茗溪学園29回生学年父母会パネルディスカッション(後編)

茗渓学園29回生学年父母会パネルディスカッション前編からつづく)
● 今だから話せる親、先生との関係
山本 僕は14回生で高校生時代が大分昔のことになり、あまり思い出せないですが、記憶に残っている親との話は勉強の話題でした。「勉強しなさい」とよく言われていたように思います。ほかに部活の話、当時柔道部でしたので階級に合わせて減量しなくてはならず、食事のことなどをよく話していました。先生との関係は、いろいろと親身になってくれた先生のことは非常に印象に残っています。中学時代すでに英語は取り残されていて、英語の先生に毎日「私のところへ来なさい」と言われて、放課後よく教えてもらっていました。その先生の努力も空しくあまり成果が上がらなかったのですけれど・・・(笑い)でもそのように声をかけていただき、教えてもらったことが嬉しかったですね。高校時代は、高島先生が学年主任でさらにベーシックの先生だったこともあって、勉強の仕方をいろいろとアドバイスをしていただきました。そのほか柔道部の監督の先生との関係が深かったですね。高校に入り試合に勝てるようになってきた頃から部活が面白くなってのめり込んでいったのですが、部活の先生とはいろいろ話をしました。叱られもしました。素行について、柔道に対する態度について・・・。「柔道は相手があって初めて成り立つのだから相手を思いやることが大切だ」とか、「強くなればそれでいいというわけじゃない」とかいろいろな面で話をしてくれたことがとても心に残っています。この柔道部の監督の先生が僕らの学年の担任の先生だったのですが、高校3年の1学期が終わる時、先生ご自身がハワイ大学大学院へ進学するために茗溪を辞めてしまったのです。(驚きの声)これってすごいことですけど、今思うと周りの先生は大変だったかなと、今教員をしている立場では思いますけど・・・。でも自分がやりたいことに向かって進んでいく先生の姿は、当時の僕たちにとってはとても刺激的ですごく印象深く残っています。
高島 その先生は、柔道部顧問の先生で高校3年の担任だったのですけど、4月頃でしたか、私のところへ来てハワイ大学の大学院に行きたいので推薦状を書いて欲しい、というのです。どうせ受からないと本人も言うので推薦状を書いたら、なんとこれが、合格してしまったんですね。高校3年の7月ですよ、学年主任だった私は大変困って、急遽クラス父母会を開いて保護者の方達に説明とお願いをしたわけです。この先生は元々青年海外協力隊でケニアに3年滞在されていて、奥様はケニア人です。そして帰国後茗溪へ来られた先生でした。公衆衛生をもっと勉強して、発展途上国の公衆衛生に貢献したいというご希望をお持ちでした。とにかく保護者の皆様にお願いしたわけです。土下座せんばかりに・・・。すると心の広いご父母の皆様がご理解を示して下さった。「進路指導を自ら体現されるとは茗溪の先生とは素晴らしい」と。どこが素晴らしいんだか(笑い)・・でも有難かったですね。でもこの出来事は、確かに子供たちにとっては大変な刺激にはなったと思います。歳がいっても向学心を持ち続ける、学ぶということは、いくつになっても学べるんだな、と思ったと思いますね。後日談があるんですが、2年後この先生帰国されましてね、私のところへ帰国の挨拶にみえた。その時「ところで先生、どこか就職先斡旋して頂けないですか」って。(笑い)結局私の知り合いがいる国連の下部機関に紹介して、彼就職しました。


小室 親には「勉強しろ、勉強しろ」と言われたことしか記憶にないですね。時々は良いことも言われていたかもしれないのですが、どれが大事なことでどれが小言だったか、当時は分からなかったというのが正直なところです。子供としてはなかなか親の言うことの真意が読めなかったのだと思います。その中で母が泣いて話してくれたことなどは心に残っています。子供の立場としては、もう少し正面から向き合ってもらえたら、納得できた部分もあったと思うし、言いたいことが言えたのかもしれません。まあ当時は、部活終わって遊んで帰って寝るだけの毎日だったので、いろいろ言われても仕方がないような生活でしたから・・・。今思えば、もう少しこちらも真摯に受け止めればよかったと思います。(笑い)先生との関係では、部活の先生方、池田先生、吉田先生に大変お世話になりました。土日もずっと一緒にいる時間が多かったので、勉強以外のことをずいぶん相談にのってもらいました。受験では高島先生には非常にお世話になりました。現在も寮生補習(寮生対象の勉強指導)で茗溪学園にお世話になっています。先生方と高校時代には出来なかった関係が築けていて有難いと思います。高校時代にも自分からもっと心を開いて先生方に向かっていければよかった、もったいないことをしたなというのが正直なところです。あの頃もっと大人のいうことを聞いていれば、こんなに回り道はしなかったかなと思います。(笑い)
大澤 私は高校生時代、父親との関係がとても悪かったですね。私が反抗期でまだ幼かったことがその原因だと思うのですが、高校の間ほとんど話をしない状態でした。父には、私が理由を言う前に頭から怒られることが多く、私は父と顔を合わせたくなく逃げ回っていました。テストの成績個票が返ってきた時など、正座をさせられて、「何なんだ、この成績は。おまえ何の勉強してたんだ。言ってみろ」と始まるわけです。父とはホントに上手くいかず、外で仕事を一所懸命してくれているにも関わらず、父に朝「おはよう」も言わなければ、帰宅時に「お帰りなさい」の挨拶もしない3年間でした。その間に立った母は大変だったと思います。私は父と直接会話したくないので母に「お父さんに言っておいて」と伝言を頼み、父からは「なんだ、あいつは。おまえがちゃんと言わないからだ」と言われて、母には私と父との板挟みになって苦しい思いをさせてしまいました。今は、父とも良い関係を作れるようになって、一緒に食事に行ったり、買い物に行ってねだったりも出来るようになりましたけれど。(笑い)家を出て一人暮らしをするようになって初めて、食事を作る大変さ、掃除洗濯などの毎日の仕事の大変さを知りましたし、また自分がお金を稼ぐようになって、親が私のために、茗溪を卒業させるのに使ったお金の金額を考えると、私はあと何年働けばいいのだろうと思ったりしました。家を出てから、親との関係が少し近くなったと思います。今だから笑って話せますが、その当時は父とは戦いでした。先生方には大変可愛がって頂いて、勉強の面でも補習でもお世話になりました。もちろんバトミントン部の先生方には大変お世話になりました。現在私も学校でバドミントン部の顧問をしておりまして茗溪のバドミントン部の先生方、小野満先生、尾島先生、黒澤先生には、試合会場でお会いする機会があります。その当時は練習する意味も分からず、言われるままにやっていただけなのですが、今自分が教える立場に立ってみて、先生方がどれほどの時間を私たちのために使って下さっていたかということが改めて身にしみます。茗溪の選手は、準決勝、決勝と勝ち残っていく選手ばかりですので、いつの日か、私の学校の生徒達も茗溪の選手達と戦える日がくると良いなあと思っています。
菅谷 僕の場合、親との関係はとても良好でした。茗溪に子供を入れている親御さんは、高学歴の方、社会的に成功している方が多いように個人的に思うのですが、ウチの両親はそうではなかったので子供にとってはとても助かりました。父親は人に迷惑をかけるなということぐらいしか言わず、周りの友達と比べるとあまりうるさく言われない家庭だったと思います。とてもフランクな関係で、規律もあまり厳しくなく、何でも話を聞いてくれて認めてくれたところが親として尊敬できたし、すごく有難かったですね。先生との関係は、僕は高校2年まで成績が悪く、2年から3年になる時担任の先生に法政大学に行きたいといったら、「今からやれば間に合う。おまえなら出来る」と言ってもらって、今思うとかなり楽観的な先生の発言とは思うのですが(笑い)、おまえなら出来ると認めてもらったのが嬉しかったですね。「ただし今のままではダメだ。どうやったら出来るかしっかり自分で考えろ」と言われて、取り組み始めたのですが、まあそれまで勉強というものをやったことがなかったので、やってみたら結構面白かったんですね。それでまあ無事受験に成功したわけです。その先生の言葉にとても励まされたと思っています。
● 父母への一言
菅谷 子供が200人いれば、1番から200番までいるのは当然であり、下の方にいても大学には行けると思うので、子供にあまり辛らつな言葉をかけないようお願いしたいです。「褒めて伸ばす」というか、「おまえなら出来る」といって励まして、やり方だけ指導してあげればいいのではと思います。最後に父親から言われたことで一つよかったなと思うことがあるのですが、ウチの父親はうるさくガミガミいうことは嫌いなほうで、ある時、いろいろと話をした後に、父親が「これはあくまで助言だから、最終的に決めるのはおまえだ」と言ってくれたのがとても嬉しく心に残っています。
大澤 父母会を開くと、これだけのお父さんお母さんが集まられる、これだけ子供の進路、将来に関心を、力を注ぐということ自体、なかなかないことだと思うので、自分が茗溪という恵まれた環境で教育を受けていたのだなと改めて思います。私は高校時代アルバイトをすることもなく全ての時間を自分のためにのみ使っていたわけですが、私がいま接している子供達の中には、自分の学費の為にアルバイトをしている子もいます。私はまだ結婚もしていないし、子供を育てているわけでもないので、偉そうなことはとても言えませんが、皆さんとお子さんとの関係を私と自分の生徒との関係に置き換えて考えてみると、私も自分の生徒に何度言ってもどんなに伝えようとしても伝わらないことがあるのです。でもなかなか通じないと思っても諦めず根気よく伝え続けることが大事なのではと思います。こちらから見ているとこうすればいいのに、絶対あなたのためになるのにと思っても、本人にしてみれば、「私はそうは思わない」「今そうはしたくない」としか思えず、返されてしまうことも多いのです。でもずっと言い続けていけば、いつかは通じるのではという気がしています。私は、高校時代なかなか親との関係が上手くいかず、理由も聞かれずに一方的に怒られたという思いがあるので、皆さんは、親として心配でお子さんに言いたいことが沢山おありだと思いますが、少し引いて相手を受け止めてから助言していくというのがいいのではないかと思います。とてもそんなことを言える立場ではないのですけど・・・。
小室 この頃思うのは自分が父親に似てきたなということです。外見も性格も良くも悪くも・・・。父親は勉強に関しても生活に関してもほとんど何も言わない人でした。無口でひたすら仕事に打ち込んで、子供には父親の背中を見せるというか。でも子供としては、困った時は何か信号を出しているので、まあ自分も出していた立場だったのですが、その信号をキャッチしてもらうと嬉しくて色々話すし、受け止めてもらえないと落ち込むということがありました。ですからやはりできれば、見逃さず受け止めてあげて欲しいのです。受け止めてもらえれば子供は嬉しいはずです。自分自身も親身になって親が受け止めてくれたことが、その後の自分の支えになっているように思います。
山本 今、僕は大学で学生を教えている立場なのですが、その学生を見ていると、うちの大学は歯学部なので歯医者さんになりたい学生なわけですが、ほとんどが親に言われて、親の跡を継ぐために大学に入って来ているのです。「君は本当に歯医者になりたいのか」と訊くと、「そうでもない、親が望むから」と答える子が多く、本当に興味を持っているのか疑問に思うことがあります。その中で本人は勉強に行き詰まっている、大学に入ると覚える知識も格段に増えるので、本人の目的意識が育っていないと、とても辛い勉強になってしまうのです。僕の父親は工学系の技術者なのですが、僕にも工学系に進んでもらいたいと思っていました。僕が個人研で工学系のことをやっていたら嬉しそうでした、まあ結局僕の進路は違ってしまったわけですけど・・・。僕が大学院へ入って修士、博士と進み、研究者への道を行くと言った時には、親にはとても反対され、ずいぶん衝突しました。僕も高校時代、その時は工学系を考えていたわけですが、工学系の道のためには勉強して、その学部に入らなければいけないということはよく親に言われました。歯医者さんも歯医者になるにはどうしても歯学部に入って、国家試験に合格しなければならないわけですね。でも高校生のころはなかなか聞く耳を持てない、勉強しなければ大学に入れないことは分かりますが、その先にあるものが全く見えないのです。「勉強しろ」というだけでは、なぜ勉強しなければならないかということは、本当のところは高校生くらいではなかなか分からないのだと思います。ですから、親御さんがご自身の仕事に誇りを持っているのなら、その自分の仕事について、もう少し子供に話をしてあげると良いのではないかと思います。歯医者とか医者とかは、患者さんのことはあまり話せないのかもしれませんが、その職業を通じてどんな人と繋がりがあるとか、こんなことがあって感謝されたとか、仕事の周りのことを伝えたり、また親自身、若い頃こんなことがあったとか、自分はこう思ったとか、勉強と少しはなれた会話を通じて色々なことを語ってあげれば、子供も跡を継いでもいいかなと思うかもしれません。「勉強しろ」だけで跡継ぎを育てるのは難しいかと思いますね。(笑い)その子が勉強が出来て優秀であれば問題ないのですが、ついていけなくなってしまう子の場合、目的意識を持たせてあげると、もうひと踏ん張りできるのではないかと思います。目的を持たせてあげるような会話をするのは良いと思います。とても偉そうなことを言えた義理ではないのですが、大学に入っても目的意識の低い学生を目にすることから、また自分自身を振り返っても親との間にあまりそういう会話がなかったような気がするので、この頃そう思うようになりました。
高島 私が進路指導をしてからずいぶん長くなるのですが、ここ数年感じるのは、自己肯定感を持てない子が多くなっていることです。「自分は生きている価値があるのか」と思う子、悩む子が結構多いのです。特に女の子とか、まじめな子ほど思い悩む子が多いと感じます。悪いところばかり指摘していると「自分が生きていていいのか、存在している意味があるのか」と思ってしまうのです。良いところも悪いところも全部ひっくるめた「おまえが大事」で、「おまえがいてくれることでお父さんお母さんが幸せだと思える」「おまえがいてくれるから毎日が楽しい」ということをいかに子供に伝えるかが大切です。そこを伝えてこそ、「勉強をしなくてはダメじゃないか」という言葉も響いていくのではないでしょうか。私は毎年言っているのですが、進路を考える時に大事なのは、信頼と自己決定ですね。菅谷君のお父さんが「最終的にお前が決めることだ」と言われたのはとても大事なことです。その前に大事なのが信頼することです。子供の心に残っていくのは親から如何に愛されたか、つまり信頼されたかということだと思います。信頼するというのは、ただ単に子供の言うことを鵜呑みにすることではありません。よくあるのは、生徒と教師の会話の中で「おまえまたそんなウソついて。」と教師が言うと「先生、子供を信頼しないのですか。」なんていうやりとりがありますが、あれは信頼ではないのです。子供は必ずウソをつく、ウソをつかない子はいません。問題は一旦何かが起こった時に、教員や親が本当に正面から向き合って、「おまえのことを思うから、おまえはそんなウソをついていてはダメだよ」と本気で話をする時に、このことは必ず子供に伝わるという点で信頼するということです。子供をいかに信頼するか、信頼の具体的な尺度とは何かというと、それは自己決定をどこまでさせるかということです。信頼していなければ自己決定なんてさせられないのです。失敗してもいいから、子供に最後の決断をさせるということです。親が何も言ってはいけないということではありません。親はいろんなことを言うべきです。ただ子供が嫌がっているのにさせるのではなく、いろんな意見を言って、最後は自分で決めなさいと言えることです。自己決定をすることによって、その責任は自分が取らなければならないということを学ぶんですね。親や教員が言ったからやるというのでは、失敗した時に他人のせいにして、自分は本当はやりたくなかったなどと後から言うのです。そのようなことにならないようしなくてはいけないのです。そういう意味で信頼と自己決定は非常に大切なのですね。今日は4人の卒業生の話を聞いていて、人選は正解だったなと思うし、ここまで成長するんだなぁと嬉しく思いました。4人とも今後とも頑張って下さい。
司会 ありがとうございました。最後に今日のテーマでもある「道しるべになったもの」ということで一言おねがいします。
山本 道しるべになったものといっても目標にしているものも特にないのですが、大学在学中に思ったことがあります。大学院に進学するにあたって親から大反対をうけ、自分でもどうするか悩んでいる時に、やはり自分の好きなようにやってみようかなと自分自身で決めたことです。この時から自分の道を歩きはじめられたかなと思います。反対をしていた親も、就職してからは理解してくれるようになりました。
小室 僕の道しるべとなっているものは夢です。医師になりたいという夢です。何事にも健康が一番だと思っているので・・・。夢があって、その夢にむかって突き進むのみだと自分では考えています。そのなかでもやはり勉強がつねに大事なことで、勉強をするにあたって道しるべになっていることが2つあります。1つは勉強が良くできる友達がいて、その友人に大変難しい問題を見せた時に、「ああこの問題知っている」と言われたことが印象に残っています。勉強ができる人は頭が良いから勉強ができるのではなく、それはたくさんの問題を解いているからこそ勉強ができるのだということをその時に実感しました。そしてそれが大事なのだと自分の勉強の道しるべになりました。もう一つ、自分自身は試験があると試験日までを逆算して勉強をしてきたような気がするのですが、先生方が勉強というのは引き算、割り算でやるのではなく、たし算で積み重ねてゆくのだということを言われ、1つ1つを積み重ねて勉強をしてゆくことが大事なだということを知り、これが道しるべとなりました。この2つの道しるべを持って自分の夢に向かってこれからも突き進んでいこうと思っています。
大澤 私の道しるべになったものは父や母の姿です。衝突をして、反抗もし、数え切れないほどのけんかもしましたが、やはり最終的に自分が迷った時、苦しい時に助けてくれたのは父であり、母であったと思います。厳しさと優しさ、暖かさの中にいたからこそいろいろなことに挑戦ができたと思います。だから迷った時などに背中を押してくれた親の姿が今は私の道しるべになっていると思います
菅谷 道しるべになったもの、今考えてみると3つのことがあると思います。まず自分の根底になっているのは6年間続けた部活があったと思います。高校1年生のご両親ということですが、今部活を辞めることを考えているお子さんもいると思いますが、いろいろ進む道はあるかと思いますが、できる限り続け欲しいと思います。人生の中で6年間続けて何かをやるということは仕事以外そうないと思います。自分でもその6年間が自分の道しるべになったと思います。6年間部活を続けたこと、その仲間たちがいままでやってきたささえになっていると思います。もうひとつは両親の姿です。子供が親の話を聞く時、自分の両親を尊敬できるということは大事だと思います。だからお子さんにお仕事の話とか、ご自分の話などをしてあげると良いと思います。自分は父に仕事の場所などにつれていってもらったりしてその姿を見せてもらったことはとても良かったと感じました。最後はある人に言われたのですが、夢を叶えるためにはその自分のやりたいことを言葉に出して言うことが大事だと思います。だから子供がバカなことを言っているなと思う時にもその夢の話を聞いてあげると良いと思います
高島 親も教師も本気になるか、ならないかというところが大事だと思います。あと先ほど大澤さんの話にも出てきましたが、子供が迷っている時にちょっと背中を押してやることが大事であると思います。皆様のお子さんは、力はあるのです。それなりにみんな良いところを持っているのです。そこをちょっと押してあげることです。そして背中を押すためには日頃から本気で向き合えるかどうかがキーワードになっていくと思いました。今日は私自身もいろいろ学ぶことができました。茗溪学園は多様な子供がいて本当に良い学校だと思いました。本当にありがとうございました。
〈参加した父母の声〉
◇まだ高校1年生で将来の事については漠然としか考えていないし、あまり実感としてないと思いますが、茗溪での個人課題研究、その他教育が土台となり、いざ進路を考える時には道を開くことが出来ると感じました。芯の部分でパネリストの皆さんがとてもしっかりしていると思いました。
◇たいへん楽しく過ごしました。茗溪生の強さ、やさしさをあらためて感じました。茗溪生の父母でよかったと思っています。子供にも茗溪生活を楽しんで欲しいと思いました。
◇具体的な話が聞けて本当に参考になりました。特に自分の子供と同じ状況であったり、同じ目的を持っている話も多く、とても有意義な時間でした。子供にも聞かせてあげたい話題もありました。子供の気持ちを考えてあげるよい機会になりました。即、実行です。私も頑張る力がわいてきました。
◇パネリストの方々はしっかりした意見を持って生活をしている卒業生の若者だと思いました。学生時代に何が大切なのか具体的な話が聞けて参考になりました。ユーモアあふれる話には好感が持てました。先生のコメントも良かったです。ありがとうございました。
◇子供を尊重し、見守ることが一番大切だとあらためて思い直しました。親子が精神的に近い距離で過ごせる時間は残り少ないことを実感しました。あと2年の茗溪での生活を信じ、サポートしていきたいです。今日は生の声を聞けて本当に良かったです。
◇4人の方のお話は、私にとってもこれからの道しるべになりました。子供たちにもこのような機会を沢山作っていただけたら、と思いました。とても充実した時間でした。ありがとうございました。
◇口うるさく言っているばかりで、こちらも嫌な思いをしていましたが、四六時中というのはやはり相手も右から左で聞いていないとわかりました。見守るということをしたいと思ってはいますがなかなか難しいところです。最後はやはり本人がどうなりたいか、それを自分で良く見つめ考えること、こちらはそれを見守る努力と心に届く言葉かけをしたいと思いました。
◇「目的意識をもち続ける」ことの大事さ、難しさを改めて感じます。同時に親の責任も感じます。
◇高校時代の頃の親との関係のお話、とてもためになりました。お話を聞いたことを参考にして接していきたいと思いました。すごく楽しかったです。
◇一人目の子供なので進路について親としてどう対応すべきか悩むところですが、パネリストの方々の体験談、胸の内など聞くことができてとても参考になりました。
◇今回のパネルディスカッションには150余名の父母の方々と多くの教職員の方々のご参加をいただき、パネリストの皆さんと大いに盛り上がった父母会になりました。この貴重なお時間と心温まるお話をしていただいた4名のパネリストの皆様には、父母会一同深謝致します。