今回は英語科のイベット・フラワー(Yvette Flower)先生です。
2010年7月21日(水)、茗溪学園会議室でインタビューに答えていただきました。
父母会HP編集委員会 塩田(35K)、斎木(35K)、川崎(34K)、森田(30K)
-ご出身はどちらですか?

出身地はニュージーランドのネルソン市(Nelson)、南島の一番北にある港町です。首都ウェリントンのある北島から飛行機で30分程の場所にあります。
小学校は、ネルソンにあるエナグレン小学校(Enner Glynn Primary School)。家から徒歩5分の場所にありました。Enner GlynnのGlynnには谷という意味があります。中学校はワイミア中学校(Waimea Intermediate)。ワイはマオリ語で水の意味です。住んでいた郊外に中学校がなかったためバスで通学していました。高校はネイランド高校(Nayland College)で自転車通学でした。大学は、南島で一番大きな市のクライストチャーチ市にあるカンタベリー大学(Canterbury University)です。

-生まれ故郷のネルソンはどんなところですか?

海があって山もあるので、とても綺麗なところです。大聖堂があり、メインストリートがあり、とても素敵です。海でも泳ぎますが、川や湖でも泳ぎました。良い思い出です。自然が豊かで美しい場所です。「ジュラシック・パーク」や「ロード・オブ・ザ・リング」、「ナルニア国物語」などの映画もニュージーランドで撮影されました。
-どんなお子さんでしたか?

とにかく本が大好きでいつも本ばかり読んでいるので母に怒られました。トイレに入るときも必ず本を読んでいたので、母はトイレを図書室と呼んでいました。「ナルニア国物語」シリーズが大好きで、子どもの頃作者に手紙を書こうと思ったら、私が生まれる前に既に亡くなっていたと知り、すごくがっかりした覚えがあります。他には、神話、伝説、SFなどが好きです。
外で遊んだりするのも好きで、妹とよく遊んでいました。庭が広くて芝生も多かったので、夏には手伝いで毎週芝刈り。それが嫌で仕方なかったです(笑)。
-大学時代の専攻は?

もともと言語に興味があったので、大学では英語と日本語を勉強しました。日本語は高校のときから勉強し始めました。当時、イギリスがEUに入り、ニュージーランドはアジアに新しい貿易先を求めていました。その影響で日本語教育も始まり、私が高校1年生の頃から日本語のコースができました。それまではフランス語を教えていた先生が、突然日本語を教えるための勉強に行かされるなどのエピソードもありました。勉強していくうちに日本語が好きになりました。
-日本にいらしたきっかけは?

カンタベリー大学を卒業後、奨学金で筑波大学に聴講生として日本語を勉強しに来ました。ニュージーランド人は大都会に慣れていないから東京に行くのは心配ということで、ニュージーランドの大学の先生から、自然が多く残っているつくばの大学を奨められました。
-つくばに降り立って初めての感想は?

成田に着くはずの飛行機が霧のため、羽田に着いてしまいました。筑波大学からの迎えの人は成田空港で待っていたので、自分たちだけでタクシーでつくばまで来ました。タクシーの運転手さんも東京のかたで、つくばのことが良く分からずに筑波大学の構内をぐるぐると廻って、大学の本部へ行くはずがなかなか辿り着けず、筑波大学って広いんだなあ、と思いました。逆に、寮の部屋はとても狭い印象でしたね。両手足を広げると壁に届いてしまいびっくりしました。大学の宿舎の放送は茨城弁が強く、聞き取るのに苦労しました。それもとても良い経験でしたね。

-その後は?

奨学金での勉強は1年半でした。終了後は日本に残り、英語を教えたり自分で勉強したりしていました。そして、最初の予定にはなかったのですが結婚をしました。つくばに来てから2年後のことです。茗溪の先生の紹介で、今の夫と知り合いました。
-ご主人との出会いについてお伺いしてもよろしいでしょうか?

夫と同僚だった私の知人が、当時茗溪学園でラグビーの先生をしていたイギリスのウェールズ出身の男性を紹介しようと、茗溪学園でのパーティーに私を招待してくれました。私は車を持っていなかったので、知人から「ちょっとイベットさんを車で迎えに行って会場まで連れて来てちょうだい」と頼まれたのが、今の夫でした。ところが、車で茗溪学園へ行くまでに道に迷ってしまい、この辺りを車でぐるぐる廻っているうちに、車中、2人でとても話が盛り上がり意気投合して、お付き合いをすることになりました。ウェールズの先生? 話はしましたが、ちょっと合わなかったかな(笑)。
その後、主人が台湾の海外日本人学校に転勤するのをきっかけに結婚することになり、4年間台湾で暮らしました。大学で中国語も1年間勉強していたので役立ちました。台湾でも私立学校で英語を教えました。
-茗溪学園との出会いはどのようなものでしたか?

台湾から日本に帰国後、茗溪学園に就職しました。筑波大学の聴講生のときに知り合った、当時茗溪学園の英語科主任だった日野克美先生から、「つくばに戻って来るのなら茗溪に来てくれないか?」と誘われたのがきっかけです。
-今までの人生で嬉しかったことは何がありますか?

子どもが生まれたことです。娘が2人います。 2人とも茗溪学園を卒業し、現在は大学生です。
初めてイギリスに行ってウエストミンスター寺院に行ったときも嬉しかったです。私の先祖はイギリスからニュージーランドに開拓者として行ったので、そこでいろいろ繋がった感じがしました。
-お子様の言語についてはどのようなお考えでしたか?

娘たちは日本で生まれ育っているので、日本語が母国語ですね。英語は覚えてほしかったけれど、それが子供達のプレッシャーになるのは嫌だったため、親子の関係を第一に考え、英語の勉強は強制しませんでした。ニュージーランドにしばらく行かせることも考えましたが、父親から1年間離して暮らすということには不安がありました。そこでニュージーランドの母に多く日本に来てもらい、英語でコミュニケーションを取ってもらいました。上の娘は今、英語で「トワイライト」を読んでいて、下の娘は英語は嫌だと言いながらも、大学でいきなりESSに入ったりなど、自分なりに勉強しようと思っているようです。
主人の両親は茨城県出身で茨城弁が多く入るので、主人には標準語で話してもらうようにしています。茨城弁も聞き取りは大分できるようになりました(笑)。
-10年後、20年後、30年後の自分はどうされていると思いますか? 

いつとは言えませんが、将来は主人と一緒にニュージーランドにしばらく住みたいと思っています。ネルソンの海の近くに住みたいです。日本とニュージーランドとを行ったり来たりするのが理想です。
やりたいこととしては、今まで行ったことのない国に行ってみたいです。アイルランド、スコットランド、イギリス、北欧など良いですね。クルーズにも憧れています。
あとは、ニュージーランドに戻ったら、マオリ語を勉強してみたいです。私たちが子どもの頃は学校でマオリ語を勉強することがありませんでしたが、今は小学校で一通り勉強します。ニュージーランドの文化の多くをマオリ語が占めていますので、ニュージーランドの新聞にはマオリ語が多く入っています。この間オーストラリアの人に怒られたのですけれど、ニュージーランドの新聞を読もうと思っても読めないと(笑)。マオリの人にとって聖なる場所で普通の人は入ってはいけない場所をタプ(tapu)といいますが、そうした単語がよく新聞に入っていて、ニュージーランドの人でないとわかりにくいでしょうね。ニュージーランド人であるからには、マオリ語は勉強したいです。
私は読書が好きなので、図書館などでの小さい子への読み聞かせもしてみたいですね。
-英語教育で大切にしていることは?

生徒の英語の出来にかかわらず、生徒が自分を表現する場を平等に提供してあげたいと思っています。ちょっと間違えたから駄目ということではなく、まずは何かを書いてみたり、何かを言ってみたり、安心して自分の英語の力を試せる場を提供したいと。生徒が発言したとき、それが私の考えていた答えと違っても、その中から何かをピックアップして、極力多くのものを引き出そうとしているつもりです。
それから点数にはこだわらないということ。他の人との競争よりも自分との競争のほうが大切だと思います。他の人が何点だったかを、生徒はすぐに知りたがりますが、誰が一番いい点数を取ったかなど、私は自分の授業では言わないですね。言いたい人は授業の後に自分で言うでしょうし(笑)。
-茗溪の英語教育の特徴とは?

授業時間が多いです。それから、先生方はとても一生懸命です。わからない生徒や少しつまづいている生徒たちを空いている時間を使って指導しています。そして自分たちの英語がいつもレヴェル・アップするよう努力をしています。長期の休みにはいろいろな講習会に出て、休み明けに学習方法などの情報交換をしたりします。
茗溪は帰国子女が多く、帰国子女のための英語クラス(海外生クラス)があり、私も担当しています。海外生クラスの中でも生徒の滞在年数に差があるので、全員一緒に同じ進め方をすることは難しいのですが、できるだけ個別に課題を与えたりもしています。授業は全て英語で行われます。私は一切日本語を使いませんし、生徒たちも英語で話すことになっています。ただ教室の外は全部日本語という環境で、普段日本語で話している友だち同士が急に英語で、というのは難しい面もありますね。もちろんモティべーションの高い生徒たちは英語で話しています。中学校の間はレギュラー・クラスの生徒たちが海外生クラスに入ることはできませんが、高校生になると、高校で設置されているEEC(Extended English Class)にチャレンジすることができます。また中学校のとき海外生クラスにいたからといって、自動的にEECに上がれるということはありません。
私が受け持っているレギュラー・クラスの英会話の授業では、DVD付きの教科書を使っています。登場人物がいて、スキットがある感じですね。中学2年生、3年生ですとあまり英会話の必要性を感じないようですけれど、それがオーストラリアに行くとなると、ああ頑張らなくちゃと思うみたいです。オーストラリア研修旅行、それからSOSEP(Study Overseas Student Exchange Program)という留学生交換プログラムで留学生が学校に来たり、そういうことがあると、英会話が必要だと気づくようですね。イギリスから来る留学生たちは茗溪の全部の授業には出ないのですが、今週帰ったばかりのニュージーランドから来た留学生たちは日本語を勉強していたので、わかるわからないに関係なく全部の授業を受けました。日本語と英語の両方で会話をして、充実した時間を過ごしたようです。こういうことがあると、茗溪の生徒たちも英会話の大切さに気づきますね。今度の2月にも2人イギリスから留学生が来ます。交換留学ですから、茗溪からは7月に2人ウェールズに行きましたし、また3月にもニュージーランドに2人行くことになっています。これからもっとこういうことが増えていくと良いですね。
-高校2年生でのオーストラリア研修旅行はどのようなものですか?

プログラムの中にファーム・ステイ(農場滞在)が数泊あります。それがとても良い経験になっているみたいです。1家庭に3~4人生徒がステイしますが、必ずお子さんがいる家庭を選んでいます。受け入れ家族からは「やってみてとても楽しかったのでまた来年も声を掛けてください」と言われることが多いです。生徒の満足度も非常に高いですね。たった2~3日の滞在なのに、迎えに行くと、抱き合って別れを惜しんでいたり、バスの中で泣いて、向こうの家族も同じように泣いていたり。
ファーム・ステイを私はとても良いと思います。オーストラリアはニュージーランドと同じで、とても親日的な国なんですよ。イギリスの人たちはいまだに日本というとファー・イースト(極東)という感じですが、オーストラリアやニュージーランドでは多くの子どもたちが日本語を勉強していますし、日本は同じ太平洋地域のすぐそこの国というイメージです。そういう親日的な国に行くというのは、生徒にとってとても良いことだと思いますね。
-英語教育を通して生徒に伝えたいことは何でしょうか?

この間ニュージーランドからの留学生を成田まで送っていく際に話したのですが、彼らは日本語を勉強し始めてから英語の難しさに気がついたと言っていました。自分の言語しか知らないよりも、他の国の言語を勉強してわかることは本当に多いです。その中で英語の良さや日本語の良さをわかってもらえればいいなあと思いますし、言葉をしゃべるというのは本当にすごいことなんだとわかってもらえれば良いです。

-フラワー先生は日本語を話すのはもちろん、書くことも完璧でいらっしゃいますが、先生が日本語を勉強される上で苦労されたことなどはありますか?

ありましたねえ! 大学では1、2、3年生のときの日本語の授業のメインは暗記でした。基本センテンスを100%暗記して、試験はどれだけきちんと暗記できているかを見るものでしたから、オウムのように何度も何度も言ってみて、その後は何度も何度もパターン・プラクティスをさせられて・・・。今でも同級生と集まると覚えている文章があり、それを言い出すとうちの夫は「またやっているの!」と笑います。一番覚えているのは、スミスさんともう1人の日本人の会話で、「スミスさん、青い顔をしていますね。どうしましたか?」と言うと、スミスさんが、「夕べ銀座でえびの天ぷらを食べましたが、痛んだえびだったので病気になりました」(笑)。 もうほんとに繰り返しこれをやらされて。今でもニュージーランドに帰ってみんなで集まり、1人が「スミスさん、青い顔を・・・」と言い出すと、みんなが合唱のように「夕べ銀座でえびの天ぷらを・・・」。本当にオウムですよね!
それからやっぱり「数」が難しいです。水が「1杯」で紙が「1枚」。英語なら1から100まで覚えれば何に対しても使えるけれど、日本語は「いちにち」とは言わずに「ついたち」だったり、動物だったら発音が変わる、「いちひき」ではなく「いっぴき、にひき、さんびき」になったり。それを全部覚えなくてはいけないのですごく大変です。
漢字は、トンネルに入って光が見えないという日々が続きました。やっぱり暗記して、書いて練習して、あんまり上手く書けないのですが、今はコンピューターがあるから助かります。読むほうは、専門的なものだったりすると駄目ですが、普通の新聞記事などは読めます。それと、夫が小学校の先生だったので、難しいものをわかりやすく説明するのには慣れていて、とても助かりました。
-では語学学習の秘訣はやはり・・・

そうですね、暗記です。そして暗記した上で使ってみる。会話にはこれが一番重要だと思います。
-普段の生活で、日本語の聞き取りはいかがですか?

そのパターン・プラクティスのおかげで、だいたい大丈夫だったのですが、早口だとやっぱり難しいです。今住んでいるのは筑波山のふもとの方なのですが、近所の人たちとの助け合いの習慣がいまだに残っています。今でも家に近所の人から電話があるとドキドキしてしまいます。あと、夫の祖父の話が難しくて(笑)。最初がわからないとずっとわからなくて、夫のお母さんに「こういうことなのよ」と通訳してもらっていました。上級日本語の授業のようでしたね、あれは。
ところで、この辺りでは子どもたちの七五三も近所の方を呼んで盛大に行います。うちでも食事を出して、子どもたちが皆さんに挨拶して、歌を歌って、お色直しまでしました。あまりお嫁さんのような格好をさせるのは好きではなかったので、私がお色直し用の洋服を縫いました。あの七五三は結構すごかったですね!
-個人的活動・ライフワークについてお聞かせ下さい。

みんなにニュージーランドの良さを伝える活動や、翻訳活動などをやってみたいです。藤沢周平の小説が好きで、いつか翻訳したいと思います。以前『英語教育』(大修館)という雑誌に連載を書いたことがあります。日本での経験を出版することも考えています。洋裁もやってみたいと思います。
スポーツはウォーキングをしています。趣味は読書で、推理小説が好きです。最近読んだ本では、アフリカのボツワナが舞台の「No.1レディーズ探偵社、本日開業―ミス・ラモツエの事件簿〈1〉」 (The No.1 Ladies’ Detective Agency)という小説が良かったです。「トワイライト・シリーズ」も好きです。それから、映画も好きですね。ジョン・トラボルタの「フェイス/オフ」(Face/Off) という、善人と悪人が顔を取り換える映画は面白いですよ。近々「借り暮らしのアリエッティ」を上の子と見に行くつもりです。

-茗溪の父母会についてどう思われますか?

皆さん熱心で素敵だと思います。文化祭のレストランやキャンプのボランティアなど、茗溪生活を楽しんでいますね。学校を良くしようとしているたくさんの協力者がいて、学校は幸せだと思います。

今日はお忙しい中、長い時間楽しい話をお聞かせいただきありがとうございました。