理科:穐本貴通先生


今回は、理科の穐本貴通先生です。
2006年10月21日茗溪学園会議室にて、インタビューにお答えいただきました。きめ細かな教育指導、地球科学に対するひたむきな研究姿勢、そして暖かなお人柄に触れてください。
父母会HP編集委員会 内田(28K)、塚田(28K)、野口(28K・29K・31K)、吉田慶(29K)、吉田直(29K)
―先生のご出身をお聞かせください。
昭和40年(1965)、母の実家の愛知県岡崎市で生まれ、3歳の時、父の実家がある福島県の会津地方に引越しをし、大学に進学するまで耶麻郡塩川町(平成18年喜多方市と合併)で育ちました。中学校の校歌にも「盆地の真ん中」というくだりがあるのですが、小、中学時代を過ごした塩川町は周りを山に囲まれた盆地の真ん中にありました。高校は会津若松市にある『福島県立会津高等学校』です。


―現在テニス部の顧問をされていますが、先生とテニスとの出会いは?
テニスは高校から始めました。動機は忘れてしまいましたが、もともと球技が好きでしたし、何か運動がしたかったのだと思います。
高校時代のテニス部は、残念ながらチームとしてはまとまらなかったですね。市外からの遠距離電車通学の部員と、そうでない部員がいて、僕を含め遠距離通学組は、電車の時刻表を気にしながらの部活動でしたので、最後の片付けができずに下校していました。練習をしていても、どうしても二つのグループに分かれてしまい、団体戦の応援も形だけで、互いに気持ちを込めた声援を送れなかったと思います。

ですから今、茗溪学園のテニス部にはチームとしてまとまるということを目指して欲しいと思っています。まとまれたチームは強くなります。同じ目標に向かって心を一つにするということがとても大きな力を与えてくれるのだと思います。
筑波大学に入学して間もなく、意気投合した数名の友人と、大学の宿舎の周りにあるテニスコートを使ってサークル活動をしました。大学ではテニスを通して友達付き合いを広げ、サークルの幹部としても働かせてもらいました。サークル活動を運営する立場を経験して初めて、人をまとめるということは大変だとわかった感じでした。今では、テニスは一生楽しんでいきたいスポーツになりました。
―筑波大学を志望され、ご専門の地球科学(以下地学)を専攻されたお話をお願いします。
筑波大学の第一学郡自然学類に所属し、最終的に地学に落ち着きました。もともと数学が好きだったので数学の専攻を考えていたのですが、悩んだ末に抽象的なものではなく、具体的な現象を扱い、様々な自然景観を調査できる地学を専攻しました。
高校時代まで学ぶ機会のなかった地学は、授業の度に目からうろこが落ちました。今では小学生でも知っているような、例えば地球表面はプレートで覆われていて、それが動いて地震などを引き起こすということさえ知りませんでしたから・・・。たくさんのことを学ぶにつれて、ますます地学が面白くなっていきました。
大学では水文学(すいもんがく)という分野を専攻しました。あまり知られていない学問で、文字だけ見ると「水の文学ですか?」と聞かれてしまうのですが、水はどのように循環しているのか、地下水はどのように流れているのか、などを探る学問分野です。
―地学に対する驚き、面白さから教師という職業を選ばれたのですか?
教師になる大きなきっかけを与えてくれたのは、茗溪学園で体験した教育実習です。その時、6年B組の担任で地学を担当されていた熊野先生に、大変お世話になりました。当初は教員になりたいというより、資格を持っていればどこかで役に立つのではというぐらいの気持ちでした。

ところが、実際に授業でこちらに輝く視線を向けてくる生徒たちに接し、そのやり取りが本当に楽しかったので、それから真剣に教職を考え始めました。就職のために地質コンサルタント会社などの企業訪問もしてみましたが、それには思い切れず、教員採用を視野に入れて、さらに2年間筑波大学の大学院で勉強させてもらいました。その間、茗溪学園で地学の非常勤講師をさせていただきました。大学の同級生である岩間先生も一緒で、いろいろお世話になりました。10回生、11回生が中学2年生の頃です。とても楽しく勤めさせてもらいました。
―では、そのまま茗溪学園の先生になられたのですか?
教員試験は茨城県と福島県を受験し、幸運にも、どちらも合格をいただきました。大学院卒業後、郷里である福島県の高校に赴任しました。地学は開講されていなかったので、主に化学と生物を担当しました。赴任校の生徒は女子だけでしたので、理科の一般教養というか、台所などで関わってくるような話題を中心に考えました。音が出る、色が出る、においがするなど五感で体感できるような実験を度々行いました。楽しく何かを学び取ってくれればと思って授業を行っていました。でも、一番楽しんでいたのは自分だったのかもしれません。
赴任して四年目、僕にとって最初の卒業生を送り出す前年の秋に、熊野先生からお電話をいただきました。先生が大学で教鞭をとられることになり、代わりに僕に茗溪学園の教師をやってみないかというお話でした。福島を離れることに迷いもありましたが、公立ではなかなか開講されていない地学を、茗溪学園に行けば教えられるという思いで、茨城にもどる決断をしました。

ー茗溪学園の理科教育の特徴は何ですか?
『本物に触れる』です。物理、化学、生物は実験や実習をたくさん行っています。地学では野外実習を実施しており、理屈だけではなく、五感で感じてもらえるように努めてます。実生活の中で気象情報や地震などが話題なる場面があれば、そういうところに敏感に反応できるようになってもらえるよう授業に取り組んでいます。地球全体をひとつのシステムとして考えられるような授業が展開できたらいいのですが・・・。自分自身ももっと勉強をして、生徒たちと一緒に考えを深めていくことができたらいいなあと思っています。茗溪学園には疑問を投げかけると、次の時間までにその答えを持ってくる生徒がいます。知的好奇心の高い生徒が多いですね。
―生徒の進路指導についてお聞かせください。
きちんと目的を持って、こういうことをやりたいのでこの大学に行きたいと言ってくる生徒は、勉強に向かう姿勢も違いますね。授業に限らず、クラブ活動や課外活動でも、何か打ち込めるものを持っている生徒は、充実した生活を送ってくれています。それに対して何をやっていいのか分からない状態で、勉強にもあまり身が入らないという生徒には、どうアドバイスしようかと一番苦労するところですね。
自分自身も思い描いていた進路とは違う方向に進んできました。しかしながら、多くの先生との出会いがあり、その中でいろいろなアドバイスを受けながら、最終的には自分で考えて結論を出してきたので、後悔せず歩んでくることができたのだと思います。
茗溪学園で行っている職業観セミナー、裁判所見学、農業巡検などでは、実際に働いている現場を見たり、お話しを伺う機会があり、進路を考えるヒントになると思います。自分で見たり聞いたりすることで、自身の適性も感じることができるでしょう。生徒たちもこれからたくさんの出会いがあると思います。何にでも興味を持ってチャンスを生かせるような素地を学生時代に作りあげられたらいいなあと思っています。
―全力で生徒たちと関わりながらも、『水文学』のご研究も続けていらっしゃると伺いましたが、ふたつのことのバランスは難しくはないですか?
自分のやりたいことはどうしても最後になってしまいますが、少しずつ時間をみつけて勉強会に出席するなど、恩師の先生方や近隣の研究者の方々から刺激をいただいています。
先日の集まりは、大学の恩師である池田宏先生が中心となった勉強会でした。河川地形、河川生態学、土木工学など、様々な分野の方が集まって、河川のあるべき姿とはどのようなものだろうかなどをテーマに勉強しました。かつての川原には、石がごろごろしていて、子供たちはそこで遊んだり、芋煮をしたりしました。昨今、コンクリートで護岸してしまった川に自然を取り戻すことが求められたりしています。でも、人間が関わっていることなので、人間に都合の良いものを選択することになるのかと思います。開発やそれに伴う破壊が問題になりますが、手を加えることがどの程度までなら許されるのかというところを見つけることが大切なのでしょうね。そういうことを考える際に参考になるような視点を、地学の授業の中で少しでも伝えられたらよいと思っています。
―いままでで一番楽しかったことは何ですか?
楽しかったことに順番をつけたことがないので、難しい質問ですね。一生を終えるときにわかるのでしょうか。

あっ、想像もしていなかった凄い景色を見たときには震えてしまいますね。情報の発達は良いような悪いような・・・。あらかじめ写真などで見て知ってしまったものは、感動は半減してしまいます。新婚旅行でアフリカに皆既日食を見に行きましたが、途中に立ち寄ったケープタウンで、天辺が平らで壁のようにそそり立つテーブルマウンテンの姿を目の当たりにしたときには圧倒されましたね。メインだった日食は、ビデオカメラの操作に気を取られ、肝心なところを見逃してしまいました。
そうそう、里美キャンプで生徒たちと星の観察をし、天の川の説明の時に、タイミングよく流れ星がビューンと流れて、「今のが流れ星です!」なんて説明させてもらいました。こんな感じで『うれしかったこと』はたくさんあります。
―日常の生活で大切になさっていることは何ですか?
『偽らないということ』でしょうか。自分は嘘をつくのは下手だと思いますから。嘘をついた後には、結局は自分が悩みますからね。生徒の前でも自分の理想の姿をつくったりしない、あまり教師らしくない教員なのかもしれないです。ですから、ありのままで生活しているという感じかもしれません。
―穐本先生のライフワークを教えてください。
これだということははっきりしていませんが、フィールドワークをしていきたいです。頭の中で考えているだけではつまらないですから。実際の自然現象の中で起こっていることは必ずしもテキストに書かれていることとは一致しません。現在は遠くまで出かける時間もないので、まずは茨城県南地域でみられる自然現象などを調べていきたいです。科学部の地質班で活動している徒たちと一緒に出かけたいですね。
先程お話しに出ました勉強会を主催されている池田先生は、川にはひとつひとつ個性があって現場に行ってじっくり見てみないと、なかなか理解できないとのことでした。河川災害の危険性の判断など、先生お一人では限界があるので、『川の町医者』を作りたいと考えられています。と言っても、先生は精力的に日本全都道府県を調査のため歩かれていますが・・・。それぞれの地元で生活している方に少しでも興味を持って川の様子の変化を見てもらい、それを解釈できるようになってほしいとおっしゃられていました。好きな研究を好きなだけされている先生は、とても活き活きとされていらっしゃいます。先々、自分もそうありたいと思います。
―では、20年後のご自分はどのようにされているでしょうか?
その質問は、普段考えたことがなかったですね。出来れば10年後くらいには、中高生にこれを伝えたら満足というような、納得のいく教材を作り上げられたらと思います。ちょっと遅いでしょうか。
20年後だと、池田先生が理想になるかもしれないですね。先生はその道の方々を集めて議論を戦わせる場を設けてくださったりしています。先生ご自身も研究を楽しまれ、それを周りの方にお伝えするということも楽しまれていらっしゃいます。あのような形で社会貢献できたらいいなあという理想の姿です。
―父母として茗溪学園の行事参加はとても楽しみですが、先生は父母会活動についてどのようにお感じになっていらっしゃいますか?
学年独自のカラーを出され、いろいろと活動されており、ご苦労様です。ご父母と教師の距離は、あまり近すぎても、逆に普段まったく連絡をとらないというのもよろしくないと思います。お互いの顔が見えていて、子供に関しての相談が出来るというような関係がよいのかなあと思います。茗溪学園の場合、父母会総会を含め行事にもご父母の参加がたくさんありご協力をいただいておりますので、非常にありがたいと思っております。

―長時間にわたり、ありがとうございました。