理科:中村泰輔先生

2014年8月30日、まだまだ残暑が厳しい午後、今回の先生インタビューは茗溪学園スーパーサイエンスハイスクール推進委員長であり、理科担当、科学部無線工学班顧問の中村泰輔先生にお話をうかがいました。

 

―中村先生のご出身についてお聞かせください

生まれは千葉県の習志野市です。3歳から大学卒業までは松戸市に住んでいました。つくばには大学院に進学するときに引っ越してきて、それ以来つくばに住んでいます。中学・高校は麻布中学校・高等学校、大学は東京大学、大学院は筑波大学です。

 

―どんなお子さん時代を過ごされましたか

自分では理科が得意だという自覚はあまりなかったのですが、そこらへんに落ちている古びた機械のボタンを押したり、ドライバーでねじを外して分解したりすることは好きでした。小学校では放送委員会に入っていました。昼休みに給食をもって放送室に放送しに行くんですが、放送用の機械がたくさんある放送室が好きでした。その放送委員会の顧問の先生がアマチュア無線をやっていらっしゃったんです。アマチュア無線とはそこで出会い、小学校5年生で資格をとりました。その頃から、機械系なのか、工学系なのか、そういう世界に関心が出てきました。自然が好きだったので、地図を読んだり、物事をよく観察することなど、生きるためのスキルを教えてもらったボーイスカウト活動にはすごく満足していました。ボーイスカウトは小学校2年生から始め、茗溪学園で働き始めるまで続けていました。なんとなく理科系の分野が好きなのかなあ、という感じで小中学生時代は過ごしていた気がします。小学校から大学まで、吹奏楽部やオーケストラで楽器を吹いていました。小学校の時は吹奏楽でユーフォニウムを、中学高校ではオーケストラで最初はトロンボーンをやりましたが、そのうち学校のオーケストラで、かねてから希望していたクラリネットを吹くようになりました。いろいろなことに手を出しましたが、ずっと一貫して続けたのは音楽だったかもしれません。

 

―学生時代のご専門は

大学時代は地球惑星物理学、特に地震学が専門です。中学・高校時代に理科を習った先生のご専門が物理で、身の回りにある物理現象を実験を交えて楽しくお話してくださる方でした。そういうものの見方もあるのだな、と中学2年生のころに感銘を受けたのを覚えています。重力、物が落ちるというのもよくよく考えると不思議な現象だな、とか。だから大学では、実際に身の回りでも興味深いことがたくさんある分野、普段自分自身が接していて、しかもまだまだ不思議なことが多い地球物理を勉強しようと思いました。

大学院では物理学を専攻せず、筑波大学大学院で理科教育を専攻しました。先生になりたいという気持ちは、小学校2年の時にお世話になった「気は優しくて力持ち」だった男の先生と出会った時からずっと持っていたように思います。だから大学に進学するときにも教育学部に行こうかと迷ったのですが、高2のころ、物理を教えていらっしゃった担任の先生と将来の進路の話をした時に、高校で物理を教えたいのであれば大学では必ず理科の専門教育を受け、理系の研究がしっかりとできるようにした方がよい、とアドバイスを受けたのです。高校生に高校理科のその先の世界を見せるのが高校教師の仕事なのだから、その先に何があるのかが分からないと高校で教えられなくなるよ、という趣旨だったと捉えています。それでまずは大学では理系科目を専攻することに決心しました。

ボーイスカウト世界ジャンボリー韓国

大学3年の時にボーイスカウトの関係で知り合ったあるお父さんが教育学の研究者だったのですが、その方が「教育に興味があるのなら自分の研究所でアルバイトをしてみないか」と誘ってくださったんです。最初の仕事はアンケートの集計だったのですが、アンケートを読んで集計しながら「どうしたら教育というものがもっとよくなっていくのか」「新しい試みをすることによって教える側、また教わる側はどのように変わるのか」ということを研究する人が実はたくさんいるのだな、ということを知りました。そして自分が今後教育というものにかかわっていくとしたら、こういう分野の勉強もしなくてはいけないのではないか、と思うようになったわけです。大学4年生になっていよいよ進路を決めなくてはいけないときに、「教育について勉強してみたい」と研究所の先生方に相談してみましたら、専門領域として理科の教育について様々な角度から研究している「理科教育」という分野がある、筑波大学は理科教育の分野が強いから調べてみたらどうか、というお話をいただきました。それがつくばにきたきっかけです。理系の分野は、修士まで進学して研究を続けるのがひとつのパッケージみたいになっていますから、専門分野を変えることは勇気のいる決断ではあったのですが、大学院に進んで理科教育の様々な研究に出会うことができ、学問としての重要性、実践に生かされることの重要性を吸収することができたのは、大変よかったと思っています。

大学院で教育学に身を投じたことは、理系と文系の学問の違いを知る大きな一歩だったと思います。大学4年までは地震研究所での研究だったので、地震波の波形を見ながらコンピュータのシミュレーションと格闘する生活でしたが、大学院では教育学と向き合い、本を本当にたくさん読みました。理系分野では、式が多くのことを語ってくれますし、物理は想定される状況もある程度明確で、こういう条件でこういうことをするとこうなります、この関係を使うとこうなります、と、理系的な論理展開は明快なんです。しかし文系分野では人間の営みを表現するのに沢山の言葉があって、その表現の仕方が微妙に違うと、意味するものが実は違ったり、全然違う言葉でも実は同じものを指していたりします。人間の営みを言葉で表すということは、書き手がどんなボキャブラリーを持ち、どんな視点で書いているかによって、出てくる文章がまるで違います。言葉の深さ、豊かさというものに気づかされたのは、大学院時代だったと思います。

藤井先生

修士課程修了後は、いったん博士課程に進学しました。そこで研究を続けながら、理科教育の専門を極めたいという気持ちと、いずれは現場に立ちたいという気持ちの両方が混ざり合って悩みました。しかし、自分が何のために理科教育を勉強しているのかと初心に戻って考えると、やはり現場に立つためなのではないかという結論にいたり、博士課程途中で退学させていただきました。その頃、非常勤講師として茗溪学園で教えていたのですが、それは大学の指導教官の先生の理解もあってやっていたことでしたので、大学院を辞めることによって茗溪学園とのかかわりもこれで終わってしまうのかな、などと考えていました。そのとき、筑波の理科教育の大先輩でもある物理科の藤井先生が「自分が指導教官の先生にかけあうから、茗溪で教えることを考えてみないか」とすすめてくださり、そこでチャンスを頂いて茗溪への就職につながりました。なので、藤井先生には頭があがりません。

 

―スーパー・サイエンス・ハイスクール(以下SSH)について教えてください

インタビューに答える中村先生

政府は将来、科学技術で国を背負って立つ理数系に長けた人材を育成しようと、様々な施策を行っており、SSHもその一つです。SSHは国から補助金をいただいて理数系人材育成に資する教育のあり方を研究開発する5年間のシステムで、全国で200校ほどのSSHがあります。どこの学校でもSSHになれるわけではなく、うちの学校はこういう方法で理数系の強い生徒を育成しますよ、というプランを作り、そのプランを文部科学省に提出し審査を受けて認められて、そこで初めてSSHになれるんです。茗溪は2011年にSSH指定を受けました。SSHになってからの成果は1年毎に報告書という形でまとめて、Webでもご覧いただけるようになっています。

―茗溪学園がSSHになって、以前と変わったことはありますか

自分は理数系だということを堂々という生徒、自分は理系で頑張りたい、楽しんでみたい、と態度で表す生徒が増えましたね。それを周りも受け入れていくというか。科学部の入部者が増えましたし、活動も活発になりました。また対外発表をしたいという生徒がものすごく増えました。SSH指定をされる前は、自由研究コンクールなどの発表をする生徒は文系には多かったのですが、理系ではほとんどいなかった。ところがSSHになってからは、外のいろんな機関から「発表しませんか?」と茗溪学園に声がかかることが多くなったのです。それで対外発表のチャンスが増え、それに応じる生徒も思いのほか多くて、発表したい生徒がこんなにいたのかと私たち教員も驚きでした。研究発表の機会を作って、プレゼンテーションスキルを育成しようという動きはSSH指定前からあり、筑波大学での個人課題研究の発表を行うようになったのは29回生(5学年時、2009年)からですが、そこでも最初の数年は外での発表会にどのように目を向けさせるかで精いっぱいだったこともあるので、それがSSHになったことで生徒が外の世界へ積極的に出ていくようになった、というのは大きな成果だと思っています。

―茗溪学園におけるSSHプログラムの特徴は

茗溪の生徒って、例えば中学1年生の生徒でも研究発表が上手なんですよ。ちょっと発表やってごらん、とこっちは頭から指導するつもりで聞くんですが、結構うまくて。どこかで発表の練習をしたことがあるの、と聞いてみると、英語の授業でのプレゼンテーションでだいぶ鍛えられました、と言うんです。いろんな教科で学んだ力がいろんな分野で役にたってるな、と思いますね。だから茗溪での英語のプレゼンテーションや英語劇は、SSHのプログラムの一環として位置づけています。国際的に活躍する研究者を育てたいのであれば、英語での表現力を問われる場面が増えてきているのですが、それを考えると決して理科の授業だけが大事なのではないと思います。目指すところは「最先端を行く科学技術者の育成」ということをテーマにおきながら、すべての生徒にとってユースフルなスキルを身につけさせたい。SSHというのは文系の生徒にとって役に立たないのではないか、と言われてしまうこともあるのですが決してそうではなくて、SSHの目標を考えてカリキュラムを考えていくと、今まで長い間茗溪でやってきたことはすべてその中に入っているんです。文系であろうと理系であろうと芸術系に進む生徒であろうと、誰もが持っていていいものは全部育てたい。例えば、プレゼンテーションをするスキルであるとか、論理的に考えることであるとか、書くこととか。また、地元であるつくば市にはたくさんの研究所がありますからここで最先端に触れる事、新たなものに触れてそれを受け入れる事、これはどの分野であっても絶対に必要な資質です。だからこちらから、この人にSSHをやってもらいましょうと絞ることはしたくない、望めばすべての生徒にチャンスのあるSSHにしよう、という考えが根底にあるんです。むしろ対象をすべての生徒に広げて、いろんな科目でSSHの趣旨に沿う取り組みをして、それがトータルとして生徒の基礎力になればいいと考えています。先日SSHの活動の一環として、スイスのCERN(欧州原子核研究機構)、アインシュタイン博物館を訪れましたが、そこでの研修を通して、世界最先端の研究をしていらっしゃる何人もの先生が「一つのことについて深く知りたいのなら、たくさんのことを幅広く学ぶのがよい」という趣旨の内容をおっしゃったことが、引率者として大変印象に残っています。自分の人生を振りかえってみても、これがやりたいからあとはいらない、という考え方はしてこなかった気がします。幹がどんなに太くても、枝葉がないと木は育たないですからね。

 

―茗渓学園では、国際教育、世界的日本人の育成に力を入れていることが知られていますが

茗渓学園は帰国子女の受入の歴史が古く、受け入れ数も多いです。中学校1年生から、色々な国・地方から来た生徒、地元の生徒を同じクラスにしています。様々なバックグランドを持った生徒が集まると、ちょっとしたことで違いを体験する場面が多くあるわけです。例えば、ゲームのルールひとつにしても違いが出て来ることがよくあります。トランプの「大富豪」のルールの違いとか、じゃんけんのかけ声の違いなどですね。いろんな文化、いろんな考えを受け入れることがスタートとなり、個々の違いを受け入れる素地ができていくのだと思います。いろんな違いを受け入れることに慣れてくると、大学の進学、或は将来の進路の選択に関して、いろんな世界を見てみたいという生徒が出てきますね。在学中に海外に留学したり、海外の大学に進学したり、いろんな生徒がいます。進学は国内の大学が大多数ですが、大事なのは、国内進学か海外進学かではなく、自分の周りとは違う他の世界を見てみたいという気持ちです。海外で見て得たものを持って帰り、新しい刺激をまわりに与える、そして周りの生徒もそれを受けて、今まで知らなかった文化、考え方、生き方を知るのだと思います。語学力だけではなく、様々な考えをわかちあい、ぶつけていくという場面をたくさん提供しているのが、茗溪の国際的な教育ではないかと思います。

茗溪学園の教育理念は「世界的日本人の育成」です。人類や社会の役に立つ。そのために必要なことは、考えるための力、創造力をふくらませること、そして強い体、体力です。茗溪学園での6年間は、非常に多くの行事をこなすことになるので、一人の生徒にかくも沢山のことをさせるのか、と私自身も最初は驚きました。中1、中2でのキャンプでは、家族旅行では生み出せないような過酷な状況で、生徒同士が協力し合う事を覚えます。そのような状況を「かわいそう」と思われる親御さんもいらっしゃるかもしれませんが、その中で生徒が学びとっていることは、これから起こりうるさまざまな試練を自分の力で突破していけるという自信につながります。限られた不自由な状況で、仲間と共に、自分のパフォーマンスをいかに発揮するかということが大事であり、それらを学ぶチャンスすべてが茗溪学園の教育や過酷な行事の中にあると思っています。この子供たちが将来社会人になった時、例えば、明日やって来る海外からのゲストに対し急きょ英語でプレゼンしてくれと言われても、茗溪学園の卒業生なら必ずやるでしょう。明日大地震が起こっても、天変地異に巻き込まれても、茗溪学園の生徒は三日三晩どこかでなんとか無事に生き抜くでしょう。今現在、存在もしていないような新しいビジネスで活躍する生徒もきっと出てくると思います。将来、世界中で力強く生きている茗溪生を見る、その日が楽しみです。

 

―科学部無線工学班について

最近は茗溪でも科学部員が140人を越え、中でも無線班は40人ほどになりました。しかし最近、日本全体のアマチュア無線の人口は減って来ていて、特に若 い人がすごく少ないんです。今、インターネット全盛となり、一人一人が携帯電話を持つようになり、「なぜ今更アマチュア無線なのか…」とおっしゃる方もい るんですね。その時必ずお話しするのは、一昨年(2012年10月)、宇宙の星出さんと交信に成功した時のことです。日にちや時間、交信する学校の順番は あらかじめ決めておきますが、地上にある自分の学校の無線局とISS(国際宇宙ステーション)の無線局、宇宙と直に電波をやりとりする訳ですね。この学校 の屋上から電波を出して、それを直接、国際宇宙ステーションに届ける、そして国際宇宙ステーションから出ている電波が直接学校に届く、そのダイレクトな感 じが何ともいえない感動なんです。テレビなどでよく見るのは、ISSと交信するとなると衛星を使うので、声や映像が少し遅れて、ちょっと沈黙があって、 「…そうですね」となる場面です。でも、宇宙ステーションって一番近くて400km、遠く離れていて2000km位しか離れてないので、衛星を介さずに電 波が直接やり取り出来れば一瞬で声が届いちゃうんですよ。電話で喋っているみたいに「どうぞ」って言うと「はい」って、もうここで喋ってるかのように言葉 が返ってくる。その即座に声が返ってくる感じが、自前で作った電波が相手に届いて、向こうの作った電波が直にこのアンテナに入って来てるんだな、というの を実感できる瞬間なんです。アマチュア無線は、他のメディアが全部ネットワークの力を借りて行っていることを、自分でネットワークを作ってやっているわけ です。自分で通信の筋道を作ってそこで通信を成り立たせるというのは、逆に今の時代だからこそ難しいのかもしれない。それはコミュニケーションについて改 めて考えさせられることであり、実はそういうことが出来るのは今や、アマチュア無線と業務無線ぐらいしかないんですね。先日の大震災の時はそのことを如実 に示したと思います。最近では防災を軸にして高校同士が連携するという動きも出てきています。そういった何か、他とつながるラインを自ら作っていく、そこ にクリエイティブな所があるのかなあって話を最近はよくしています。

無線を中学・高校でやっていても、卒業してしまうと受け皿が少ないんです。一般人のアマチュア無線愛好者で一番多い年代が60代で、40代以下はグーンと減るんです。若いアマチュア無線愛好者を増やすには、高校の部活動で子供たちにもっと色々なことを提供してあげる必要があるし、また、高校にはアマチュア無線をやっている子が沢山いるんだよ、将来的な社会的受け皿ができていないと長く続けられないよ、ということを一般の愛好者の皆さんにアピールしていかないといけない。そういう思いがあって、全国のアマチュア無線部が集まって高文連に加盟したいと働きかけている会(全国高等学校文化連盟アマチュア無線専門部設立準備会)の事務局長をさせていただいたり、またアマチュア無線の愛好家の団体・日本アマチュア無線連盟(JARL)茨城県支部でも高校担当の役員として、生徒の頑張りを少しでもアマチュア無線界全体へ広げられるようにお手伝いができればいいなと考えています。

―中村先生のこれまでの10年、これからの10年は

これまでの10年は、教員として生活をしていくということと、結婚をしたこと、子どもが生まれたことなど、生活の基盤が少しずつ変わっていった時期だったと思います。この先は子育てをしながら、なにかまた新しい発見をしてみたいですし、久しぶりに楽器もやりたいですね。自分の中で創造力をふくらませられるような、新しいものを広げていきたいと思います。

 

―茗溪父母会に向けて一言お願いします

茗溪のご父母の方々は、学校の方針を遠くからいい距離感をもって見守ってくださっているといつも感じています。親御さんと学校側が同じ方向を向いてお子さんに接することも必要ですし、親御さんは親御さんのやりかたで、学校は学校のスタンスでお子さんに接することもまた大切だと思っています。お子さんに立派になって欲しいという思いは、親御さんも我々教員も同じです。自分も親になって初めて、親として自分の子供に接することと、教員として子どもに接するのでは全く違う視点があると気がつきました。色々な悩みを抱える場面もありますけれど、親御さんのお考え、教員側の考えをすり合わせながら、お子さんの成長につなげていければ、と思っていますので、ご父母のみなさんが学校に対していい距離感でいてくださるのは大変ありがたいです。

年に一度地区父母会にも出席していますが、そこでも学校でのことをお伝えできたり、各ご家庭の様子をお伺いしたり、またご父母の方からアドバイスを頂いたりで、子供の成長を願う気持ちは我々教員もご父母の方も同じなんだと安心できる場でもありますね。

35K39K 斉藤 36K中川 39K田(曹)34K39K皆川

我が子が茗溪学園の生徒で本当に良かった、と再確認出来るインタビューでした。 貴重なお時間をありがとうございました。