さんと何度も打ち合わせをしました。石の材料、大きさ、形、磨き、彫り方、文字の太さなどです。特に文字の太さと彫り方については綿密に話し合いをしてきました。何度も石碑に書き上げた作品を当てました。実際に100枚もの作品を書きました。そして100枚目が今回の作品になりました。石の材料は黒御影石。大きさは縦が90センチ、横が150センチ。中の作品は縦が70センチ、横が130センチの作品です。筆の動きを意識して彫ってあります。かすれもできる限り作品に忠実に表現されています。離れたところから見ても十分に迫力のある作品に仕上がりました。

26-Memorial-Stone-1.jpg

26-Memorial-Stone-2.jpg
(撮影:2007年4月8日第29回入学式の朝)

 記念植樹は枝垂桜1本と、2本の若桐になりました。枝垂桜は樹齢約30年の大木です。若桐は樹齢3年です。木にはそれぞれ命名することにしました。植樹された木を大切にすると同時に、26回生の記念の木であることをより強く認識するためです。枝垂桜には「翠櫻」(すいおう)と命名しました。今回の記念植樹の木は中3で急逝された外塚みどりさんのご家族が26回生の学年父母会に寄贈されたものです。メインとなる枝垂桜にはみどりさんの名前にちなんだ言葉をつけることにしました。「翠」とは「若い」とか「美しい」という意味もあります。桐の木には「菁莪」(せいが)と「雙蛾」(そうが)と命名しました。「菁莪」は「若者が育つ場所」という意味です。「雙蛾」は「形が整った美しい女性」を意味します。

Posted by staff
平成18年度第6学年父母会委員長
三谷 利光

 6年生は桐創祭が主な行事なので、桐創祭が終わるとまさしく受験まっしぐらの1年間です。受験生の親にとって必要な情報を提供するために学年父母会は、5月に窪山先生と高島先生から受験全般のお話をして頂きました。そして7月に杉山先生から夏休みの過ごし方、そして秋から冬にかけて受験生の心構えやセンター試験についてお話をして頂きました。学年父母会以外にも各クラス父母会で担任の先生から更に詳しく受験についてお話を伺い、父母間で情報交換を行いました。
 6年生父母会の最大の行事は卒業記念パーティ開催で、6月に卒業パーティ準備委員会を立ち上げ、9月から実行委員会としてスタートしました。今年は61名の委員が集い、楽しく賑やかな雰囲気で月1回の実行委員会を開催しました。また、26回生卒業パーティのテーマは『茗溪 SPIRIT 26』と決まり、卒業パーティのシナリオを始め、受付、送迎バス、卒業記念DVD、そして卒業寄贈品に至るまで「茗溪らしさ」「26回生らしさ」を全員で話し合いながら随所に盛り込みました。生徒や先生も大変よく協力して頂き、茗溪学園の特徴の一つでもある三位一体(生徒、先生、父母)を実現した内容であったと思います。中でも生徒アトラクションは、26回生一人一人の才能溢れる個性と学年全体の強い絆が相乗効果となって顕れた感動的なシーンでした。
 今年度6年生父母会から卒業記念として、枝垂桜、若桐、記念碑『世繁』を学校へ寄付させて頂きました。26回生のみならず全生徒が、美しくそして人を和ませ、大きく成長し、世界に羽ばたく茗溪生であらんことを願っております。
 最後に26回生と私たち父母会に対し深い理解とご指導を頂いた先生方に篤く感謝を申し上げます。

Posted by staff
平成18年度第2学年父母会委員長
高橋 弘道

 中学2年生という一年間を終えてみて、父母の誰もが思うことは、この一年ですっかり体が大きくなり、入学式に初めて袖を通したブカブカだった制服はすっかりツンツルテン。大きくなったな〜と、実感させられているということだと思います。

 ここでちょっと勘違いされがちなのが、彼らはすっかり大人になってしまった、と思い込んでしまうことだと思います。彼らのほとんどが大きくなったのは体だけで内面的にはまだまだ物足りなさを感じます。考えたら当たり前のことで、彼らは精神的にも経験的にもまだ小学8年生が終わったばかりなのです。2年前まではランドセルに教科書つめて小学校に通っていたのです。ランドセル+2年でそんなに物事がうまく運ぶはずはなく、失敗は当然の結果というか、成長のステップというか、長い道のりの通過点というか、オリエンテーリングの道中のチェックポイントのようなものかもしれません。

 だとすれば、すべてがうまくいくことが大事なのではなく、「失敗のなかから学ぶことが大事」なのです。「結果を恐れずに勇気を持つ」ことが今、必要なことなのです。茗溪学園には、それを熱くサポートしてくださる先生方がいらっしゃいます。あんなすてきなハーモニーを奏でられる仲間がいます。どんな失敗も全力で受け止めてくれる父母の皆様方がいます。目先の小さなものだけに夢中になるのではなく、何が大事なのか大切なのか、しっかり自分で判断できる不変的価値観をもった茗溪生に成長してもらいたいと思っています。

 最後に後輩諸君へ

 なかなか感謝の気持ちというものを言葉でうまく表現できない年頃だと思います。(もちろん、私たちもそうでした)勇気をもって行動でしめそう!

Posted by staff

茗渓学園27回生学年父母会パネルディスカッション前編からつづく)

20060304-02.jpg

受験期、親との関係

阿部 私は推薦を頂いたので割と早く決まってしまいました。学校も父と同じ学校だったので、進学することに関してはあまり苦労をしていない方だと思います。
模試で、一回物理で0点を取ったことがありまして、職員室に行ったとき、クラブの担当の先生と顔が合った瞬間に、「おまえ、0点とは何事だ」とどなられました。
部活をやって家に帰ると8時くらいで、食事をして机に向かうのは9時ぐらい。ご飯を食べると、まぶたが重くなってきます。気がつくと1時頃。親父がずかずか入ってきて「おまえ何やってんだ」といって叱られます。
体力がなく、集中力が続かなかったので、とにかく多くの時間をとる工夫をしました。通学は早い電車に乗って、テスト前は勉強の時間とし、通信教育の教材をいつもカバンに入れて、電車の中とかで見ていました。朝は5時半起きだったのでレム睡眠、ノンレム睡眠を意識して短時間睡眠を心がけました。
同期のIくん(現在、茗渓の国語の教員)と通学の電車が一緒で、テスト前には、質問を出し合ったりして。友達と競い合うということは楽しいですね。
受験期、親にはくどくど言われませんでした。親に対して不満はありませんでしたが、親の方は気が気じゃなかったと思います、出来が悪かったので。ただ、「推薦はあるの?」・・・チャンスだけはつかみなさいよ、ということだったのだと思いますが、それで、後ろを押してもらったんですね。

西本 僕は、英語が好きだったので、英語のO先生の授業だけは予習をちゃんとしていきました。O先生は6年生のA群英語しか教えていない先生ですが、馬が合うというか、ここが出そうだな、と思うとそこが出るとか、今でも慕っています。そんなわけで周りはA群はきついと言っていたのですが、僕はそうは思いませんでした。
4年生のI先生で英語に興味を持ち始め、5年生のテスト1でアドバンスに上がりました。5年生のN先生は、ものすごい宿題だったのですが、人の答えをちょっと見ながら予習をやっていて、英語が得意になったので、結果が出たと思います。やっぱり好きな教科は頑張れるんです
僕は世界史が大の苦手で、センターも60点とかそんな感じだったんです。頑張ろうと思って、公文式のSRSに通いました。そこのいいところは学習室があって、そこで与えられた時間でやるので、その時間には集中してやっていました。
親は一旦部屋に行ったら覗きにはこなかったので、勉強をやっているときも、やっていなかった時もありました。下におりてテレビを見るとさすがに怒られるので、下におりたいなあと思う時は、親と進路の話をするんですね、進路の話だと親も邪険にあしらうこともできず、親身になって聞いてくれるんです(笑)。
息子や娘の将来の夢を聞いたことがあると言う方、手を挙げてもらえますか? そういう話をできるということはすごいいいことだと思うんです。将来の夢が決まっているというのもいいことだし、そうでなかったら自分は、小さい頃どういうことが好きだったとか、話してあげるとすごく視野が広がると思うんですね。うちの親は、あんたは作文が得意だとずーっと言っていたんですね。自分ではそうは思わないんですが、得意なのかなあと思ってて、それもちょっと今に結びついているのかもしれません。

20060304-nishimoto.jpg 西本さん

五月女 前の二人と比べて、うちはここでは言えないようなことがいろいろありまして、大変でした。西本君は話をしたほうがいいと言っていましたが、僕はあまりお勧めしません。
親の思う姿と、子供がなりたい姿と必ずしも一緒とは限らないと思います。親心でこうしたほうがいいというのは良くわかるんですけれども、受験の時期に入ると受験生は一生懸命勉強していると思うんですね、そこで、ああしなさい、こうしなさいと言われると、やっているんだよと。やってないように見えるかもしれないけれど、本人はやっているつもりで、と、そういった反発も生まれたりすることもある。まあ、話しかけることは僕はあまりお勧めしないです(笑)。
でも、疲れた感じで下におりてきて、こちらが何かを話しかけたときに、ああそうだねえって、話をきいてくれるということはすごく大きいと思う。そこで、何かを指摘するのではなくて、ただ聞いてあげるということは、非常に大きな意味がある。
僕は英語がベーシックだったんですね。英語、大嫌いだったんですね。高島先生の前でなんですけれど、単語は覚えられない、文法はわからない、こんなんでどうしようと。単語帳とかやりませんでした。ただ長文を寝る前に5回ぐらい声に出して読んでました。ただ読んでいるだけですが、それでなんとなく掴めるんですよ。受験に出でくる単語ってすごい量で、全部覚えることは不可能に近いと思うんですが、そういうところで、こんな感じだろうと掴めるっていうのは、なかなか大きかったと思うんです。
生物は好きだったので、ほとんど勉強しなかったんですけど、一回やれば覚えました。だから、息子さんや娘さん達の得意な、好きな教科を見つけられると、その教科が強くなれるんじゃないかなあと。

原田 私は部活中心で過ごしていましたので、家に帰って次の日の予習をちょこっとするぐらいでした。
高3の夏まで部活をやっていて、そこから勉強を一人でするのは辛かったので、なるべく学校でやるようにしました。友達の話を聞くことは刺激になるし、学校の自習室では周りが勉強しているので、あせっていろいろやった記憶があります。
受験を通して思ったのは、普段の授業をよく聞いていると、それだけでわかる問題もあるんだ、ということです。この学校は漢字テストとか、細かい英語のテストが頻繁にあるので、いやでもそれを勉強する、そのおかげで、入試での漢字は間違えることはないですし、日々の時間を大切にしていくほうがいいと思います。ですから、家でしていないからといって、全然勉強してないと思わないで、学校でお子さんは勉強していると信じてあげるのがいいんじゃないでしょうか?
私は親との関係は非常に良かったと思います。軽く「勉強しているの?」と聞かれることはありましたが、「学校でしているからいい」と言い返して、おわってました。
聞いてはこないんですけれども、何か話したいんだなと言う雰囲気はいつも伝わってきていたので、たまにこちらから気を使って話すこともありました。その時は真剣に聞いてくれました。みんな言っているように、あまりうるさく勉強勉強といわれると、やる気をなくす、ある程度のことは任せて欲しいなあと、大きく感じています。

20060304-harada.jpg 原田さん

高島 人さまざまですから、今まで、ぜんぜんお子様と話していなかった親が急に、おいちょっと夢を語ろうなんて、なかなかうまくいかないと思いますね。まず、自分のスタンスを大事にすることが、大切かなと思います。
西本君も言ってくれましたけれども、小さいときに見ていたものを言われるとそういうものかなと自分でも思うことがある。そういう時がすごく大事じゃないかなあと思います。何も言わないお父さん、いっぱいいますけれど、どこかで伝えているはずなんですね。我々親ができることは子供に対して、いかに信頼しているか、愛しているかという掛け値のない思いを、言葉ではなくて、どのくらい伝えられているかということだと思います。もう16歳すぎたら子供をどうにか操ろうとすることはお止めになったほうが良いですね。
夢を語るのはぜんぜんかまいません、大事なものを自分で見つけていくんですね。そのときにちょっと背中をおしてやる、子供のやる気が本当に出てきた場合に、ちょっと後押ししてあげる、そういうことがすごく大事だと思いますね。

受験期のクラブ活動

阿部 クラブ活動をやっていたので、眠くて眠くて仕方なかったです。その中で合格したという事がなにより良かったんではないでしょうか。
一番親の愛を感じたのが高校になってからじゃないかなというふうに思います。軸を外さずにパシッとしてくれて、でも温かく見守ってくれたのが何よりでした。

西本 僕は、影響はあまりなかったんで、サッカー部は。あっ、でも今の4年生は強いと思います(笑)。

五月女 高2の冬でやめてしまったんで、やめた人間が言うのはなんですが、ラグビー部なんかは6年の12月近くまで部活があるので、当然勉強のほうにも、どうしても支障がでちゃうんですね。やめたからこそ言えるんですけれども、現役で受かるよりも、一年間部活でがんばって、悔いの残らないほうが、現役で合格するよりも、よっぽど後々、……言いたくないんですけど。 そこは温かく見守ってほしい。

原田 高校3年生の夏まで部活をやっていました。それまでははっきり言ってさして勉強はしてませんでした。中1から高校3までやると決めたので、ここは絶対にやり遂げたいものがあって、もうそこは部活に集中しました。
中1から頑張って頑張って、やっと結果が出せて、やりきったという達成感も得られましたので、そこからは勉強して、今までテニスでもってた目標を勉強に変えました。ここまでやると決めて、そこから始めていくのも遅くはないと思っているので、影響はないと思います。

高島 勉強ができないからといって、クラブ活動をやめるのは絶対にマイナスです。私もずーっと現役生を見ているのですが、逆に部活を一生懸命やっている子が、受験でいい結果を出していますよね。みんながみんなそうだとは言いませんよ、でもどう考えてもそうだと思います。 
部活を一生懸命やっていると、勉強時間がほんとに取れないんですね。家に帰って体は疲れている。お風呂に入ってご飯を食べると寝たくなっちゃう、それでも予習をやらないといけないと思って、頑張って2時間ぐらいやったりするわけでしょ。
これで部活が終わったとき、4時間5時間の時間が取れるようになる。そうすると勉強さえやれば良いと、これがとっても励みになるというんですね。 
この切り替えが上手くいって、結果を出すためには、それまでの最低限の家庭学習をやっていないとだめですね。それをしないで、部活だけ一生懸命やってて結果を出そうとしてもこれはできないです。
実は6月まで部活を一生懸命やった子が、そのあとやり始めて、7、8、9月と頑張っても、結果がそのまま出てこないケースが多いんです。模試は10月で終わりです。それでもそのまま続けていきますと1月のセンター試験では結果がでる。2月の受験のときにも結果が出るということになっていくんです。ここが他の学校と違うところだと思うんです。

質疑応答

質問者1 お話を伺って、好きなことを生かすというのが、理想だと思います。ただ、その好きなことが、医者とか、弁護士になりたいだといいんですが、スポーツとかだと、なかなかそれでだけでは食っていくことにはつながらない。その時どうするのか。西本さんの場合には、ジャーナリズムとか、ビジネスとかとつなげて考えられたわけですけれども、もう一つの軸を作ってどう組み合わせていくのか、そこのところを、伺えればと思います。

阿部 難しいですね。バトミントンは当然好きです。化学もすごく大好きで、コンピューターも好きです。好きなものはひとつだけではないと思うんですね。結局好きなものはずーっとやっています。そのうちの言い方は悪いかもしれませんが、きっかけです。コンピューターはたまたま今自分のご飯を食べることになっています。とにかく好きなことを頑張ってやっていくということで、そんなに深く考えていませんでした。

西本 おっしゃる通りスポーツの世界は、それだけで食べていくのが難しい世界なので、先輩で全然関係ないところに就職している人もいます。収入のいいところは、正直就職したいところでもあるし、就職活動の中でいろんな企業を見て、例えば、電通だったらスポーツ部門があったり、そうしていく中で興味が見つかっていくんじゃないかなと、今の段階では。

五月女 確かに、自分の好きなことと仕事が100%繋がるというのは、稀だと思うんですね。だけど全く関係のない仕事についてしまうと、これは長続きしないと思うんですよ。自分の好きなことと、仕事の間でのバランスを上手く取れるかどうか。全く関係はないけど、ちょっと場面が自分の興味のあるところと似ている、というところを見つけられれば、上手くやっていけるんじゃないかなあと思います。

原田 私の場合は、好きなことは語学だったので、いろいろな可能性が広がってむしろラッキーだったなあと思います。仕事を見つける際にも、私は職業にはこだわらず、英語をコミュニケーションの手段として使いたいというのがありましたね。そこからいろいろ自分で考えることが大切かなあと思いました。好きなことが一個あれば、そこからいろいろ可能性を見つけることができると思うので、そうやっていければ良いんじゃないかと。

質問者2 就職と就社ということについてです。好きなことをやるということになれば、就職、その職に就くということですが、一方まだ日本の社会ではむしろ就社になっているという点があると思いますが、どうお考えでしょうか。

阿部 今、職場を見回してみますとさまざまな人が会社にいますが、職を身につけることで、どこに行っても自分の活躍の場が得られると思います。私のシステムを作る仕事でいえば、一般事務所でもITシステムというのは必要だし、需要があると思う。そういった意味では、自分の存在感を感じるために、就社というよりは職というものをしっかり考えて、やりたいこと、もしくは、やるべきことを職業にして、就社か就職にしたら良いと思います。

西本 僕にとっては難し過ぎるので大学に置き換えます。いい大学に入りたいのか、名前は知られていないけれども本当に自分のやりたいことを学べる大学に行くのか、というのは、非常に大きな選択ですが、第一はやりたいことを学べる大学に行けばいいと。やりたいことをやっていけば、その分野で十分活躍できる人材になっていくと思うんですね。なので、大学に換えさせてもらいましたが、名前ではなく内容で選んだほうが良いと思う。

五月女 僕も大学生なのでわからないですが、名前で選びますと、お金がそれだけ入ってきますよね。やりたいことではないけど、こっちに行けばお金がたくさん入ってくるということもある。その得られたお金で趣味が自由な時間にできれば、それはそれで良いのではないかと思うんですね。自分の好きなことを仕事に選ぶか、社の名前で得られたお金で、自由な時間に趣味を実現するのも良いんじゃないかと思います。

原田 大学のときの就職活動で、何社からか採用をいただきましたが、採用されても、どこの部署に行くかもわからないし、女は事務という考えの会社もいくつかありました。ということで、途中からは就社活動ではなく、派遣会社を回りました。私は英語を使える仕事がしたいという、それを確認して、就職活動を開始して現在の職業に就きました。自分のやりたい職に就くというのが理想だと思います。ただ、現実にみんながこういうことができるかというとまだまだでしょう。とりあえずは入ってお金を稼いで、ある程度自分で生活ができて、ゆとりができてきたら、また違う道を考えても、遅くはないと思います。

高島 今の世の中は、食べられるか、食べられないかとか、就職がし易いかどうかとか、そこに焦点が行きがちなんです。ですから、例えば一般教養といわれるものは、お金にならない。つまり実学でないと就職にも有利でない。そこでそういうものはなくなっていくんですね。人生が干からびていくような思いがして、とっても怖いことだなと思います。
茗溪学園ではいろんなことをやっています。芸術や家庭科をやめて、もっと英語や数学に時間を割いたら、大学進学なんかもっとよくなるかもしれないと、いろんな人が言ったりしますが、それは私はやってはいけないことだと思うんです。我々が絵を見たり、音楽を聴いたりして、心が豊かになることはいっぱいある。
好きなことをやって、目を輝かせていることが、やがてその子がその社会に対してもよりよく貢献することができる力を身につけるのではないかと、私は思いたいんです。
人の子供のことだから、といわれそうですが、もしも私たちがそういうことを追うのをやめてしまったら、茗溪学園が変わっていくということになりますね、茗溪学園が変わっていくということは、大きく言うと日本がだめになる一歩になると思うんですよ。だから一生懸命、やっぱり茗溪学園の教員はそういう思いを絶やさずにいきたいと心から思います。

Posted by editor

「輝け!! 未来」―茗渓の進路指導による進路選択における親の役割―

 平成18年3月4日(土)14:00より、第1AVE室にて、上記のテーマでパネルディスカッションが、開催されました。対象は、27回生の父母でしたが、卒業生の皆様から、大変貴重なお話を伺いましたので、当日ご参加いただけなかった父母の皆様、子供たちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

20060304-01.jpg

パネリスト
  阿部 元信さん(10回生)
  西本 佑介さん(24回生)
  五月女 和大さん(20回生)
  原田 佳子さん(18回生)
コメンテーター
  茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
司会
  27回生学年副委員長 上林正巳

開会の挨拶

司会 卒業生をお呼びして茗溪の進路指導、生活が、どう将来にかかわってきたかをお聞きする企画です。進路指導部の高島先生に素敵な人を是非とお願いしたら、この4人の方が来られました。いろいろ話を伺っていきたいと思います。

20060304-uebayashi.jpg 上林学年副委員長

自己紹介

阿部 10回生の阿部元信と申します。クラブはバトミントン部でした。
 富士通の関連会社でシステムエンジニアの仕事をしています。大学では物理化学を専攻し、物を作って分析することをしていました。プログラミングの技術を生かしたいと思い、化学系と情報系と両方の就職活動をし、結局情報系に就職しました。

西本 24回生の西本です。中・高とサッカー部に所属し、去年早稲田大学のスポーツ科学部に入学しました。スポーツビジネスを勉強しようと思い、この9月からアメリカのオレゴン大学に留学することになっています。オレゴン大学はスポーツが盛んなところで、独自のスポーツセンターを持っており、ビジネスの授業もあるので、ここを選びました。
最初はスポーツジャーナリズムを勉強しようとして思っていたのですが、授業を受けているうちに、興味が広がっていって、最終的にジャーナリズムっぽいものも含め、ビジネスを考えています。

五月女 20回生の五月女です。早稲田大学の2年生で、生物を勉強しています。6年間寮におりまして、部活は高校2年の冬まではラグビー部、後はボランティア同好会でした。
 僕は一度現役で他の大学に受かったんですけど、一年で中退して、ものすごく道を外れまして、文系で一年間、理系で一年間浪人して、今の生物に受かったということです。

原田 18回生の原田と申します。中学高校とテニス部に所属していました。津田塾大学を卒業し、現在富士通株式会社電子デバイス事業本部というところに所属しております。半導体製品の受注、発注、検収業務が仕事で、主な取引先は海外です。高校のときから英語が好きだったので、何か外国語に関われる仕事をしたいというのがあって、大学を選び今の職業に就きました。

個人課題研究と進路の関わり

阿部 個人課題研究は、千葉県の江戸川の水質検査というテーマでした。父親が浄水場に勤めていたので、親父が作った水は大丈夫かなあ、ひとつ検査してみようと。
そこで学んだことは、ひとつのことを最後までやりきるということです。これは仕事でも同じで、何かシステムの障害がおこった場合、解決しないと生産ができないわけです。何が原因で、どうやったら解決できて、本当に解決できたか検証するにはどうしたらよいのか、そういったプロセスを個人課題研究では学んだと思います。それと、これをすることで益々化学に対する興味が湧きまして、化学系の大学に行きたいなあ、と思い、実際化学を選んで、卒業実験では、満足できるところまでできたと思います。
現在はシステムエンジニアをやっているわけですが、化学は分子一個ずつくっつけて、違うものを作り、新しい属性をみつけ人間の生活を豊かにする。情報は自分達一つ一つの知恵を集めて大きくして、社会をサポートしていくと思っています。そういう意味で、システムを組み立てることと、分子を作ることがすごく似ていると思っています。実際、私のシステムエンジニアの部署では、約30人中に工業化学系を出た人間が5人、物理化学系が2人、化学を出た人間が実際多いのです。

20060304-abe.jpg 阿部さん

西本 個人課題研究は、少年犯罪被害者の人権(報道被害)というテーマでした。僕は部活して、寝て、学校へ行ってという生活をしていたので、興味を持つところもなくて・・・。そろそろテーマも締め切りで、担当教員も決めなきゃいけないって時に、どうしようかなと思って・・・報道には興味があったので・・・当時問題になっていた少年犯罪の報道について調べました。最初は少年犯罪者の実名を出すのはなぜかと調べていくうちに、被害者はなぜ当然のように名前が出るんだろうと疑問をもち、そこを調べていきました。
自分がどんなところに興味を持っていて、仕事にするんならどんなことがいいんだろうと考え始めたのが個人課題研究でした。友人が釣りのルアーの形を調べていたんですが、発表のとき、担当の教諭がこの子は楽しそうに研究をやっていたって。
僕は趣味と仕事は別のものとその当時考えていて、でも楽しいことを研究すると自分のためになるんだなと気づいて、じゃ自分はスポーツはやるのも見るのも好きだなあと、それに報道をくっつけて、スポーツジャーナリストを目指しました。早くも挫折してしまったんですが、将来のことを考えるという意味で、個人課題研究は大きかったと思います。

五月女 僕は個人課題研究はあまりやる気がなかったので、なるべく楽なものをしてすごそうと思ったんですね。それで、担当の先生にM先生を選びまして、毎週土曜日に個人課題研究の報告をしに行くんですけれども、「本を読んだか?」 「はい読みました」「そうか、よし」そのような関係が約1年間続いたんです。

高島 五月女君が、M先生と、「おぉ、そうか」で終わったといった話ですが、いろいろ事情があるんですね、先生の事情だけではなく、五月女君の事情も。これだけを聞くと、茗溪の先生にもこんなひどい先生がいるのか、M先生だけはやめたほうがいいということになりますが、そうではないんですよ。)

生物が好きになったのは中学校の時で、S先生の授業がすごく面白くて、興味がでたんです。高2で理科が選択になる時、僕は生物が大好きなんですが生物を取ってよいでしょうか、と担任の先生に聞いたところ、生物だと受験の時に受けられる学校が少なくなるから、物理と化学のほうがいいよ、と言われ、生物をやめて、物理と化学にしたんです。だから高校の時は生物の勉強をしませんでした。まあ、成績が伸びなかったということで、のらりくらりと大学へ行ってしまって、やはり長続きせず、やめる。やめると今度は親との葛藤がありまして、最初が理系の大学だったので、また理系だといろいろ言われると思って、全く違う文系の大学を目指しました。で、その時に、中学のとき生物が好きだったなあと思い出した。文系浪人した後でやっと生物をはじめたんですね。全くのゼロからのスタートです。予備校の先生に何を言ってるんだこの子は、こんなことも判らないのかと、という目で見られたけれども、まあ好きなものは伸びるのも早く、夏を過ぎるあたりから成績も上がってきて、今の早稲田の生物に合格しました。それで生物を選んだというわけです。でもまあ僕は特別な例なんで・・・。

20060304-saotome.jpg 五月女さん

高島 これも高1のときに担任と話をして、物化がいいからそうしようと、それだけではないんです。もうちょっと話をして、いろいろなバックグラウンドも考えて、こういう方向に進むのであれば物化のほうが良い、となったんですね。でも最終的には、結局、自分がやりたかったことは、生物だと、これを見つけられたんですね。そこに目を向けたのは、浪人している時のどこかの大学の英語の試験の長文問題が生物系の問題で、そういえば、生物が好きだった、と思い出したんです。その年はだめだったんですよ。でもそれで、翌年生物に変えたんです。)

原田 私の個人課題研究テーマは「英語圏の手話について」でした。外国語、特に英語が好きだったので、英語に何か関わるものを研究しようと思って選びました。テニスでも一番大事な時でしたので、そこまで力を入れることはなかったのですが、研究が終わってから、英語が話せると、いろんな方とコミュニケーションがとれると思いました。もうちょっと進めていきたい、という思いが強くなり、雰囲気の良さ、英語教育の優秀さで、津田塾大学を目指しました。
自分の好きなことは人にも伝えたいし、人にも好きになってもらいたいという思いと、子供が好きだったので、教育実習も茗溪でやらせていただきました。私が大変お世話になった先生は、一度社会に出て、それから教員になられた方で、いろいろな経験談、苦労話等の面白い話が聞けました。一度社会に出たほうが、幅が広がると思ったので、一度社会人になって、それから、自分がいつか英語を教えることができたら良いなという思いを持ち続けています。
 
高島 個人課題研究は、二つ大きい影響があると思うんですよね。
ひとつは論文を書く技術というのを体得すること、もうひとつは、16、17歳の時期に、自分の将来を考えること。自分はどういう方向に興味・関心があって、どういう適性があるのかということを一生懸命考えるということ、これが実は大事なんです。
個人課題研究のテーマの延長で学部を選んでいる子は、個人的な感覚でいうと、6割くらいかな。そのあと大学に入って、就職にどれくらい繋がっているのかというと、おそらく1割ぐらいだと思います。大学に行って、それが自分が考えていた結果と違ったとしても、選ぶ時点でどれだけ一生懸命考えたか、という事が、さまざまな良い点をもたらしてくれると思っています。

20060304-takashima.jpg 高島先生

茗渓学園での生活、行事の影響

阿部 一番よかったなあと思ったのは、テーブルマナーです。
私は会社の労働組合の執行部におりまして、組合員教育でテーブルマナーをしました。ほとんどの方が知らないんですね、その中で、堂々としていられました。
日常の生活の中に、いろいろな行事で学んだことが出てきて、キャンプとか、グループの協力だとか、校技大会とか球技大会とか、研修旅行とか、経験しているから、そういった場面で恥ずかしくないし、堂々としていられる。台湾研修旅行の時に海外から見た日本がどうなのかを知る機会がありました。今の仕事でも台湾とか、韓国とか中国との関係が多いんですが、会話の仕方だとか、向こうから見た日本を知っていれば大丈夫です。

高島 昔は中一の短期入寮の時にテーブルマナーをやったんです。)

私は在学中バトミントン部に所属していまして、いまだに続けております。会社でチームを作ったりとか、地域でバトミントン教室を開いてみたりとか、開催するというのは大変なんですよね。でも、会社の人間としかコミュニケーションとらないというよりは、社会のいろいろな方と、バトミントンというひとつのカテゴリの中ではありますけれども、情報交換することで豊かな人生となっていくと考えます。

西本 サッカー部は今でこそ、県大会に出場していますが、僕の頃は下と合わせても11人ぎりぎりで、コーチもころころ変わって、顧問の先生はサッカーをかじった程度で、そういう部だったので、まあ楽しく、自分達でメニューを考えてやっていたので、結果は出なかったけど充実してました。
イギリス研修旅行の班別研修で、僕は幸運にもイングランドのプレミアリーグという、世界三大リーグのひとつの試合を見に行くことができて、すごい大声でもって応援しました。そういうことが、今の興味につながったのかなぁと。
もうひとつ、これは行事ではないんですが、6年間授業でラグビーをやりました。あまりみんなとまだなじんでいないときに、この人にタックルするのはどうなんだろうと・・・そんなことを考えて6年間やっていたら、誰でも倒せるようになった。そういうのは、非常にいい体験だったと思います。

五月女 さまざまな行事で、何時に集合というのがあるんですね。時間を守れない人って信用されないじゃないですか。行事が多かったおかげで、自分も10分前ぐらいまでに集合できるようになり、まあ、時間を守れるような人間になったと思います。
それから、研修旅行や、大学訪問等で、先方に電話をかけたりして、予約みたいなことするわけです。何月何日お伺いしますのでよろしくお願いします、と。そして、行って帰ってきて、お礼状を書きます。ありがとうございました、と。こういうことは他の学校ではあまりやらないと思うんですよ。そういうことを学校の行事でも学ぶことができたのは大きかったんじゃないかと思います。

原田 いろいろな行事の中で共通していることは、生徒主体で動くことだと思います。自分達で連絡をとるし、どういうところを廻るかを決め、もう何から何まで自分達でやります。先生方が任せてくれるということは大きいと思います。具体的に私が思ったのは、敬語ですね。今敬語ができない人が多くいます。私も完璧に使えるというわけではありませんが、研修旅行に行った時など、きちんとした言葉づかいや服装で接するので、ある程度目上の方にたいして話すことに慣れます。そういう場が高校のうちからあったので、大学でも社会に出ても、慣れているという自信はありました。それから、班ごとに動くので、仲間を大切にすると思います。一人じゃ海外に行っても何もできませんし、みんなで協力して何かを作り上げるというのは貴重な体験でした。

高島 中学はどちらかといいますと、日本文化を主体にして、その中で集団行動。高校になると、世界に目を向けて、しかも形としては集団で動いているんですが、個人が主体となっていく。どんなことをやるときも、必ず自分達で考えて、最後に終わったら報告書を作るということを、やっているわけです。やりっぱなしには絶対にしない。ここがやっぱり力になっていくのかなあと思います。
ラグビーの話がでましたけれど、どう考えても、皆さんの中で運動がぜんぜんだめじゃないかなという子がいますよね。そういう子も結構やれたりしちゃうんですね。そういう意味ではいろんな子が、いろんなふうに鍛えられて、面白く体験できているのかなと思いました。

茗渓学園27回生学年父母会パネルディスカッション後編につづく)

Posted by editor
5年学年父母会委員長 小林典子

 例年、年1〜2回の学級懇親会とともに、9月(イギリス研修旅行事前説明)、11月(研修旅行報告と進路ガイダンス)に学年父母会を開催していましたが、本年は、7月8日ロンドンで発生した同時多発テロのため、急遽、7月16日、臨時学年父母会が開催されました。 

 研修旅行は、プログラムがロンドン市内を中心に公共交通機関を利用して活動することが中心でしたので、その開催すら危惧されました。その後、7月21日に再びテロが発生し、茗溪学園の生活の中でも大切なフィールドワークの一つである海外研修を諦めなくてはいけないのか。学園側も苦悩され、また各家庭でも不安が高まっていたと思います。しかし、先生方が短い準備期間の中で調整を重ねられた結果、ホームステイを中止して郊外研修へ変更するなど、リスクを最小限に抑えるスケジュールを計画していただきました。安全を確保しつつ研修旅行を開催する、という学園の方針に信頼を寄せながら、9月24日、学年父母会で事前説明をいただき、10月11日〜17日、無事研修旅行が行われました。

 11月12日、先生手作りのスライドショーとビデオで研修旅行の報告をしていただきました。研修旅行終了までの緊張感が嘘のように、楽しい思い出に魅入ってしまいました。

 併せて、進路ガイダンスがあり、第6学年の選択科目についてご説明がありました。生徒それぞれが自分の進路を見据えながら、より細かな教科の選択をすることになります。茗溪学園での最後の学年を迎えて、生徒が今まで学習してきたことや培ってきた自主性を活かして充実した学園生活がおくれるよう、学園、先生ともども父母会も活動を続けて参りたいと思います。

Posted by editor

「今、そして未来へ」
  若い先人たちに学ぼう

 平成17年2月26日(土)、第一AVEにて、上記のテーマでパネルディスカッションが開催されました。このパネルディスカッションは進路選択の渦中にある高校1年生の学年父母会で実施したものですが、卒業生の皆さんや進路指導部の高島渉先生より、大変参考になる貴重なお話をいただきました。当日ご参加いただけなかった父母の皆様、また生徒の皆さんにも、内容をお知らせしたいと思います。

20050226-01.jpg

パネリスト
  福林真哉さん(14回生)
  高木涼子さん(15回生)
  山本聖也さん(20回生)
  田中正紀さん(21回生)
コメンテーター
  茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
コーディネーター
  26回生父母会学年委員長 池田圭一

☆開会の挨拶
池田 本日のパネルディスカッションは「今、そして未来へ −若い先人たちに学ぼう−」と言うテーマで、高島先生にご紹介いただいた4人の卒業生からお話を伺います。4人の卒業生にはお忙しい中、パネリストを快くお引き受けいただきました。心より感謝申し上げます。

20050226-02.jpg 池田学年委員長

☆自己紹介及び茗溪時代のことについて

福林 茗溪時代はサッカー部に所属していました。参考にはならないと思いますが、2年浪人し、その後、獣医学部に進学し、現在は獣医として働いています。
高木 私は14回生で入学しましたが、高校2年生の時にアメリカに留学しまして、15回生として卒業しました。その後、環境情報学部に進学し、現在はNHK国際放送局のディレクターをしています。
山本 中学時代は卓球部に所属していました。現在、経済学部の4年生です。
田中 21回生は、中学の研修旅行で初めて広島に、高校の研修旅行で初めてイギリスに行った学年です。私も卓球部で山本さんと一緒でした。中1では全国大会に出場しましたが、中1の終わりごろに病気をし、一時卓球を休みました。その間、生徒会活動をしたり、園芸同好会を作りました。文化祭では今までと違う趣向でやりたいという主張をしてきました。高校生になって病気も治り、卓球部に復帰しました。大学は生物資源学群に進学し、現在3年生です。

☆個人課題研究のテーマとそれが進路選択にどのようにかかわっていったか

田中 私が個人課題研究のテーマに選んだのは農業です。高校1年生の政治経済の授業で食糧問題、南北問題を学習し、ODAや農業問題に興味を持ちました。最初は、海外協力隊について川島先生のもとで研究しようと思いましたが、最終的には、食糧に着目し、有機農業が注目されていることを知りテーマにしました。大学もこれはおもしろいと思って、生物資源つまり農学部に入ったのですが、今は土木、つまり土壌そのものを勉強しています。農業に関心があって個人課題研究でもきっかけはありましたが、直接進路とピッタリした訳ではないと思います。
山本 私は以前から鉄道に興味があり、個人課題研究はJRと私鉄の競合というテーマでした。丸山先生のご指導をいただきまして、楽しく研究を進めることができました。競合ということですが、同じ区間を走っているJRと他の鉄道会社の間でどのようなメリット、デメリットがあるかを調べ、実際に電車に乗っても調査しました。実際の進路は公務員(市役所)になりました。個人課題研究とはかけ離れてしまったのですが、その時に鉄道関係の交通分野を学べたのが、今の公務員になるきっかけになったのではないかと思っています。

20050226-03.jpg 高木さん

高木 私が個人課題研究に選んだのは宗教と科学というテーマでした。この課題を選んだきっかけは高校2年生の時のアメリカ留学の経験です。ホームスティした先がクリスチャンの家庭で、ホストファーザーが牧師さんでした。私の周りの人たちは聖書を一字一句信じていて、一番びっくりしたのが、進化論を信じていない事実でした。今まで当たり前と思っていた価値観が全く信じられていない場所がアメリカにあることに驚きました。なぜ、同じ人間の間にこうした価値観の違いがあるのか興味を持ち、自分が一年間体験したことを、今度は広い視野にたって体系的に追究してみたいと思い、このテーマを選びました。研究の中で、アメリカの留学先の高校生100名と茗溪生の100名にアンケートをとったところ、日米でまったく違う結果が出ました。アメリカの高校生は「あなたは進化論を信じますか」という質問に対して、信じない人は100%近く、「あなたが猿から進化したと思うならあなただけ思ったらいい」というコメントもありました。アンケートをとったことで、私が感じていたことを数字で実際に確かめることができました。私は大学にはAO入試で入ったのですが、その時には特に個人課題研究を褒められました。大学では「アメリカから世界を見る」という、アメリカ政治とメディアの研究会に入り、同じようなことを研究しました。
高島 個人課題研究は将来を見据えて実施するのですが、自分の将来の職業と結びつけている生徒は6割から7割で、職業とは別に自分の関心を追及する生徒が2〜3割位います。またテーマが決まらず、何となくやったという生徒も1割位います。今、話を聞いてわかるように、個人課題研究でやったことが、色々な意味で役に立つのです。一つは、テーマの追求ですが、それ以外に研究の方法、手法を学ぶことがあります。すべてがうまくいかなくても良いと思います。自分のことを振り返っても、16〜7歳で将来のことを見据えられていたかというと見据えられてなかった訳です。私自身が大学を卒業してサラリーマンになって、実は28歳で会社を辞めて、教職をとるために2年間大学に戻って30歳で茗溪学園に来た訳ですから、人間の人生は簡単に決まる訳ではないのです。その時期に自分が興味のあること、あるいは違うことを一生懸命考えて、そこに精力を注ぐということが色々な意味で役に立つのだろうと思います。今の話を聞いていても、そういう感じがとてもしました。

☆進路選択はどのように考えて大学はどこを志望しましたか

福林 大学は、最初は医学部に行こうと思っていました。実力的には追いつかなかったので1年間は浪人しようと思っていました。1年後医学部に受かることができず、2年目は受験の幅を広げ、獣医と生物関係の大学も受けて、獣医学部に入りました。1浪することは経済的な面では親に負担をかけてしまいますが、良い経験だったと思います。しかし2浪すると、まわりに知り合いもいなくなりますので、お勧めできるものではありません。獣医学部や、医学部は大学に入った時点で職業が決まってしまうので難しい面があります。私が医学部に行こうと思ったのは、親が医者だったということもあると思います。親の背中を見て、医者になるのもいいなと思っていた面がありました。今、本当に医者になりたかったのかと言われると、獣医の方が自分には向いていると思っています。私の勤めている病院に、社会人で大学を出て銀行に勤めてから獣医になった人がいるのですが、やはり高校を出た段階ではまだそんなにはっきりと将来を見据えている人は少ないと思います。逆に医者や獣医になりたいという方がいて、それは社会人になってからの方が逆に心が成熟してきて、患者さんに対する態度にも現われるので、そのままストレートに医者になった人よりも人格的にはすばらしいものを持っていると思います。もちろん、高校の頃に色々な体験をして、本当に医者になりたいと思う方もいるとは思いますが。アメリカのように、4年制大学を出てから、医学部という方が良い医者が育つと思います。だから大学を選ぶにあたって高校の段階で、ここでなくてはいけないとは考えない方が良いと思います。
高木 父がジャーナリストだったので、小さい時からジャーナリストになりたいなという漠然としたあこがれがありました。ジャーナリストになるための学校や学部というのは日本にはないので、何の勉強をしようか、どこの大学に行こうか考え始めた頃、進路指導室に行ってパンフレットを見ていたら、おもしろそうな学校があり興味をもちました。大学訪問やOB訪問をするうちにどうしても行きたいという気持ちになり、受けてみたら運良く受かりました。その学校をAO入試で受験したのですが、志望動機を書きながら、自分はこんなことをしたいのかなと考えをまとめていったと言うのが、正しい言い方だと思います。志望書類には、アメリカでの体験の他、茗溪で色々な行事がありますが、寮での日常生活や行事、寒稽古や台湾研修のことなど、茗溪での生活を通して感じてきたこと、疑問に思っていることを書きました。茗溪の教育はユニークですから、それが他の志願者とは違ってユニークな生徒だと見られ合格できたのかもしれません。社会人になった今でも、自分が本当に何をしたいのかわかるのはとても難しいことです。ましてや社会の事をほとんど知らない高校生の時にそれがわかる人はなかなかいないと思います。私の経験から申し上げれば、その時その時にチャンスを与えられたこと、興味をもったことを一生懸命やっていけば、あとにつながっていくと思います。
田中 私は今、在学している大学は、実は私が行きたかった大学ではなく、色々な圧力の下で進学しました。私には個人課題研究の時から続いている野望がありました。高校生の時は、「世界中の食糧を自分の手に治めれば自分が王様になれる」という野望がありまして、農学部に行きたいと思っていました。私は学歴に興味があり、ブランド志向だったので、農学部という履歴が欲しいと思っていました。現在の大学の場合、生物資源という名前なので、それがいやで、農学部なら、北大か京大だろうと思っていました。しかし家庭の圧力に屈し、家から通えるところということで、現在の大学に進学しました。今はこの大学に進学したことに後悔はしていませんが、当時の気持ちとしては納得いかないものがありました。

20050226-04.jpg 田中さん

☆親に言われてうれしかったこと、つらかったこと

田中 私の家は厳しい家で、朝の起床は毎朝日の出の前でした。夏は4時でした。夏休みは、昼は学校や図書館で勉強し、夜は家で12時頃までは勉強して、疲れてぐっすり寝ようと思っているのに、4時にたたき起こされて、死ぬほど勉強せざるを得ませんでした。実際、勉強するように言われたことはなかったのですが、きちんと生活はしなさいと言われました。今思えば、ダラダラしていなかったので、すばらしいかなと思います。嫌だったことは、受験スケジュールを立てる時に、先生に「私立も含め2つか3つは受けておけばと言われた」と親に話したところ、「じゃあ、3つくらい受ければ」と言われたので、日程を考えて「これでいいですか」と報告したら、「おまえは3つも受けるのか」と言われ、結局1校しか受けませんでした。昨日と今日で違う見解だったり、また父親と母親で違う見解だったりということの無いようにして欲しいと思いました(笑)。
山本 私の親はうるさく言いませんでした。子どもとしては、あまり言わないので心配になってしまいました。勉強の時期を決めたのも自分自身でした。マイペースに勉強させてもらいました。自分のやりたい事を前から親に話していたので、学校から帰って来ると、机の上に新聞記事や雑誌の切り抜きが置いてありました。母に聞いたら、父が切り抜いて置いてくれたということでした。自分には何も言わないのですが、自分のことを気にかけてくれるんだなと感じました。さりげないやさしさを置いてくれるだけで、子どもは感じていると思います。
高木 私は中学生の時から寮生活をしていたので、反抗期の時にも親と良い距離を保ちながら生活しており、勉強しろとはあまり言われることなく中高生を過ごしました。進路の時も、何となく私がこの大学に行こうかなと言ったら、じゃあ、という感じで応援してくれました。寮から電話したり、家に帰った時にはいつも必ず父も母も一生懸命私の相談にのってくれて、悩んでいたら、それにずっとつきあって話を聞いてくれました。

20050226-05.jpg 福林さん

福林 私も、親には勉強しろとか言われなかったし、父が医者だったのですが、医者になって欲しいとは思っていなかったようでした。私は父の生き方はいいなと思っていました。医者でなくても良いのですが、常に難しいことに向かって、頑張っている姿を見ると、頭が下がります。言われたことはなかったのですが、父のしていることを見て、自分も頑張らなければと思いました。母は勉強しろとは言うのですが、自分がテレビを見ていて、勉強しなさいと言われても、勉強する気にはなれないものです。何か仕事をしている時に言われれば、しかたがないかなと思いました。親のふりを見て子どもも気づくと思います。医者の世界ですと、どうしても自分の子どもを医者にしたいと思うこともあると思いますが、父はそうしていくと閉鎖的な社会になってしまうと考えていました。お父さんお母さんが子どもに「何になりなさい」とは、言わないで、子どもがやりたいことがあったら、それに理解を示してあげることが大切だと重います。大学に入ってからでもやり直すことはできると思いますので、まずは子どもたちのやりたいと思うことをやらせてあげたら良いのではないかと思います。
池田 親のふりを見て子どもも気づくというお話がありましたが、私たちにも耳が痛くなるお話でした。高島先生にコメントをお願いいたします。
高島 「信頼と自己決定」というのがキーワードになると思います。自己肯定感を持たせる、「君は今のままでいいんだよ」ということですね。良いところばかりある人間なんている訳ないので、欠点も含めて今のままでいいんだよということを前面に出せるか、そして最後には子どもが自分で決定していく、自分の責任にもつながっていきます。言い訳のない生き方をさせるのが重要だと思いますね。高木さんは高校2年の時にYFUでアメリカに行ったのですが、高木さんは、どちらかというと、もの静かな生徒でした。留学するような生徒には見えませんでしたので、留学したいと聞いた時はびっくりしました。16〜7歳位の時にこの子はだめだと、僕らが頭で子どもを決め付けていくというのは良くないと思います。山本君は、高校生の頃は自分の好きなことしかしない生徒でしたが、公務員になりますからね。田中君はCWニコルさんが初めて茗溪に来た時にお迎えするメンバーの一人だったのですが、大変気に入られ、今でも信頼されています。この子はふつうの感覚でいうと、「変わった子」なのですが、光るものがあるんです。それがとてもおもしろいと思います。大学については評価が色々ありますが、自分がどれぐらい、そこに精力をかけられるかが大事だという感じがしました。

☆今、茗溪学園に対して思うこと

福林 茗溪学園の6年間は本当に楽しかった6年間でした。色々行事があって、それをみんなでやっていくことが記憶に残っていて、今みんなで集まった時もその話になります。短期入寮の時も、悪い事をするから心配という気持ちもあるかもしれませんが、そういう事をしつつみんな成長していくと思います。茗溪の先輩方には優秀な方が多いので、職業を含めて進路を考える時に、そういう方に会って、お話を聞いたり見せてもらうと、ただ漠然と思っていたのと、全然違っていることもあります。高校生の頃から、こんな職業があって、こういう職業に就くには、こういうところに行くということがわかっていれば本当に良いと思います。
高木 茗溪の友達と会うと、本当に楽しかったねと話が盛り上がります。私は、特に寮生活に思い出があり、24時間、365日、テレビも無い中で、友達とずっと話をしていたことが楽しかったです。茗溪は色々な行事があって、色々な経験をさせてもらえるし、先生方もすばらしいと思います。先生方が寮に入って24時間生徒たちと一緒に付き合うということは、自分のプライベートをほとんど返上して教育、仕事に尽くして下さっているということです。自分が社会人になった今考えてみますと、これはとても考えられないことです。本当に恵まれた環境だと思います。社会に出てから、茗溪の卒業生だとわかり、親しく話をすることもあります。茗溪の卒業生というネットワークも大切にしていきたいと思います。

20050226-06.jpg 山本さん

山本 茗溪のカリキュラムは独特のもので、良かったなと、卒業してから感じました。大学の友人に、筑波山まで20km歩いたことや、遠泳で4km泳いだとか、永平寺に泊まったとか、そういう話をすると、驚かれます。自分でもよくやってきたなと思います。今思うと、大変でしたが、良い思い出です。先生方には、成績のことでもご心配をおかけしましたが、最後まで見捨てずに指導していただきました。また、友達が一番の財産だなと思います。思春期の6年間というのは、長い年月で、色々なことがありましたが、自分を支えてくれて、時にはけんかもした友人が、卒業して4年経った今も、大切だと感じる毎日です。茗溪に入って良かったとこの一言に尽きると思います。
田中 私は高校に入ってから卓球部にもどったのですが、私が高校3年生の時は、部員が少なく弱かったのです。昔は強かったという思いがあり、強くなるために、他校で土曜日に練習させてもらったりしました。関東大会位には出ることができるだろうと思って頑張っていました。試験の時勉強しないで、午後ずっと練習したら勝てるだろうとも思いましたが、それはあきらめて、勉強もして、大会に出ました。でもその時の勉強の成績が一番良い成績でした。結局、関東大会にもインターハイにも行けませんでしたが、自分の中では、整理がつきました。次の日からは勉強しようかなという感じになりました。私は、塾や予備校には、夏期講習も含め、行きませんでした。学校の先生がわからない問題は出ないと思っておりまして、先生に聞けば大丈夫と思っていました。通うというのがとても大事で、好き嫌いとか、教え方がわかりやすいとかがあると思うので、恥ずかしがらずに是非先生に何度でも聞くように、勧めて下さい。先生がわからない問題は出ないものだと思います。
 
池田 最後にここに集まった、父母に対し何か一言お願いします。

☆ここに集まった父母に対して一言

田中 私が中学2年生の時、病気をした時に、目標を失ってとてもイライラしていて、学校に行っても勉強はできないし、(中2の時は成績が悪かったのです)ギターを始めて音楽室に行った時に音楽の先生に、親がムカつくという話をしたら、「何だ、それぐらい」と言われたのです。腹が立っているのに、何でこんなことを言われなくてはならないのだろうと思い、この先生は自分の事を何もわかっていないと思いました。そしたら、「私の家は、子ども時代、ご飯のたびにフォークとお皿が飛ぶ家だった」と言われ、「兄弟でやりあってご飯を食べていたら、そんなの全然普通でしょう」と言われ、自分は負けたという感じになりました。もし、自分の子どもが納得いかないというのがあったら、もっと言ってやっていいかなと思います。そんなところに優しさはいらない、甘やかしても結局立ち直れないと実感しました。そこは最後まで見る覚悟で是非強くきちんと言ってあげた方が良いと思います。結局立ち直った言葉はどっちもきつかったなと思います。それが言えるのが愛情なのかなと思います。
山本 親が自分のことをどのくらい考えているかをさっそく今夜からさりげなく、伝えて行って欲しいなと思います。
高木 私は留学を自分で決めたと今日まで信じていたのですが、今朝出てくる前に両親と話したら、父が「あれはお父さんが行ったらって言ったんだよ」と言っていました。子どもが迷っていたら、「できるよ」と言ってあげることが一番重要だと思います。やってみたら、何となくできるものです。そして、どんなことでも自分で経験したことは蓄積になります。ですから、親は子どもの気持ちを後押ししてあげることが大事なんじゃないかと思います。また、いつでも戻る場所があるということが私の中では重要だったなと、今になってみて感じています。
福林 浪人の話になってしまいますが、成績が思うように上がらなくて、どうしても受からないということもあると思います。2年目に思ったのですが、自分が行きたくない大学でも一番初めに、合格という文字だけでもいいので、それがあることによって、自分には行くところがあるということで、もう少しリラックスし、他のところも合格することもあると思います。合格すれば、心にゆとりができると思います。どうしても、不合格が続くとあせってきて、追い込まれてしまいます。大学に行ってから思うことは、自分がいかに恵まれているかということです。学費や生活費をバイトで稼いで、苦しい思いをしながら勉強している人もいて、そういう人を見ていると、自分は甘えた中でやっていると思います。子どものやりたいことが、父母の考えと合わない時には自分でやりなさいというのも一つかなと思います。

20050226-07.jpg 高島先生

高島 高木さんが言っていた、「子どもが迷っていたら後押しをしてあげる」というのはとても重要だと思います。下手をすると教員も突拍子もないことを生徒が言うと、「そんなの無理だよ」と頭ごなしに言ってしまうことがありますね。あれはダメですね。子どもは我々が思っている以上に考えていますし、悩んでいます。お父さんお母さんがどう思っているかということもよく考えています。2年位前に受験生だった生徒からもらったメールですが、「自分は最近恵まれているなと思う。かなえたい夢があって、夢のために勉強することができて、自分の努力次第でかなうかもしれないというのは恵まれているんだろうなと思う。」というものがありました。先程、福林君が言ってくれたのですが、大学に入ると、色々な子どもがいる訳です。自分でお金を出さなくてはいけない子がいたりします。茗溪生の大半は親御さんが応援してくることを、子どもながらに、親御さんに面と向かっては言いませんが、感謝の気持ちはかなり持っています。そういう子どもの気持ちを大事にしてあげることが必要かなと思います。卒業生に毎回アンケートをとっているのですが、「茗溪の高校生活が充実しましたか」、という質問に、去年は、「とても充実した」というのが40%、「どちらかというと充実した」というが48%で合わせると、88%でした。その前年は93%、その前は田中君の時ですが、85%で、8割以上は茗溪の子はそう思っています。茗溪に行かせてくれたお父さん、お母さんにありがたいなと思っています。今日の話を聞いていても、プラスに評価してくれています。この間ラグビーが全国大会に出て、テレビで見ていましたら、アナウンサーが茗溪生の応援を「茗溪学園というのは応援の仕方も自由奔放ですね。」と言うのです。なるほどと思いました。自由奔放というと聞こえはいいですが、要するにバラバラだということです。私はそのバラバラな、自由な茗溪学園が大好きです。右向け右と言われてそろって向くようなのは、教育ではないと思います。それはしつけだと思います。茗溪学園の目指しているものはそういうものではありません。自分で考えて行動することを、我々は重要視しています。そういうなかで、生徒たちが、色々悩みながら自分の考え方を真正面に出してやっているのはとても力強く思います。これから残された2年間充実したお子さんたちの生活を実現させていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
池田 今日はとても有意義なお話を聞かせていただきました。子どもは入学した時の幼い顔から、大人のような顔になり、茗溪のカリキュラムの中で育ってきています。中1の里美キャンプや中2の筑波キャンプでは、親も一緒にボランティアとして参加したのですが、中3の研修旅行や今年の臨海訓練は、自分たちの力でやろうという形のカリキュラムになっていて、どんどん子どもが自分たちで考え、自立していくと見てとれます。とてもありがたいと思います。今、高木さんのお話にあったように、何かをやりたいといった時に、ちょっと後押しをしてあげるような、そんな気持ちが親の方にも必要だと思います。本当に今日はお忙しいところ、おいでいただき、貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

☆父母の感想

・「特に優秀であった生徒を選んだわけではありません」という高島先生のお話でしたが、やはり、茗溪生は優秀だなというのが私の素直な感想です。現役の時の成績は低迷していたという発言もありましたが、考えも発言もしっかりしていて能力の高さを感じました。また、それと合わせて茗溪学園の良さも再認識いたしました。「この茗溪学園の生徒なのだから、今は低迷している?我が子もいずれは・・・」との思いを胸にこれからの我が子の成長を見守っていこうと思います。
・子どもと近い年代の、頑張っている先輩の生の声で、とても良いお話でした。生徒にも機会があったら、ビデオをみせて欲しいと思います。
・子どもは親をよく見ているものだと感じました。「さりげないやさしさが大切」という言葉も参考になりましたし、「親のふりを見て子どもがやる気になる」という、わかっていてもなかなか実行できていないことがいかに大切か、先輩方のお話を聞いて感じました。
・お話を聞いて、親と子と真剣にむきあって話し合う機会を持つことがあらためて大切だと思いました。あまりうるさく言わずその子の持つ個性を認めてあげてさりげなくサポートできればいいなと感じました。(なかなかできないのが実情ですが・・・・)今回のお話はとても身近に聞くことができ、どの親も抱えている問題は同じだということで、とてもほっとした気がします。

(記録 竹内寿子)

Posted by admin
2年学年委員長 上林正巳

 父母会役員の役割は子供達と楽しく過ごすこと? 当たらずと言えども遠からず、でしょうか。あ、もちろん役員でなくともいいんですけど、中学1年の時の里見村キャンプに続いて中2は筑波山キャンプへの父母参加。山中で過ごす子供達の、葛藤、成長、協力、を目の当たりにするのはとっても楽しい思い出となります。学校行事は盛り沢山、桐創祭に美術展、英語劇コンクールに合唱コンクール、続いて凧揚げ大会と....。そっと横から覗き見すれば、我が子あり、友あり。茗溪学園は子供達を本当に伸び伸びと育ててくれているように思えます。子の成長を横目に親は一人寂しく...... いえ、いえ、そうではありません。学校と家庭をつないで、親も楽しく、と父母会があるのです。教育は学校のみでは出来ません。文化の豊かなコミュニティーが豊かな人間性を育てる事が出来ます。家庭はその第一の場です、とて、学年父母会主催のネットワークの講演会も行いました。学級では試食会を始め先生も交えて親の親睦会も盛んに催しました。

 これらの中心となってくださるのが学級委員です。学級に限らずクラブ活動でも子供達の行事でも、親が手伝い、子供の成長振りを見る機会は多くあります。これらのお手伝いや、特に学級委員に多くの方が自発的に参加され楽しまれると共に学校、子供、家庭のコミュニティーの場を作っていく事にお誘いしたいと思います。
 茗溪学園は私の記憶にある昔の学校と、違いはあるのですが雰囲気が似ています。子供達を育てるために、ただ学校の規制を押しつけるのではなく、自由な雰囲気で考える力を育てようとする。やはり、先生という教育者個々人の力の集まりが大きな要素になっているのだと思います。ただただ不安と恐怖を蔓延させる現代社会の中で、考える力を持たせる豊かなコミュニティーを守り育てる事はとっても大事な事ではないでしょうか。巡り来る春に、親も子供に負けずに伸びて行かねば、と思う今日この頃です。

Posted by admin

『未来を! 父母もともに』 ―茗溪生OBに聴く進路選択における諸問題と親のあり方について―

 平成16年2月28日(土)13:45より、第一AVE室にて、上記のテーマでパネルディスカッションが、開催されました。対象は、進路選択の只中にある25回生の父母でしたが、卒業生の皆さん、進路指導部長の高島渉先生から、たいへん参考になるお話をお伺いできましたので、当日ご参加いただけなかった父母の皆さんにも、また子どもたちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

20040228-00.jpg

パネリスト
 大杉千春さん  22回生 
 村田瑞穂さん  22回生  
 春日洋祐さん  16回生 
 宇田川大介さん 14回生 

コメンテーター
 茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
コーディネーター
 25回生父母会学年委員長 古田島宏一

開会の挨拶 

古田島 進路の選択や個人課題研究など、様々な選択の時期を迎え、それぞれのお子さんがしっかりと自分で考え悩んで乗り越えていかれると思いますが、どんなふうに悩んでいるのか、また親がどんなアドバイスができるのか、などを知ることができたらということで卒業生の方々をお招きし貴重なご意見を伺いたいという主旨で今回の企画をいたしました。

20040228-06.jpg 古田島学年委員長

自己紹介および茗溪時代のことについて(部活等)

村田 大学で都市計画を専攻しています。茗溪時代は剣道部で、現在も剣道部にいますが、茗溪時代の剣道部が自分にとって人生の転機になったと思っています。また、今は他校生を知って、茗溪生は違うなぁと感じています。本当に恵まれていると実感しています。

大杉 茗溪時代は吹奏楽部でクラリネットをしていて、パートリーダーをしていました。今は大学でテニスサークルと考古学サークルに入っています。考古学というのは、茗溪時代の個人課題研究のテーマでもあったものです。
    
春日 茗溪時代は6年間ラグビー部で、勉強はせず、部活が終わると疲れて帰って寝る、という毎日でした。化学が好きだったため、一浪後に、大学は理学部に行き、その後、現在の大学院に進学しました。大学時代は陸上部に在籍していました。 

20040228-01.jpg 春日さん

宇田川 現在はオーディオ、ビジュアル、コンピューター関連の民生・業務用機器メーカーに勤務しています。茗溪時代はバスケット部に入って膝を壊し、吹奏楽部に入りましたが、やはり体育系がやりたくなって野球部に入りました。進学先の大学では中国語を専攻しました。茗溪出身というだけでラグビー部に誘われて1年間やりましたが、身がもたないので(笑)、茶道部に転部して3年間やりました。私は親が海外にいたため、中学1年生のときから茗溪の寮に単身赴任(笑)してきました。寮生は塾にいけないので親は心配といわれますが、そんなことはまったくありません。周りは全員が受験生なのですから皆競って勉強しました。

個人課題研究のテーマと進路の関係について

村田 私の個人課題研究は「特異日について」というテーマで取り組みました。環境問題に強い関心があり、また毎年北風祭が雨だったので特異日なのではないか、と思ったからです。この間に環境の文献をたくさん読みました。結果は、進路とは何の関係もありませんでした(笑)が、非常に有意義な1年でした。当時は生物関係か環境の方に進みたいと思っていましたが、AO入試不合格で、結局現在の大学で建築の方へ進むことにしました。
四年次の職業観セミナーで、建築に興味を持ったことが現在の進路に繋がりました。個人課題研究はまったく関係していません。

20040228-02.jpg 村田さん

大杉 個人課題研究のテーマは「緊急調査と遺跡保存」でした。始めはエジプトの考古学をやりたかったのですが、日本語の文献が少なかったので、高校生でも手の届くテーマにしました。これによって国内の考古学の知識が深まったと思います。在学している大学の場合は特殊で2年の終わりに専門が決まるので、今はまだ、考古学が進路に繋がるかは、私次第という状況です。

春日 テーマは「塩の単結晶」でした。小さい頃から理科が好きで、理科系の進路を選択しました。また、進路については研究者である父の影響もありました。化学のなかでも、有機化学が好きでした。茗溪時代は毎日が部活漬けで、勉強はしませんでしたが有機化学だけは好きでまったく苦痛になりませんでした。また、現在の専攻(有機化学)に関しては、大学3年時に出会った教授の影響が大きいです。個人課題研究は失敗でした。消してしまいたい過去です(笑)。でも、自分で考え試行錯誤したのは良かったと思います。進路にはあまり関係なかったと言えます。

宇田川 テーマは「PKOの自衛隊派遣」でした。非戦争国の日本のルーツを知りたかったからです。内容はさておき、その時自分が何に一番興味を持っているかを追求する事こそが大事で、進路に繋がる必要はないと思います。テーマを選ぶ事がまず大きな壁といえるでしょう。子供が何を選んだのか、ということに親御さんは興味をもっていただきたいと思います。

高島 最近よく言われるキャリア教育ですが、これはアメリカで1970年代、日本では1999年頃から文部省が言い始めた職業観教育のことです。茗溪では設立当初から職業観を持たせようということで個人課題研究があります。実際には個人課題研究が即、職業に繋がるのは、医学系・建築系・薬学系と言う傾向があります。でも一番大事なのは今自分がどういうことに興味があるのかを一生懸命考える事で、それによって別の道を見つけることもあります。また研究の中で考え方の訓練をする事が進学後に大きな力になっていると思っています。

20040228-03.jpg 高島先生

進路選択はどのように考えて大学はどこを志望されたか

村田 先ほども触れたようにAO入試に落ちまして、「国立なら一人暮らしをさせてやる」と親に言われたのも魅力で、また剣道部を続けたかった事や、どうせなら剣道の強い大学に行きたいと思って、今の大学を希望しました。でもセンター入試で8割取るべきなのに失敗して6割強しか取れなかったので、学部を変更して受験する事になりました。自分としては興味もさることながら、剣道部を続けたかったからです。これは茗溪時代の剣道部の先生方に大きな影響を受けたからです。

大杉 進路については、考古学か航空工学で悩みましたが、夢をとったというか物理が好きではなかったので文系に進みました。考古学と言えばあの大学だろうとも思いましたが、まだ何も知らない自分が進路選択を高校1年で限定するのが怖くなって、教養課程終了後に進路を選べる大学で深く教養を学べる大学が、自分にとっては今の大学しかなかったので、そちらに進みました。今の進学に有望視されていたわけではなく、その時の自分の学力でも受かりそうな大学で自分の希望するものはなかったので、選択はここしかなかったということです。塾や予備校には行かず、親にたたき起こされながら自分で勉強しました。

春日 大学の選択については、化学のあるところ、ということでした。高校生の頃は、英語は下から2番目のクラス、数学は一番下のクラスでしたから、一浪して3校受験し、受講したかった教授が居られる大学に進みました。大学選びに関しては大学名で絞るのは勧められません。進路選択は子供のやる気で決めるもので、目的に対していろんな道から行けるものです。親は子供の見つけた興味の方向にそって、「だったら、こんな方法があるよ」というようなその方法をサポートするのが、自分だったら嬉しく思います。

宇田川 僕はもともと外交官になりたかったのです。5歳から13歳までイギリスで過ごした事もあり、また政治や歴史に興味もありました。進学に当たっては6大学全てに落ちて、特殊な入試の、国立大学に入ったわけです。自分にとっては「どうして日本人にはゆとりがないのか」ずっと違和感を持っていまして、それで、生活の中のゆとりという観点から、音楽、映画もある今の会社に就職したのでしょう(笑)。進学にあたっては偏差値や大学名ではなく、子供の夢が大事で、夢をかなえる方法を紹介するのが親の役目かと思います。

20040228-04.jpg 宇田川さん

古田島 ありがとうございました。私たち親は自分達が経験した受験戦争を通してブランドの大学志向というのはどうしてもあると思いますが、個人課題研究などを通して指導されている茗溪の進路指導と大学について高島先生にお伺いしたいと思います。

高島 ブランドの大学は、それはそれで良いのですが、それだけではないということをどこまで理解でき、その大学の先に何があるかを見通させることが大切です。大学はブランドじゃない、などと奇麗事は言えますが、有名大学をことさら毛嫌いしたり、有名でブランドだからダメ、と言う必要もないわけです。茗溪ではその先にあるものを見通させる事を大事に考えています。そして、進路決定では、自己決定であることが本当に大事です。親が選んではいけないのです。親は情報と考えを子供に与えるべきです。そうした結果の進学先はたまたま、それがブランド校かもしれないし、そうではないかもしれない、ということです。

親に言われて嬉しかった事辛かった事

村田 親子喧嘩をしてください。うちはどちらも頑固なので2日に1度はしていました。親はどんどん、子供のお尻を叩くべきです。その時はとてもウザかったのですが、決して子供に嫌われたくない、なんて思ってはいけません。言いたい事を言わなければお互いの関係はギクシャクして結局どちらの為にもなりません。相手が何を考えているのか把握していないと意志の疎通ができません。それでは子供が突っ走っても親はサポートする事は難しいです。部活で疲れて帰ってきたときに「勉強しろ」といわれるのは腹立たしかったけれど、今では、金銭的にも精神面でも、さらに方向性においても自分が見失った時には上から押し付けるのではなく下から押し上げるかたちでサポートしてくれた寛大な親に感謝しています。自分で道を切り開いたと思っていますが実は導いてくれていたと言えます。

大杉 「もうだめ〜」と言っているときに「がんばれ!」とか「他の皆はこんな時こそ頑張っているのよ」とか言われてむかついていました。でもむかつくと言う事はそれが自分にとって身にしみてわかっていると言う事で、母にお尻を叩かれるパターンでした。母は関西弁でガミガミ言う方でしたが、父は黙ってみていてくれたのがよかったです。受験を目前にして焦ってイライラしている時に、受験校のデータを集めたり、併願校の受験日のスケジュールを立てたりしてくれたことは物理的にも精神的にも本当にありがたかったです。「協力してあげているんだよ」「気にしているんだよ」という態度が大事だと思います。

春日 私の場合、親に尻は叩かれましたが勉強はしませんでした。お陰で両親にはお金を多く出してもらう事になってしまいました(笑)。親からは「自分で決めろ」「決めたら最後までやれ」「後悔のないように」と言われていました。高校生には厳しい注文だったかもしれません。自分の人生なんだから自分で決めろというのは、自分に任されるのは嬉しい事である反面、様々な決断においては辛く不安なことでもありました。金銭面では、私立の中高・浪人私立の大学、現在の学費まで、未だにサポートして貰っているわけですから本当に感謝しています。

宇田川 母は普段はうるさかったです。父は航空会社ですが、学歴で苦労しているので、「大学だけは出ておけ」と言いました。母は、このときだけは何も言いませんでしたね。

高島 親の放任主義はダメです。「好きにしなさい」という場合には子供を信頼しているという信頼感が前提でなければいけません。「本当におまえの事を思っているんだ」ということがちゃんと伝わっているかが大切です。でもこれも微妙で、子供の為といいながら、親の見栄の為だったりします。親のために言ってはいけません。本当に子供の為に言っているのか、ここを真剣に考えていれば全然違ってくると思います。「エデンの東」という映画をぜひ見てください。子供は親の信頼が必要なのです。

後輩にひとこと

村田 部活をしている後輩にひと言。「部活は最後までやりとおしてください。」と言いたいです。部活を続けるのは大変な事です。何があっても逃げない事がその後に重要になってきます。成績はどうでもいいんです。部活をやりぬくことは難しいですが、その時の仲間はこれからもずっと気の置けぬ友人です。部活をして勉強ができないというのは嘘です。定期テストの点数が悪くても基本を理解していればいいのです。引退後に応用力が付いてきますので、どんなに部活で疲れていても基本だけはやってください。是非、文武両道を目指して頑張ってください。

大杉 吹奏楽部でパートリーダーをしていたので、部活を止めたいという相談をうけることはよくありました。部活も勉強もいいかげんな取り組みをしている人に限って、塾に行く為に部活をやめる、と言い出す人がいました。そういう人が部活をやめて塾に行って成績があがった例は、少なくとも私の知る限りみたことがありません。部活をさぼって駅でうろうろしていたのが塾をさぼって駅でうろうろするようになっただけでした。「成績が悪いから親が塾に行かせる」のでは本人の気持ちに整理がつかないのではないかと思います。そうじゃなくて、頑張れない理由をさがすのではなく、頑張る理由を見つけて自分に負けない事が大切だと思います。

20040228-05.jpg 大杉さん

春日 先ほど文武両道という話がありましたが私の場合はラグビーだけでした。ただ、6年間やりとおしたことは自信に繋がりました。やめるのは簡単ですが継続するのは難しいことです。部活を続けられたという達成感が本当に大事だと思うので、お子さんがやめたいと言い出したときには、もう少し考えるように言われるといいかと思います。あとは英語をしっかりやってください。私は高校時代英語が苦手でずっと逃げていたので今はそのしっぺ返しを受けています(笑)。どんな仕事にも英語は大事です。親はただ「勉強しなさい」と言うのではなくて、英語に興味がもてるようなきっかけを作ってあげて欲しいと思います。最後に、勉強以外に、その年代でしか出来ない事をたくさん経験して欲しいと思います。茗溪ではたくさんの行事がありますが、それだけではなく、もっと社会に出ていろんな経験を積んで欲しいと思います。

宇田川 茗溪にはファンが多いですよね。まぁ、僕達を見てそう思うのか(笑)、人間として芯が通っているのが茗溪生だと思います。卒業した大学も茗溪に似た学校で、得したと思っています(笑)。今振り返ってみると高校時代にもっと職業観に関する情報があったらよかったと思います。自分で調べていると華やかな仕事にばかり目が向くのですが、実際には華やかではなくてもいろんな面白い仕事があるものですよね。僕も生徒に語るのならいつでも来たいと思います。

高島 職業観セミナーは16回生から始めたので、14回生はなかったんですよね。宇田川君が言ったようにこれはいいんですね、働く事=生きること、ですからね。また大杉さんが言った「頑張れない理由を探すんじゃなく頑張れる理由を探す」というのは素晴らしい名言ですね。春日くんの「その時にしかできない経験を」というのも、素晴らしいですね。14回生の生徒で、高校2年の1月にNHK「青春メッセージ」の関東甲信越の代表に選ばれ全国大会に出たことがありました。その後高3の夏に、その時の代表だけで中国に招待されたのです。一番受験生には大事な時期ですから彼女は悩んで相談にきました。でも私は「絶対に行くべきだ」と言いました。なぜならこんなメンバーで中国にいけるのはこのときしかないわけです。大学受験は翌年もあります(笑)。でも、現役で北大に受かった彼女は「あの時の遅れがあったから頑張れた」と言っています。部活をやめて塾に行っても成績は伸びないんですよね。不思議にそうなんです。部活を最後まで頑張った子は6月に部活を終えて、8月頃からエンジンがかかり始めます。どんなにやっても成果がでるのは3ヵ月後ですから、11月の最後の模試もいい結果は出ないのですが、そこからまた3ヶ月やりますから、受験でいい結果を残しています。そういうものです。茗溪生はインターハイや花園など、ぎりぎりまで忙しいので、模試結果と合格に差がでるわけです。大事なのは、部活を最後までやり通した達成感なんですよね。

茗溪時代に影響を受けた友人・先生

村田 先生ではなんといっても剣道部の顧問の先生です。剣道だけではなく人間としても尊敬していますから、人生を大きく変えられたと言えます。友人で影響を受けた人はいっぱいいます。がり勉じゃないのに勉強ができるセンスのある人とか・・。

大杉 5・6年の担任の先生、進路指導の先生にお世話になりました。エジプト考古学をされていた先生には個人課題研究でも大変お世話になりました。茗溪の先生は凄い先生が多く本格的な活動をされている方が多いので、興味のあることはどんどん伺うといいかと思います。

春日 ラグビー部でしごいていただいた先生にはプレーを通していろいろな事を教えていただいたと思います。部活ではいろんなキャラクターの人間がいますが、試合ではまとまらなくてはいけないので、仲間のことも把握しなくてはいけないので影響は大きかったと思います。

宇田川 魔の14回生としましては影響を与えた先生のほうが多かったかもしれません(笑)。自分達の学年は早熟だったわりには卒業までに大人になれなかったような印象を持っています。本当にお世話になりました。

高島 だれでもいいから、1人でいいから、心を許せる先生がいるといいですよね。10回生の女の子で、いろんな先生に「もっと積極的になればいいのに」と言われて悩んでいた時に、私のところに来たので「積極的にならなくてもいいんじゃないの。1人ぐらい積極的じゃない子がいたほうが面白いよ」って言ったらしく、それで救われたと言うんです。子供ってみんなと違うと不安なんですよね。でも、多様性が必要なんです。均一性を重んじるというか、日本では出る杭は打たれちゃうんです。でも「出る杭は打たれるけど出すぎた杭は打たれない」んですよ。だから、どうせなら出すぎちゃえばいいんです。積極的な子も消極的な子も面白い子もまじめな子も、いろいろな子がいていい。われわれ茗溪の教師には子どもを多角的に見ようという思いがあるんです。だから、是非、そういう多様な友達や教師に出会って欲しいですね。

(以上記録 宮本恵子)

学年委員長 古田島 宏一
 今回のイベントに際しましては、昨年24回生の学年委員長だった秋元さんに貴重なアドバイスをいただきました。昨年行われたイベントが非常に良かったということをお聞きし、25回生としても是非負けないようなイベントを行いたいということで考えていました。卒業生を呼んで話してもらおうということはすぐに決まったのですが、それが父母を対象にするのか、生徒に話してもらうのか、また卒業生はどのように探したらいいのか等、役員、先生方の間でも意見がいくつか出てきました。話し合いの結果、対象としてはこれから子どもを陰からフォローしていかなくてはならない父母とし、OBとしては、卒業されてまだフレッシュな感覚を持たれている年代ということで名波先生、高島先生にご紹介いただきました。
私のほうで何人かの方にお願いの電話をしたのですが、どなたも非常に気持ちのいい対応をしていただいたのにはさすが茗溪生と感激した次第です。今回来ていただいた4名の方々には、お電話とメールでお願いしたのですが、特にメールではお忙しい中、事前質問への丁寧な回答をいただき、それを読ませていただくだけで胸が熱くなる思いでした。
高島先生もおっしゃられていたように、特別に選んだ訳ではなかったのですが、どなたも、茗溪生らしい清清しさと明快なお考えをお持ちで、ひと言ひと言が私たち父母の心に時には熱く、時には心強く響きました。
この記録ではお伝えできない言い回しや雰囲気もありますが、脈々と続く茗溪の良さが来年以降の回生にも伝わることを祈念いたします。最後にさまざまなアレンジをお願いしました学年主任の名波先生、素晴らしい語り口でイベントを盛り上げてくださった高島先生、当日ご参加いただいたたくさんのご父母に心より感謝申し上げます。

父母の感想
・是非子どもを対象に企画してほしい。
・個人課題研究が必ずしもイコール進学科目ではないということ、それよりも一年かけてその中でいろいろな発見をすることが大事であるということ、本人だけでなく親も関わっていけたらと思っている。
・個人課題研究のテーマが決まる前にやっても良かった。もう少し早い時期にやればもっと良かった。
・親の役割についての議論は参考になった。基本的に親と子の信頼感がベースになければということが分かった。
・とても出来の良いお子さんたちという印象。レベルの高い方たちばかりだったように思う。優秀な先輩方ばかり。
・子どもと近い年代の先輩方から生の声が聞け、親がサポートできる具体的な例を教えていただけてよかった。とても分かりやすく先輩方の意見を聞けた。
・我が子の進路に頭を悩ますこの時期、茗溪ならではの企画で、卒業生の楽しいお話を聞けてよかった。今一度、暖かい目で子どもを見守ってやれるような気がする。
・不安を抱えての親子喧嘩も多く、毎日が暗く悲しく思っていましたが、卒業生の経験から希望を持てる勇気となりました。
・有名な先生の講話より、私たち親が、子どもたちが今一番知りたいことをたくさんお話いただけてよかった。
・安心したり、うなずけたり、ああそうだと反省させられたり、「今」を感じながら、考えさせていただきました。
・日ごろ親の考えを強制しがちですが、子どもの気持ちを尊重して、本人のやる気を引き出してやるということが大切なのだと思いました。

Posted by admin
第4学年父母会委員長 古田島 宏一

 今年思いもよらぬ学年委員長という大役を仰せつかり、何とか1年無事に過ごせましたのもご協力いただいた役員や先生方、また父母の皆様のお陰と感謝いたしております。
 今年の父母会役員は12名のうち半数の6名がラグビー部の子どもを持つという、団結力とパワーのある役員会になりました。7月に第1回の学年父母会を開催し、臨海訓練に対しての注意事項の説明や、9月の職業観セミナーへのお願いなどが話されました。同時にこの日学級父母会で食事会等を行い親睦を深めたクラスもありました。次の11月の父母会では個人課題研究、文理選択などの説明がありました。
 第3回は、学園の日程の関係で時期的に遅くなってしまったのですが、2月28日に「未来へ!父母もともに」と題して、父母を対象としたパネルディスカッションを行いました。高校1年から2年に移行するという子どもも父母もいろいろと不安な時期に、茗溪学園の卒業生の方々においでいただき、その頃のことをお話していただくことにより、少しでも父母の参考になればということで企画しました。準備に際しては24回生の前委員長秋元さんに貴重なご助言をいただき大変助かりました。パネリストの方々は14回生、16回生、22回生2名の計4名の方にお願いしましたが、電話とメールで参加をお願いした時も事前に質問事項についてお答えいただいたときも皆さん非常にさわやかな方ばかりで茗溪生の素晴らしさを改めて認識しなおした次第です。お陰さまで沢山の父母の方にもおいでいただき、高島先生のユーモアと温かさあふれるアドバイスもあり、感動的な時間となりました。
 25回生は合唱が大好きで、素晴らしい歌を毎回聞かせてくれ、私もいつも楽しみにしています。主旋律を歌う女子の影で「ウーウー」ばかりの男子も大きな声でがんばっていて、あのハーモニーは仲間を思いやる心がひとつになって響いていると思いました。このハーモニーを宝にしてきっとこれからも充実した学園生活を送ってくれることと期待しています。
 なお、パネルディスカッションの詳細はこのホームページで紹介しますので是非そちらをご覧ください。

Posted by admin
1学年委員長 齊藤 修一

 1年間がこんなに早く感じた年はなかった。
 昨年度までの例にならい、28回生も同じような行事を・・・と、役員をお引き受けした時には考えていた。しかし、学校や先生方とのスケジュールの調整には随分と苦労した。茗溪学園は行事も多く、教育熱心な先生方は年間を通して本当にお忙しい。そのような時、学校や先生方、また役員同士の連絡網や意見交換等に、電子メールは随分と重宝した。昔のように電話連絡のみに頼っていては、誰もが忙しいこの時代にとても対応などできなかっただろう。
 子供たちのことをまず考える時、学校や先生方への信頼感はもちろん重要だが、父母同士の連帯感も必要に思う。どのような方法なら、父母同士の連帯感、親近感は芽生えるのだろうか?
 子供の友人を知る事、そのご両親を知る事、それらは授業参観で自分の子供の様子を知ることと同じように大切だと思う。父母は学校からの連絡事項をただ受身で聞くのではなく、自分たちからも働きかけていくことが必要ではないだろうか。それは、自分の子だけでなく、学年、そして学校全体を考えた活動をしていくことにもなる。そのためにも、父母同士の親睦を深める機会を設けたかった。活動したいことの半分も実行に移せなかったことが一番の反省点である。
 だが、28回生はまだ始まったばかりである。これから卒業まで5年間の付き合いが続く。まずは、役員や筑波山キャンプを始めとする行事へのボランティアにより多くの方に参加していただくことが、父母同士のネットワークの拡大に繋がり、それがより充実した活動に反映されるものと思っている。

Posted by admin

茗溪学園24回生の父母に贈る卒業生からのメッセージ
 「あの頃、親に言いたくても言えなかったこと、言って欲しいのに言ってもらえなかったこと」

 平成15年2月1日(土)13:30より、第一AVE室にて、上記のテーマでシンポジウムが、開催されました。対象は、進路選択の只中にある24回生の父母でしたが、卒業生の皆さん、進路指導部長の高島渉先生から、たいへん参考になるお話をお伺いできましたので、当日ご参加いただけなかった父母の皆さんにも、また子どもたちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

パネリスト(敬称略)
 山川智子 10回生 大学・高校講師、大学院生
 高端正幸 11回生 シンクタンク研究員
 松延純司 12回生 航空会社勤務
 松延美鈴 12回生 テクニカル・ファーマシスト
 鳥山暁子 16回生 大学院生(建築)
コメンテータ
 茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
コーディネータ
 24回生父母会学年委員長 秋元和夫

20030201-01.png 20030201-02.png

20030201-03.png 20030201-04.png

20030201-05.png 20030201-06.png

●自己紹介,茗溪時代を振り返って
山川 ドイツ語の教師をしています。大学院では、EUと日本の言語政策の比較を通して外国語教育の多様化について、研究をしています。今、振り返ってみると、茗溪学園の教育は、多様な個性・興味を伸ばすものだったと思います。これは、現在の私の研究にも生かされていると思います。

高端 茗溪学園に入学したのは、留学がしたかったからです。小学生の頃から、広い世界を見てみたいという願望がありました。高校2年から、UWCのイタリア校に留学できたのは、たいへん得がたい経験でした。留学中しっかりやれたのは、それまでの茗溪での4年間のおかげだと思います。

鳥山 小学校の先生が、あなたは変わっているから、公立の学校だと苦労するかもしれないと茗溪学園を勧めてくれました。茗溪では、個性的なことが当たり前で、それぞれ自分のやりたいこと探してがんばるという感じだったと思います。大学に入ってから論文を書くのに、人と違った視点を見つけて書いてやろうと思えるのは茗溪時代に身に付けたことが役立っているのだと思います。
昨年修士の卒業制作として、つくば市内で両親の経営するカフェ、ギャラリーの設計・内装をやらせてもらいました。

松延純 茗溪学園では、いろいろな経験をさせてもらえました。6年間一緒に過ごした友達とは、価値観も同じなので、今でも腹を割って話し合うことができます。隣にいる妻は、高2、高3のクラスメートです。高校時代から、航空業界に入りたいと思っていました。これを貫いていけたのも、茗溪のおかげと思っています。

松延美 茗溪学園に入ったのは、両親が見学に来て気に入り、勧められたからです。私自身は、寮生活ができることに惹かれました。まわりに、海外生がたくさんいたので、いつかは留学したいと思うようになりました。社会人になってから、シアトルに1年間留学しました。

高島 本人たちを目の前にして言うのも何ですが、ここにいる卒業生たちは、たいへんしっかりしていますが、ことさらに特別優秀な人たちを選んだわけではありません。(笑)

●進路選択
松延美 母は薬剤師で、父は理系の研究職でしたので、自分もなんとなく理系に進みました。個人課題研究は、「月経周期の調整について」をテーマに取り上げました。遠泳の時、薬で月経周期を変えた経験があり、興味をもったからです。かといって、薬学部に行こうとは高校3年の夏まで決まっていませんでした。夏休み前に、担任の先生に聞かれたときも、どうしたらいいのかわかりませんでした。先生には、「夏休みは勉強しなくてもいいから、いろいろな本を読んだり、人に会って話を聞いたりして、何がしたいか決めろ。それが、お前の宿題だ」と言われました。これが、とても力強い支えになりました。

松延純 小学校の時から、飛行機のパイロットになりたいと思っていました。個人課題研究は、「飛行機の翼について」でした。大学は航空宇宙工学科に進みました。やりたいことがはっきりしていましたので、迷うこともなく大学には推薦入学で入ったのですが、卒業する頃になるとこのままでいいのかという疑問がわいて、大学院に進みました。その後は、当初の目標どおり、運良く航空会社に就職することになりました。

鳥山 父は彫刻家、母はジュエリー創作家ですので、自分の適性や職業をなかなか考えられませんでした。両親を見て、自分はもっと現実的な仕事に就きたいと思うようになりました。建築を選んだのは、手と頭の両方を使う仕事だと思ったからです。個人課題研究は、「美術館の建築」というテーマで、いろいろな美術館の建物をみて、建築家の仕事に興味がわきました。4月からは、建築会社の設計部に就職します。

高端 小学生の頃から新聞を読むのが好きで、時事問題に興味がありました。数学が好きでなかったので、文系に進むことにしました。個人課題研究は「南アフリカのアパルトヘイト」でしたが、UWCに行くことになったので、途中までしかできませんでした。UWCについては、将来につなげるほどの考えは持っていませんでした。イタリアは、当時東欧諸国に変化があったので、東欧に近いところということで選びました。
 日本に戻ってから、帰国子女枠で横浜国大と京大に合格しました。親は京大を強く勧めましたが、自分は横浜国大を選びました。しかし、入学してみるとそれまでの2年間がとても充実していたので、大学が物足りずにバドミントンばかりやっていました。しかし、そのまま社会に出るのは嫌だと思い、大学院に進みました。人に決めてもらうと後悔が残ったと思いますが、自分が決断したことは自分が責任をとるという気持ちになれました。

山川 父は「地震と火山」について研究していました。単身赴任が長く、地震が起きると職場に駆けつけるという仕事でした。それを見ていて、私にはとてもできないと思いました。母には、戦後の混乱期にあったため「自分は若い頃勉強することができなかった。あなたは恵まれている」と言われました。
 文学やことばに興味があったのと、茗溪在学中に東西ドイツが統一したこともあり、ドイツ語を学ぼうと思いました。ところがドイツ語は、今の日本では需要が少なくなっています。仕事に就こうとすると、非常勤の仕事しか見つかりません。そこで、言語教育全体を横断的に考えようと大学院に入りなおしました。

●親に言ってもらいたかったこと、言いたかったこと
高端 茗溪学園時代は、親が自分の世界に入ってくることが嫌でした。面談や部活に、親が来るのさえ嫌いました。親より、友人とのかかわりの中で、悩みは共有してきたと思います。父は、成績についてはとてもうるさかったのですが、今になってみれば、それくらいでちょうどよかったのかも知れないと思えます。

山川 中学・高校生に正論や常識を押し付けても、仕方がありません。私は、仕事のグチなど、もっと打ち明けた話を親から聞きたかったと思います。父は、ずっと単身赴任していましたし、母は祖母を介護していたので、親をあまり困らせるようなことは言えませんでした。

松延純 進路選択については、親とあまり相談しませんでした。相談すれば、勉強しろと言われそうでしたし…。特に、父親とは距離があったように思います。個人課題研究の時には、相談したかったのですが…。私には、双子の兄がいて、同じく茗溪生でしたので、二人で相談しあえたのはよかったと思います。

鳥山 部活(吹奏楽)にあけくれ、家に帰ると疲れてイライラしていました。部活がなくなってから、親との会話がスムーズに行くようになりました。受験勉強だけすればいいと思ったら、逆に勉強が楽しくなりました。うちの親は、「そんなに勉強ばかりすると、頭が悪くなるよ」と言うような親だったので、自分がしっかりしなければと思っていました。(笑)
 勉強するようになって、理系の科目は成績が上がったのですが、暗記が苦手で文系の科目がどうしてもよくなりません。家の経済状態を考えると国立へ行かなくてはと思いましたが、自分の成績では無理です。「私立に行かせてください」と、やっとのことで親に言いました。すると、親は「がんばってあなたを学校に行かせるのは私たちの仕事だから、あなたは好きなだけ勉強しなさい」と言ってくれました。本当に、ほっとしました。

松延美 親には社会に出たらどういうことがあるか、具体的に言って欲しかったです。高校生の頃は、いったい世の中にどんな職業があるのかよくわかっていないので、いろいろな職業の人に会わせてもらう機会があれば、良かったと思います。
 両親からは、女性であっても、自分と子どもが食べていけるだけの経済力を持ちなさいと言われていました。それは、職業選択にも影響したと思います。
 茗溪学園時代は寮に入っていたので、母親からは手紙や電話をよくもらいましたが、自分からはほとんど連絡をしませんでした。あるとき、母親と電話でけんかになり、いきなりこちらから電話を切ってしまいました。わたしは、もうそれですっきりしていたのですが、2時間後に寮の廊下を歩いていると、向こうから突然母が現れて、「さっきの電話の切り方は何?」と叱りつけられたのにはびっくりしました。夜も遅いのに、東京から電車を乗り継いで、すぐに母はやってきたのです。ああ、この人にはかなわないなとつくづく思いました。
 今はもう亡くなった母ですが、この母の思いに恥じないような行動をしなければといつも思っています。親の強い思いは、子どもに必ず伝わると思います。

●高嶋先生のコメント
 自分が何に興味があるのかわからない子は、大勢います。進路の決定に際して、結果的に適当になってしまう子は必ず何人かはいますが、そうなるまでの過程が問題です。なによりも、本人が自己決定することが大切で、そうしないと後で躓いたとき、自己責任がとれません。ただし、親は突き放したら、放って置いてよいというわけではありません。「好きにしなさい」ということばを発するときには、「信用しているから」という思いが伝わっていなくてはなりません。叱るときも、信用していないから叱るのではなく、その部分について理解してくれるだろうという思いをもって叱ることです。結局、子どもに伝えられるのは、親がその子をどれだけ信頼し、どれだけ愛してきたかということくらいですが、それがまた、大切なことでもあると思います。
 これから取り組もうとしている個人課題研究は、将来の職業につながればよいのはもちろんですが、直接つながらなくとも、ここで人生を考えて、人間の幅を広げていくことができます。また、論文のまとめ方や研究の姿勢を学ぶという点では、たいへん役立つと思います。

(記録まとめ 筒井圭子)

●秋元学年委員長の感想
 茗溪生とは、これほど魅力的で素晴らしい人材に成長していくものなのだろうか。パネリストの方々の高校時代を想像し、わが子を重ね合わせてみようとしてみても正直ギャップが大き過ぎるとの印象を禁じ得なかった。そこで、コメンテータの高島先生にその点を繰り返し確認したわけだが、本人を前にしてもその答えは一貫して「ごく普通の茗溪生」との厳しめの評価であった。終了後、パネリストのお一人は、「お子さんも自分なりにいろいろと考えている筈です。心配ないですよ」と言ってくれた。また後日談として、その方からは「これまでの人生をあれだけの発言で要約したとき、苦悩と迷いに満ちていた思春期の自分が、何とすっきり、こぎれいに描けてしまうのだろうと、我ながら時の経過を痛感した」とのメールもいただいた。親ばかと言われるかもしれないが、「わが子も少しは期待できるかな」と安堵し、「もっと信頼してみよう」と思えるようになったのは、この行事の最大の成果と言えようか。

●役員父母の感想
 24回生を持つ親として、茗溪学園残り二年間、見えない不安を思いつつの今日この頃でしたが、卒業生の笑いあり涙ありのディスカッション後にはスッキリした気持ちになれました。子供を信じ落ち着いて見守っていこうと思いました。主人と共に参加させていただき、すばらしい機会をありがとうございました。(4E 岸川)

 昼食を共にしたときの会話の中で、パネリストの方達の肩の凝らない、気負いのない自然体を感じ、「皆さん、お若いのに落ち着いているな〜。」という印象を受けました。この“落ち着き”はどこからきているのだろう…?「自分自身と真っ向から向き合い、努力を惜しまず、物事に突き進んでいる。そういう”自信 ”からなのか!」とシンポジウムのお話を伺いながら納得しました。我が子の10年後の姿を思い浮かべながら…(4B 大和田野)

 考えてみれば、子どもに限らず、すべての人間関係は「愛と信頼」なのですね。娘とともに、お互いの「愛と信頼」を量りにかける毎日です。(4C 筒井)

20030201-07-thumb.png

Posted by admin
平成14年度 6年学年父母会委員長
大橋 勉

1.卒業を間じかに控え、六年間を振り返るとさまざまな行事が多かったことに、あらためて驚きます。年間行事予定表を見ると、生徒も先生も本当に忙しく、この六年間を走り抜けて行ったと思います。更に、多くの行事が普通に当然の如く行われていることが驚くことです。私たちが見ているのは当日の行事だけで、実は準備、反省会等も重要な活動としてある訳でその取り組み状況を見ることができたなら、またまた、驚く事でしょう。観念だけでは何も生まれない、多くの行事を通して、「行動」と「挑戦」の中で学ぶ。経験によって自ら動いて、新たな課題に挑戦し、そこから学び取る。中1里見キャンプ、中2筑波キャンプ、中3福島巡検、高1臨海訓練、高2英国研修、又校内活動として、英語劇、合唱コンクール、クロスカルチュラルトーク、文化祭、北風祭、寒稽古、球技大会等、又外部に大きく働きかけている美術展があります。これらに果敢に挑戦する生徒たちのエネルギーには眩しさを感じます。そして、この活動を支えている先生方の振る舞いに接した時、教育を実感します。
 
2.この六年間で学校の制度にも変化が有りました。短期入寮制度、隔週5日制、オープンキャンパス等々現時点では、変化の大きさは実感できませんが10年、20年後に振り返って見た時、この時期は本当に大きな変化点であったと思うに違いありません。今、子供たちの心は「ゆとり教育」と「偏差値教育」の狭間で大きく振幅し、更に「学力低下」の合唱に曝されています。教育改革の一貫性が見え辛くなっているようです。茗溪学園の建学精神と教育実践の慈雨は、この荒波を乗り越える強い力と優しさを子供たちの中に湧き上がらせようとふりそそいでいます。父子共に歩んだ六年間の足跡には、輝きと喜びが満ち溢れている想いが致します。

Posted by admin
平成14年度 4年学年父母会委員長
秋元 和夫

 この学年は、臨海訓練(いわゆる4キロ遠泳)、個人課題研究のテーマの選定、将来を見据えた進路選択、進級後の履修科目の選択など、父母にとっても一大関心事となる名物行事が目白押しで、計3回の学年父母会はいずれもこれらのテーマを巡るものとなった。
 5月11日、11月9日の学年父母会では、学年主任の黒澤先生、臨海訓練ご担当の宮崎先生、進路指導部長の高島先生など、多くの先生がたから、私たちが徒に不安を抱いたり、無関心にとどまることのないようにとの、配慮に富む丁寧なご説明、ご指導をいただいた。
 そして去る2月1日には、役員が半年かけて練り上げた「卒業生によるパネルディスカッション」を実施した。10〜16回生から選りすぐった5名の卒業生のかたがたは、「ごく普通の茗溪生」として迷い悩んだ想い出多き高校時代を振り返り、私たち4年生の親たちに、この時期「こどもを愛し、信頼する」ことの大切さを涙と笑いを交え熱く語ってくださった。

Posted by admin
平成14年度 2年学年父母会委員長
沖 正昭

 2002年度は、生徒が中学2年生というとても大事な時期に、先生がた、そして御父母のかたがたとともに三位一体教育の推進を目的に活動してまいりました。
学年父母会開催を中心に、授業参観、給食試食会、懇親会、バーベキュー大会などをクラス単位で開催しました。
主たる行事としましては、筑波山キャンプのボランティアに参加し、父母からの提案を取り入れてくださいましたレスキュー訓練の体験カリキュラムを実施したことです。これは60名を超えるボランティア参加者の協力を得て成し遂げることができました。
 この活動を中心に「筑キャンT−シャツ」の作成と、思い出となりますキャンプのスナップ写真をCD-ROMとして残しました。また、これを機に26回生父母会の有志により、「心の絆の会」を発足しました。英語劇、合唱コンクールなどで直接生徒の活躍に出会える行事が今後なくなるため、この会が情報交換の場としてお役に立てればと考えています。

Posted by admin