茗溪学園28回生学年父母会パネルディスカッション

テーマ 卒業生が本音で語る「今、親がすべきこと」
平成19年2月24日(土)午後2時より、第一AVE室において、進路選択の只中にある28回生の父母を対象にしたパネルディスカッションが開催されました。卒業生の皆さん、進路指導部長の高島渉先生から、進路選択のうえで大変参考になるお話をお伺いすることができました。当日、ご参加いただけなかった父母の皆さん、また子供たちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

パネリスト
秋本哲さん(14回生)
清水達哉さん(18回生)
日田奈王子さん(19回生)
内手真衣さん(22回生)
酒井美衣子さん(23回生)
星島亮輔さん(24回生)
コメンテーター  茗溪学園進路指導部長  高島渉先生
コーディネーター 28回生父母会学年委員長  畠山光也
● 開会の挨拶
畠山 間もなく高校2年生になる28回生は、これから進路の選択や個人課題研究など、ますます自分で考え行動していかなければいけない時期に差し掛かっております。子供たちが何を考え、何に悩んでいるのか、パネリストとして参加いただいた卒業生の皆さんに高校生時代を振り返っていただきながら、お話をいただきたいと思います。
コメンテーターをお願いいたしました高島先生は、進路指導部長として大変豊富な経験をお持ちです。
高島 進路指導部長の高島です。卒業生によるパネルディスカッションを学年父母会主催でやるようになったのは24回生からで、今回が5回目ということになります。我孫子地区父母会が最初で、その後、いくつかの地区父母会で開催しました。当初から、卒業生が高校生だったころの正直な気持ちを聴きたいということが目的だったわけです。やってみたら、なかなか評判が良くて、これを高校1年生の父母に聞かせたいという意見が多く、24回生から今の形になったわけです。今日も参考になる良い話が沢山聴けると思います。私は1回目から参加しておりまして、毎回感動させられます。皆さんにも感動していただけるものと思います。


● 自己紹介及び茗溪時代について
秋本 14回生の秋本と申します。現在、自動販売機を製造、販売する会社で仕事をしております。中学、高校を通じて硬式テニス部に所属しておりました。先程、高島先生とお話した時に「14回生というのは茗溪学園の歴史の中でも1、2を争うほど手のかかる学年だった。」と言われました。パネリストの要請をいただいた後、同級生にも言われましたが、多分、私は悪い例の代表として呼ばれたんだなと理解しております。(笑)
清水 18回生の清水達哉と申します。現在は、みどりの窓口の座席予約システムを構築する仕事をしておりまして、今年で2年目になります。部活は吹奏楽部でトロンボーンを吹いておりました。その他には、文化祭実行委員とか生徒会とか、色々とやっておりました。あまりにも色々なことに手を出し過ぎて自分がわからなくなった時期もありました。思い出はいっぱいあります。毎日毎日、学園生活をエンジョイし、学校にギリギリの6時までいて、家に帰ったら晩御飯も食べないで制服のまま布団に入って寝て親に怒られるという生活をしておりました。
日田 19回生の日田奈王子と申します。警視庁の警察官です。現在は、千住警察署に勤務しております。高校時代は硬式テニス部でした。体育会系ということで、部活、部活の毎日で疲れて家に帰って寝て、また朝練をやって疲れて授業中に寝て、という毎日の繰り返しでした。進路を考える時期になって「部活しかやってこなかったから、自分に何が向いていて何ができるのか。」がわからなくて真剣に悩んだ思い出があります。
内手 22回生の内手真衣と申します。現在は、上智大学4年生で、春から社会人として働く予定です。中学の部活はバドミントンをやっていましたが、高校では書道部に籍を置いていました。書道をやっていたというよりは、部室に行って友達と喋っては笑い転げていたことが思い出に残っています。
酒井 23回生の酒井美衣子と申します。現在は上智大学文学部社会福祉学科の3年生です。今、就職活動の真っ直中です。部活は、卓球部とボランティア同好会に所属しておりました。6年間を通して一番楽しかった思い出は、イギリスの研修旅行です。今日、ひたち野うしく駅からバスでここまで来る時に、懐かしい風景を見ながら高校時代のことを思い出し、毎日毎日、つまらないことで友達と大笑いをしていた日々が一番楽しかった思い出だと感じております。
星島 24回生の星島亮輔です。現在は慶応大学の2年生です。中学・高校とラグビー部に所属していたので、花園と国体に出場したことが思い出に残っています。僕は香川県出身で、寮生だったので、6年間の寮生活も思い出に残っています。
高島 懐かしい顔、顔ですね。茗溪の卒業生は、本当に学校に戻って来てくれますね。私学ということで教員の異動がありませんから、いつ行っても懐かしい先生方の顔が見られるということが一番の理由なんだと思います。ただ、それだけではなくて、茗溪学園が持っている独特の雰囲気、アットホームな雰囲気があるんだと思いますね。卒業生がいっぱい帰ってきて元気な顔を見せてくれると我々教員も「茗溪の教員で良かったな。」と思うわけです。皆さんの今の自己紹介を聞いても、中学、高校時代と比べて「こんなに喋るのが上手になって、成長したな~。」と、つくづく感じました。
● 個人課題研究のテーマと進路との関わりについて
秋本 個人課題研究のテーマは「社会福祉制度、社会保障制度の社会関わり」でした。進路との関わりということについては、トップバッターがこんなことを言って良いのかなとは思いますが、大学においても今の仕事においても全く関わりがありません。ただ、高校生時代、ひとつの課題について1年間という長い時間を掛けて取り組むという、普通では経験できないことをやり遂げたということが、その後の人生に大きかったと思います。研究内容よりも、そのテーマについて色々考えて真剣に取り組んだという自信が、その後の勉学や仕事を支えてくれたという点で意味があったと思っています。
清水 個人課題研究のテーマは「統計学の実践」でした。確率の研究の時には、何時間も画鋲とコインを投げ続けていた記憶があります。今の仕事はシステムエンジニアでコンピューターを使っているという意味では非常に似ていますが、基本的には関わりはありません。進路を決めるときには、自分が好きだった統計学を生かしていけたらいいなと思い、応用数学ができる大学を探したことを覚えています。しかし、大学までは応用数学ができたのですが、就職の段階で研究テーマから少し離れていったというのが現実です。
日田 環境問題について研究を行いました。私の個人課題研究を担当してくださった田代先生は、毎週、担当している20名程の生徒がどんな研究を行っているのか1人1人みんなの前で発表させていたのですが、他人の発表を聞いて、その人がどんなことに興味を持っているのかを知ることができました。私は文献を丸写ししていることが多かったのですが、パソコンのブラインドタッチだけは、今の仕事に生きていると思います。
内手 個人課題研究を考えるようになった時期に「兵庫県で起きた酒鬼薔薇少年の殺傷事件」がマスメディアに大きく取り上げられていました。安直なのですが、この少年事件について、少年の法的解釈やそれを巡るメディアの動きなどを個人課題研究のテーマにしました。このテーマを通して、私は法律よりもその中で生きる人間に興味があるんだと気づき、社会学を学んでいきたいと考えました。大学でも卒業論文を書く機会があり、とてもきついものだったのですが、高校時代にあれだけできたんだから、今の私に出来ないわけがないと考え仕上げました。
酒井 日本におけるグループホームについて研究しました。ボランティア同好会で老人ホームを訪れることが幾度かあったのですが、その時、高齢者福祉に興味を持ちました。当時、グループホームは、介護保険の対象になっておらず、とてもマイナーな施設でしたが、たまたま、インターネットで検索していてこのテーマが出てきたので、とても軽い気持ちで決めてしまいました。しかし、研究を始めてみるととても楽しくなりました。運良く、ある参考文献の著者の方に連絡を取って会う機会を持つことができ、実際にグループホームを訪問するフィールドワークを行うこともできました。個人課題研究後も、このまま社会福祉を勉強したいという気持ちが強くなり、大学では社会福祉学科を専攻しました。大学で福祉のことを幅広く勉強する中で、地域のことなどにも興味を持ち、今は地域福祉の勉強をしています。この先は、このことを生かした職業に就きたいと思っています。
星島 日田さんと同じ環境問題だったのですが、その中でも「環境に配慮した建築」を個人課題研究のテーマにしました。香川県という田舎で育った影響かも知れませんが、環境問題には以前から興味がありました。その中で、なぜ建築にしたかというと、姉が建築家だったこと、そして、格好良い研究だという気持ちが大きかったです。周りの友達が模型を作っていたので、「よし、俺も模型を作ってみよう。」と思ったのですが、最終的には文献を写すだけになってしまいました。部活ばかりやっていたものですから、個人課題研究の時間は、先生から逃げ回るというような生徒だったと思います。今、大学では経済学を専攻していますが、個人課題研究が直接影響しているということはありません。でも、新聞を読んで難しい環境問題の言葉が出てきた時に「この言葉の意味、知っている。」という、優越感を感じることはあります。そういう面では役立っているかなと思います。
高島 大した役立ち方じゃないな、という気もするんですが・・・。学部を選ぶときに個人課題研究がどれくらい関連しているかということですが、数字的な裏付けを取っている訳ではなく、私の個人的な印象ですけれども、6割から7割の人が直結していると感じています。他の2、3割の人というのは趣味という分野で何かを追求しているんだと思います。他には、1割未満の人ですけれども、最後まで研究テーマが決まらずに「何となく・・・。」という人がいます。
先程の話の中にもありましたが、この個人課題研究で自分の興味・関心を追求するテーマを決めるわけですが、自分の一生の仕事・テーマにしようということで1年間研究してみて「これは自分に合わない。」という反面教師的な結果も出るわけです。それはそれで意味があると思います。「好きだけれども自分には無理だ。」ということが高校生の段階で分かるということは重要です。これは、非常に役に立ったということだと思います。例えば、医学部志望の生徒は基本的に医療関係の研究をするわけですが、1年間研究してみて、実際に病院に行って医療の現場を見て卒倒しそうになり、「私は医者には向いてない。」ということが分かったりするわけです。
役立ち方は色々だと思いますが、少なくとも言えることは、大学で、あるいは就職してから論文を書く時に大変役立つということはあると思います。特に、大学に入ると、テーマを決められて「用紙20枚書きなさい。」というような課題が出るわけです。そういう時に他校出身の人達は、「書けない。」という学生が多いそうです。ところが、茗溪の卒業生は、この個人課題研究で200枚から300枚書く生徒もいるわけですから、20枚から30枚の課題が出ても大したことはないと思うわけです。少なくとも、論文を書くということに関して、一定の形式・ルールに従って書けるわけです。例えば、参考文献をそのまま写した場合には、出典を明らかにしないと盗作になります。この辺りについては、指導教官が厳しく指導していますので、最低限のルールは知っています。これが大きな力になっていくと思います。

● 大学(学部)を選択した経緯について
秋本 卒業した大学は成城大学法学部法律学科で、一浪して入りました。先程、個人課題研究の話の中で「社会福祉制度」について研究したと話しましたが、その関係で社会福祉学部・学科のある大学を受験しました。中学・高校と6年間、部活ばかりしていたため、現役合格することができませんでした。高校3年生の夏から本腰を入れて勉強を始めましたが、時、既に遅しという感じで・・・合格したのは一校だけでした。合格した大学は社会福祉学科だったのですが、「半年間の勉強で受かったから、もう少し勉強すればもっと良い大学に行けるかな。」と思い一浪したわけです。ところが、浪人時代は浪人時代で充実してしまい、結局、成城大学に入りました。浪人した後の学部の選択は、受験が近くなればなるほど二浪が見えてくるという焦りもあり、とにかく受かる大学を受けようという気持ちになりました。
私の世代は団塊ジュニアにあたりますので、大学受験では倍率が百何十倍になったり、就職試験の時には「就職氷河期」の時代であったりして、同級生でも就職浪人が何人も出ました。私の場合は、たまたま現在の会社に入社することができました。就職した後に自動販売機を作っているということを知ったような状況です。就職先がないという時代だったものですから、夢とか理想とかを追求する余裕はありませんでした。ですから、就職活動という面では皆さんの参考にはならないかなと思います。
清水 個人課題研究の中でも話したように、応用数学をやりたいという考えがありました。最初は筑波大学を訪問して「入りたいな。」と思ったのですが、進路指導の先生に相談したところ「入学してからの選択肢が多い方が良い。東京大学なんか良いと思うよ。」との助言を受けて、いろいろ悩んで最終的には高校3年生の10月くらいに決めました。
大学入学後は大学院も通じて数学から離れ、コンピューターシミュレーションを使った心理学の研究をしました。大学を選ぶ段階、入学する段階では「数学をやりたい。」ということが動機だったのですが、入学後に色々な人の話を聞いて色々な興味が沸いてきて研究テーマが変わったということです。
日田 中央大学法学部法律学科を卒業しました。大学・学部を選んだ理由ですが、高校生の時に「世の中の枠組みを作っているのは法律だ」ということに気が付いて「法律を勉強したい。」と思ったことがきっかけです。推薦を貰うことができたので受験はせずに簡単に入ってしまいました。今思えば、高校時代にもう少し勉強しておけば良かったと思います。特に、自分には、常識といわれる部分が欠けていると感じているので、もっと勉強しておけば良かったと思います。そういう意味でも大学受験は大切なものだと思います。
今の職業を選んだ理由は、小さい頃から「世の中の役に立つ人間になりなさい。」と親から言われて育ち、単純に「悪い人をやっつける警察官」に憧れがあったことが最大の理由です。
内手 現在、上智大学文学部社会学科の4年生です。なぜ、今の大学・学部に入ったのかなと考えてみると、社会学って何なのかも知らないで入ってしまって、今でも「社会学って何?」って聞かれても一言では説明できません。受験する大学・学部を決める時に受験雑誌を見ていて、法律学科を専攻したら難しい本を読まなきゃいけないし、経済学科を専攻したら嫌いな数字を毎日見なければいけないとか、漠然とした不安があって、社会学科だったら何をやるのかはわからないけど、法律学科や経済学科よりは自分に合うだろうという思いがあって受験しました。上智大学にした理由は、受験勉強を通じて英語がとても好きになり、「英語だったら上智だろう。」というイメージがあったからです。お陰様で、楽しい大学生活を送ることができましたし、社会学科を専攻したお陰で視野が広まり、多角的な考え方ができるようになったと思います。
酒井 内手さんと同じ上智大学です。学部は文学部社会福祉学科で、今、3年生です。個人課題研究のときに社会福祉に興味を持ち、どうしても社会福祉学科に入って勉強したいと思って大学を探しました。最後まで国立と私立併願でしたが、国立大学で社会福祉を勉強できる大学がほとんど無かったので、今の大学に推薦で入りました。高校2年生のときから、色々な大学のオープンキャンパスや文化祭に足を運び、その中で上智大学の雰囲気が一番良かったことと、立地が良く交通の便が良いことが決め手になりました。大学を選ぶときには、「どこの大学に入るか。」ではなくて、「何を勉強したいか。」がとても大事だと思います。無名の大学でも、入学してから自分の好きなことを一生懸命研究できる、或いはしているのであれば、俗に言う「良い大学」に入って遊んでいるより絶対に良いと思います。でも、就職活動をしていると、出身大学で差別されるということも無いわけではありません。「学歴が全てではない。」と言いながらも、現実には差別もあると感じています。
星島 慶応大学経済学部の2年生す。中学生の頃から「良い成績を取れば優越感に浸れる。」という気持ちがあって、そのために頑張ってきたというところがあります。個人課題研究に関しては、なかなかテーマが決まりませんでした。成績は良い方だったとは思いますが、それ以外は駄目でした。それ以外と言っても、部活だけは一生懸命やりました。なぜ、今の大学に入ったかというと、合格した大学の中で一番良い大学だったからです。一応、国立大学志望だったのですが、自分で「これをやりたい。」というものが見つかっていなかったので、受験が全部終わった時点で親や先生に相談しました。先生は僕の性格を見透していて「慶応に入れば刺激を受けるし、経済学部だったら卒業後の道も多種多様で自分がやりたいことを発見できる可能性が高い。」というアドバイスを受け、自分でも納得して決めました。結果的には良かったと感じています。
高島 秋本君の高校3年間は、私が担任をしておりました。この14回生は、先程本人からも話がありましたが、歴史に残るような大変な学年でした。私は、この学年の学年主任もやり、ハウスマスターもやり、担任もやりという大変忙しい仕事をやっていたわけです。現役合格したときに「合格した大学に行け。」と言っていれば、秋本君も苦労せずに済んだかも知れないと、今、反省しているところです。(笑)
清水君は18回生で、6年生のときに私が副担任でした。当然、英語の授業も担当していたわけですが、この18回生の英語の授業は楽しかったですね。何が楽しかったかというと、英語の授業なのに議論が百出するんです。清水君もその一翼を担っていたわけです。また、テスト前になると彼の家には「この問題、どうやって解くんだ?」というファックスが友達からいっぱい入り、それに対して彼は、懇切丁寧に教えるわけです。学校でもテスト前になると彼の周りには友達がいっぱい集まっていました。「教員に質問するよりも分かり易い。」という友達が多かったようです。彼は、大学を決める段階になっても本当にやりたいという分野がハッキリ決まっていなかったんです。それで、私が「それだったら、東大にしたら。」とアドバイスしました。東大の場合には「進振り」というシステムがあって、入学時には学部は決めても学科は決めません。学科を決めるのは入学して1年後です。ほとんどの大学は、学部学科まで決めて入学する学科募集なわけですが、本当にやりたいということが未だ決まっていない学生にとっては、この「進振り」というのが有利なわけです。彼には「進振りのある東大で1年間勉強しながら自分の道を探した方が良い。」とアドバイスしたわけです。彼には、その力もありましたから・・・。また、センター試験で茨城県トップだった学生もいたんですが、彼は「東大ではなく筑波大に行く。」という気持ちを強く持っていました。理由を聞いてみると「自宅から自転車で通えるから。」と言うんです。こういう考えもあるわけです。
内手さんからは「社会学って何をするのかわからなかった。」という話がありましたが、文系に行きたいけど何をやりたいかわからないという学生は、社会学科に行けば、とりあえず何でもできるところです。そういう意味では懐の深い分野だと思います。行けば、それなりに何かを見つけられるところだと思います。皆さんの子供さんも「よく、わからない。」というときには「社会学」と言っておけば、まあ間違いないと思います。
御父母の皆さん、今の職業をなぜ選んだかを憶えていますか。よく、適性があると言いますけれども、考えてみてください。16歳、17歳、18歳で自分の適性なんか分からないと思いますよ。でも、茗溪学園では、16歳、17歳、18歳の生徒に「将来を見据えて自分の進路を考えなさい。」と教えます。私も一生懸命言いますが、心の中では「わかってたまるか。」と思っています。18歳くらいで自分の将来を見通すことはできません。
私事で恐縮ですが、私は、大学を卒業してから出版社に勤めまして、28歳のときに「学校の先生になるぞ。」と一念発起し、出版社を辞めました。既に結婚しておりましたが、まだ子供はいませんでした。妻の賛同を得て大学に戻り、2年間で教職の単位を取り、30歳で教職に就きました。そのころ、友人が茗溪学園に勤務しておりまして、その友人に誘われて現在に至ったというわけです。茗溪学園に来て26年が過ぎました。人生なんてわからない。良い会社だと思って就職しても、入社してガッカリということも多いわけです。何が大切かというと、人生を見通すことが大切なわけじゃなくて、見通すために努力することが大切なんです。何も考えないで、たまたま選ぶということではなくて、一生懸命考えながら選ぶということが重要だと思います。

● 今だから話せる親との関係
秋本 自分の部屋にテレビを置いてもらえず、リビングに1台だけだったものですから、結果として、テレビを見たくなってリビングに行けば親や家族がいて、自然に会話するという環境でした。ですから、親とはよく会話をしていました。親からは、あまり指示めいたことを言われた記憶は無く、「高校生なんだから自分で考えて行動しろ。」という感じでした。ひとつだけ言われたことは「他人に迷惑を掛けるな。」ということでした。親とケンカした記憶もありません。私の親は、どちらかというと自由にやらせてくれたと思います。ですから、「今だから話せる」というような秘密の暴露的なものはありません。
清水 親から「勉強しろ。」と言われた記憶はありません。「寝坊するな。遅刻するな。」とは、よく言われました。茗溪を卒業した後、父親から「勉強している姿をほとんど見なかったから、不安になったこともあった。」と言われましたが、茗溪在学中には言われませんでした。うちの親は、「勉強しろ。」と言えば、子供が反発するだけということを知っていたのだと思います。お陰様で、高校生の時に生徒会活動や部活動に心置きなく励むことができ、その経験が今、生きる力になっていると思います。ですから、親には本当に感謝しています。
日田 勉強に関しては、小学校低学年のころから親のスパルタ教育を受けました。嫌な塾も強制されました。でも、中学に入ってからは、逆に放任になり、親からは「信頼しているから、自分で責任を持ってやれば良い。」と言われ、うるさく言われた小学生のころよりも自分にやる気が出たと思います。ただ、高校生になってから「留学したい。」という気持ちが強くなって親に相談した時に「海外は危ないから駄目だ。」と言われ反対されました。あの時、親が背中を押してくれていれば、私の人生ももう少し良い方向に向いたかなと思います。もし、皆さんの子供さんが「留学したい。」と言って来たら、背中を押してあげて欲しいと思います。
内手 中学2年生の時に人生最大の反抗期を迎えました。その頃は、親の顔を見ると腹が立って、その私の顔を見た親も腹を立てるという感じで、毎日ケンカをしていました。高校生になったらケンカをする理由も尽きてしまい、親も「勉強しろ。」とうるさく言わなくなったので、私も精神的に落ち着いてケンカは無くなりました。私は長女で体が弱かったものですから、小さい頃から親が心配して、遊びに行く時にも「何時までに帰って来なさい。」という感じでした。ですから、日田さんと同じように高校生の時に「留学したい。」と親に言ったところ、「危ないから駄目だ。海外は、大学生になってからでも、社会人になってからでも行ける。」と言われました。私も半分は「怖いな。」と思いながら言ってみたものの、あの時、もし親が「行っても良いよ。」と言ってくれていたら、もっと良い経験ができただろうと思います。でも、プラス思考で考えれば、あの時、親が「駄目」と言ってくれたお陰で無事大学にも入ることができ、今の元気な私がいるとも考えています。でもやっぱり、子供が「これをやりたい。」と言ったら、とりあえず「やってみれば。」と言ってあげた方が、子供は逞しく育つのかなと思います。それから、勉強に関しては、親の口から「勉強しろ。勉強しろ。」と言い過ぎるのはマイナスだと思います。親から言われなくても子供は必ず、自分で気が付いて勉強するようになると思います。性善説的な考え方で子供を信じることが大切だと思います。
酒井 中学3年生の時が反抗期でした。当時は、母親から「もっと勉強しなさい。」と言われると、「だったら、お母さん、このテストで100点取れるの?」と言い返すような感じでした。高校生になってからは、全く勉強のことは言われませんでした。父親には、中学・高校時代から勉強を教えて貰っていました。今でも数学は時々教えて貰っています。母親とは、その日学校であったことを全部話すくらい仲が良いです。何でも話せる良い話相手が母親です。先日も、就職活動中の私が履歴書だけで落とされた会社があって、そのことを母親に話したら、「あの会社の製品は買わない。」と言ってくれました。今も、それほど仲の良い関係です。
星島 小学校4、5年生から高校1年生くらいまで親子関係が最悪でした。反抗期が早く始まって高校1年生くらいまで続いていました。小学校高学年の頃から父親に向かって「クソ親父」と言っていました。それで、「寮のある中学・高校に行くぞ。」と心に決めて茗溪に入りました。入学直後、ほとんどの寮生は週に3、4回は実家に電話をしていたと思いますが、「絶対に電話しないぞ。」と心に決めて、本当に一度も電話をしませんでした。親からの電話は、ハウスマスター経由になるので、親も諦め、寮にいる間は全く親と話をしませんでしたし、実家に帰った時にも僕の方から話すことはほとんどありませんでした。この状況を破ったのは個人課題研究でした。個人課題研究で何を研究しようか悩んだり迷ったりして、どうしても決められなくて親に相談しました。親のアドバイスなんか聞きたくないと思いながらも、頼るところがそこしか無くて、父親からのアドバイスに耳を傾けながら個人課題研究を進めたという状況がありました。それで、やっと、親のありがたみがわかったという感じです。今は、親の気持ちも少しはわかるし、仲は良いですよ。ですから、今、親子関係が悪くても時期がくれば良くなると私は思っています。心配することはないと思います。
高島 星島君は、多分、自分が父親になったら「お父さんに辛く当たらなければ良かった。」と反省すると思いますよ。20年後の星島君のことを考えると「気の毒だな。」と思います。(笑)
私は、子供との向き合い方で一番大事なことは「信頼と自己決定」だと思っています。子供を愛することの具体的な行動は「信頼すること」だと思います。「愛している」と言いながら、実は、親の考え方を押し付けているということが多いと感じています。子供の意思を尊重することがとても大事なことではないでしょうか。意見を言ってはいけないということではありません。意見は言うべきです。言うべきですが、最終的には子供の意思を尊重して信頼してあげることが重要だと思います。
さっき、日田さんから「親から背中を押してもらいたかった。」という話がありましたが、確かにそのとおりだと思います。卒業生の色々な話を聞いていると、「自分一人で全部やってきたように思っていたけれども、今、振り返ってみると、肝腎なところ、節目節目で親が背中を押してくれた。だから、今の自分がある。」と言う卒業生が多いことに驚きます。これが、「信頼する」ということだと思います。信頼するというのは「うちの子供は絶対に悪いことをしない。」と思うことではありません。何を信頼するかというと、「大きな問題が起きたとき、親が本気になって言い聞かせれば、子供はわかってくれる。」という信頼です。そういう信頼を持てるかどうか。それが愛情の証しだと思います。そして、最後は、子供が自分で決めていくということです。これが大事だと思います。
親の意向に沿うためにやっているということになると、失敗したり挫折したときに責任を転嫁することになりがちですし、そういうことが多いんです。そういう意味で「信頼と自己決定」が大事だということです。親と子供が対立したときがチャンスです。子供が親に相談した時に「親が真剣に聴いてくれる。」、「親がアドバイスしてくれる。」と子供が思うことが大事なんです。子供が何か相談したときに、仕事が忙しいと言ってみたり、新聞を読みながらいい加減に応えたりする。これは、やっぱりまずいですね。子供が相談しようとした時が親にとってはチャンスです。その時は、新聞を読むのをやめて、子供に正対して真剣に聴くということが一番大切なことだと思います。
● 高校生時代に一番悩んだこととその解決の仕方
秋本 振り返って考えてみると大した悩みは無かったと思います。今の方が悩みは多いですね。高校生の頃の悩みを強いてあげると、テニス部の監督をギャフンと言わせるにはどうしたら良いかということで真剣に悩んでいました。誰に相談したかというと、一緒に部活をしていた仲間です。当時は、部活と仲間のことが心の中で一番ウェイトを占めていたと思います。
清水 何に悩んでいたのか中々思い出せないですが、多分、文化祭実行委員会の会計をやっていた時に「どうして、みんな報告書(領収書)を出してくれないんだ。どうしたら締め切りに間に合わせることができるか。」ということが一番の悩みだったと思います。相談した相手は、一緒に文化祭実行委員をやっていた友達です。相談というよりは、生徒会室で実行委員の仲間で愚痴を言い合ってストレスを発散していたという言い方が正しいと思います。
日田 進路関係のことで一番悩みました。相談した相手は、親と兄と担任の先生です。
内手 日々こまごまとした悩みに関しては友人に相談していました。進路に関することは担任の先生と高島先生に相談していました。
酒井 友人関係も良かったですし、部活での辛い思いも無かったので、悩みが無いのが悩みと言っていいほど穏やかな高校生活でした。悩みの無かった高校時代を振り返って、その中での悩みを強いてあげれば、進路と受験のことだったと思います。それを相談した相手は、茗溪の先生方と友達、そして親でした。
星島 高校時代、悩みが山ほどありました。その中でも一番の悩みは対人関係だったと思います。例えば、そりが合わない友達のこととか、恋の悩みです。相談した相手は、やっぱり、仲の良い友達ですね。進路の悩みは高島先生に相談していました。
高島 高校生の悩みというのは年代で相当違うと思います。私の場合には進路指導担当ということで、生徒から進路に関する悩みもよく聴くわけですが、ここ10年で悩みの種類が相当変わってきていると思います。秋本君世代の悩みは、日常のことが多かったと思いますが、最近は「自分が何をやりたいのかわからない。」という悩みが多いんです。昔もそういう生徒はいましたが、今の方がはるかに多いですね。その原因、これは私の個人的な見解ですが、「自己肯定感」を持てない子供たちが増えているからではないかと思います。「自分は本当に世の中の役に立つ人間だろうか。自分の存在というものは何か意味があるのだろうか。」と考えている子供たちが増えているんです。自分は何をするべきかわからない。わからないから、こんな自分が存在する意味があるのだろうかと考えて悩んでしまう。
親として大事なことは、子供の全て、良いところも悪いところも全てひっくるめて受容できるかどうかだと思います。子供は「良い子になりたい。認めてもらいたい。」という気持ちが昔も今も変わらずにあるわけです。年齢が低ければ低いほど「親に喜んでもらいたい。」という気持ちが強い。親が喜んでくれた、笑ってくれた、ということが次に起こす行動の原動力になるわけです。高校生くらいになると、それが「良い成績を取りたい。」という気持ちになる。成績が良くなることは、もちろん自分のためですけれども、喜んでくれる親のためでもあるわけです。ところが、一生懸命勉強しても成績が上がらないと、そこに葛藤が生まれ、先程話した「こんな人間で良いのだろうか。」という自己肯定のできない存在になってしまうわけです。そういう意味で10年以上前と比べると高校生の子供とどのように向き合っていくかということが大変難しくなってきている時代だと思います。

● 後輩への言葉、父母への提言
秋本 提言というような立派なことは言えませんが、私も間もなく親になる予定ですので、その辺りを踏まえながら、親として「自分はこうしたい」というようなことを申し上げたいと思います。
茗溪学園の生活の中では、入学から卒業までの6年間、勉強以外でも様々な体験や考える機会が多く、その時々に友人と、あるいは先生方と議論したり、その議論を元に考え方を修正したりということがたくさんあると思います。この考えるということがとても大切だと思います。この経験は、社会に出てから非常に役に立ちます。
ご両親に対しては、先程から話が出ているように、子供の背中を押してやる、しっかりと後押しをしていけば間違いないのかなと思います。子供は、いくら強がりを言っていても必ず親を頼ります。先程「相談した相手は友人が多い。」と申し上げましたけれども、いざという時には、やはり、親に相談すると思います。その時には暖かく受け止めて欲しいと思います。
清水 茗溪学園は、色々なことが経験できる学校だと思います。私は、吹奏楽部と文化祭実行委員会で色々な経験をさせてもらいました。本人がやりたいと思えば熱中できる環境が整っています。熱中して何かをやりとげれば、そこには素晴らしい達成感があり、人生にプラスになると思います。私は今、吹奏楽部のOBとして、定期演奏会に参加していますが、今年の8月にもお手伝いをさせていただく予定です。毎年、定期演奏会の1ヶ月前から準備に取り掛かるのですが、この時期の現役生の頑張りは物凄いものがあります。全てのことを自分達で決め、準備を進めていくわけです。同時進行で演奏の練習もするわけですが、そのエネルギーたるや物凄いものがあります。このエネルギーを大事にして欲しいと思いますし、親には、それを手伝わないで、ジーッと見守って欲しいと思います。私達OBも近くで見ていて手伝ってあげようかなと思ったりもします。私達大人が手伝えば簡単に決着することですが、現役茗溪生のためには手伝わない方が良いというのが茗溪学園の伝統、教育方針だと思っています。それが立派な茗溪生を育てるとことにつながるのではないでしょうか。そういう意味で、ジーッと見守ることを大事にして欲しいと思います。
日田 まず、現役の茗溪生に望むことですが、色々な学校行事に積極的に関わって欲しいと思います。私は今、自分自身の6年間を振り返ってみて、部活にのみ重点を置いて過ごしたことを少し後悔しています。色々な行事に積極的に参加して楽しめば、もっと素晴らしい6年間になっただろうと思います。ですから、現役の人達には、学校行事に積極的に参加して思いっきり楽しんでもらいたいと思います。
お父さん、お母さんに対しては、子供が進路を選択するときに、世の中には色々な職業があり、選択肢と可能性が広いということを教えてあげて欲しいと思います。
内手 卒業してから「茗溪学園は良い学校だった」と気が付きました。茗溪生は親に見せない悩みを持っているし、実際、親が思っているよりも色々なことを考えていると思います。何をしたら良いかわからない子供に対しては見守って欲しいし、何かに熱中している子供に対しては、親の目から見て少し変でも見守って欲しいと思います。以前、私が親友のお母さんと話したときに、「私の子育て方針は、手を掛けることではなくて目を掛けること。」という話を聞いて感動したのを憶えています。これが最高の子育て方針だと思い、自分も母親になったら、この方針で行こうと心に決めています。どうしても、親というのは子供のやることに手を出しがちですが、子供は自分でやってみて失敗して、挫折して、そこで学習して逞しくなると思います。今、16歳なり17歳の目で見てやりたいことがあると思うので、それを大きな心で見守ってあげることが長いスパンで見ると大切なんじゃないかなと思います。
酒井 まず、現役茗溪生に望むことですが、高校3年生になると受験勉強が生活の主な部分になってくるので、高校2年生は、思いっきり茗溪学園の行事を満喫して欲しいと思います。茗溪生だったころには一番嫌いだった剣道ですが、今思えば、あの時にしか出来なかったことだったと思っています。学校の行事をひとつひとつ大切にして欲しいと思います。
親御さんに対しては、先程、高島先生がおっしゃっていた自己決定、そして信頼を育てて欲しいと思います。私の両親は、それをやってくれたと、今、感謝しています。私がやりたいという気持ちを尊重してくれ、自分は親に信頼されているという気持ちが強かったです。子供の性格を一番理解しているのは親だと思うので、その性格に合った助言というか、伸ばし方を実践していただきたいと思います。
星島 現役茗溪生に対してですが、親とか先生は結構支援してくれているので、それを感じ取って欲しいと思います。これは、僕の茗溪時代の反省から学んだことです。先程、内手さんが「手を掛けないで目を掛ける」と言っていましたが、僕もそのとおりだと思います。親は子供に目を掛けて、本当に危険なときだけ手を掛けるというのが理想だと思います。僕は6年間寮生活を送ったわけですが、毎年ゴールデンウィーク後に何人かの寮生が「学校を辞めたい。」と言い出します。そういう人達は親から大切に育てられ過ぎたんじゃないかなと僕は思います。さっきも話したように、僕は小学校高学年のころから親の干渉に反発していたので、寮に入ってホッとしたという気持ちがあり、「よーし、どんなことがあっても辞めないぞ。」という固い意志があったので辛いとは思いませんでした。その点では親に感謝しています。やっぱり、干渉し過ぎない方が絶対に良いと思います。
高島 みんな良い話をしますね。それぞれが辿って来た道、経験をもとにした話なので、実感がこもっていて大変参考になりました。
先程、内手さんが話していた「手を掛けないで目を掛ける」ということは、本当にそのとおりだと思います。大村ハマさんという90歳を過ぎた国語の先生が「お釈迦さまの指」という話を書いています。荷物をいっぱい載せた荷車を引っ張っている人が座禅を組んでいるお釈迦さまの脇を通って行くんですが、そこにぬかるみがあって、荷車がはまってしまうんです。その時、お釈迦さまが荷車を指でちょっと押してやり、荷車はぬかるみから出るんですね。その人は自分の力だけでぬかるみから出たと思って行ってしまう。親と子、教師と教え子の関係もこれが理想だと思うんです。
子供が一生懸命頑張って何かをやり遂げようとしている。でも、壁にぶち当たり、立ち止まってしまうことがある。あるというよりも立ち止まることが多い。その時、どのようにフォローするのか。親が前面に出てフォローするのではなく、子供が自分で決断して自分の力で進んでいると思えるようなフォローの仕方が大事だと思います。
ラジオ番組で聞いた話ですが、ある中学生の父親が亡くなってしまう。その中学生が悲しくて涙を流していると叔父さんが来て「涙なんか流している場合じゃないぞ。お父さんが死んで、これからやらなければならないことがいっぱいあるんだ。」と言って仕事を言いつける。すると、その中学生は、父親のために立派な葬式を出さなければならないと思い、叔父さんに言われたとおり、一生懸命準備し立派な葬式を出す。葬式が終わった後に叔父さんが「立派な葬式だったな。お父さんも喜んでいるだろう。」とねぎらうんです。それを聞いた中学生は、「俺は一人前に扱われて仕事を任され、立派にやり遂げた。評価された。」という気持ちになり、その後の人生を自信を持って歩んでいったという話です。皆さんの子供さんは未成年ですけれども「自分はもう子供ではない。」という意識があるんです。その気持ちをどのように大切に育んでいくかということが非常に重要だと思います。
● 茗溪生に戻れたら?
秋本 高校生の時には全く思っていませんでしたが、留学をしてみたいというのが一番です。
清水 もう一度、同じことがしたいと思います。中身の濃い高校生活を送ることができたと思っているので、吹奏楽と文化祭と勉強に情熱の全てを傾けてみたいと思います。
日田 学校の授業を大切にしたいと思います。せっかく質の高い授業なのに、それを無駄にしてしまったと今、反省しています。
内手 中学の時に体育会系の部活を辞めてしまったので、体育会系の部活を6年間続けて、体の筋肉も心の筋肉も鍛え直したいと思います。
酒井 とても充実した高校生活を送ることができたので、同じように友達とくだらない話をして毎日、笑っていたいと思います。
星島 留学したいと思います。1年間留学して、自分を見つめ直してみたいと思います。
高島 親の思いは子供に伝わります。「念ずれば花開く」という言葉がありますが、親が子供に対して「良い子に育って欲しい」と思い続けると、子供は良い子に育ちます。どうぞ、皆さんも子供に対して念じていただければと思います。