茗渓学園25回生学年父母会パネルディスカッション

『未来を! 父母もともに』 ―茗溪生OBに聴く進路選択における諸問題と親のあり方について―
平成16年2月28日(土)13:45より、第一AVE室にて、上記のテーマでパネルディスカッションが、開催されました。対象は、進路選択の只中にある25回生の父母でしたが、卒業生の皆さん、進路指導部長の高島渉先生から、たいへん参考になるお話をお伺いできましたので、当日ご参加いただけなかった父母の皆さんにも、また子どもたちにも、ぜひ内容をお伝えしたいと思います。

パネリスト
大杉千春さん  22回生
村田瑞穂さん  22回生
春日洋祐さん  16回生
宇田川大介さん 14回生
コメンテーター
茗溪学園進路指導部長 高島渉先生
コーディネーター
25回生父母会学年委員長 古田島宏一
開会の挨拶
古田島 進路の選択や個人課題研究など、様々な選択の時期を迎え、それぞれのお子さんがしっかりと自分で考え悩んで乗り越えていかれると思いますが、どんなふうに悩んでいるのか、また親がどんなアドバイスができるのか、などを知ることができたらということで卒業生の方々をお招きし貴重なご意見を伺いたいという主旨で今回の企画をいたしました。
 古田島学年委員長
自己紹介および茗溪時代のことについて(部活等)
村田 大学で都市計画を専攻しています。茗溪時代は剣道部で、現在も剣道部にいますが、茗溪時代の剣道部が自分にとって人生の転機になったと思っています。また、今は他校生を知って、茗溪生は違うなぁと感じています。本当に恵まれていると実感しています。
大杉 茗溪時代は吹奏楽部でクラリネットをしていて、パートリーダーをしていました。今は大学でテニスサークルと考古学サークルに入っています。考古学というのは、茗溪時代の個人課題研究のテーマでもあったものです。

春日 茗溪時代は6年間ラグビー部で、勉強はせず、部活が終わると疲れて帰って寝る、という毎日でした。化学が好きだったため、一浪後に、大学は理学部に行き、その後、現在の大学院に進学しました。大学時代は陸上部に在籍していました。
 春日さん
宇田川 現在はオーディオ、ビジュアル、コンピューター関連の民生・業務用機器メーカーに勤務しています。茗溪時代はバスケット部に入って膝を壊し、吹奏楽部に入りましたが、やはり体育系がやりたくなって野球部に入りました。進学先の大学では中国語を専攻しました。茗溪出身というだけでラグビー部に誘われて1年間やりましたが、身がもたないので(笑)、茶道部に転部して3年間やりました。私は親が海外にいたため、中学1年生のときから茗溪の寮に単身赴任(笑)してきました。寮生は塾にいけないので親は心配といわれますが、そんなことはまったくありません。周りは全員が受験生なのですから皆競って勉強しました。


個人課題研究のテーマと進路の関係について
村田 私の個人課題研究は「特異日について」というテーマで取り組みました。環境問題に強い関心があり、また毎年北風祭が雨だったので特異日なのではないか、と思ったからです。この間に環境の文献をたくさん読みました。結果は、進路とは何の関係もありませんでした(笑)が、非常に有意義な1年でした。当時は生物関係か環境の方に進みたいと思っていましたが、AO入試不合格で、結局現在の大学で建築の方へ進むことにしました。
四年次の職業観セミナーで、建築に興味を持ったことが現在の進路に繋がりました。個人課題研究はまったく関係していません。
 村田さん
大杉 個人課題研究のテーマは「緊急調査と遺跡保存」でした。始めはエジプトの考古学をやりたかったのですが、日本語の文献が少なかったので、高校生でも手の届くテーマにしました。これによって国内の考古学の知識が深まったと思います。在学している大学の場合は特殊で2年の終わりに専門が決まるので、今はまだ、考古学が進路に繋がるかは、私次第という状況です。
春日 テーマは「塩の単結晶」でした。小さい頃から理科が好きで、理科系の進路を選択しました。また、進路については研究者である父の影響もありました。化学のなかでも、有機化学が好きでした。茗溪時代は毎日が部活漬けで、勉強はしませんでしたが有機化学だけは好きでまったく苦痛になりませんでした。また、現在の専攻(有機化学)に関しては、大学3年時に出会った教授の影響が大きいです。個人課題研究は失敗でした。消してしまいたい過去です(笑)。でも、自分で考え試行錯誤したのは良かったと思います。進路にはあまり関係なかったと言えます。
宇田川 テーマは「PKOの自衛隊派遣」でした。非戦争国の日本のルーツを知りたかったからです。内容はさておき、その時自分が何に一番興味を持っているかを追求する事こそが大事で、進路に繋がる必要はないと思います。テーマを選ぶ事がまず大きな壁といえるでしょう。子供が何を選んだのか、ということに親御さんは興味をもっていただきたいと思います。
高島 最近よく言われるキャリア教育ですが、これはアメリカで1970年代、日本では1999年頃から文部省が言い始めた職業観教育のことです。茗溪では設立当初から職業観を持たせようということで個人課題研究があります。実際には個人課題研究が即、職業に繋がるのは、医学系・建築系・薬学系と言う傾向があります。でも一番大事なのは今自分がどういうことに興味があるのかを一生懸命考える事で、それによって別の道を見つけることもあります。また研究の中で考え方の訓練をする事が進学後に大きな力になっていると思っています。
 高島先生
進路選択はどのように考えて大学はどこを志望されたか
村田 先ほども触れたようにAO入試に落ちまして、「国立なら一人暮らしをさせてやる」と親に言われたのも魅力で、また剣道部を続けたかった事や、どうせなら剣道の強い大学に行きたいと思って、今の大学を希望しました。でもセンター入試で8割取るべきなのに失敗して6割強しか取れなかったので、学部を変更して受験する事になりました。自分としては興味もさることながら、剣道部を続けたかったからです。これは茗溪時代の剣道部の先生方に大きな影響を受けたからです。
大杉 進路については、考古学か航空工学で悩みましたが、夢をとったというか物理が好きではなかったので文系に進みました。考古学と言えばあの大学だろうとも思いましたが、まだ何も知らない自分が進路選択を高校1年で限定するのが怖くなって、教養課程終了後に進路を選べる大学で深く教養を学べる大学が、自分にとっては今の大学しかなかったので、そちらに進みました。今の進学に有望視されていたわけではなく、その時の自分の学力でも受かりそうな大学で自分の希望するものはなかったので、選択はここしかなかったということです。塾や予備校には行かず、親にたたき起こされながら自分で勉強しました。
春日 大学の選択については、化学のあるところ、ということでした。高校生の頃は、英語は下から2番目のクラス、数学は一番下のクラスでしたから、一浪して3校受験し、受講したかった教授が居られる大学に進みました。大学選びに関しては大学名で絞るのは勧められません。進路選択は子供のやる気で決めるもので、目的に対していろんな道から行けるものです。親は子供の見つけた興味の方向にそって、「だったら、こんな方法があるよ」というようなその方法をサポートするのが、自分だったら嬉しく思います。
宇田川 僕はもともと外交官になりたかったのです。5歳から13歳までイギリスで過ごした事もあり、また政治や歴史に興味もありました。進学に当たっては6大学全てに落ちて、特殊な入試の、国立大学に入ったわけです。自分にとっては「どうして日本人にはゆとりがないのか」ずっと違和感を持っていまして、それで、生活の中のゆとりという観点から、音楽、映画もある今の会社に就職したのでしょう(笑)。進学にあたっては偏差値や大学名ではなく、子供の夢が大事で、夢をかなえる方法を紹介するのが親の役目かと思います。
 宇田川さん
古田島 ありがとうございました。私たち親は自分達が経験した受験戦争を通してブランドの大学志向というのはどうしてもあると思いますが、個人課題研究などを通して指導されている茗溪の進路指導と大学について高島先生にお伺いしたいと思います。
高島 ブランドの大学は、それはそれで良いのですが、それだけではないということをどこまで理解でき、その大学の先に何があるかを見通させることが大切です。大学はブランドじゃない、などと奇麗事は言えますが、有名大学をことさら毛嫌いしたり、有名でブランドだからダメ、と言う必要もないわけです。茗溪ではその先にあるものを見通させる事を大事に考えています。そして、進路決定では、自己決定であることが本当に大事です。親が選んではいけないのです。親は情報と考えを子供に与えるべきです。そうした結果の進学先はたまたま、それがブランド校かもしれないし、そうではないかもしれない、ということです。
親に言われて嬉しかった事辛かった事
村田 親子喧嘩をしてください。うちはどちらも頑固なので2日に1度はしていました。親はどんどん、子供のお尻を叩くべきです。その時はとてもウザかったのですが、決して子供に嫌われたくない、なんて思ってはいけません。言いたい事を言わなければお互いの関係はギクシャクして結局どちらの為にもなりません。相手が何を考えているのか把握していないと意志の疎通ができません。それでは子供が突っ走っても親はサポートする事は難しいです。部活で疲れて帰ってきたときに「勉強しろ」といわれるのは腹立たしかったけれど、今では、金銭的にも精神面でも、さらに方向性においても自分が見失った時には上から押し付けるのではなく下から押し上げるかたちでサポートしてくれた寛大な親に感謝しています。自分で道を切り開いたと思っていますが実は導いてくれていたと言えます。
大杉 「もうだめ~」と言っているときに「がんばれ!」とか「他の皆はこんな時こそ頑張っているのよ」とか言われてむかついていました。でもむかつくと言う事はそれが自分にとって身にしみてわかっていると言う事で、母にお尻を叩かれるパターンでした。母は関西弁でガミガミ言う方でしたが、父は黙ってみていてくれたのがよかったです。受験を目前にして焦ってイライラしている時に、受験校のデータを集めたり、併願校の受験日のスケジュールを立てたりしてくれたことは物理的にも精神的にも本当にありがたかったです。「協力してあげているんだよ」「気にしているんだよ」という態度が大事だと思います。
春日 私の場合、親に尻は叩かれましたが勉強はしませんでした。お陰で両親にはお金を多く出してもらう事になってしまいました(笑)。親からは「自分で決めろ」「決めたら最後までやれ」「後悔のないように」と言われていました。高校生には厳しい注文だったかもしれません。自分の人生なんだから自分で決めろというのは、自分に任されるのは嬉しい事である反面、様々な決断においては辛く不安なことでもありました。金銭面では、私立の中高・浪人私立の大学、現在の学費まで、未だにサポートして貰っているわけですから本当に感謝しています。
宇田川 母は普段はうるさかったです。父は航空会社ですが、学歴で苦労しているので、「大学だけは出ておけ」と言いました。母は、このときだけは何も言いませんでしたね。
高島 親の放任主義はダメです。「好きにしなさい」という場合には子供を信頼しているという信頼感が前提でなければいけません。「本当におまえの事を思っているんだ」ということがちゃんと伝わっているかが大切です。でもこれも微妙で、子供の為といいながら、親の見栄の為だったりします。親のために言ってはいけません。本当に子供の為に言っているのか、ここを真剣に考えていれば全然違ってくると思います。「エデンの東」という映画をぜひ見てください。子供は親の信頼が必要なのです。
後輩にひとこと
村田 部活をしている後輩にひと言。「部活は最後までやりとおしてください。」と言いたいです。部活を続けるのは大変な事です。何があっても逃げない事がその後に重要になってきます。成績はどうでもいいんです。部活をやりぬくことは難しいですが、その時の仲間はこれからもずっと気の置けぬ友人です。部活をして勉強ができないというのは嘘です。定期テストの点数が悪くても基本を理解していればいいのです。引退後に応用力が付いてきますので、どんなに部活で疲れていても基本だけはやってください。是非、文武両道を目指して頑張ってください。
大杉 吹奏楽部でパートリーダーをしていたので、部活を止めたいという相談をうけることはよくありました。部活も勉強もいいかげんな取り組みをしている人に限って、塾に行く為に部活をやめる、と言い出す人がいました。そういう人が部活をやめて塾に行って成績があがった例は、少なくとも私の知る限りみたことがありません。部活をさぼって駅でうろうろしていたのが塾をさぼって駅でうろうろするようになっただけでした。「成績が悪いから親が塾に行かせる」のでは本人の気持ちに整理がつかないのではないかと思います。そうじゃなくて、頑張れない理由をさがすのではなく、頑張る理由を見つけて自分に負けない事が大切だと思います。
 大杉さん
春日 先ほど文武両道という話がありましたが私の場合はラグビーだけでした。ただ、6年間やりとおしたことは自信に繋がりました。やめるのは簡単ですが継続するのは難しいことです。部活を続けられたという達成感が本当に大事だと思うので、お子さんがやめたいと言い出したときには、もう少し考えるように言われるといいかと思います。あとは英語をしっかりやってください。私は高校時代英語が苦手でずっと逃げていたので今はそのしっぺ返しを受けています(笑)。どんな仕事にも英語は大事です。親はただ「勉強しなさい」と言うのではなくて、英語に興味がもてるようなきっかけを作ってあげて欲しいと思います。最後に、勉強以外に、その年代でしか出来ない事をたくさん経験して欲しいと思います。茗溪ではたくさんの行事がありますが、それだけではなく、もっと社会に出ていろんな経験を積んで欲しいと思います。
宇田川 茗溪にはファンが多いですよね。まぁ、僕達を見てそう思うのか(笑)、人間として芯が通っているのが茗溪生だと思います。卒業した大学も茗溪に似た学校で、得したと思っています(笑)。今振り返ってみると高校時代にもっと職業観に関する情報があったらよかったと思います。自分で調べていると華やかな仕事にばかり目が向くのですが、実際には華やかではなくてもいろんな面白い仕事があるものですよね。僕も生徒に語るのならいつでも来たいと思います。
高島 職業観セミナーは16回生から始めたので、14回生はなかったんですよね。宇田川君が言ったようにこれはいいんですね、働く事=生きること、ですからね。また大杉さんが言った「頑張れない理由を探すんじゃなく頑張れる理由を探す」というのは素晴らしい名言ですね。春日くんの「その時にしかできない経験を」というのも、素晴らしいですね。14回生の生徒で、高校2年の1月にNHK「青春メッセージ」の関東甲信越の代表に選ばれ全国大会に出たことがありました。その後高3の夏に、その時の代表だけで中国に招待されたのです。一番受験生には大事な時期ですから彼女は悩んで相談にきました。でも私は「絶対に行くべきだ」と言いました。なぜならこんなメンバーで中国にいけるのはこのときしかないわけです。大学受験は翌年もあります(笑)。でも、現役で北大に受かった彼女は「あの時の遅れがあったから頑張れた」と言っています。部活をやめて塾に行っても成績は伸びないんですよね。不思議にそうなんです。部活を最後まで頑張った子は6月に部活を終えて、8月頃からエンジンがかかり始めます。どんなにやっても成果がでるのは3ヵ月後ですから、11月の最後の模試もいい結果は出ないのですが、そこからまた3ヶ月やりますから、受験でいい結果を残しています。そういうものです。茗溪生はインターハイや花園など、ぎりぎりまで忙しいので、模試結果と合格に差がでるわけです。大事なのは、部活を最後までやり通した達成感なんですよね。
茗溪時代に影響を受けた友人・先生
村田 先生ではなんといっても剣道部の顧問の先生です。剣道だけではなく人間としても尊敬していますから、人生を大きく変えられたと言えます。友人で影響を受けた人はいっぱいいます。がり勉じゃないのに勉強ができるセンスのある人とか・・。
大杉 5・6年の担任の先生、進路指導の先生にお世話になりました。エジプト考古学をされていた先生には個人課題研究でも大変お世話になりました。茗溪の先生は凄い先生が多く本格的な活動をされている方が多いので、興味のあることはどんどん伺うといいかと思います。
春日 ラグビー部でしごいていただいた先生にはプレーを通していろいろな事を教えていただいたと思います。部活ではいろんなキャラクターの人間がいますが、試合ではまとまらなくてはいけないので、仲間のことも把握しなくてはいけないので影響は大きかったと思います。
宇田川 魔の14回生としましては影響を与えた先生のほうが多かったかもしれません(笑)。自分達の学年は早熟だったわりには卒業までに大人になれなかったような印象を持っています。本当にお世話になりました。
高島 だれでもいいから、1人でいいから、心を許せる先生がいるといいですよね。10回生の女の子で、いろんな先生に「もっと積極的になればいいのに」と言われて悩んでいた時に、私のところに来たので「積極的にならなくてもいいんじゃないの。1人ぐらい積極的じゃない子がいたほうが面白いよ」って言ったらしく、それで救われたと言うんです。子供ってみんなと違うと不安なんですよね。でも、多様性が必要なんです。均一性を重んじるというか、日本では出る杭は打たれちゃうんです。でも「出る杭は打たれるけど出すぎた杭は打たれない」んですよ。だから、どうせなら出すぎちゃえばいいんです。積極的な子も消極的な子も面白い子もまじめな子も、いろいろな子がいていい。われわれ茗溪の教師には子どもを多角的に見ようという思いがあるんです。だから、是非、そういう多様な友達や教師に出会って欲しいですね。
(以上記録 宮本恵子)
学年委員長 古田島 宏一
今回のイベントに際しましては、昨年24回生の学年委員長だった秋元さんに貴重なアドバイスをいただきました。昨年行われたイベントが非常に良かったということをお聞きし、25回生としても是非負けないようなイベントを行いたいということで考えていました。卒業生を呼んで話してもらおうということはすぐに決まったのですが、それが父母を対象にするのか、生徒に話してもらうのか、また卒業生はどのように探したらいいのか等、役員、先生方の間でも意見がいくつか出てきました。話し合いの結果、対象としてはこれから子どもを陰からフォローしていかなくてはならない父母とし、OBとしては、卒業されてまだフレッシュな感覚を持たれている年代ということで名波先生、高島先生にご紹介いただきました。
私のほうで何人かの方にお願いの電話をしたのですが、どなたも非常に気持ちのいい対応をしていただいたのにはさすが茗溪生と感激した次第です。今回来ていただいた4名の方々には、お電話とメールでお願いしたのですが、特にメールではお忙しい中、事前質問への丁寧な回答をいただき、それを読ませていただくだけで胸が熱くなる思いでした。
高島先生もおっしゃられていたように、特別に選んだ訳ではなかったのですが、どなたも、茗溪生らしい清清しさと明快なお考えをお持ちで、ひと言ひと言が私たち父母の心に時には熱く、時には心強く響きました。
この記録ではお伝えできない言い回しや雰囲気もありますが、脈々と続く茗溪の良さが来年以降の回生にも伝わることを祈念いたします。最後にさまざまなアレンジをお願いしました学年主任の名波先生、素晴らしい語り口でイベントを盛り上げてくださった高島先生、当日ご参加いただいたたくさんのご父母に心より感謝申し上げます。
父母の感想
・是非子どもを対象に企画してほしい。
・個人課題研究が必ずしもイコール進学科目ではないということ、それよりも一年かけてその中でいろいろな発見をすることが大事であるということ、本人だけでなく親も関わっていけたらと思っている。
・個人課題研究のテーマが決まる前にやっても良かった。もう少し早い時期にやればもっと良かった。
・親の役割についての議論は参考になった。基本的に親と子の信頼感がベースになければということが分かった。
・とても出来の良いお子さんたちという印象。レベルの高い方たちばかりだったように思う。優秀な先輩方ばかり。
・子どもと近い年代の先輩方から生の声が聞け、親がサポートできる具体的な例を教えていただけてよかった。とても分かりやすく先輩方の意見を聞けた。
・我が子の進路に頭を悩ますこの時期、茗溪ならではの企画で、卒業生の楽しいお話を聞けてよかった。今一度、暖かい目で子どもを見守ってやれるような気がする。
・不安を抱えての親子喧嘩も多く、毎日が暗く悲しく思っていましたが、卒業生の経験から希望を持てる勇気となりました。
・有名な先生の講話より、私たち親が、子どもたちが今一番知りたいことをたくさんお話いただけてよかった。
・安心したり、うなずけたり、ああそうだと反省させられたり、「今」を感じながら、考えさせていただきました。
・日ごろ親の考えを強制しがちですが、子どもの気持ちを尊重して、本人のやる気を引き出してやるということが大切なのだと思いました。